9. 贋作の仮面を脱ぎ捨てて
全て、【運命識士】で閲覧した通りだ。
エルガスとベンの思惑は三文芝居もいいところで。
アナスタシアとテリアは自身の思い違いと甘さを再認識して。
ホロウは最後まで口惜しいと、無力感に苛まれて。
エルガスたちと合流した刹那から、ボクは【運命識士】を使って起こりうる“未来”を全て、閲読した。
そして、三日間の黙殺を選択したのだ。
あの場でエルガスたちを壊滅させる道もあった。
みんなの安全を慮るのならば。
だが、それでは奴隷たちを路頭に迷わせることとなる。
それは、不本意だ。
まあ、だからといって簡単に現実を嚥下したわけでもない。
カレンが鞭を浴びせられる度に、彼ら彼女らが人道に背く命令をされる度に、冒険者たちが我も我もと次々に加虐する度に。
全身の血液が沸騰するような怒りに支配されかかった。
感情的になるなと静止するのも一苦労だ。
そういった類の機能は当の昔に失ったと思っていたが…………どうやらボクはまだ人間らしい。
合理と利益を打算して本来ならば取り除ける苦痛を見過ごした者が、どの口でと思わなくもないが。
ホロウやアナスタシアは理解していた。
ただ、暴力でエルガスたちを退けようとも、奴隷の皆を解放するには至らないと。
だから、指をくわえて見ているしかなかった。
だが、ボクは違う。
むざむざ洞窟に無防備で突入するまでに、打てる手はごまんと……いや、そんなにはないけど。
それでも、あったはずなのだ。
オスマンとビザンツに野生の獣と扮してもらって事故に見せかけるだとか。
魔法少女ダークプリズムに登場してもらうだとか。
【楽園】に放り込んで地獄を見せるだとか、云々。
しかし、どれも確実性に欠けたし…………それに。
だから、ボクはみすみすカレンたちの地獄を引き延ばした。
ああ、きっと健全な人間ならば打算なんてかなぐり捨てて行動に移したのだろう。
けれど、ボクは日和見主義を選択した。
罪悪感に押しつぶされそうにもなったし、惨めにも思えた。
何故って? それはボクが独善的で傲岸だからさ。
【運命識士】に掲示された選択肢はどれも、アナスタシアたちに危害が及ぶ可能性が高かったのだ。
だから、ボクはカレンたちよりもボクの愛する人たちを優先させた。
……………………きっと、あの人ならば全て丸く収める突飛もない最善策を編み出して成功させるだろうね。
比べてしまうと己が矮小に見えるから、想像さえしてこなかった。
ボクは世界の望む英雄ではないのだろう。
正義の味方なら、皆が思い浮かべる英雄ならば。
目の前で食い殺されそうになっている冒険者たちをも、救うだろう。
エルガスに裏切られて反省しているから。
ボクが助けたら恩義を感じて真人間になってくれるから。
心根の優しい善人ならば、きっと手を差し伸べたのだろう。
だけれど、ボクは見殺しにした。
全て識っていたから、抱き寄せたアナスタシアとホロウ、テリアの三人だけを囲うように【楽園】を展開して。
迫る頑強な肌に覆われた魔獣の前足を隠し持ってきた鉈で両断する。
暗くてよく見えないが──赤と仮定しようか──正面から溢れ出る血液を浴びたボクの姿は見るに堪えないはずだ。
…………こんなことなら白の軍服など着てこなければよかったな。
まあ感傷は置いておこう。
ぴちゃりと靴底を通して感じる血溜まりは、魔獣のものだけではない。
【運命識士】で“未来”を既知のものにしてから、ずっと、ボクは彼らを助けるつもりはなかった。
ただ、ボクの我欲に過ぎない。
彼らの性根が気に入らなかった訳ではない。
そんな、子どもみたいな理由じゃないさ。
もっと、醜悪で見下げ果てた理由だ。
彼らは、あの冒険者たちは、あろうことか──如何なる“未来”でもアナスタシアたちを売ろうとしたのだ。
あまつさえ、己の身可愛さに。
聖職者ならば、ヒーローならば、遍く人を助けることを美徳とする。
故に、きっとボクの行動を、決断を詰るだろう。
確かにボクは私情を交えた。
アナスタシアを、ホロウを、テリアを。
ボクの“愛”する人を犠牲にして、手前勝手に自分たちだけ助かろうとした魂胆に。
憎悪すら凌駕する粘着質な、どす黒い怨嗟を抱いたのだ。
だから、ボクは罪咎から目を逸らすなんて真似はしない。
