おまけ2ー2
ご好評いただきましたので、すこしだけおまけを追加しました。
アレクサンドロス学園が休みの日の、秋の朝であった。
オレイアデスのエコーは、自宅……留学先に用意した邸の中で、朝食を取ろうとしていた。
リビングでいつものように座る彼女だが、普段よりも緊張感が漂っている。
現在彼女の鼻腔には、嗅いだことのない『上質な匂い』が入ってきていた。
ソレがあるからこそ、彼女の腹部は音を出そうとしている。
淑女の誇りにかけてそれを抑えていたのだが、それも限界に近づいていた。
その時に、料理人であるレアード自らが配膳に来た。
みごとな彫刻をされたおぼん、絵の描かれた皿。
それの上に乗るものは、ある種シュールだった。
「白米ご飯、素のみそ汁、お供各種を揃えております」
「ご苦労」
一膳のご飯、みそ汁。そして小皿にちょこんとずつ、ご飯のお供が小さな山として盛りつけられていた。
仮にこの場に日本人がいれば『なんて大仰な』と思うかもしれない。
なにせご飯のお供は瓶詰で市販されている者であるし、みそ汁や白米も最高級ではあるが庶民でも買えるものだ。
とはいえ、それは日本で買った場合の話。
船便にて遠路はるばる運ばれてきたのだから、日本で食べるより格段にコストがかかっている。
それでも彼女が普段食べている物と比べれば、格段に安いことは事実であった。
そして……間違いなく美味しそうであった。
エコーは生唾を呑むと、緊張した箸の動きでご飯の上をつまむ。
その弾力にさえ感動しつつ、それを口に運んだ。
「うん」
彼女は短くそういった。
上質で上品だった。
コレ単品では美味とはいいがたかったが、手間暇と材料の上質さは伝わってくる。
今度はご飯のお供を箸でつまみ、ご飯の上にのせて食べていく。
一つ一つの味や食感を確かめながら、おいしくいただいていた。
「……うん、うん」
彼女は短く頷く。
朝食を食べるというよりは、テイスティングをしているかのような食べ方であった。
ご飯のお供を食べきると、今度はみそ汁をご飯にかけた。
箸裁きや姿勢に似つかわしくなく無作法ではあったが、彼女はそれを特に躊躇せず行った。
みそ汁を伴って、ずずず、と食べきる。
実にきれいな食べっぷりであった。
「ふぅ……」
「お嬢様。こちら、炭酸水となっております。この少し後にデザートを用意しておりますので、御口を整えください」
「ありがとう」
レアードは炭酸水をコップに淹れて、エコーはそれを受け取った。
口の中、舌の上から、味の余韻が消えていく。
その中でレアードは普段と違って自分で皿を下げ、彼女に呼ばれるまでもなく戻ってきた。
「如何でしたか、お嬢様。日本の朝食の……その上振れ側は」
「何点、かしら」
エコーはあえて、レアードに採点を求めた。
レアードは少し含みを持たせつつ、自信満々で答える。
「90点の出来ですな」
「まだ10点も改善の余地が!?」
エコーは驚き、脳裏で感想を反芻する。
日本から取り寄せているという輸入食品は、確かに美味しかった。
ただでさえ最高級のコメであったが、研ぎ方や炊き方が完璧であったため、エコーをして文句の付け所が思いつかなかった。
「全力は尽くしましたが、専門外ですからね。本職の方には及びませんよ。それに瓶詰めのお供や味噌はともかく、米は船で運んでいる関係で、鮮度が少し落ちてしてしまっています。出汁もこの国で獲れたもので代用しましたので」
「そうなのね……」
それに対するレアードの返答は完璧であった。
この場で食べられるベストではあっても、本当の到達地点からはまだ距離がある。
加えて……瓶詰のお供とみそ汁で食べたが、他にももっといい物はあるだろう。
そう考えると、彼女の脳はより欲求を訴えてくる。
「ご感想は」
「モラルが、欲に負けそうですわ……!」
美食を愛するオレイアデスという種族には、食事についてモラルがある。
食事は美しく食べるべきである。
それが生産者や調理師への礼儀である。
聞けばもっともだと納得するだろう。
大和のモラルとは対極だが、これはこれでモラルとして正しい。
不味そうに食べていたら、生産者も調理師もいい気分になるまい。
そのモラルゆえに、オレイアデスは腹八文目を徹底する文化がある。
満腹になるまで食べることは、どうしても無理に食べることを意味する。
それでは美味しく食べられないので、止めるべきだという考えからきている。
これは彼女にとっても尊ぶべき文化であり、淑女の誇りだ。
だがそれを捻じ曲げるほど、今は食欲が動いている。
「さまざまなお供を確かめるために、試験のように一口ずつ食べたせいで……全部を! 思いっきり食べたい! という欲求が膨れ上がっていきますわ……!」
辛い物、魚を漬けた物、みそ汁同様に味噌をベースにしたもの。
それぞれがまったく別の味をしていて、食感も異なっていた。
保存食の宿命か味は濃かったが、それも白米と一緒に食べればちょうどよかった。
どれも、一膳ずつ食べたかった。
満腹になってもいいから食べたいという欲求が口から声になって出ている。
まだデザートを食べていない、余裕があるからこそそう思う。
デザートを下げてご飯を前にした場合、たがが外れる可能性すらあった。
「ははは」
「何がおかしいのですか!」
「失礼。楽しんでくださっているようで、料理人冥利に尽きます」
「……ええ、楽しんでいるわ。そのうえで聞くのだけど、なぜこの料理を今まで教えなかったの?」
これらの『高級食材』は、彼女の実家を経由して送られてきた。
つまり元々彼女の実家では日本食が食べられていて、彼女には秘匿されていたのである。
子供に内緒で大人たちは美味しいものを食べていたのだ。
子供が拗ねても不思議ではない。
「お嬢様に、『オレイアデス』になっていただきたかったのです。他国の文化を尊重しつつも、自国の文化に誇りを持てる、真の淑女になっていただくためです。そのためには、日本の文化からある程度隔離する必要があったのです」
「日本かぶれになることを危惧されていたと? ふん」
やはり拗ねるエコー。そんなはずないじゃない、と言おうとしていた。
その彼女の元へ、デザートを乗せた皿を侍女が配膳してくる。
それは冷凍されたケーキ、あるいは氷菓子ケーキともいうべきものであった。
(全然趣向が違いますわね……だから時間を置いたと。でも、なぜわざわざこれを?)
