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ツァラトゥストラはもはや語らない  作者: 伝説のPー
第二章【自由の象徴】──第一部【比翼連理】
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4. フォルド領へ

 リヴァチェスター領エディンを出立して本日で四日目。

 そして、同時に西側領土の内陸部に位置する領地、フォルド領とリヴァチェスター領の境界が目と鼻の先に見える日だ。


 ここまで来るのに随分と長かったように感じられる。

 代わり映えのしない景観も要因の一つだが…………何よりも、平穏すぎる。

 見渡す限りの雪原。

 南下して徐々に温暖になっているとはいえ、それでも雪解けの気配すらない土地。

 そんな気温では人間はおろか、まともな生物は皆無に等しい。

 故に、獣や人攫いの襲撃は未だない。

 アデラ・ジェーン山脈の強行軍がかわいく見える。


 とはいえ、これも予想できた旅路だ。

 初日に二手に分かれて物資と情報を集め、二日目から三日目にかけて休養と作戦会議に費やした成果だろう。

 ボクらに残された時間は、口惜しいことに潤沢とは言えない。

 ハギンズに乗っ取られたスウィツァー商会はアナスタシアの手腕によって、既に城塞都市ドルの都市代表と契約を取り付けている。

 その後、彼が如何なる絵図を描いているのかについてだが…………詳細に知悉している。

 虚勢を張っても仕方がないために白状するが、ボクらは劣勢に置かれている。

 故に、なりふり構っている余裕は皆無だ。

 幸いなことに、ハギンズの決断という一点に絞ったおかげで【運命識士(リードスペクター)】はとても明瞭な“未来”を見せてくれた。

 ハギンズ率いるスウィツァー商会は、当初のアナスタシアの計画通り、ドルを拠点にして東側領土の主要都市へと根を下ろすつもりでいた。

 内実については、不確定要素すらも予測して幾重にも渡る可能性の一つ一つを潰すかの如き緻密で無駄のないものだ。

 ある種の美しさには感嘆の息を吐いてしまうほどだったさ。

 流石はアナスタシアの立案した事業計画だと称賛すると、彼女は頬を朱に染めてそっぽを向いてしまったが。


 つまり、スウィツァー商会の拡大課程はある程度予測できる。

 ならばボクたちに残された時間もまた逆算して求められる。

 猶予はある。

 だが、ハギンズが東側領土を掌握する前には、せめてこちらは西側領土を手中に収めておかなければならない。

 とすれば、必然、拙速になりかねない。

 だからこその休息と度重なる作戦会議だ。

 会議の多い企業はダメだとか何とか言われているが、理解を共有する行為までは否定できまい。


 ボクたちの、延いてはアナスタシアの理想は差別も理不尽もない世界を商業から創り出すというもの。

 そして、ボクの理想もまた結果は同じだ。

 けれども──ボクの手段はアナスタシアのようにスマートなものじゃない。

 格好もつかないし、幾分強引にも思える。

 けれど、それで皆が安寧と平穏を会得できるのであれば、些末なことだ。


 話が逸れた。

 詰まる所、ボクとアナスタシアの理想が合致していて、同時に不足している要素すら似通っている。

 明け透けに語るのもどうかと思うが、結論、資金と権力が圧倒的に足りない。

 ならば、ボクたちが次に起こす行動は何か。

 帝国西側領土で唯一商業の中心地として名を馳せる領地がある。


 それが、フォルド領。


 リヴァチェスター領から片道約二十日弱で到着する、ボクたちにとっての始まりの地だ。







 ❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐







 エディンが恋しい。

 最も鮮烈に記憶に残るのはエムス君の笑顔と、ティナの目尻だ。

 孤児院まで送って別れの挨拶もそこそこに立ち去ってしまったが、せめてアナスタシアたちに紹介すべきだっただろうか。

 後悔先に立たず。

 今更悔やんだところで、ボクには時間を支配するだけの力はない。

 けれど、この世界のどこかには時間を掌握する者がいそうだ。

