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ツァラトゥストラはもはや語らない  作者: 伝説のPー
第二章【自由の象徴】──第一部【比翼連理】
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20. “一致団結こそ無類の力であるから、それをもって叛逆といこう”作戦

 ──オリバー=ロムルス様、わたしとお話しませんこと?


 数十人が一堂に会することを可能にする空間には、ボクとラインの二人しかいない。

 ボクたちの間には先まで所狭しと並んでいた料理の数々はなく、食後の赤ワインだけが鎮座していた。

 けれど、ボクのグラスに注がれるのは純度の高いウィスキーで、空になる前に目聡いメイドによってなくなることはない。

 まさかボクへ焦点が集中するとは予想しなかった弊害か、三人は碌に疑問の一つ呈すことができず退室させられた。

 アナスタシアとラインの会合だと思っていたが、思い返してみると彼女は一度も相手を指定しなかった。

 ひとえに、油断の生んだ状況だろう。


「さて、ロムルス様。本日のディナーは如何だったかしら?」


「うん、素晴らしいと思うよ。お互いの関係のために噓偽りなく話すけれど、ボクたちは長らく人目を忍んでここまで来た。時には、アデラの獣を狩猟したりして空腹を凌いで、ね」


「つまり?」


「つまり、文句のつけようもない料理の数々だったよ」


「随分と迂遠な表現をするのですわね。けれど、そこが()()()()()()()()


