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ツァラトゥストラはもはや語らない  作者: 伝説のPー
第二章【自由の象徴】──第二部【北の花園】
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24. エディンの日常

 照りつける太陽が恨めしいと、アウグリュニーに滞在していたボクならば零したことだろう。

 しかし、冷風が頬を撫で付け、ザクザクと降り積もる雪の上を歩き、ホットミルク片手に手をすり合わせるリヴァチェスター領では太陽は正しく天の恩恵だ。

 一週間あれば五日か六日程は曇天に包まれる北方の土地では太陽が片時でも姿を見せると万々歳。

 半日に渡り日光を地上へと降り注ぐだけで領民は諸手を挙げて天の気まぐれに感謝する。


 それは大人に限らず、エディンで生活する子どもたちも同様だ。

 幼い頃から父親の家業を継ぐような者は例外だが、ここ第二孤児院で暮らす子どもたちは中庭で元気にはしゃいでいる。

 年齢層も性別だってバラバラな数十人の孤児は、互いに血はつながらずとも家族のように仲睦まじい。

 その中にあっても、ティナは年長者の部類に入るらしく、エムス以外にも年下の子どもたちから慕われている。

 ボクに対してはまるで変質者のように軽蔑した視線を向ける彼女であるが、エムスたちに注ぐ優しさには紛れもない家族愛に満ちている。

 ティナの他にはちらほらと年長者を見かけるが、中心にいるのは常に彼女だ。

 きっと、それが普段の第二孤児院の様相なのだろう。

 しかし、今日に限っては別だ。


「おい、袖を引っ張るな……!」


「あっ、ホロウ姉さんが怒ったぁ!」


「にっげろーっ!」


「分別のないガキが…………!」


 怖い怖い。

 ここにオスマンとビザンツがいれば犬歯を剝き出しにして唸っていたことだろう。

 いや、彼女の殺意の入り混じった横顔を見て萎縮するかな?

 どちらにせよ、子どもたちの中でも頭一つ抜きんでた少女。

 紺色のガウンを引っ張られて大人げなく子どもたちを威嚇するホロウが、皆の輪に混ざっているのだ。


「ホロウさんには感謝しなくちゃ。子どもたちと遊んでくれて助かるの」


 声の主はマルタだ。

 迷いのない足取りでボクの左隣、半歩後ろで止まる。

 初対面時と同様に、桜色に統一された姿格好に宝冠(ティアラ)のような花の髪飾り。

 おっとりとした穏やかな雰囲気だが、腰に佩いた細剣(レイピア)や言葉の端々に色濃く現れる怜悧な口調から油断ならない女性だと感じる。


「是非とも本人に言ってくれたまえ。多少の労いになるよ」


「うん、もちろんだよ。ロムルスさんも混ざってきたら?」


「はは、遠慮しておくよ。そんな年でもないからね」


 ボクとマルタはそのまま沈黙し、戯れる子どもたちの様子を見続ける。

 特に額に青筋を浮かべるホロウの姿を。

 殺意や怒気の通じない子どもたちに戸惑い、同時に、翻弄される彼女の姿は貴重だ。

 アナスタシアの赤面と共に脳裏へ刻み込まねば。


「それで、ロムルスさん。どうして今日も来たのかな?」


「他意はないよ」


 咎めるような口調で、マルタは本題を切り出した。


 そう、ボクたちは昨日、シスター・オルメカと話して孤児院を後にした。

 マルタにとっては二度と顔を合わせることのない二人組だと思ったのだろう。

 まあ間違いではないよね。

 昨晩の時点でボクも第二孤児院へ足を運ぶことはないと思っていたから。

 事の発端はアナスタシアと情報交換をした夕飯時に戻る。

 領主と協議をしに領主邸宅へと赴いたアナスタシアとテリアだったが、なんと半日待たされた挙句に急用で面会はできないと言われたらしい。

 改めて、今日、訪問してくれと。

 まあ、甚だ非常識な対応だとの誹りは免れない。

 幾ら唐突な訪問だと言え、相手方はフォルド領領主代理と会うのだと了承したはずだ。

 それを、一方的に無碍にしただけではなく、厚顔無恥にも再び()()()に足労させるときた。

 テリアなんてにっこり笑顔の裏でグルグルと“龍気”を織り交ぜていたほどだ。

 しかし、アナスタシアは「これも交渉の一環でしょう。反帝国を掲げているフォルド領の領主が緊急で会いたいと言ってきたのです。警戒しても無理はありません」と、寛大な心で赦したのだ。