 なにせ、【権能】なんて不確かで強力な奇跡が確立しているのだから。


「おい、ロムルス。交代だ」


「もう二時間経ったのかい?」


「ああ。どうした、心ここにあらずだが。エディンに心残りでもあったのか?」


「皆無といえば嘘になる。けれど、うん。憂いというほどではないよ」


 荷台から声がかかったと思えば、既に彼女は御者台に座るボクの隣まで気配を感じさせずに移動している。

楽園(エデン)】での鍛錬をこなすうちにより一層隠形がうまくなったと思う。

 しかし、それはホロウに限った話ではない。

 アナスタシアは精神に作用する【権能】だったというのに、物理的に世界へと干渉する術を編み出して手足のように扱えるようになった。

 テリアに至っては変則的な軌道を描く三節棍を巧みに操れる上に、“龍気”を獲物に流し込み強度すら向上させてしまっている。

 とはいえ、誰よりも成長したのはホロウだろう。

 隠形もさることながら、扱い慣れた【権能】に“龍気”を混在させて唯一無二の技術に昇華させてしまった。

 幾度か手合わせしたが、二十回に一度はボクの黒星だ。

 だが、ホロウは本人はそれで満足せずに不貞腐れたように鍛錬へと励む。


 ボクが言うのもなんだが、あまり根を詰めないようにしてほしい。


 何故なら、ボクたちが向かう先は西側領土の中心交易地。

 商人の権謀術数渦巻く謀略の坩堝なのだから。

 危険とはいえオスマンやビザンツが生物由来の警戒をしていて、荷台を中心に【楽園(エデン)】を張り巡らしている今、無為な緊張は後に響く。

 まあ、何度口酸っぱく注意しても、聞く耳をもたないのだけれどもね。


「……ロムルス。貴様、暇か」


「……? 済まない、これから水切りならぬ雪切りに興じなくてはならなくてね」


「なんだ、吾の話はそんなでっち上げた用事よりも下だというのか」


「……悪かった。悪かったからむくれるのはやめてくれ。それと、喉元のダガーも物騒だ」


 器用に片手で手綱を握って馬を御し、視線を雪原へと向けていた己の喉仏に一分の躊躇いもなく、抜刀の音もなく突き立てられる鈍色の刃。

 睨め上げる視線は正しく切っ先の如く鋭利で、絶対零度の威圧感を放っている。


 どうやら、煙に巻くことはできないらしい。


「それで、ホロウ。畏まって何を問う?」


 居住まいを正したボクの様子から、一応は信頼したらしいホロウはふんと鼻を鳴らして納刀した。

 一連の仕草はやけに手馴れていて流麗だった。

 経験値というのだろうか、生憎とボクでは武力を適切にちらつかせる交渉術は不得手だ。

 しかし、ホロウはまるで呼吸をするように殺意をもって相手を懐柔してしまう。

 天晴な手腕だ。


「貴様はアナスタシアをどう思う」


「どうとは……また随分と漠然とした疑問だね」


 極力殺した声量。

 御者台のすぐ後ろは木製の衝立を一枚挟んだだけで、すぐに荷台へと通じている。

 荷台ではアナスタシアとテリアが談笑しているのだから、声を抑えるのは納得だ。


 逆に、声を抑えねばならない発問ということになる。


「ああ、そうだな。ならば言葉を変えよう。貴様は()()()()()()()()()()()()()()()()んだ」


「成程、と簡単には頷けない問いだね。既に君なら自分なりの折り合いを付けているとばかり思っていたし、ボクなりに答えを示したと思うけれど」


 “オドラの邑”然り、人攫いの事件然り。

 ボクという個人について、誰よりも熟知していて、同時に誰よりも理解しているのはホロウとばかり思っていた。

『悪人』という仮面を不要だと断言したのは、他ならぬホロウなのだから。


「貴様の尺度で吾を計るな。無論、一度は納得した。貴様とアナスタシアはビジネスパートナーとな」


「けど、今になってそうとは思えなくなったと…………契機はあったのかい?」


「ある。あるが……それを貴様に明かす道理はない」


 取り付く島もないとはこのことだ。

 酷く一方的な疑問は、嘯くことすら許されずに強要される。

 彼女の傲然とした態度は今に始まったことではなく、ボクの軽佻浮薄な態度もまた当初から既知であるだろうに。

 けれども、ホロウは理解した上で問うている。


