10. 救済
じくじくと自己嫌悪が渦巻いている。
なんてボクは偉そうに…………己のことは棚に上げて高説垂れたのだろうか。
反響する規則正しい足音を聞きながら、ボクは史上初の堪えがたい責過に苛まれている。
何故って? わざわざ問い質す必要すらない。
明白だ。
ボクはアナスタシアに無力を叩きつけた。
それも、徹底的に。
心を鬼にしてといえば、聞こえはいいけど……少なくとも、彼女の自尊心どころか矜持すらもボクは粉々に砕いてしまった。
偏に、この先の旅路にて、アナスタシアが折れないように。
そうだ、その通り。
きっと、ボクの独白を聞いて誰もが「何様だよ」と驚き呆れるだろう。
親愛なる姉には頼りにされず愛想を尽かされ、幾度か姉の信念である“愛”すらもボクは蔑ろにしてしまった。
つまり、ボクにアナスタシアを叱責する資格はなく、御門違いというわけだ。
今になってようやくやってしまったのだと、また相手の感情を蔑ろにしてしまったのだと気が付いた。
反省したつもりだった……ああ、そう。
ホロウに吐露したあの瞬間から、ボクは独善を捨て去ったはずなのに。
「おい、貴様。散漫に過ぎるぞ」
「ああ、済まない。気がそぞろになっていたようだね」
「心がければよし。そうでないなら、仲間と共にあの場に残っていろ」
「辛辣だね」
ドーリアの舌鋒はいやに鋭い。
彼ほどの男が今更魔獣に恐れをなした訳もあるまい。
やはりボクは己で思うよりも摩耗しているようだ。
気を引き締めなければ。
警戒代わりに視線を巡らせてみると、じめじめと多湿な洞窟に相応しい風格が見て取れる。
深奥に近づくについれて、徐々に幅の広くなる通路には死臭がこびりついているように感じる。
ここでは何人の冒険者が命を落としたのだろうか。
感傷ではない。
そんな単調で、一過性の代物ではない。
今更、「人間らしさ」なんて望まない。
「……貴様はなぜ突き放した」
「おや、興味があるかい?」
正直に驚いた。
ボクの半歩前を歩く男は、視線を投げかけるでもなく前置きをすることもなく問う。
ドーリアは他人への好奇心を抱くような人間ではない。
ただの印象などではなく、事実として彼は必要以上に他者との関わりを避けているのだから。
「興味云々の話ではない。あの女は、貴様の思うより強いのではないかとな」
「……それは経験かい?」
「いや、勘だ」
素っ気ないが伝えるべき要点は明白だ。
疑問が残るのは仕方あるまい。
なにせ、彼は遠巻きにアナスタシアを垣間見ただけだから。
だが、勘か。
“黒鉄”級冒険者の直感は、時に【運命識士】すらも凌駕する。
さて、眉唾だと一蹴に付してもいいものか。
「そら、気は紛れたか。目と鼻の先に来ているぞ」
ぐるぐると思考している間にお目当ての場所まで到着したらしい。
見れば大人が十人横になっても余裕のある幅に、円形の空白がぽっかりと穴を開けている。
そして、のそりと蠢く小さな陰。
それにしては随分と歩いた。
多湿の密閉空間は人の感覚を大いに麻痺させる。
出口のない三叉路で迷子になっていたボクでは正確な距離は測れないが、それでもこの洞窟は存外広いようだ。
馬車を停めた入口から、エルガスによって封じられた地点。
そして、そこから魔獣の住処まで。
それに、【運命識士】はまだ先の路を示してさえいるのだ。
如何に長く、故にこそある種異様な洞窟。
これが天然の要塞だとは、どうにも思えなくなってきたな。
明らかな人為性、恣意的な意図を隠しきれていない。
だが、ならば一体誰が、如何なる目的で、西側領土の辺境に大掛かりな秘密基地を造ったというのか。
「おい、貴様。まだ裡にいるつもりか」
「………………済まない。今は、目の前の危険に集中すべきかな」
叱られてしまった。
ドーリアの言う通り、思考はここで中断すべきだろう。
なにせ、相手は準備が整っているのだから。
大地が揺れ、壁が震えて、天井が悲鳴をあげる。
成程、こちらに近づく姿は正しく巌のようで、ぎらつく瞳は血走っている。
それでも本能に任せて無策に飛び込むのではなくて、ひたりひたりと隙を伺っている。
テリアが恐怖し、ホロウが最大の警戒を選択する訳だ。
魔獣“八堅種”──岩石のような堅固な肌に、闇夜すらも見通す八つ目、両断された前足は既に回復して絶好調。
わざわざ獲物が足を運んでくれてご機嫌なようで。
今にも喉元に嚙みついてやりたくて仕方がないといった様子だ。
「作戦は?」
「ない」
「戦略は?」
「いらん」
「阿吽の呼吸は?」
「反吐が出る」
すらりと。
ボクの疑問には目もくれず、抜き去った剣は息を吞む程の業物だ。