 なんて、おおらかで懐が広いのだろうか。

 これは惚れてしまうね。


 おっと、話が大きく脱線した。

 とにもかくにも、本来ならば概要は話して次回会合日を決めていたはずの昨日に、何も定まらなかったのだ。

 となると、ボクの知識が必要になる段階(フェーズ)も先延ばしになるということで。

 ぽっかりと時間が生まれた訳だ。

 それで、暇つぶしではないけれど改めて視察のために工業区に赴いたら…………「ロムルスさんだぁ!」と名を呼ばれたのだ。

 幸いにして……? 判断は付かないが、やけにボクたちに食って掛かったシスター・オルメカは不在のようで快く(?)迎い入れてもらえた訳だ。 


「迷惑ならば即刻帰るつもりだったけれど……」


「はぁ……別に責めてる訳じゃないんだ。でも、普通、孤児院()()()場所はそう何度も訪れようとは思わないでしょ?」


「猜疑心は武器だよ、マルタ」


「そう? なら、よかった。ロムルスさんはともかくとして、ホロウさんはいい人そうだから。気を悪くしたりしないといいなって」


 くすりと笑った彼女はすっと半歩前進した。

 ずいっと身を乗り出してボクと目を合わせるマルタの瞳に、少なくとも悪意の色はない。

 二日も続けて訪問する不審者二名。

 彼女の認識は間違ってなどいない。

 そう、間違いではないのだ。

 第二孤児院を支援するだけの()()()()()()()()()()()でなければ。

 マルタは孤児院へと資金援助をするスポンサーであるが、彼女の眼差しには慈愛が含まれており、まるで利権を度外視している。


「マルタ、一つ問うてもいいかい?」


「えぇ~? わたしたちってそういう関係でもないじゃん」


「さてそれはどういう関係かな。肯定の意でとらえても構わないね」


「ロムルスくんって見かけ通り冗談が通じないみたいだね。お姉さん困っちゃうなぁ」


「お姉さんか……そこまで年が離れているようには思わないけれど」


「かぁ~っ! やっぱりお堅いねぇ」


 けらけらとボクの左頬をつつきながら笑うマルタ。

 どうやらいいように弄ばれたらしい。

 人を手玉に取る言動や、それを憎らしく思わせない人となり。

 加えて、昨日魅せた剣術の腕。

 彼女は敢えて警戒心を解くためにおどけているようだが、却ってボクの疑念は募る一方だ。


「マルタ、君は孤児も皆に同情している。けれど、資金援助の他には関わりを持とうとしないそれはなぜかな?」


「……不躾だね」


「そうかな? 当然の疑問だと思うけれど」


 途端に黙りこくって俯く彼女の代わり映えには判断を誤ったのか? と罪悪感を抱かせる仕草に塗れていた。

 あまりにも作為に満ちた動作で何か別の意図でもあるのかと勘ぐってしまう。


「ロムルスくんは、領外の人だよね」


「ああ、そうだね。リヴァチェスター領には数日滞在したことがあるけれど」


 “渓谷からの呼び声(メルアト)”の下部組織を壊滅させた道中で、ボクたちには次なる行動も明確だった。

 故に、領外の部外者である点に変わりはない。


「そう…………なら、何をしにエディンまで来たかは分からないけど、深入りしない方が身のためだよ」


 ゾクリッ! と魂に直接触れられたような感覚だった。

 背後から細剣(レイピア)で殺されかけた時とは比較にならない不快感と恐怖、狂気を一身に享受した。