「…………久方振りの休息で多少開放的になるのは責めない。けれど、ボクは信用を損なうような行為に走っていない」


「ああ、貴様は品行方正だ。少なくとも、リヴァチェスター領内ではな」


「そうかい。なら、初日に何を話したのか聞かせてもらってもいいかい?」


「………………「そうかい」の後に続く言葉としては不正解だ」


「文脈なんて飾りさ。核心が判明す(わか)ればね」


 瞠目して沈黙を選択するホロウ。

 彼女の言説通り、ボクに対する信頼が消え失せたわけではないらしい。

 ただ、単純に心変わりか、疑問に思ってしまう出来事でもあったのだろう。


「…………これは吾の口から語るものではない」


「なら、アナスタシアが話そうとするまで噤んでおけばいい」


「ああ、そうだろうな。それが、正しい。だが、それでは吾の平静が保てない」


「これはまた……自分勝手じゃないかい? ホロウ、君らしくもない」


「吾らしいか…………まあ、そうかもしれないな。吾はお節介なぞ面倒だと切り捨てる人間だった。少なくとも、貴様らと出会うまではな」


 細められていた視線が柔和に変化した。

 なんて策士なのだろうか。

 心底安堵して、まるで背を任せる信頼感を感じさせる雰囲気。

 抜き身の刃を彷彿とさせる普段のホロウからは、想像もできない生娘が如き穏やかさだ。


「いいだろう、ホロウ。ボクは、彼女のことを──」


 弾けるように視線をボクに戻すホロウ。

 そして、一世一代の大決断……とまではいかないけれど、それでも覚悟を決めたボク。

 ボクたち二人だけの世界。

 固唾を吞み続く言葉を待つホロウと、形をもって紡がんとするボクの、たった二人だけが隔離されたような妙な連帯感。


 けれど、ボクの言葉は矢庭に吠えて進路を塞ぐビザンツと、彼・彼女の隣で唸るオスマンの行動によって虚空へ消えることとなった。








 ❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐








 どうしてこうなった。

 当初の計画では順調に進むはずだった。

 御者の交代は絶好の機会で、だからこそ、細心の注意を払って実行したというのに。

 あのレストランで、アナスタシアはホロウにビジネスパートナーとしてのロムルスが抱く感傷について問うた。

 だが、吾は決して相手の感情、その隙を見逃さない。

 見逃せないように吾自身へと課したのだから。


 アナスタシアは少なからず、ロムルスに気がある。

 …………気があるというのは、あれだ。あの、好き合う同士が語り合うみたいな。

 そう、恋人同士の絡み合う視線、内包される熱だ。

 アナスタシアの瞳にはーー彼女が自覚しているかは不明だがーー確かに好意的な、ロムルスをただの仲間としてではなく恋愛感情を含蓄したある種の熱を有していた。


 正直に吐露するなら。

 吾は祝福したい。

 自負ではないが、吾は四人の中で観察眼だけは劣らないと思っている。

 お世辞ではなく、今のロムルス相手にならばアナスタシアと結ばれてもいいだろうとも思う。

 問題は、偽らざる本音を、アナスタシアが額面へと表せるかだ。

 だから、吾が彼女ではなくロムルスの心象を探ってみた。

 余計なお世話だと思うか? 当人同士の問題に第三者が介入するのは野暮だと思うか?

 吾もそう思う。

 だが、決して振り向かない相手に熱を浮かすのは、もっと残酷な所業だとは思わないか?


 もしかすると、吾は冷酷なのかもしれない。

 ロムルスを詰れない程には合理主義者なのかもしれない。


 望み薄であるならば、きっぱりと想いは断つ方がいいと。

 まだ、結果の分からない状況であっても、過程で傷つくのが憶測できるなら。


 吾はアナスタシアには幸せになってほしいと思うけれど、その道程で傷つくのは許容できない。

 もう、彼女は充分にズタズタにされた。

 冷遇されて、心落ち着く環境もなくて、理不尽と不条理に耐えて、恩人たる姉は尊厳などない死を迎えて。

 それでも、膝を折らずに暗中模索した彼女の生に、これ以上苦痛を飾らせたくはない。


 だから、吾はロムルスの心の裡を聞いておく必要があったの

 だというのに……………………!


