5. 旅路の懸念
奴隷商人と傭兵の一団と合流して三日が経った。
わたくしは、一日目の時点でこの出会いは不運がもたらしたものだと割り切った。
この感覚は皆と共有できるとも思う。
彼らの事情はこうだ。
奴隷商はファルガー領からフォルド領を通り、ロンディーン領へ。
そして、アデラ・ジェーン山脈を超えて城塞都市ドルへと奴隷を輸出するつもりらしい。
契約相手がハギンズでなければいいと思ったのは一度ではない。
……わたくしの感傷はおいておこう。
奴隷商、男はエルガスと名乗ったが、まあ本名ではない。
少なくとも、わたしが彼の立場ならば迂闊に素性を晒すなんて愚は犯さない。
エルガスの雇った傭兵は三級で、十七名と大所帯なだけで等級はさして高くない。
実際にテリアに聞くと、先の人攫いたちの方が実力は高いと見積もっている。
勿論、効果的な【権能】を有しているかもしれないため、油断は禁物だ。
けれど、心許ない実力だからこそ道行く冒険者を護衛に雇おうとする心理状態は業腹だが整合性があって疑う余地はない。
わたくしたち以外の冒険者は四人パーティの“銀”級に、五人パーティの“金”級、そして、たった一人の“銅”級。
前者二つの冒険者に関しては月並み、というよりも実力相応という印象だ。
リヴァチェスター領で冒険者登録をした時にギルドで垣間見た“銀”級や“金”級と同様に、金銭的余裕から潤沢な資金にものを言わせて騎士と見紛う装備を身にまとっている。
眉をひそめたのは“銅”級の男だ。
金髪の長髪を後ろ手に靡かせて、必要最低限の装備すら持たず、腰に佩いた一振りの剣のみを頼みの綱にしているのが分かる。
加えて、一言たりとも喋らずに睡眠をとるときも横にならずに剣を支柱にするように座って寝る。
一際異質な男だったが、だからこそ、勇んで誰一人として声をかけるまでもない。
誰だって火中の栗を拾う愚行は犯さないものだ。
支払われる報酬は目を疑う程に高額だった。
その額、三金エール。
ただのエールではない。
金と交換できる、一層価値の高い金エールだ。
わたくしでなくとも何か裏があると勘ぐってしまうが、もはや却って清々しいと思える値段設定だ。
それでも、冒険者がエルガスの誘いに乗る理由。
それは偏に、「何が起ころうと自分たちならばどうとにでもなる」という驕りだろう。
三級傭兵程度に護衛される奴隷商一人が約束を反故にしたところで、“銀”級、“金”級冒険者である自分たちならば強制的に巻き上げることもできると。
商人の強欲加減を熟知しているわたくしから見れば、浅はかと言わざるを得ない。
詐欺師、特にエルガスのように人懐っこい善人面を表にだしている男ほどいたく慎重で、突拍子のない策を講じるのだ。
え……? 『悪人』? ああ、彼は別物だ。わたくしは初めから彼のことを人間だとすら思わなかったのだから。
それに、曲がりなりにも商人の端くれであれば利益を自分から捨てるなんて愚行を犯そうはずもない。
何かしら契約破棄に近しい行動を起こすことだろう。
とまあ、内心で幾ら毒づこうが同じ穴の狢となれば自嘲にしか聞こえない。
同行を決断した理由は大して複雑なものではない。
無理に拒絶して確執を生みたくなかった上に、どうちらにせよ進行方向が同一であったためだ。
無理矢理に同行を拒否する理由もなく、フォルド領へと向かう道すがらならば仕方がないと提案を吞んだのだ。
「おいッ! とっとと運べッ!」
「……っ、! !?」
猿叫に近しい怒号と空を切る乾燥した金切り音は、何も今に始まったものではない。
声の主は三級傭兵の傭兵団長で犠牲となっているのは奴隷の一人だ。
蹲るようにして身を守るのはまだ年端もいかない少女で、瘦せぎすなのが見てわかる。
