ザ・リビング・デッド
「は!」
俺は意識を取り戻した。と同時に身体全身に広がる激痛に苦しみ悶えた。腹に空いた穴からガスが出る激痛、蛆虫が皮膚を食い荒らす激痛、急激な血流が血管内の血栓にぶつかって血管が拡張するような激痛。周囲を確認したが、片目は既に床に落ちていた。すかさずヒールの魔法を全身にかけた。多少痛みが和らいだので改めて状況を確認した。床下は座っていたゲーミングチェアを伝って、糞尿と血液と体液が水たまりになっていた。そこに大量のハエがたかり、俺の身体中には蛆虫が這っていた。腹は異様に膨らみ、時折へそから中に溜まったガスが抜けていた。魔力を使い、寄生虫の除去や、死んだ体内組織や器官の再生を試みた。が、人体とは複雑なものだということを初めて知った。神経一本一本を治すのなど到底無理だし、ましてや細胞レベルになると手にも負えない。
骨と、かろうじて残っている筋繊維に魔力を込め、動かす。腕の上げ下げはできた。次は脚だ。ふくらはぎと足の骨を使ってバタ足のようなことはできたが、腰が上がらない。腿の肉がだいぶ腐食が進んでいるうえ、尻の脂肪が思ったよりも無くなっておらず、椅子から立ち上がることができない。肘掛けを腕で押し、腰を持ち上げた。と同時に椅子から転げ落ちた。どこかに掴まろうとしたが、指先を動かすことができない。指は関節と関節を繋ぎとめるのに精いっぱいで、もっと訓練しなければグーパー運動すら難しいだろう。骨を動かして何とか立ち上がり、歩行の練習をした。腕は前に出していなければ肘の曲げ伸ばしもできないし、転んだ時に立ち上がることもできない。また、両脚を交互に動かすのも至難の業だ。必然的に最初に片足を前に出し、それにもう片足を同じ位置に置くことになる。つまり、脚を引きずって歩いている形だ。この歩行方法は、まさに映画などでみるゾンビだ。ゾンビは筋繊維が欠損しているからこのような歩き方になる、というのを初めて学んだ。俺の魔力であれば宙に浮くこともできる。だが、気を抜くとどこかの骨が抜け落ち、肉が剥がれてしまう可能性もある。とにかく魔力の調整を練習し、まずは日常生活は支障なく送れるようにする必要がある。幸い、魔力は潤沢にある。疲れもしないし眠る必要もないし、腹が減ることもない。もっとも、胃や腸はすでに機能不全というか、腐って無くなっている部分も多いが。
「斉藤さーん、いらっしゃいますかー!警察ですけどー。」
急に下の階の玄関口を叩く音がした。なんだよ、クソババアいないのかよ。こんなのは無視だ、無視。そう決め込んだが、警察の次の言葉で、対応せざるを得なくなった。
「あのー、人が死んでるんじゃないかって通報がありましてー。ドア開けさせてもらいま
すよー。」
俺は焦った。これは対応をしなければならない。この状態で警察に侵入されたらまずい。しかし二足歩行もままならない。どうする?俺は半分腐っている頭をフル回転させ、骨盤より上の上半身を魔法で浮かすことにした。脚や腕の細かい骨が無くなっては困るから、腕は肩関節から外した。頭と胴体のみで玄関まで浮遊して向かい、叫ぼうとした。が、声が出ない。声帯がやられてしまっているのかもしれない。何とか魔法で代替できないか。ふと、リビングにおいてあるノートパソコンが目に入った。これは使えるかもしれない。オカンの PC だからボーカロイドの類のソフトは入っていないが音声認識ソフトはあるだろう。それに魔法を組み合わせて・・・一か八かだ。
「うるせー!生きてるよ!馬鹿野郎!」
音量を最大にしていた。うまいことそれっぽいことを伝えられたようだ。
「すみませんでしたー。一応、悪臭などの苦情もきているんですが・・」
しかし警察は食い下がる。
「わかったよ!無くすよ!帰れよ!」
「すみませんでしたー。ご協力ありがとうございましたー!」
警察は帰ったようだ。ともあれ、声が出ないのは問題だ。何とか声帯も修復し、声を出せるようにしなければ。無詠唱魔法だけだと限界がある。それになんといってもバニシングだ。あれを使ってもとの異世界に帰らなければならない。こんなゾンビの姿で、しかもこんなクソな世界で生きていくなど耐えきれない。なんとしてでも異世界に帰るぞ。