 ふふと微笑んでグラスに口を付けるライン。

 その所作からは領主としての教養が見て取れる。

 纏うオーラもまた一領地を運営する者の風格を感じさせる。

 この空間を支配しているのがどちらなのか、まざまざと見せつけられている気分だ。


 彼女が主導になって問いかけ、ボクはただ従属して答える。


 ラインと契約を締結したものの、あくまでも立場は彼女が上。

 今晩だって互いの力関係を如実に示している。

 これからの計画を話し合うと彼女が決めて、ボクの事情を一切斟酌することもなく決めた。

 きっと、ボクたちが彼女へアポイントを求めようとも二つ返事で了承はされない。


 少し、窮屈だね。


「それで、ボクに話があるんだろう?」


 シン──と。

 空気が凍り付いた気がした。

 眼前のラインの動きはピタリと止まり、待機していたメイドたちは目を見開いて驚愕している。

 ただ一人、シャルロッタだけが平然を装っているが。

 内心の衝撃は手に取るようにわかる。

 皆の意見はこうだ…………たかが商人の従者が一体誰に向かって口を利いているのか、と。


「計画の細部についてはアナスタシアと話しただろう。今更、ボクに何を問うつもりだい?」


 ボクとラインの関係は明瞭だ。

 彼女が上で、ボクが下。

 それが、この世界での関係性なのだ。

 交渉のテーブルで発言の許された者は代表のみで、従者や護衛に権利は認められていない。

 無論、如何なる場合であってもそれは暗黙の了解として鎮座している。

 どれだけ個人的な空間であろうと、立場は弁えろと。


 どうにも、ボクには滑稽に思える。


 彼女を形成する一切が、張りぼてのように思えて、仕方がない。


「…………あなたは昨日も、今のように口をはさみましたわ」


 まるで意に介していないかのように、言葉を紡ぐライン。

 思い返している情景には覚えがある。

 だから、彼女の言わんとしている所も理解できる。

 とどのつまり、好奇心だ。

 ラインは慣習に凝り固まった常識を破り捨てた存在に興味津々なのだ。


「それが、どうしたのかな。ボクはボクの思いの丈を口にした。ただそれだけのことじゃないか」


「そう、あなたにとっては()()()()()()()なのですわね」


「君がどう思うが構わないよ。それで何が変わる訳じゃない。君は自分で選んで、アナスタシアの手を取ったのだからね」


「あなたの言葉に背中を押されたとすれば……わたしの意思とは言い切れませんわよ」


「成程、君の心証形成に影響した。幇助行為に値するからボクにも責任があると」


 静かに首肯して真っ赤な液体を口に含むライン。

 小さく蠢動する白い喉の動きには一種の背徳感を含意して。

 ぺろりと唇を潤す仕草には年不相応の幼さがあり、彼女の魅力を引き立てる役割を果たしている。


「ええ。だから、あなたはわたしに対して真実を曝け出す義務が──」


「君が自分の決断に責任が取れないのなら、ボクは君と握手を交わした過去を後悔するだろう」


 またも、空気を止めた。

 二度も、意図的に。

 給仕のメイドは卒倒しそうだ。

 ラインはボクの言動が信じられないのかピタリと動きを止めてボクを凝視している。

 彼女にしてみれば会話を途中で遮られるなんて経験は数えられる程もないだろう。

 それはひとえに、彼女を領主として敬う相手としか言葉を交わさなかった故だ。

 仕方がないとは思うよ。

 フォルド領領主は世襲制で、そう在れかしと育てられてきたのだろうから。


 けれど、もし彼女が本心から奴隷身分の解放を願うのであれば、身分の違いは免罪符にはならない。


 いついかなる時だって上からの立場で救済すればいいと思っているなら、浅慮だという他ない。

 憐憫が悪だとは言わない。

 けれど、それ単一では何も生まない。

 常に手を差し伸べることだけが、善とは言い切れないのだから。


「……………………、続けてくださいまし」


 長い沈黙を破って出てきた言葉がこれなら。

 最早彼女に紡ぐべき言葉がないのだとしたら。

 ボクは彼女を過大評価していたのだろう。

 聡明だと、そう思っていたけれど。

 まさか、己の理想から目を逸らしてまで虚勢を張るつもりなのか? 幾度となく()()()()を用意したにも関わらず?


「続けるも何もない。ボクは答えた。ただの気まぐれだとね。君の知りたいことが他にないのであれば、お暇させてもらうよ」


 見込み違いだったかな。

 幾分かの落胆と共に高価な椅子を引いて立ち上がる。

 まだ鼻孔にはつんと香るウィスキーが燻っていて、脳裏には口を一文字に閉ざしたラインの表情がこびりついている。

 足音を吸収する赤いカーペットを踏みしめて、未だ動揺の抜けていないメイドたちの侍る扉へと近づく。


運命識士(リードスペクター)】は、二つの“未来”を提示していた。


 結果は変わらない。

 ただ、そこに至る道程に多少の差異があるだけだ。

 正直、ボクはどちらでもいいし、趨勢に影響する訳でもない。

 だから、()()は期待なんだろう。

 ボクの一方的な希望なのだろう。

 自分勝手に妄想して返答を望んだからこそ、ボクは一人で失望して憤っている。

 この世界の常識を嘲笑う特権階級という反目する存在を、一人でに神格化してしまっただけだ。

 蓋を開けてみれば、そこには日常に忙殺された少女がいたに過ぎない。

 まあいいさ。

 やもすると、同志になれると舞い上がっていたけれど。


「────お待ちください」


 ガチャリと、重厚感満載の扉が開いたのと、彼女が静止を口にしたのは同時だった。

 ……………………期待してもいいのか? ボクは、君を志を同じくする仲間だと分類(カテゴライズ)してもいいのか?

 沸々と期待の芽が首をもたげたのを感じる。

 微かに胸の裡が熱くなる感触を覚える。

 催促はしない。

 ボクはただ背を向けて、言葉を待っているだけでいい。

 奇しくも、【楽園(エデン)鍛錬(トレーニング)のおかげで気配のみで思考をも読み取れる。


 意を決したようなラインの短い呼吸も、怪訝そうに疑念の渦巻くシャルロッタの様子も、主人の狼狽をハラハラと見守っているメイドたちの様相も。


「あなたを軽んじたつもりはありませんわ。お気に障ったのならば、謝罪致しますわ」


 違う。

 そんな口八丁を聞きたい訳じゃない。

 君は堂々と理想を標榜しているのだろう? だから、アナスタシアの計画に便乗して奴隷身分の解放を目論んでいるのだろう?

