28. 多難の末に
耳鳴りがする。
ガンガンと脳髄を圧迫する頭痛が酷く煩わしい。
意識が朦朧として輪郭が定まらない。
…………最近、こういった経験が多くて困るな。
そうだ、あの怪物が現れてアリーが強引に助けてくれた時も認識機能がとち狂った。
「……ぁすた…………ゃん!」
誰かが呼んでいる。
わたくしを、呼んでいる気がしている。
申し訳ないけれども、休ませてはくれないだろうかな? 怪物を抑えた鎖と三節棍を生成するだけで疲労感がどっと襲い来ている。
ただ【権能】を行使しただけではない。
【権能】を媒介に、“霊力”に干渉したのだ。
ホロウも言っていた…………“龍気”と【権能】の同時使用は疲れるなのだとか何とか。
「あ…………さんっ! 無事で……ぅかっ!」
わかった。
わかったから。
ぼんやりと誰かが必死にわたくしを揺すっている。
何だか心地がいい。
懐かしいとも言える。
そういえば、わたくしがうたた寝した時も、オラウダは優しく起こしてくれた。
彼女亡き今、一体誰がわたくしを起こすというのだろう? まさか、彼が…………っ!?
…………いや、彼ならば無理に起こそうとはしないだろう。
そういう男だ、彼は。
ならば、誰が────…………!
「テリアッ! 怪物はッ!?」
急速に意識が覚醒する。
飛び上がるといっても過言ではない反応を見せたからか、覆い被さるように涙目で声をかけてくれていたアリーとあわや衝突するところだった。
それを未然に防いでくれたのは、相変わらずの反応速度で肩を掴んだテリアだった。
砂埃に汚れた麻の服装は、薄桃色の髪を際立たせている。
あの戦闘を経験しても疲労の色を見せないテリアは、穏やかで可愛らしい微笑みを浮かべてそっとわたくしを抱きしめた。
「よかっっっったぁ~…………もう、ほんっとうに心配したんだからぁ~」
心底安心した。
そんな言外の安堵に、思わずわたくしまでふっと肩の荷が降りた気がした。
テリアの肩越しに視線を巡らせるとずびずびと鼻を鳴らして涙ぐむアリーと、外界を眺められる程に大きく空いた穴、そして、巨大な肉塊。
だんだんと記憶が蘇って、同時に、わたくしが気を失った後の出来事に自然と合点がいってしまう。
あの怪物は倒された。
他ならぬテリアの手によって。
彼女の身体能力と全開の“龍気”を載せた三節棍が怪物へと修復不可能のダメージを負わせたのだ。
しかして、その衝撃は堅牢な石造りの倉庫の壁すらも貫通したのだろう。
そして、その爆音に気が付いたアリーも駆け付けたと。
「アナスタシアさんとテリアさんが無事でなによりです。その顔……推測した通りだと思いますよ。もう、みんなは馬車に乗りました」
静かに微笑むアリーは六十三人の少女たちを開放して、待機していたという。
なんと、【権能】を用いて人攫いの部下たちは幾つかの部屋に閉じ込めることに成功したらしい。
おかげで、悠々自適とはいかないまでも、焦ることなく脱出の準備ができたと。
ついでに人数分の防寒着も拝借したらしく、アリーも獣の皮で作られたコートを羽織っている。
怪物は打倒できて、少女たちは助けられた。
ならば──
「ありがとう、心配してくれて。でも、わたくしは大丈夫。今すぐ、ここを出ましょう」
後は、“渓谷からの呼び声”幹部が到着するまでに脱出するだけだ。
ぽっかりと大きく空いた穴から眺める外の景色は一面漆黒の闇だが、戦闘時間とわたくしが気絶していた時間を合わせるといつ夜が明けるかわからない。
足早に去るに越したことはない。
テリアとアリーも同様の懸念を抱いている。
そのために、お互いに頷いて立ち上がる。
万々歳で作戦を終わらせるために。
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結論から言えば、間に合わなかった。
急いで馬車まで辿り着いたが、テリアの様子が一変したのだ。
立ち止まって、冷や汗が留めなく額に浮かび、唯一の出入口である正門を凝視していた。
その時点で、わたくしとアリーはもう間もなく“渓谷からの呼び声”幹部が到着するのだと気が付いた。
テリアの認識能力は人間のそれとは大きく乖離している。
多少の距離があろうとも、地響きや振動を感知できる。
「…………アナスタシアちゃん」
彼女の言わんとしていることはわかる。
あの怪物との決着にテリアは全霊を尽くした。
既に余力はなく、わたくしも、アリーも戦力にはならない。
その状況下で現れるのは運が悪ければ“白金”級冒険者の幹部だ。
この拠点に逃げ場はない。
少女たちは五つの馬車に乗って、いつでも出立できるように準備してしまっている。
今から、籠城するには時間が足りない。
同時に、わたくしたちが一考を案じるにも時間が、足りない。
気付けば、テリアだけでなく、アリーもまた不安げにわたくしを見ていた。