 一対一の正面戦闘、正しく真剣勝負に直面しているような感覚。

 ああ、()()か。

 ボクがマルタに抱いていた違和感の正体は。

 彼女は巧妙に隠蔽していた。

 内に秘める憎悪と嫌疑を。

 しかして、ボクの本能が、【楽園(エデン)鍛錬(トレーニング)をもって鍛え上げた危機感知能力が警鐘を鳴らしていたのだ。

 余すことなく、外界へと向ける敵意の欠片を。

 無意識に感知していたのだ。


 穏やかな微笑みも、柔らかな物腰に、和やかな雰囲気も。

 何ら変わることのないマルタという人間に対して、ガラリと印象を変えざる得ない。

 臨戦態勢へと己の身体が移行する寸前で止めるので精一杯。

 彼女は、一体何にこれほどに濃密で強烈な負の感情を含意しているのだろうか。


「マルタ、君は──」


 ──()()()()()()()()()()んだい? と。

 ボクの問いかけは、甲高い悲鳴とガシャンッ! とした破裂音によって遮られ、彼女に届くことはなかった。


 ふっと次の瞬間にはマルタの様子は元のお姉さん然とした様子に戻ってしまい、先の話題を掘り起こす機会を逸してしまった。


「相変わらず辛気臭い場所だな、ここは」


 ずかずかと、まるで我が物顔で中庭へと現れたのは筋肉質な男だった。

 年の程は二十少しだろう、獰猛な肉食獣を彷彿とさせる血気盛んな表情、やや薄手の格好からは彼の引き締まった肉体がよくわかる。

 バタバタと突然の闖入者に追随するように数人のシスターが、不安一杯といった風体で現れる。

 うち一人は腕を負傷しているのか、血が滴っている。

 唐突に現れた男と関係がない訳がない。


「何しに来たのかな、コロ。君は立ち入り禁止にしたはずだよ」


「おいおい、冷てぇじゃねえかマルタさんよぉ」


 ぴしゃりと言い捨てたマルタとは異なり、コロと呼ばれた男は野卑な笑みを張り付けたまま立ち去る気配を見せない。

 幾らボクでも【運命識士(リードスペクター)】を閲覧せずに理解できた。

 コロとかいう男は望まれない訪問者だ。

 シスターたちの怯懦と嫌悪の混在した表情、ティナの厭悪歪んだ表情から容易に推測できる。

 子どもたちはホロウが背にして守っている。

 状況変化に即座に適応して最適解を選択するとは、流石はホロウだ。


 さてと、ボクはどうしようか。

 マルタは彼の行き先を封じるように動いてしまったし、ホロウも緊急事態に機敏な反応を見せた。

 出る幕でないならば、シスターの手当てでもしようか。


「シスター・オルメカがいないからって、君への禁止令はなくなった訳じゃないんだよ」


「あー、あー。餓鬼をあやすみてえな言い方、止めてくれねえか? 腹が立ってしょうがねえ」


「そう。でも、やめないよ。君が大人になってくれるまでは」


「大人だぁ? 俺はずっと大人だぜ? 何なら、身体に教え込んでやろうか?」


 醜悪極まらない。

 あの男は向けられる悪感情の全てを理解して、一種の称賛と受け取っている節がある。

 返答に窮するマルタを見て言いくるめたのだと悦に入っていることからも、底が知れるな。


「そうだった、忘れるところだったぜ。マルタさんよ、あの年増ババアに伝言を頼むぜ? この土地は領主の名の下に徴収するってよ」


 その程度なら君が直接伝えたらどうだ?