運命識士(リードスペクター)】は雄弁に語ってくれたさ。

 君が昨日の契約締結からここに至るまでに構築した一連の計画を。

 随所で甘さも見受けられるも、アナスタシアと細部を詰めれば十分に実行可能な代物だった。

 さあ、包み隠さずにありのままを話してくれ。

 ボクと君は主従ではなく、対等な友人なのだと…………ボクに信用させてくれ。


「あなたは、最下層の人々がどのような絶望に晒されているか知っていますか……?」


 探るような感覚。

 返答するべきなのだろう。

 けれど、ボクに口を開く気はない。

 ラインに背を向けたまま、目線は開いた扉の先へと固定する。

 ()()、必要ではないと知っているから。


「わたしは、それが…………許せないのですわ。だから、だから…………!」


 ガタンッ! とラインは勢いのままに立ち上がった。

 自分の言葉で決意を固めたのだろう。

 口調もまたより切実に変化している。


 次だ。

 次に紡がれる言葉で、ボクとラインの関係性は確定したものになる。


「オリバー=ロムルス様。どうか、そのお力をお貸しくださいまし。わたしが、弱き人々を救済するために」


 …………。

 ……………………。

 …………………………………………成程。


「勿論だとも、ライン。君の理想を知っているからこそ、ボクたちは君の協力が必要だったのさ」


「……っ! やっぱり…………! そうだと、思いましたわ!」


 ぱぁぁぁああっ! と表情の明るくなっていくラインの様子が手に取るようにわかる。

 改めてボクは彼女のもとへと歩み、右手を差し伸べる。

 左手はそもそもないからね。

 わざわざこの瞬間のために【権能】を行使するだけの()()もない。


「これでようやくわたしの理想も確固たるもになりますわ……! 重ねて、感謝いたします、ロムルス様…………っ!」


 興奮のあまりぶんぶんとボクの右手を振るうライン。

 きっと頬は朱がさしているのだろう。

 瞳は爛々と輝いて、紅潮した頬をもって満面の笑みを浮かべているはずだ。


 てっきり、ボクは完治したものだとばかり、思い込んでいた。


 無論、依然として漠然、曖昧、輪郭のつかめないままだ。

 それでも、()()()にいた頃とは比較にならない程に明瞭な区別が付いた。

 故に、思い違いをしていたようだ。

運命識士(リードスペクター)】を顕現させたから、アナスタシアと出会ったから、()は消えたから。

 ──ボクの心境もまた、大きく、多大に、変動したから。


 理由は幾らでも思い浮かんだけれど…………所詮は、()()だったんだ。


「ロムルス様? わたしの顔に何かついているんですの?」


 ライン=フォン=フィリア。

 金髪で、蒼色のドレスを着ていて、華奢な少女。

 帝国の庇護下にあって、奴隷身分の解放を望む異端の領主。


 それが、ボクの彼女に対する印象だ。


 君の顔に何が付いているのかって? ()()、付いちゃいないさ。









 ❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐






 動悸が激しい。

 興奮が冷めやらない。

 遂に、ついにやったのだ。

 わたしは、救世主を、英雄を手に入れたのだ。

 領主となって講じた策の数々がようやく実を結ぶ時が来た。


 白髪の男、オリバー=ロムルス様。


 凛々しい目尻に温和な表情、物怖じしない態度に、思慮深いときた。

 どこに出しても恥ずかしくない紳士であり、そつなく無駄のない言動には彼の本性を見受けられる。

 後の先どころではなく一手、二手、十手も百手も先を読むような見透かした瞳には惚れ惚れしてしまう。

 今まで対面してきた商人や傭兵、領主にはない知性の輝きを感じられた。

 勿論、アナスタシア=メアリという商人もまた尋常ならざる賢者だった。