日本人ならずとも、全く別系統のデザートが出てきたことに彼女は困惑する。
それでも出された皿を下げる無作法はない。
彼女はフォークを使って、丁寧に切り分ける。
氷菓子ではあったが、切り分けられる温度には温めたようであった。
「あむ…………………………」
一口。
噛む。
とろけるアイス。
飲み込む。
エコーはつぶやいた。
「100点、ですわ」
間違えようがない。
このケーキに妥協はない。
たとえば。
カップラーメンという『料理』がある。
これはラーメンという完成形が先にあり、これに近づけるために尽力している。
だが保管しなければならないという事、値段的制約、製造コスト、お湯で戻すという調理過程。
それらが絡み合い、どうしても妥協しなければならないことがあった。
決して不味いわけではないのだが、ラーメンという料理の中では高得点はつけられまい。
このケーキは、このケーキを目指し、到達したものだ。
冷凍食品ではあるが、それは妥協で凍結させているのではない。
凍結された状態こそがベストなのだ。
「こちら、日本のパティシエと日本企業が合同で開発した『フローズンケーキ』でございます。他にも様々なフレーバーがございますよ」
「そ、それは……」
彼女は少しずつ溶けていくフローズンケーキを観ながら、あたふたとレアードの顔を見る。
それは淑女を邪悪に落とす愉悦に満ちた顔であった。
「もちろん、この邸にも在庫がございます」
「それは、それなら……」
「どうぞ、今晩をお楽しみに……」
「う、うう……」
もしもここで彼女が食べたいと言えば、彼は出すだろう。
だがそれはモラルの崩壊を意味し、日本かぶれへの第一歩でもあった。
淑女たるエコーは、目の前のケーキを食べる。
まず、食べる。
問題を先送りにしようとする。
このケーキに集中しなければ、ケーキを製造した人々にも失礼だから。
だが食べて後悔する。
欲求が高まる。
こんなにもおいしいデザートがあり、同じようなデザートもたくさんあるのだとしたら。
それはとても、食指が……。
「うぇうぇうぇ……」
「お嬢様。どうでしょうか、今すぐお持ちしますか?」
「う……」
レアードは積極的に陥落させにかかった。
これをはねのけるには、積極的に抵抗するしかない。
だが、彼女の食欲は、腹八分目のその先を求めている。
「それでは、少々お待ちください」
彼女は甘美な罪を犯してしまうのであった。
※
満腹。
腹十分目に到達した彼女は、自己嫌悪に陥りながら屋敷の周りを走っていた。
今のままでは昼時になっても空腹に至らない。栄養を消費しようという試みであった。
体形維持という目的ではないが、ダイエットみたいなものである。
それが、彼女のモラルに反していた。
オレイアデスの価値観において『食べ過ぎたから運動する』というのは悪徳とされている。
過酷な労働環境にいる者やアスリートがたくさん食べるのとはわけが違う。
欲に負けて沢山食べてしまい、その帳尻合わせとして運動するというのは、過剰な暴食の証明だとされているのだ。
食べ過ぎてしまったのだから反省して、昼ご飯を少なくすればいい。
もちろん晩御飯も適正な量にするべきだ。
そうするべきだと思っているのに、昼ご飯も美味しくたくさん食べたいという思いから、運動をしてしまっている。
「うううう……」
空腹になるための運動。栄養を消費するための運動。
こんなにも罪深いことをしている自分は許されるのだろうか?
許されない、許されないが、それでも彼女は走ってしまう。
『昼ご飯は日本式カレーライスです。カップラーメンのカレー味の、その本場ですね。トッピングは栄養バランスを考えて野菜多めにしました。採点としては……80点ぐらいですね!』
絶対美味しいじゃん。
お腹がすいた状態で、空腹というスパイスを振りかけた状態で食べたいじゃん。お腹いっぱいになるまで食べたいじゃん。
「うわあああああんん!」
淑女にあるまじき醜態をする彼女を、レアードは邸の中からニヤニヤと眺めていた。
いやあ、気高くも初々しい乙女を悪の道へ堕落させるのは、大人にとって最高の甘味だなあ。
料理人冥利に尽きる。地獄で沙汰を下されそうな顔で、彼は美味しいカレーを作っていた。




