尻拭いのファンタジー
俺は長老にナイフ一本だけを渡され、魔獣がうようよ生息する森の中に放り込まれた。まるでマタイによるゴブリン修行を彷彿とさせる状況だ。周囲の木々が不気味に揺れ、闇の中からは獣の唸り声が聞こえてくる。ナイフ一本で生き残るのが、この世界でのレベル上げのスタンダードスタイルなのかもしれない。しかし、俺にはバニシングがある。楽勝だ。
・・と思っていた。だが、森の奥深くで3本角の牛のような魔物を発見した瞬間、全てが変わった。巨大な体躯と鋭い目つき、その圧倒的な存在感に、俺は自分の無力さを痛感した。レベルが俺より遥かに高い。バニシングが効かないじゃん!心の中で叫びながら、手に握ったナイフが頼りなく感じられる。
魔物はまだ俺に気づいていないようだ。幸いにも、風向きが俺に味方している。静かに息を整え、足音を立てないように一歩一歩後退する。心臓の鼓動が耳元で響き渡り、冷や汗が背中を伝う。逃げるしかない。ここで戦うのは無謀だ。
「パキ。」
不用意に枝を踏んでしまった瞬間、鋭い音が静寂を破り、牛の目がこちらに向けられた。心臓が一瞬止まるような感覚に襲われ、全身が凍りつく。次の瞬間、全力でダッシュするが、牛の怒りに満ちた咆哮が背後から迫ってくる。足音が地面を震わせ、振り返る余裕もなく、ただひたすら前へと走る。しかし、牛のスピードは圧倒的で、距離がどんどん縮まっていく。息が切れ、足がもつれそうになる中、追いつかれる恐怖が全身を支配する。殺される!その思いが頭をよぎり、さらに必死に走るが、牛の影がすぐそこに迫っていた。
「バニシング!」
藁をもつかむ思いで俺は咄嗟に呪文を唱えた。すると、隣の樹木が一瞬で消え去った。現れる場所を指定していなかったため、樹木はどこかへ転送されたようだ。根っこも含めて消えたので、俺の横には大きな穴がぽっかりと開いた。牛はその穴に足を取られ、見事に転倒した。
「今だ!」
俺はここぞとばかりに、周囲に落ちている枝や石に次々とバニシングを掛け、転倒している牛に向けて飛ばした。その中の一つが見事に牛の急所を捉えたのか、牛は動かなくなった。恐る恐る近づいてみると、どうやら額に埋まっている魔石が急所だったようだ。まだ息があったため、ナイフの柄で何度も叩き、魔石を粉々にした。すると、牛は完全に息絶えた。同時に、俺のレベルが上がった。どうやら格上の敵を倒すと確実にレベルが上がるらしい。レベルが上がると同時にステータスも回復するはずだった。しかし、なぜだか体はヘトヘトで、精神的な疲労もひどかった。俺はふらふらと歩きながら、目の前に立つ一本の木に寄りかかる。木の幹に背を預けると、重いまぶたが自然と閉じていく。気づけば、深い眠りに落ちていた。
「フー、フー。」
獣の鼻息と周囲に充満した獣臭で目が覚めた。不覚にも寝入ってしまい、夜になっていた。わずかに差し込む月の光には複数の野獣の姿が照らされている。しまった。囲まれた。すかさずサーチングするが、レベルは俺よりも数段下のようだ。どうやら先ほど狩った牛の死体目当てに集まったハイエナの類だろう。集まったはいいものの、俺の存在に気付き、遠巻きに警戒しているのであろう。俺はゆっくりと立ち上がり、周囲を見渡した。ハイエナたちは低く唸り声を上げながら、じりじりと距離を詰めてくる。逃げるか、戦うか。選択肢は二つに一つだ。俺は深呼吸をし、心を落ち着ける。ここで怯んではならない。
「来いよ、相手になってやる。」
俺はナイフを抜き、構えを取った。ハイエナたちは一瞬ひるんだが、すぐに再び前進を始めた。月明かりの下で、俺とハイエナたちの戦いが始まる。しかし俺はナイフを使う気など毛頭ない。ただカッコつけたかっただけだ。バニシングも熟練度が上がり、範囲攻撃が可能になっていた。すかさず前衛集団にバニシングを掛け、後衛の頭上に落とす。それを繰り返していると、周囲に再び静寂が戻った。同時にレベルが2上がった。どうやら大物を一匹倒すよりもバニシングが効く範囲で大量討伐をした方が効率がよさそうだ、と悟った。
それから俺は効率を求めて大量討伐を始めた。レベルも30を超えると、最初にエンカウントした牛の魔獣にもバニシングが通るようになってきた。牛の魔獣の群れに突っ込み、片っ端から空に向かって放り投げる。地面に叩きつけられるやつ、針葉樹に突き刺さるやつ、仲間の身体に押しつぶされるやつ。死屍累々の中、俺のレベルは40まで上がった。
「やってる?」
俺は魔獣の死体の上で服を血で汚し、ナイフを舐め、夜空に向かって「フハハハハハ」と笑い声をあげて全能感に浸っていた。そこに突然長老が木の影から顔を出した。厨二ごっこが見られた。恥ずかしさのあまり、俺はドギマギして長老に話しかけた。
「今の、、見てた?」
「お主が牛を放りなげているところから見ていたよ。お主、ナイフ使っていないのに何で血まみれなんだ?」
俺は恥ずかしさのあまり黙ってしまった。
「まあええ。だいぶレベルが上がったようじゃの。これからは田中と中村も加えて、魔人の拠点を攻略しに行こう。そこで我々のレベルに追いつくとおもうぞよ。」
「魔人の拠点ですか。今、魔王と和解するかどうか模索中じゃなかったでしたっけ?」
「交渉を有利に進めるためじゃよ。ちょっかいを出してきたのは向こうじゃ。こっちもやられっぱなしで舐められたままじゃまずいじゃろ。」
「それもそうだね。じゃあ、いくか。」
一人でレベル上げしている限り、また厨二心が疼いてくるから、人に見られると恥ずかしい。パーティプレイも冒険感も出るから悪くない。
「ところで、長老は1200年も生きているのになんでまだレベルがカンストしていないの?」
「転生者が来るまではこの世界に争いなんてなかったからの。」
「え、だって俺たちは女神に呼ばれたんだぜ。前々から魔王の脅威にこの世界は脅かされていたんじゃないの?」
ヒヒヒ、と長老は鼻で笑った。
「転生者を招致していたのは、単なる労働者不足解消のためじゃよ。お主だって、いきなりギルド放り込まれたじゃろ?もともと魔王領とも国境線がはっきりしていて、争いもなかった。それを『冒険者』などと名乗った転生者の輩がちょっかい出しおった。蜂の巣を故意に突っついたようなもんじゃよ。」
「でもマサユキは魔王と密約を決めたんだろ?」
「そうじゃ。そもそも魔王はマサユキに歯が立たなかった。魔力量が違いすぎたんじゃ。一度はマサユキにやられたんじゃが、『お前がこんなに弱いとファンタジーが糞すぎる』とかなんとか言って、なんか芝居をさせられたようじゃな。」
俺はピンときた。
「『世界の半分をくれてやろう』」
「そう、それじゃ。魔王は嫌々言わされたと聞く。もともと半分なのに茶番に付き合わされて、相当の屈辱じゃったじゃろう。だから、マサユキが居なくなった今、人間側に復讐を企んでいるんじゃないかの。」
「結局はマサユキの尻拭いかよ。尻拭いの冒険の旅なんて、こんなファンタジー聞いたことねえよ!」