 物腰柔らかな雰囲気に加えて、柔和な微笑の裏に隠した毒蛇が如き狡猾さは警戒に値する。

 しかし、彼はまったく違った。

 ただわたしを欺罔しようとしているだけではない。

 秘めたる想いすら見透かされてしまった。

 例え彼が商会代表でも、帝都の官僚でも、宰相であっても信じられる…………信じさせる力があった。

 おまけに腕っぷしも生半可なものじゃない。

 近衛兵とギルドマスターの報告から、天変地異に等しい激闘を彼が演じたと断定できる。

 帝都守護の『武将』といえば、帝国随一の武芸者であり“黒鉄”級冒険者や一級傭兵であっても武術では敵わないと名高い男。

 そんな怪物相手に、渓谷を生み出す程に強力な一撃で退散させたのだ。


 加えて、このわたしと理想を同じくするなんて……到底、信じられない奇跡だ。


 彼が真に奴隷解放を目論んでいるのは、アナスタシア=メアリの計画からも明らか。

 それに、二人の護衛…………琥珀色の瞳をした二人の少女たち。

 ホロウと名乗った銀髪の少女は裏世界にその名を轟かせた『影幽の幻霊(ホロウ)』に違いないし、薄桃色の髪の少女は絶滅したとされる“龍人”だろう。

 両者ともに護衛とはしては破格の存在で、幾らわたしであろうと勝利は難しい相手だ。


「…………お嬢様? 如何しました?」


「シャルロッタ、夢じゃないですわよね?」


「はい、お嬢様。アナスタシア様との契約も、ロムルス様とのお約束も、全て現実でございます」


 かちゃりと机に置かれたハーブティーに口をつける。

 ……今日は飲んでばかりだ。

 けれども、どこか心地がいい。

 きっと、会合が大成功したからだろう。

 あの食事会はただの親睦会などではない。

 オリバー=ロムルスという男が、本当に理想を共にできるかを確かめるための口実だ。

 商売に至っては彼女に一任してもいいだろう。

 場合によってはフォルド領領主代理執行人の地位を正式に下賜してもいい。


 聞くところによると、スウィツァー商会を副代表に根こそぎ奪われたらしいが…………どちらにせよ、あの計画書ならば万に一つの失敗は有り得ない。


「お嬢様、夜更かしはお控えください。明日も業務が──」


「わかっていますわ。もう寝るところでしてよ」


 わたしが五人横になっても十分は広さを誇るベッド。

 小さな灯りの消えた自室には静謐が幕を降ろし、傍にいるはずのシャルロッタの姿すら認識できなくなる。

 深い眠りと快眠をもたらすアロマの甘くしっとりとした香りが鼻孔をくすぐる。

 普段は横になるだけで変化に乏しい日常に辟易していた。

 だけど、今は、今夜は違う。

 わたしは掴んだ、わたしは選ばれた。

 英雄に。

 ロムルスに。


 眼を閉じると瞼の裏に刻まれた、あの瞬間が蘇る。

 わたしの手を取って、わたしに微笑みかけてくれたあの人が。

 彼の微笑が、わたしを見つめてくれる。

 ようやく、わたしの存在意義を帝国中に知らしめることができるんだ。

 わたしはライン=フォン=フィリア。

 フォルド領の領主で、世界を改革する稀代の革命家。


 きっと、よくなる。


 きっと、前に進める。


 ロムルス様と、道を同じくできるなら、きっと…………叶えられるんだ。

とある白髪の男は相貌失認を患ってました。

アナスタシアと出会い、初めて人の顔というものを認識して…………そこからはホロウやテリア、ラクシュミーと何の問題もなく視えていました。

けれど、大多数の人間については、表情の機微や些細な変化まで認識はできませんでした。

しかし、それでも輪郭や顔のパーツなどは知覚できていた。

だから、彼は完治とまではいかずとも好調していると、いずれは、もしかすると…………と、淡い希望を抱いていました。

けれども、今回ラインと言葉を交わして、小さな希望は打ち砕かれたのです。


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