“金”級冒険者五人パーティと、“銀”級冒険者四人パーティを殺したのはボクだ。
今更人殺しの善悪について論ずるつもりはない。
アデラ・ジェーン山脈でのサバイバルでは盗賊を幾人もこの手にかけてきたのだから。
緊急避難だとか、正当防衛とか。
まさか近代日本の司法制度が通じるとも思わないし、持ち出す気もない。
それでも、あの時のボクには正義があって、相手は悪だった。
…………本当に今更だ。
ボクは勝手な正義を掲げてロバートや、人攫い共を壊滅させてきた。
ダメだね、思考が進まない。
この三日の間にボクなりの折り合いをつけたはずのなのに、いざ現実を前にするとうだうだと要らぬ感傷にばかり振り回されている。
そうだ、こんな中途半端なところで足踏みしている場合ではない。
魔獣を討伐した訳ではないし、エルガスたちだって野放しにする道理はない。
まだ道半ばなのだ。
差し当たっては…………【運命識士】をもってしても素性を知れなかった、“銅”級冒険者と話をしなければならない。
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【運命識士】は凡そ破格の【権能】だ。
事象について幾重にも紡がれる“未来”を閲読できるのだから。
とはいえ弱点も存在していて…………不確定事項が多いの突拍子もない事実を羅列したり、危険が迫っていても【運命識士】から能動的に情報が送られてきたりもしない。
加えて、実力差の拮抗する、若しくは、格上の相手についても、閲覧できない。
自己紹介すらしていない同業者といっては不信感満々で、言葉少なに寡黙となれば眉をひそめる者もいるだろう。
【運命識士】はうんともすんとも言わない。
文字化けすらせず、一言たりとも文字列を記述しようとしない。
故に、彼が行動を起こす以前の出来事に関しては対処法を練る時間があった。
エルガスの裏切りも、魔獣の一挙手一投足も。
しかし、彼の行動が介在する場合に限って、【運命識士】は沈黙を選ぶのだ。
ボクと同じように迫りくる魔獣の脚を切断した、“銅”級冒険者については。
“金”級冒険者であろうと恐怖に呑まれて蹂躙されるしかなかった魔獣の殺意を前に、平静を装う胆力。
人二人で手狭になる洞窟内において、音速に近しい速度で振るったロングソードの軌道。
垣間見た切断面の美しさといったら…………一種の芸術にすら感じられる。
そのどれもが彼の存在を路傍の石に等しい“銅”級などではなく、常識の埒外に存在する実力者であると証明している。
はてさて、ここからはぶっつけ本番だ。
吉と出るか、凶と出るか。
鬼が出るか、蛇が出るか。
どちらにせよ、三人の生命だけは保障しなければね。
決意新たに、ボクは【楽園】から踏み出して安住の地を後にする。
「…………貴様、何者だ」
おや、向こうから会話の端緒を提示してくれた。
これは僥倖。
どうやら、魔獣も四本中二本も脚を失って洞窟の最奥に引っ込んだらしい。
これで、存分に、心ゆくまでおはなしができる。
「ボクはオリバー=ロムルスという。君とは初めて言葉を交わすね」
「貴様の素性など毛ほども興味がない」
いや、君が誰かと問うたんじゃないか。
「それは傷つくね……こう見えて、ボクの心は硝子なんだよ」
「軽口は好かない。先の貴様の剣戟、“銅”級などではないな」
「ふむ、それはお互い様だろう? ボクが思うに、君もまた“銅”級などではない。そうだね……“白金”、いや。“黒鉄”かな?」
おっと、危ない。
穏やかで外界と距離を取っていると思っていたが、中々に血気盛んらしい。
直感に従って鉈を掲げてよかった。
ガチンッ! なんて鉄と鉄がぶつかったとは思えない音と、ブワリッ! と大地を削る衝撃波が如何に彼の一太刀が異様なのかよくわかる。
音速なんて可愛らしい。
音を置き去りに刃を振るう彼は、時間すらも軽視してボクに肉薄してきた。
【楽園】内でホロウが息を吞んでいるのが見えた。
つまり、彼はたった一つの行動でホロウに実力の格差を示したのだろう。
「………………悪人ではないな」
「何をもってそう判断したかは置いておこう。けれど、ボクは善人でもないよ」
「……減らず口め」
ふっと重力が軽く感じる。
成程、鍔迫り合いでボクは思いの外、彼の殺気を過敏に感じていたらしい。