「いやぁ……本当に我々は運がいい! 皆さんのように心強い冒険者の方々と出会えて! さあ、今夜は我々と貴方方の出会いを祝して、ぱあっと騒ぎましょう!」


 ばちばちと爆ぜる巨大な焚き火を囲うように、円形になって思い思いに食事を取る冒険者たち。

 既に夜の帳は降りて一日の終わりを象徴している。

 聞こえよがしに講釈垂れる小太りの男に、それを口々に担ぐガラの悪い連中。

 まったく、どうしてこんな珍妙な状況に陥ってしまったのだ。


「……? ホロウ、顔色が悪い気がするけれど……体調が芳しくないないのかしら?」


「いや、違う。気遣いはありがたいが、違う」


「そ、そう? けれど……」


 そうか、吾はそんなに気分を害していたのか。

 ロムルスの軽口もだんだんと信憑性を帯びてきたな。

 曰く、「暗殺者だのにそんなに表情豊かでよく生き残ってきたね(煽)」とか。

 思い出したら更に気分を悪くするな。

 ここらにしておこう。


 さて、どうして吾の機嫌が悪いのかだったな。


 あの時、もう少しでロムルスから答えが聞けたであろう刹那に、オスマンとビザンツが警戒を露にしたのだ。

 あの雪道は合流地点だった──フォルド領の西、リヴァチェスター領の南に位置する──帝国西側領土の最西端であるファルガー領から六台の馬車が現れた。

 なんてことのない旅の醍醐味…………で終われば良かった。

 だが、一団の長と名乗る男が、なんとわざわざ馬車を止めてまで吾たちの馬車へと近づいてきたのだ。

 彼らの馬車が道を塞ぐ形で停止してしまったために、吾たちに選択の余地はなかった。


 奴隷商人と護衛の傭兵。

 それが男の名乗った肩書きだ。

 冷ややかな風の吹く気候だが収まることのない脂汗を光らせ、胡散臭い善人の笑みを張り付けて、舐め回すような視線に、妙に粘着質な声で語りかける小太りの男。

 ただでさえ嫌悪感を抱く背格好に、下品なほどの過度な装飾の盛られた服装ときた。

 今までに上か下まで人間を見てきた吾でさえ、第一印象は最低だったが、なんともあの男は度し難い要求を突き付けてきた。

 曰く、「魔獣が怖いから護衛をしてくれないか」と。


 六台の馬車の内、商人は二台を、護衛で雇った三級傭兵は二台、そして、“銀”級と“金”級冒険者が一台ずつ。

 奴隷商の言う護衛とは傭兵ではなく、冒険者のことを指していた。

 過剰防衛とは思うし、なにより吾はあの男の眼が気に入らなかった。

 吾が刃を向けた連中、特に権力に胡坐をかいて権柄ずく肥溜と何ら変わらない色を有しているために。


 だが、ロムルスは即座に否を返さずに、仲間と相談させてくれと返して荷台で状況を窺っていた二人と相談……という名の作戦会議を開いたのだ。

 吾は一貫して拒絶したが、そうもいかない現状にも気が付いていた。

 無碍に断ってしまうと報復される可能性がある。

 まさか敗北などないだろうが、吾たちに時間的余裕がないのは知っている。


 そして、ロムルスとアナスタシアの意見は合致していた。

 協力する素振りだけ見せていつでも離反できるように、だ。


 あの男の事情など心底どうでもいいが、安易に無視できないのも事実だ。

 故に、吾は嫌々でも同行しなければならなくなった。

 まだ、ロムルスから本音を引き出せていない上に、業突張りの為政者と行動を共にするなんていう懲罰すら受けて。

 機嫌も悪くなる。


 心中で悪態を幾ら吐いても現状は改善しない。

 しかし、それでも、暗雲の立ち込める漆黒の夜空が先行きを表しているようで、酷く不愉快だった。

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