息を吞むような黒髪は土埃にまみれて色彩を失っている。
どうやら、彼らは商品であろうと奴隷は奴隷で、酷使しても問題ないと思っているらしい。
今朝も、彼らの叱責と大声によって目が覚めてしまった。
積み荷の運搬から、食事の準備、毎晩の見張り、果ては狩猟や採取までやらされて一目みただけで健康状態が悪いと分かる。
十分な休息も、食事も、睡眠も、何より安心できる環境が奴隷たちにはない。
加えて、肉体的精神的に追い詰められているのにも関わらず、傭兵たちから与えられるのは余暇ではなく鞭ときたものだ。
絶望的な状況はそれだけではない。
なんと、他の冒険者パーティもまた傭兵たちに同調して奴隷たちを我が物のように扱いだしたのだ。
唯一、それらを夾雑物として黙殺する“銅”級冒険者を除いて。
醜悪だ。
そして、非道だ。
彼らは、わかっていない。
理解が及ばないのだろう。
周囲に助けを求めることもできず、与え続けられる痛みの黒々とした恐怖を享受するしかない現実を。
けれど、わたくしは、鞭が空を切り彼女の肌を裂く音を聞いて…………何もできていない。
軋轢を生むわけにはいかないなんて建前で、わたくしたちには彼女を、彼女たちを救う手立てがないのだ。
人攫いの拠点で奪取した資金は既にフォルド領までの準備で使い尽くして、手元に残ったのは二束三文。
それに、わたくしたちは、まだ“銅”級冒険者に過ぎず、大して依頼も達成していないために成功報酬も少ない。
経済力も、権力も、武力だっておいそれとひけらかすものでもない。
やもすると、鞭で打たれる彼女一人ならば助け出せるかもしれない。
だが、他の奴隷たちはどうなる? 下手な希望は苦痛以外の何物でもない。
キリリと痛む胸の痛みを、わたくしは押さえつけて見て見ぬふりを決め込む。
感情を封殺するんだ。
何もできない自分に、無力に憤るわたくしの本能を無理矢理にでも押さえつけて。
けれど──
「…………ホロウちゃん、待って。気持ちは分かるけど~、今は~」
「……っ、だが……! 無視など、できない……!」
「ダメだよぉ…………あたしだって、あんなの見たくないし、助けてあげたい。でも~、あたしたちには何もできないの~」
歯嚙みするホロウを目の前にしてしまえば、思わず方針転換してしまうそうになる。
わたくしたちの誰よりも、ホロウがつらいはずだ。
一つのピースが異なれば、彼女の境遇はホロウに降りかかったものだから。
いいや、それ以前に、ホロウは優しいから。
きっと、見過ごせないし、良心と合理の折り合いをつけたくとも、つけられない。
それは、ホロウの手を引いて押さえているテリアもまた、同様だろう。
わたくしは、なんて無力で、怯懦に弱いのだろうと苛むしか……できない。
これが、彼らを拒む最たる理由だ。
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バチバチと爆ぜる焚き火の音は心地いい。
グルグルと渦巻いていた自責の坩堝から、片時でも意識を離せるのだから。
あの人間たちと行動を共にして二日目の夜となったが、一向に慣れない。
立場を理由にして理不尽を押し付ける連中も、そんなクズに同調して同じように暴力を振るう冒険者たちも。
力がなくて、傍観するしかないあたしたちも。
帝国の社会についての知識はあって、奴隷となった少女の話も狭い荷台の中でたくさん聞いた。
だから、今のあたしたちにできることは皆無で、押し付けられた善意がいかに重く無責任かは知悉している。
だけど、ホロウちゃんの姿を見るのは……忍びない。
ホロウちゃんはすごい賢明だ。
あたしにはない視座から世界のことをみてる。
“オドラの邑”で、アデラの山中で、エディンの宿で。
他愛ない話をしながら、あたしが感じてたこと。