納刀してそっぽを向くように吐き捨てた彼。
「ドーリアだ。ドーリア=エトワール。それが俺の名だ」
「……? 素直になったね」
軽口が嫌いだと言ったのは本心なのだろう。
ボクの感想を鼻で嗤って一蹴に付した。
それにしても、ドーリア=エトワールときたか。
確か、新進気鋭の“黒鉄”級冒険者だったはずだ。
先の一撃といい、魔獣の脚を迎撃した手腕といい、何より変貌した圧倒的な覇気には頷ける。
あのロバートを赤子も同然に超越した“黒鉄”級ともなれば、【運命識士】が不調をきたすのも当然か。
「俺は貴様の名を聞いたことがない」
「それはそうだろうね。冒険者として登録したのは、つい数週間前だからね」
「ほう? ならば、貴様。名の知れた騎士だったのか?」
「いいや、食えない傭兵だったさ。今は、彼女のしがない護衛さ」
「………………虚偽もほどほどにしておけよ」
どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。
向かい合うと彼の眼光が一層鋭くなったのがありありとわかる。
「生憎と、噓はついていない。全て真実だ」
「俺の剣戟を片手で、それも鈍らで防げる化け物が一介の傭兵だと? 誰がこの出鱈目を信じる」
「随分と自信があるようだね、己に」
「当然だろう。俺はドーリア=エトワールだからな」
この男が言うと嫌味に聞こえない。
不思議だ。
自信過剰だと切り捨てられずに、納得させられる。
一振りで魔獣を怯ませた実力は正真正銘、彼が“黒鉄”だと証明している。
何より、【運命識士】がドーリアについて何の記述もしなかった理由に合点がいく。
「ボクのことはこの際だ、置いておこう」
「それを決めるのは俺だ」
「ドーリア、君はなぜエルガスらと共にいたのかい?」
「……成り行きだ。“黒鉄”だと明かせば面倒になる」
彼の反論を黙殺する形で封じたためか、不承不承ながらもボクの問いに答えてくれた。
いやに素直だけれど、もしかすると、見かけによらず根は優しいのかもしれない。
まあ、ボクにとってはどちらでもいい。
拘泥すべきは、彼が敵か否かだ。
もし、その刃を向けるというのならば…………容赦はできなくなる。
「君に個人的な事情はないと?」
「証明などできないぞ」
「必要ないさ。君が中立、若しくは味方でいてくれる限りはね」
「………………敵対するならば切り伏せる。そう言いたいのか」
「解釈は任せるよ」
「厄介なやつだな。安心しろ、少なくとも、今は貴様らを殺す気はない。依頼でもあれば別だがな」
「それは冒険者としてかい?」
「それ以外に何がある」
正直で素直。
けれど、純朴ではない。
自身の目的や理想以外をその他一切の些事として切り捨てている。
御しにくいが、刺激する方法如何では彼の言説通り敵対することはないだろう。
現状では、彼を信頼しよう。
「……では、ドーリア。君に一つ提案がある」
「ほう。この俺に対等を気取るか」
「面倒なやり取りはやめにしよう。時間が勿体ない」
「俺を相手にそう吐き捨てられる者はそういない」
「君の手を借りたい。魔獣を共に討伐するためにね」
彼の言葉を封殺する形になってしまったが、まあ、いいだろう。
先も言葉を被せたが、特に気に止めた様子もなかった。
それに、ボクの提案に彼が乗らないなんてことは、ないと断言できる。
何故なら──
「…………随分見透かした話し方をする。さも、俺の思考を読んだ風にな」
「さて、どうだろう。ボクは既に賽を振った。あとは、君が応じるか否か。それだけさ」
「………………いいだろう。貴様の申し出受けよう」
──彼はボクの素性を少しでも知りたいと熱望しているからだ。
証拠は彼の仕草や言動の端々に表れていた。
洞窟に入る前から魔獣がいることは承知していただろうに、エルガスの口車に乗って深奥までぬけぬけと現れたこと。
先の一太刀で魔獣の息の根を止められたというのに、わざわざボクの動きを観察したり。
つまるところ、純粋な好奇心といったところか。
だからこそ、ボクの一挙手一投足に注目せざるを得ない故に、ボクは彼の興味を刺激するように行動すればよいのだ。
「済まないね、ドーリア。一連の顛末を仲間と相談したい。少し時間をくれないかい?」
「問題ない。商人と傭兵は俺と貴様の検圧に負けて意識すらなく倒れ伏している。時間の制約は皆無だろう」