ロバートも見事な拵えの双剣を手元に置いていた。
やはり強者になればなるほど武器にもこだわりがあるのだろう。
ホロウもラクシュミーも、使い慣れた刃を肌身離さず持っている。
ならばと、ボクも愛用の鉈を懐からこれ見よがしに見せつけてやろう。
「いや、勝負にならないね」
「何を言っている。とっとと終わらせるぞ」
「ッ────!? ──ッ!」
声にならない雄叫びが空気を圧迫させる。
ドーリアの殺気は【楽園】で相まみえた怪物たちと何ら遜色がなくて。
だから、“八堅種”もまた吠えざるを得ないのだろう。
そうでないと、恐れを消せないのだから。
差は歴然。
“黒鉄”級冒険者では新参者と世評されるが。
されど“黒鉄”級であることに変わりはなく。
瞬きの間に堅牢な魔獣の肉体を、まるで紙のように両断してしまった。
哀れだとは、思えない。
この獣は敵だ。
ボクや、彼女たちに牙を向けた。
アデラ・ジェーン山脈の山中で略奪した鉈は片手で簡単に振るえる。
だが、刃は厚く、丁寧に人差し指をかけられるような柄でとても有り難い。
隻腕のボクにとっては願ってもない代物だ。
けれど、所詮はただの鉈であって業物じゃない。
せいぜいが獣の肉を捌く程度の切れ味しかありはしない。
“八堅種”の肌へと無暗矢鱈に振りかざしてもはじかれるだけだ。
それは、“金”級パーティの一人が試して、無惨にも証明してくれた。
ならばどうする? 簡単だ。
“霊力”で刃を強化すればいい。
ドーリアのように、【権能】を併せて光を超える速度で斬るなんて神技は不可能だけれど。
ホロウのように、“龍皇裂気”に準ずる威力は出せないけれど。
“八堅種”を両断するだけならば。
「ボクにだってできる」
降り注ぐ血潮を避ける気力は湧かない。
何の感慨もない。
ただの作業だ。
荒ぶる獣を駆除しただけ。
けれど、きっと良識のある青年ならば悲痛に頬を歪ませるだろう。
ドーリアのように仏頂面を崩すことなく、足早に去ろうとなどしない。
やはり、身に染みて理解できた。
もう、ボクは後戻りなどできないのだと。
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とんとん拍子だとか都合の良すぎる表現だと思ったことはないかい? ボクはある。
まさか“八堅種”を討伐しただけで全てが丸く収まるなどと、そんな楽観的な考えはしていない。
そう思っていたが。
簡単だった。
目に見える恐怖はなく、通路を塞いでいた岩石はすぐさま取り除き。
ボクとドーリアの“霊力”に充てられて意識を失っていたエルガスたちを捕縛。
彼らを盾に他の傭兵を降伏させて一台の馬車へ放っておく。
後はカレンたちを開放して終わりだ。
何とも安易で、上手く運び過ぎていると思う。
あれよあれよという間に気付けば夜の帳が降りて野営ときた。
傭兵の反乱や、無謀な反逆があってもおかしくないと怯えていたボクがバカみたいだ。
ドーリアは寡黙を貫き通すようで一言たりとも喋らず、エルガスたちは項垂れて不平不満の一つも漏らさない。
アナスタシアは冷静にカレンたちのケアを行い、ホロウとテリアは交代で見張りを行っている。
なんてことのない、平和な結末だ。
……いや、この件については、ね。
まだフォルド領にすら付いていないし、商会だって立ち上げていない。
まだまだ理想への一歩目すら踏み出していない。
そうだ、そう。
終わっちゃいないんだ。
彼女の理想も、ボクの野望も。
だけど…………どうしても懸念が消えない。
「浮かない顔ね」
ざっと、焚火を前に思案するボクの隣に、アナスタシアが腰かけた。
視線を合わせることなく、真っ直ぐに燃え盛る炎を見て。
まるで、ボクに無用の憂慮を与えないように気遣っているように見える。
「やはり、そうか。思い当たる節はないんだけれど。まあ、そう見えていたのならば仕方ない」
「ちょっと、待ちなさい。どこに行くのかしら?」
立ち上がろうとしたボクの軍服の袖を──中身はないからだらりと揺れているだけだがね──掴んで強引に座らせる。
抵抗はしない。
有無を言わせない気迫を感じたから。
普段なら、狂喜乱舞するだろうお誘いだが……どうにも、今は気乗りがしない。
だが、それをありのままに伝えるのは憚られる。
さて、どう中座したものか。
「もしかして、どうやって逃げるかなんて……考えていませんわよね?」
「まさか、ボクが?」
「ええ、貴方が。このまま消えてしまわないように」
「随分と詩的な忠告だ」
「はぐらかすと痛い目みることになるわよ?」
