十年前の回想、そして自覚(side:ルーク)
十年前、七歳。
幼馴染のリオは頭がいいのに馬鹿、という表現がぴったりくる少女だ。
冷えたジェラートを、銀のスプーンですくい上げたままの恰好で固まって、私を唖然と見る。
「え」
「ですから、王子妃になってしまえば、今のように自由に市井で買い食いなど、とてもできませんよ」
私の視力が下がり眼鏡を掛けだしたのもこの頃。ずり下がる縁を上げながら、未だ固まるリオに続きを食べる様促す。
ほら、溶けてきている。
何故そんなに驚くのだろうか。
王族に名を連ねようものなら、軽率な言動は出来ないのだと分かっていそうなものだが。そもそも今の地位ですら、眉をひそめられかねない行動であるというのに。
「え、でも、でも……お妃さまはなんでも好きなものを買えるのよね? みんななんでも命令をきいてくれるのよね?」
「あながち間違ってはいませんが、例えばあなたが今のようにあれが食べたい。と言えば臣下が買いに街へ出る。あなたは城で待っていなければいけません」
まるでこの世の終わりみたいな顔をしたリオ。
確かにこの幼馴染は、割と我が強く欲に忠実だ。
だが買い物ひとつにしても、自身で足を運び選んで買う。という一連のプロセスがそもそも好きなのだ。
「あなただって貴族なのだから知っているでしょう。豪奢なくらしができる代わりに、僕たちは責任をともなう。そこに個人の自由なんてものはないと」
落雷に打たれたかのような衝撃でありながらも、ジェラートを口に運ぶ動作はよどみない。溶けて台無しになれば元も子もないとわかっているから。
「そんな……わたしもうおとうさまに返事しちゃった……」
うなだれながら空になったカップを脇によせ、更にメニューを開く幼馴染。まだ食うのか。
返事とは。
同年の第二王子殿下と、一つ上の王太子殿下の婚約者候補を集めたお茶会。その出欠の事。
真剣にメニューをめくるリオを目の前にして私はおもしろくなかった。何故おもしろくないのかはわからない。ただ、おもしろくないという事だけはわかった。
だから。
「もう撤回はむりでしょうから……こうしてはどうです」
私の苦し紛れの提案に、リオは目を瞬かせながらもベルを鳴らして店員を呼ぶ。
季節の果物パフェを注文して、私の言葉に何度も頷く。
要は、殿下方の好みから外れた性格を演じればいい。
幸いな事にあの御兄弟は、割と異性の好みが似通っているように見受けられる。自分とは違った考えを持ち、自立し、明るく、賢いながら男を振り回しそうなそんな女性が。
つきりとこめかみが痛んだ。
まさにこの目の前でパフェを待ち望む幼馴染そのままではないか。
「ん、わかったわ。王子様たちのおめがねにかなわない、『面白くない』女を演じればいいのね!」
両手を握り気合を入れ、現れた色彩豊かなパフェにスプーンを伸ばすリオ。
「んー、ちょっと甘い。果物をお砂糖づけにしているのね。せっかく旬の果物なのにもったいないかも?」
丸くカットされた緑色の旬な果物に生クリームを添えスプーンに乗せ、私に差し出してきたから、条件反射でそのまま食べた。
「そうですか? 僕には丁度いいですね」
「甘党……」
そういいながらも次々とパフェを口に運ぶリオ。残り半分は私が食べた。
そんな事があった後日、別件で父と共に登城した際、王太子殿下に呼び止められた。
たった一つ上の八歳であらせられる殿下。佇まいにはすでに為政者の威厳が見えるようだった。
「ルーク・テンペジア。君はシュメルツタット嬢と幼馴染だそうだな」
眉が動きそうになるのを堪えて無表情を張り付け、肯定した。
「先日の茶会に出席していたのだが、あまり話が出来なくてな。彼女はどんな子だ?」
そんな質問をしてくるという事は、彼はまだ婚約者を決めかねているという事だろうか。
「淑女の中の淑女といった感じでしょうか。自身の心情などは二の次で、半歩さがって男を立てる、そんな子……だと思います」
一体誰の事を評しているのかわからなくなってきた。まるで錯覚画を見ているかのようだ。
父が何とも言えない顔で見下ろしてきたのを、僕は無言で睨み上げた。
結果、無表情なお人形を演じきったリオは、上手くいったと報告してきた。両者の婚約者候補から外れてこれで自由になれる! と喜んでいたが、水を差したのは私だ。
「ですが、いつかは貴族として貴族へ嫁がなくてはなりません。同じ事です」
「え」
また目を見開いて固まるリオ。
「話がちがう……」
「違いません。王族は特に個の自由はないというだけの話です」
俯いて落ち込んでいる、かと思いきや、我が家のシェフが手掛けた焼き菓子を手に取って頬張る。だがそれは私の好みに合わせて作られたもので。
「甘い……」
そう言いながらも完食し次に手を伸ばす。
何故、そんなに深く考えて落ち込む必要があるのだろう、分からない。
ある程度自由にさせてくれる貴族なんて、腐る程いるだろうに。現に彼女の家だってそうであるからこそ、リオは奔放に振る舞える。
我がテンペジア家だってリオを微笑ましく見て――。
「……貴族としての務めをはたし、なおかつ自由にできる方法はありますよ」
「ほんとう?」
ぱっと顔を上げたリオ。
「我が家に籍をいれればいいじゃないですか。かんたんです」
そう、本当に簡単な話だ。
家族も使用人たちも、リオが嫁に来るなら大歓迎だろう。だが。
「え、それってルークのお嫁さんになるってこと?」
そんな確信を言葉にされた時、何故か私は二の句が継げなくなった。一瞬言葉に詰まった私をどう思ったのか、リオは納得したように頷いた。
「そっか、別にルークじゃなくてもカーラ君の」
「いえ、僕の婚約者になれば解決です」
この間四つになったばかりの弟の名を出され、食い気味にそう提案してしまった。
やっぱりおもしろくなかったから。
――王子妃になれば贅沢できるかも、と嬉しそうに語る幼いリオを見た時、咄嗟に妙な言い訳をしてみせたのも。
王子たちとの婚約の話が出たのを、おもしろくない気分で聞いていたのも。何故なのか、つい最近ようやく理解した。
泣きの演技でもって体を密着してきたその時に。間接的に私を良い男だと評した時の、浮ついた気持ちで。
「遅すぎますね」
「何が?」
いえ、と煙に巻いて私は、ようやく十年前からの婚約者への想いを自覚した事は黙っていた。
あれから、連日生徒会室へ顔を見せる王太子殿下の対応に疲れたのか、リオは頬杖をついてぐったりとしていた。
「甘いものが食べたい……」
「いいですね。行きますか。五番街のカフェ」
急に元気になって立ちあがるリオに手を引かれて、私たちは街へ繰り出した。