「気づいていたのか。流石だね」
「幾度となく問うぞ、オリバー=ロムルス。貴様は俺を誰と心得る」
「些かの傲慢さえなければ完璧な偉丈夫」
「……おい、待て。訂正し──」
彼の修正案に興味はない。
ドーリアを待たせて、ボクは再び【楽園】へと戻るために歩を進める。
これからボクは魔獣やドーリアを相手にするよりも遥かに気の重い行為をしなければならない。
三人への説明だ。
さて、何から話したものか。
【楽園】ではテリアが己の身体を抱きしめるように肩を震わせ、それをアナスタシアが宥めていた。
ホロウは鋭い眼光をより一層、警戒へと引き上げている。
やもすると【権能】の全力行使も辞さない構えだ。
「……っ、ロムルス。なんだ、何があった。魔獣はまだ殺していないようだが…………?」
やはり、ホロウはテリアと同様の危機感知能力を有しているのか。
……いや、身につけたというべきか。
“オドラの邑”で“龍気”を習得してから、【楽園】での鍛錬を積んで早数週間。
彼女は意図的に“龍気”を用いずとも、無意識領域下において“龍人”に匹敵する直感へと進化させたのだ。
恐らくはテリアに近しい圧力を受けつつも、それでも戦意の衰えない心意気ときたら。
蓄積した経験値が段違いだ。
「大打撃は与えたはずだよ。とはいえ、仕留めてはいない。なにせ、“八堅種”だ」
魔獣は獣とは異なる。
何から何までとはいかないが、少なくとも、区分の仕方は全く異なる。
様々な個性的な特徴のある魔獣は、その姿そのものから個別種の命名がされる。
例えば、“亜飛翔種”であったり。
神獣に近しい扱いを受ける“羲戎種”だったり。
“八堅種”はその名の通り、八つの眼をもつ表皮が岩盤の如く堅牢な肌に守られた厄介な種だ。
何が厄介だって、この洞窟に潜んでいるように基本的には臆病なのだ。
魔獣の主食は“霊力”であるために大部分の魔獣が人里近辺に出没する傾向から大きく外れているのだ。
まあ、亜飛翔種も同じようなものだから、一際珍しい訳でもないんだろうさ。
そして、“八堅種”に限っては“白金”級冒険者であろうと、生来の防御力に敵わないことが多い。
ドーリアならば脚を切断した後に息の根を止めることも容易だったろうに。
「今からボクは彼と共に“八堅種”を討伐してくる。エルガスと傭兵はボクと彼の“霊力”に充てられて気絶しているから、落石を砕いても問題はないけれど…………」
「“八堅種”に退路を与えたくない、か」
「その通り。エルガスはこの先も同様に手狭な通路が広がっていると思い込んでいるが、徐々に面積は広がっている。ここよりは、動きやすくはなるけれどもね」
「成程な。幼体で洞窟を根城にして、成体となった今では出られなくなったということか」
「間抜けとは言えないね。現実に、エルガスのような人間がせっせと餌を運んでくれている」
「早晩、奴以外にも利用する外道が現れるだろうな」
嘆息するホロウからは呆れともいった雰囲気が見て取れる。
“八堅種”の浅慮を咎めるか、それとも、人間の飽くなき欲望に嫌気がさしたか。
どちらにせよ、愉快な溜息ではない。
「差し当たっては、ホロウ。【楽園】はこのまま展開しておくから、二人を頼んでもいいかな?」
「……ダガーのない吾では足手纏いだな。あの男は?」
半ばボクの要望を予測していたのだろう、さして驚くもなく了承してくれた。
顎で示したのは【楽園】の外で瞑想(?)をしているドーリアだ。
彼女ならば、気迫と剣圧だけで何者か分かるだろうが。
ホロウなりの気遣いだろう。
……彼女たちに対しての。
「彼は…………ドーリア=エトワール。“黒鉄”さ」
「なら、吾は何も言わない。魔獣の一匹や二匹、貴様らならば歯牙にもかけないだろう」
「はは、過度な期待ってのも困りものだ」
“八堅種”単体ならばともかく。
魔獣の生態は未だ不透明な側面が多い。
ボクと相性の悪い魔獣も、この世界のどこかしらに存在することだろう。
今回はドーリアが手を貸してくれるために、【楽園】という最低保証がなくとも気負う必要ない。
だが、援護のない中、【権能】でも封じられてしまえばお終いだ。
頼れるのはこの身一つと、愛着のある鉈一振り。
物語の主人公ではないのだから、そんな危機的な状況にあってワクワクなんてしない。