「…………例えば?」
「なぜ期待の籠った眼差しを……?」
「おや、そう見えたかい? 君がボクにそうしたいなら吝かではないが」
「……………………話を、逸らさない」
見破られた。
やはり、敵わないな。
ボクの触れてほしくはない場所に、気が付いてはほしくない場所に。
彼女は目聡く察知して、最後には癒すのだろう。
カレンたちはそうだった。
最初は酷く警戒されていたが、数分もすれば長年の旧友が如く接していた。
一種の才能なのだろう。
人を従えるカリスマ性に、経験から得た人心掌握の術。
そして、如何に気難しい相手だろうと絆す魂。
凡そ、商人とは天職だ。
「ボクは君に大言を叩いた」
「まさか、気まずいなんて思っていないでしょうね?」
「そうとも、と言ったら──」
「余計な心遣いは神経を逆撫でするだけ。貴方はわたくしを思って、言葉を尽くしてくれたのでしょう?」
そうだ。
だが、だからといって。
アナスタシアのためだと着飾って。
ただ、彼女を危険に晒したくなくて。
武力に関してからっきしだと匙を投げていたけれど、アナスタシアは逃げずに向き合い続けた。
それで、ようやく手に入れた力を。
ボクは。
役に立ちたいと、成長したいと望む彼女を。
ボクは、独善と我欲で、彼女の“自由”を踏みにじって──
「わたくしの手は、届かなわね。いつも、貴方に先を越されて」
「違う、君が力不足だった訳じゃない」
「ええ。でも…………わたくしは貴方に届いていないわ」
届くだって? ボクに?
アナスタシアはロムルスに劣っていると、彼女はそう言ったのか?
それは大いに勘違いも甚だしい。
力量不足なのはいつだってボクの方だ。
凡そ万能に近しい【権能】を持っていようが、最善とは程遠い結末にしか行きつかない。
直ぐに己のことだけで手一杯になって、正気に戻ったその時には、不必要な傷ばかりを皆に強要してしまっている。
なんて、無様で野卑されるべき存在だろうか。
「ねえ、ロムルス。聞いてくれるかしら? わたくしの誓いを」
もう、アナスタシアはボクを視界に収めてはいない。
音を立てずに、まるで精霊のようにふっと立ち上がって。
身にまとう純白のドレスが夜風ではためき、鼻孔をくすぐる甘い香りはボクに彼女の存在をより鮮明に示してくれる。
爆ぜる焚火も、夜闇の静謐も、満点の星空だって。
万物がアナスタシア=メアリに注目している、そんな……そんな感覚。
勿論、ボクの意識だって。
「わたくしは、貴方と対等になる」
音は既にない。
凪いだとは違う。
何故なら、ボクが息を吞む音は聞こえたのだから。
早鐘を打つ心臓も、一層早まる血流も、体温の上昇さえ知覚できる。
姉を除いて、その相貌を認識できた彼女の表情は憑き物がきれいさっぱり取れたように微笑んでいた。
なにが彼女を変えたのか。
洞窟で別れたアナスタシアの様子とはあまりに乖離していて、混乱してしまう。
ホロウと話したのだろうか? それとも、カレンたちとの関わりが彼女を動かしたのだろうか。
けれど、そこにはボクには、きっと分からない変化が、確かにあったのだ。
「貴方と同じ目線で、貴方と語らいたい」
穏やかな声色にボクの魂が震えた気がした。
きっと、ボクは間抜けな顔をしていることだろう。
短い人生ではあるが、それでもボクは決心を、決意を面と向かって言い放たれる……そんな経験はない。
終ぞ、姉もボクに何も語らなかったのだから。
けれど、アナスタシアは違った。
光栄なことに、彼女はボクを高尚な人間だと思っている。
だから、アナスタシアはボクに追いつこうと、覚悟を口にしたのだ。
成程、これが、敬意を向けられる立場か。
存外悪くはない。
とするなら、ただ享受しているだけなんて、あまりにも腐っている。
失望される訳にはいかない。
いいだろう。
アナスタシアの中で、一体ボクをどのような立場で認識しているのか、それは一度置いておこう。
彼女がボクをどう思うが関係ない。
理想だけではない。
オリバー=ロムルスは、アナスタシアに決して恥じない存在になろう。
けれど、これだけは言っておかねばならないだろう。
「君はボクよりずっと、高潔さ」
憂いは皆無。
そう断言はできないけれど。
懸念を消せた、訳でもないけれど。
アナスタシアは立ち上がった。
決して折れずに、不撓不屈を体現してみせた。
ならば、ボクがうじうじと悩んでいる姿を晒すなんて、格好がつかない。
この先に如何なる苦難が待ち受けていようと、ボクは今日という日を忘れることはない。
ようやく、ボクの信念が確固たるものへと昇華したのだから。