そう、わたくしだ。
二人だけではない。
不穏な空気を察して荷台から身を乗り出して何事かと視線を巡らせる少女たち数人もまた、わたくしに説明を求めている。
それが、わたくしの役目だから。
「アリー、テリア、わたくしが足止めするからその隙に逃げなさい」
「……っ! ダメですっ! アナスタシアさんをおいていくなんて…………!」
「生憎と討論している暇はないの。アリー、これは貴女が提案してくれた作戦だったわよね? わたくしは所詮、貴女の作戦にただ乗りしただけの厄介者よ」
「まって、くださいっ! アナスタシアさんは…………!」
「待たないわ。もう、すぐそこまで来ているの」
少し休んだからか“顕現悪性”は十全にその効力を発揮した。
アリーの背後にあった馬車の荷台へと、漆黒の鎖で彼女を押し込む。
五台の馬車が停まっているのは拠点の隅。
円形の外壁に囲まれている拠点は、正門から入場して来る場合においてのみ死角となる位置にある。
この偶然もアリーの【権能】によるものだろうか。
無意識に彼女は最善を選択したのだ。
拠点内に踏み込まない限り、“渓谷からの呼び声”幹部は商品となる少女たちが脱走するなんて事態には気付かない。
ならば、正門を越えた馬車はそのまま直進するだろう。
入場した瞬間に入れ違いで脱出しても、疑問には思うだろうが追いかけようとはしないはずだ。
そして、異常に気が付いた連中をアリーたちが安全圏へ逃げるまで足止めする人間がいる。
それが、わたくしというだけだ。
「テリア、アリーたちをお願い」
「いやよ~。断固としてお断りするわ~」
「いいえ、お願いするわ」
「平行線よ~。それに~、あたしだって厄介者だし。あと、アナスタシアちゃんを無駄死にさせない。ぜぇったいに、ホロウちゃんと二人で再会するの~」
それは、ズルいではないか。
ホロウの名を出されてはわたくしだって退くしかない。
彼女は、わたくしの無謀を赦しはしないし、きっときつくお説教されるだろう。
「…………わかったわ。アリー、聞こえているでしょう? 貴女に会えて良かった。わたくしは、貴女のおかげで一回りも二回りも成長できた」
「……あだしもです、アナズタしゃさん…………!」
「もしかして、泣いているの?」
大きく頷く気配が木製の扉越しに伝わる。
なんとも素直で、純粋な子だ。
本当に彼女と会えて、言葉を交わせて良かった。
願わくば、あと少しだけ語らいたかったが。
「もし、また出会えたら。もっとお話をしましょう。狭苦しい荷台や寒々しい牢屋の中でなく、暖かい場所で。作戦なんかではなく、他愛のない話を」
「はい…………、はい……っ!」
視線は閉ざされている。
言葉はくぐもって聞こえる。
それでも、わたくしとアリーは別れと再会の約束ができた。
ああ、意地でも生き残らなければならない。
「テリア、合図をお願い。わたくしはタイミングを測るわ」
「りょうか~い」
これから二人で孤軍奮闘するとは思えない間延びした口調には、却って元気をもらえる。
二人そろって馬車の先頭まで赴き、御者に指示を出せるようにピッタリと馬車へとくっつく。
緊張からか無意識に拳を握りしめてしまう。
早鐘を打つ心臓を無駄だとわかっていても胸の上から無理矢理押さえつけて鎮める。
額を流れる雫は雪などではなく、わたくしの冷や汗だろう。
鋼草の怪物まででも充分な戦闘だったが、まさか今度は“白金”級冒険者と相まみえる羽目になるとは。
瞠目して決行の瞬間をただ待っている中、次第にわたくしの耳にもガタガタと車輪が轍をなぞる音が聞こえてくる。
そして、ガタン──ッ! と観音開きの正門が降り積もった雪を押しのけて完全に開ききった。
かと思えば、のそりと申し分程度の装飾を備えた馬車がその姿を見せる。
速度は徐々に上がるものの、車内の人間に発見されないかだけが不安だった。
今すぐにでも見咎められて襲撃されるのではないかと。
しかし、懸念は杞憂に終わり、違和感の欠片も残さず馬車は拠点へと一直線に走り続ける。
「今よ~、出して~…………!」
弾かれたように御者が馬を走らせる。
続いて一台、また二台と少女たちを乗せた馬車が次々に正門を潜って脱出する。
正門を開錠した人攫いの部下たちは何事かと狼狽している間に、目にもとまらぬ速さで接近したテリアに気絶させられていた。
終わったのだ。
作戦は成功。
アリーたちはこのままリヴァチェスター領の首都目指して逃げる。
その後、帰りたい者を故郷まで帰す長い旅路が始まるのだ。
「テリア、門を閉められるかしら?」
ザクザクと雪を踏みしめて足場の感覚に慣れようとしているテリアに声をかけると、「まっかせなさぁ~い」と間の抜けた答えが返ってくる。
ガタン──ッ! と今度は開放ではなく、監禁するための正門が閉ざされる。
これからはわたくしの作戦だ。
「テリア、連中が気が付いたら真っ先に馬車を壊すわ」