「そのくらいなら自分で伝えなよ」


 おや、奇遇だね。

 とはいえ、誰であっても抱く感想は同じだろうさ。

 この男はシスター・オルメカを嫌っている…………というよりは、苦手としているのか。

 なにせ、わざわざシスター・オルメカの不在を狙って、それも言伝を選ぶなんてね。


 どうやら、ボクの出る幕はなさそうだ。

 マルタに彼の言い分を聞く気はないようだ。

 それに、コロとかいう男は多少腕がたつのだろうが、マルタの方が圧倒的に強い。

 高圧的で勢いのみを武器にしているコロに引き換え、マルタは常に落ち着き払って対応している。

 彼が先手を取ったとしても、彼女が細剣(レイピア)を抜剣する速度には敵わないだろうしね。


「…………ふ、ふざけないでっ!」


 しかして、現実とはどうにも予測通りにはいかずに、時に幾ら冷静な人物であろうとも虚を突かれる場合がある。

 それが、今となってはティナの怒号であり、マルタにとっては最悪への引き金ともなりえる。


「ずっと自分勝手して……! 追い出されたのだって、自業自得じゃないっ! ぜんぶ、オルメカさんが悪いみたいに!」


 糾弾するように彼女はずんずんとコロとマルタの睨み合う爆心地まで突き進む。

 それは、ひとえに他の子どもたちを守るために動けないホロウの庇護範囲から逸することを意味する。


「ティナ、待って──」


 マルタの静止は届いていない。


 きっと、ティナの叫びは何ら間違いのない正当な本音なのだろう。

 だが、状況が悪かった。

 あの男は焦っている。

 いつシスター・オルメカが戻ってくるかわからないからだ。

 マルタもまた、それに勘付いているからこそ事を荒げないように穏便に済まそうとした。

 神経を張っている人間を逆撫でると、思わぬ行動に走るものだ。


 そう、例えば。


 思わず、怒りに任せて投擲ナイフを投げたりね。


「ボクは部外者だ。君たちの因縁に関わる気もさらさらない。けれど、目の前で友人が血みどろになるのを見過ごせる程、心穏やかな訳じゃない」


 簡単な“未来視”だ。

運命識士(リードスペクター)】を使用し続けたボクは無意識下で数秒先の“未来”を垣間見えるようになった。

 おかげで、空を切り裂いて進む切っ先の軌道だっていやにゆっくり映ったさ。


 ……よく見ると毒が塗ってあるね。

 やけに薄い刃だと思ったが、成程、刀身を限りなく軽量にすることでより速く投げられる。

 殺す気満々の武器を、偶然懐に入れていたなんて訳もない。

 護身用にしても確信犯が過ぎる。


 それに、彼の全身に隠している暗器の数々。

 詰まる所、彼は最悪の場合、一人二人程度ならば殺しても構わないと、そう決めて赴いているのだ。


「まだ、未遂で済むと思うけれど…………引き下がる気はないかな?」


「あ゛? 舐めてんのか? 部外者ならひっこんでろやッ!」


「そうか。生憎と、ボクは彼女(マルタ)程に優しくない。生きて帰れるとは、思わないことだ」


 憤りというものが何たるか、ボクには知り得ない。

 そこまで感情を発露させた経験もないし、そもそも直情的にならざるを得ない状況に陥ったこともない。

 しかし、この世界に来て、幾度か本能を制御できない場面に遭遇して、ボクにも一端の感情があるのだと理解できた。

 無論、合理と理性で抑制することは可能だが。


 おかげで、怒気と殺気を含有させる手法だって確立できた。


楽園(エデン)】で投影させる相手はあくまでも過去の異物だ。

 そこに本能や感情はない。

 ボクがこれまでに矛を構えてきた相手であっても、ドーリアやシロイといった頂点に位置する怪物たちだ。

 故に、ボクは己の発する圧というものを正確には把握できていなかった。


「わかるかい? これが()だよ。歴然、隔絶としたね」


 瞳孔が開き、冷や汗の止まらない様子で、一歩たりとも動けていない彼を見て。

 改めて、木端なのだと認識できる。

 ここで彼を殺すのは簡単だ。

 それで終わらせるには()()()()


 あの男に人を指揮する能力はない。

 彼を雇っている人間はほかにいる。

 使役される輩は後を絶たない。


 ここは……秘密兵器を使うとしよう。

 どうやら、()()も辿り着いたよだしね。


「沙汰は君に任せるよ、シスター・オルメカ」


「……救われたみたいだな、ロムルス。礼を言う」


 シスターたちを押しのけて、葉巻を片手に不満を携えたシスター・オルメカがいた。

 殊勝な彼女とは異なり、彼は苦虫を嚙み潰したような表情でひきつっている。


 …………丸く収まるようだね。


 一本に収束された可能性の道筋を知覚してから、ボクはそっと【運命識士(リードスペクター)】を閉じた。

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