彼女の人生はあたしには想像もできないもので、簡単には形容できない絶望が静かに横たわっている。
だけど、ホロウちゃんは優しさを捨てなかった。
どれだけ絶望を経験しようとも、どんな不条理に直面しようとも折れなかった。
それは、偏にホロウちゃんが強いからだ。
でも、みんながみんな、ホロウちゃんみたいに強いわけじゃない。
人攫いに拉致された少女たちも、エルガスとかいう男に売り飛ばされようとしている奴隷たちも、みんな等身大の人間だ。
ホロウちゃんが人外だっていうつもりはない。
時折、本当に人間かしらん? って思わないこともないけど。
どちらにせよ、何人かの奴隷は限界寸前だ。
手をこまねいている現状を憂いているのは、あたしだけじゃない。
昨日のアナスタシアちゃんなんて鬼の形相で彼らを睨んでいたけれど、必死に憤りを耐えていた。
だめだ。
思考がグルグルと同じ場所をたどってる。
こういう時は夜空を見上げながら歩こう。
邑ではどうしても埋まらない価値観の軋轢に迷ったら、ホロウちゃんとお喋りした倒木で同じように黄昏たものだ。
人の気配を察知したのは、その時だ。
「……? 誰か喋ってる?」
今の時間に床に入っていないのはあたしのような変わり者か、見張りを押し付けられた奴隷の誰かだろう。
あたしでなければ聞き取れないぐらい小さな声だけど、確かに誰かが会話をしている。
そうだ、どうして今まで思いつかなかったのだろう。
あの連中が見ていないのならば、見張りをあたしが変わってあげればよかったんだ。
できない理由ばかり見つけて、あたしにできること、探すことを忘れていた。
気が付いてからは一目散に声の元へと向かった。
傍観を続けていたあたしの、せめてもの贖罪として。
「ううん、嫌い」
「ボクも一緒さ。昨晩はオスマンとビザンツが来てくれたけれど、今日はテリアかな」
「へ……? テリ…………?」
はっきり断言しよう。
あの男は意地が悪い。
「ほら、馬車の陰に隠れる時間は終わったよ。君の恨み節は幾らでも聞き入れるから」
「……………………もちろん、説明はあるんでしょうねぇ」
小さな火種を囲んでいるのは、昨日大怪我を負った黒髪の少女と、ロムルスの二人だけ。
彼の手元には応急措置のできる用具の一つたりとも見つけられないが、あたしならわかる。
“龍人”としての感覚器官があたしに教えてくれる。
彼が利用したのは“霊力”だ。
空間から、自分から、“霊力”を少女に分け与えて彼女本来の基礎回復能力を底上げしたのだ。
理論としては理解できても、実行しようとすればその難易度は空想上の夢物語だ。
“霊力”は簡潔に表すのならば空気だ。
空気を任意の方向へ捻じ曲げて、あまつさえ特定の個人に譲渡するなど。
だが、問題はそんな妙技ではなく──
「どうして、ロムルスくんは独断でぇ、勝手してるのかなぁ~?」
ふつふつと湧く苛立ちはあたしの思考を蝕んでいる。
あたしが、アナスタシアちゃんが、ホロウちゃんが。
みんながみんな、手を差し伸べたくてもできなかったというのに、この男は自分一人で、誰にも告げずに成し遂げている。
「…………黙って行動したのは、謝ろう」
「……………………いつからぁ?」
「一日目の夜さ」
「ずぅ~と、黙ってたってことぉ~?」
思わず低く唸るような声色になってしまった。
無意識に前進へと“龍気”を張り巡らしてしまったらしく、踏みしめた地面に亀裂が入っていた。
今のあたしはきっと無様で、恐ろしいのだろう。
その証拠に少女が「ひ……っ!」と悲鳴を嚙み殺し、ロムルスが宥めている。
ああ、わかってる。
これはただの八つ当たりだ。
奴隷のみんなを買うだとか、エルガスたちを八つ裂きにするだとか、あたしはあたしの憎悪を晴らすことしか頭になかった。