ああ、そうさ。
ボクは何でもかんでも丸く収める主人公じゃない。
だから、いつだって角が立つし、どうしたって軋轢を生んでしまう。
「………………あなたは、全てを識っていたのでしょう」
ホロウと選手交代をするように、ざっと一歩踏み出したアナスタシアと目を合わせる。
なんて凛々しくて、気品に溢れている瞳なのだろうか。
光源のない洞窟にあって、漆黒の闇と直感だけが頼りの世界で。
アナスタシアはまるで真っ黒なキャンバスを塗りなおすような色を放っている。
「うん、そうなるね。黙っていたことは──」
「謝らずとも、分かっているわよ。【運命識士】の示す“未来”が変化してしまう可能性があったから。だから、わたくしたちに安易に手を借りられなかった。そうでしょう?」
ボクの言葉尻を奪うように矢継ぎ早に紡ぐアナスタシアから、ただ無垢な諦観と憤りが滲んでいる。
また、ボクは繰り返すのか。
やむを得ない事情があったなんて、贖宥状にはならないと、ボクは学んだじゃないか。
けれど、ボクは結局隠し通す道を選んだ。
エルガスたちと出会った瞬間に、虐殺を選択できた。
実際に、茨の路ではあるけれど、カレンたちが助かる道程だってあった。
わかってる。
答えのない問いだ。
事実は一つ。
ボクはカレンたちを助けるために、皆に、背負う必要もない傷を与えてしまったのだ。
「…………流石だね」
「ええ、頭では理解できても、感情がそれを許せなくて。ここまで無様に右往左往していただけで、最善なのだから」
「卑下しないでくれ。ボクだって心苦しかった」
「わかっているわ。もし手段が見つからなかったのであれば、あなたはわたくしたちを頼ってくれた。これは……傲慢ではないかしら?」
「ああ、そのつもりだった。【運命識士】は万能に見えてそうでない。それに、ボクだって一人でできる範囲が狭いんだって、身に染みて理解しているからね。そうそう自惚れちゃいないさ」
「……………………納得は、し難いわ」
悔し気に唇を噛み、俯くアナスタシアが何を悔悟しているのか。
ボクには、想像することさえできない。
人間として欠陥だから、なんて理由にならない。
アナスタシアがどう傷ついて、何を咀嚼して、どのように嚥下したのか。
本人でなければ到底、わかるはずもない問いだ。
端から感情の機微に疎いボクでは察するに余りある。
故に、こんな願いを多少の逡巡を経るだけで口にできるのだろう。
「これから、ボクは彼と共に“八堅種”を討伐しに行く。アナスタシアには、ここで待っていてほしい」
ボクは人でなしだ。
カレンを救いたくても救えないと悔やむアナスタシアに、まだ悔悟を与えようとしているのだから。
君は足手纏いだから安全圏で待っていてくれなんて。
どれだけ言葉を尽くそうとも事実は変わらない。
だからボクは取り繕わないし、アナスタシアもまた着飾った言葉の裡を悟ってしまう。
「………………わたくし、強く、なれたつもりだった」
絞りだしたであろう言葉は酷く震えていて、まるで普段の彼女とはかけ離れていた。
胸の前で手を組んで、必死に己の不甲斐なさに耐え忍んでいる。
嚙みしめた唇からはツゥ──と血が伝い、受け入れられない現実を前に目を逸らしているような印象を抱かせる。
しかし、きっと彼女は誰よりも現実を理解している。
彼女は決して弱くなはいし、ドルで出会った時とは比較にならない程にメキメキと実力を伸ばしている。
【権能】を見つめて拡張し、再起しようと藻掻いている。
けれど、それは気休めにもならない。
アナスタシアは強い。
その根底にある強さは武力でも、知略でも、商才でもない。
たった一人の家族が遺した理想と、それを実現するために克己する彼女自身の魂だ。
本音を白状するのならば、今すぐにでもボクはアナスタシアを慰めてやりたい。
必死に現実を歪曲して、魔獣など目もくれずにカレンたちを助けにいけばいい。
だが、それでは何も解決しない。
分かっている。
これはアナスタシア自身が向き合わなければならない問題なのだと。
けれど、ただ見ているだけの空虚さは耐え難い苦痛をボクに与える。
それでも、ボクは彼女に背を向けて、歩かなくてはならない。
彼女の理想を、アナスタシアに叶えさせるためにも。