最優先すべきは、あたしの感情なんかより、奴隷のみんなを助けることなのに。
一方的に連中を排除するだけでは意味がない。
それを、あたしはアリーちゃんに教えてもらったはずだろう。
何のためにアリーちゃんは少女たちの希望を叶えようとあの作戦を決行したか、その意義を忘れて。
ただ人攫いの手から脱するためではない。
その後に続く彼女たちの人生を尊重して、きっとあるだろう幸福を掴めるために。
「どうやら、思い至ったみたいだね。そうだよ。君とアナスタシアは目的と手段が入れ替わっていた。憤怒が、復讐が、悪いとは言わない。けれど、余譲吞炭だけでは真に助けたとは言えない」
静かな責過があたしの心に染み渡る。
淡々と、事実だけを列挙するような彼の口調が、余計にあたしの胸を締め付ける。
「……あたしとアナスタシアちゃんってことは…………」
「ああ、ホロウはボクと同じ時間、同じタイミングで見張りを変わろうと半ば強引に、それも素っ気なく言っていたね」
そうか。
やっぱりホロウちゃんは達観してるな。
あたしたちが目先の解決策に飛びついていた中でも、奴隷のみんなのことを考えていたんだ。
「まあ、遅かれ早かれテリアもアナスタシアも気付いていたと思う。だから、そう気落ちすることはない」
気付いて、なんだ? それで、あたしが気づけなかった間にも、目の前の少女は、残酷な仕打ちを受けていたみんなは傷ついていたのだ。
あたしは考えが至らなくて。
これでは、エルガスたちと同じだ。
簡単で容易な手段に囚われて、結局、何の解決にもならなくて。
「ごめんなさい……あたし、なんにも、わかってなかった…………」
気づけば崩れ落ちていた。
滲み出る“龍気”は鳴りを潜めて、ただ無念と失望だけが胸中に広がって。
嚙みしめた唇は、握りしめた拳はまるであたし自身への怒りを示すかのように、込めた力に比例して赤い血を流して。
こんな謝罪、意味がないとわかっていても首を垂れて許しを請わねばならない。
「あの……っ! 顔を、あげてください……っ!」
暖かい抱擁が、あたしの意識に楔を打つのがわかる。
小さな身体は痛々しい傷にまみれて、ホロウちゃんと変わらない背丈だというのに比較にならないくらい軽くて。
それでも、脈打つ心臓が、流れる血流が、彼女の生を証明している。
「わたし、ずっと一人だって。みんな、誰も助けてくれないって……! でも、違った……!」
たどたどしくて、けれども力強くて。
彼女の咆哮は確かにあたしの心を穿って。
「会うひとみんなが、わたしを蔑んで…………みんなわたしを同じひとだって思ってくれなくて……! でも、そうじゃないひとだっているって」
あたしの肩に滴り落ちる雫の重みは、改めてあたしに現実を突きつける。
こんなに小さくて、どれだけ助けを望んでも光のない世界に生きていた。
幾ら謝っても、受け入れてはもらえないだろう。
いいや、受け入れてもらうなんて烏滸がましい。
あたしは気づけなかった。
今にも潰えそうな小さな命に。
「…………おい、これは一体どういう状況だ、ロムルス」
気付けば、あたしの背後にはホロウちゃんとアナスタシアちゃんが連れ立って立っていた。
ぎょっとして少女はロムルスの傍に駆け寄ってしまった。
眉根を寄せて疑問たっぷりのホロウちゃんと、あたしと同じように思いつめたようなアナスタシアちゃん。
視線が混じり合うと、お互いに思い至らなかった不甲斐なさに辟易し合う。
決してあたしたちの傲慢は消えない。
思いあがっていた。
あたしたちはエルガスたちと何ら変わらない精神性を有していた。
そして、同時に恐ろしくも思える。
あたしたちは何かのきっかけで、あんなに他人に鈍感になれるのだと。