「なるほど~。足を潰すのね~」
「ええ。この拠点にはアリーたちが使った馬車を除いても数十台は馬車がある。手分けして潰していきましょう」
ここで斃れるつもりは毛頭ない。
できる限りアリーたちと引き離す。
運が良ければ“渓谷からの呼び声”幹部をも足止めしよう。
そして、逃げるのだ。
テリアの語った通りホロウに、彼にもう一度会うために。
喧嘩別れなんて上等なものではない。
勝手にわたくしが嫌疑をかけて、現実に焦燥したおかげで足元が疎かになってしまっただけだ。
ならば、そのツケを払うまで。
「……っ、気付いたみたいだよ~」
「思いの外早かったわね」
眉根を寄せたテリアが申し分程度の“龍気”を小さな身体に纏う様子が分かる。
閉門した彼女はわたくしを守るように一歩前で臨戦態勢を取った。
わたくしにしてみれば怪物との戦闘だけで充分な疲弊だが、テリアは疲労の色を感じさせない凛とした様相で立ちふさがっている。
しかし、怪物相手に見せた尋常ならざる圧倒的な覇気は鳴りを潜め、余程の無理をしているのだとわかってしまう。
「敵は……十、二十、うん。たぁくさんだね~」
雪埃を立てて次々と正門に向けてひた走る大群は、正門前で陣取っている二人の目にはよく見える。
アリーが捕縛したという部下たちを開放したのだろう、優に百を超える戦力。
徐々に大きく膨れ上がる白煙を前にして豪快磊落に構えられる自分に、誰よりもわたくし自身が驚いている。
ドルに始まり、“オドラの邑”、アリーとの作戦を経て、わたくしの肝も大分太くなったのだろう。
「数えてしまうと気が滅入るわよ。馬車は何台?」
「十二台ね~。」
「大雑把な位置はわかるかしら?」
「えっと~、共有しようかしら~」
「……? どういう意味?」
テリアはわたくしの質問には答えず、無言のままに左手を差し出してきた。
疑問は尽きない。
が、しかし。
一から十まで説明を求めて、答えてもらうだけの時間はない。
流されるままに右手で真珠色の小さな手を握る。
「……!? 共有って……そういうこと」
情報、特に視覚の共有。
詳しい原理については不明だが、恐らくは“龍気”の応用だろう。
テリアの認知能力はただでさえ“龍人”の基礎スペックで常人とはかけ離れているが、その上に“龍気”で補助している。
そのために、彼女の視野はわたくしなどとは比べ物にならない程に遠距離を視認できる。
そう、わたくしにとってみれば豆粒程度の姿形だが、テリアの視界を直接脳内に投影されて情景の中では、向かい来る敵の表情一つ一つが仔細に見えるのだ。
後でみっちり活用法や応用方法については尋ねるとして、今は馬車の位置だ。
こちらの戦力は絶望的なまでに不足しているのだから、如何に汚い手であろうと使えるものは何でも使うし、有効打は打っておいて損はない。
「────【悪因叛逆】」
拡張された視界の中で、思い描いた情景がそっくりそのまま再現される。
成功だ。
“顕現悪性”の範囲は少なくともわたくしの視界内に限定されるが、今はテリアの補助で遥かに広がっている。
そして、操作できる“霊力”はあまつ全ての“霊力”だ。
地中に微量だが含まれる“霊力”でさえも。
奴らに対処は不可能。
突如として隆起する漆黒の杭に荷台を破壊され、漆黒の鎖に馬の足が絡めとられてしまう事態になど予期できないのだから。
「ひゃぁ~、流石だ~」
「いいえ、まだ馬車は数台ある。それに、わたくしの体力だっていつまでも持つ訳じゃない。ここからは時間との勝負よ」
目を輝かせて称賛してくれるテリアには申し訳ないが、馬車を使用不能にしてようやく隔絶した差が多少埋まった程度なのだ。
効率的な足が消滅しただけで止まる連中ではない。
ズジャともボッ──! とも聞こえる音の後に、わたくしたちの立つ正門前に横一列の杭を生じさせる。
まるで防衛線のような出来に嫌でもジリ貧を強いられているのだと思わされる。
所詮、気休めだ。
テリアには杭よりも前に出て戦ってもらわねばならないし、高くそびえる杭を乗り越えられる前にわたくしが防衛と彼女の援護をする。
戦略らしい戦略だが、氾濫するかの如き大軍には無意味に等しい。
テリアの視界共有、馬車の破壊、防衛線の構築。
準備以前の行動で大幅に猶予を削ってしまった。
既に最前列の敵は目視が可能な距離まで接近を許してしまっている。
後続の連中も矢継ぎ早に襲い来るのだとすれば今すぐにでも対策……を…………?
「そろそろ行こうかしら~。アナスタシアちゃんはここであたしの援護を…………あるぇ~?」
テリアの疑問に答えたくとも、わたくしにだって訳が分からない。
凡そ戦場に相応しくない呆けた表情を晒していることだろう。
止まったのだ。
雄叫びや罵詈雑言を叫んで我先にと刃を振りかざして大挙していた、“渓谷からの呼び声”幹部を始めとする人攫い連中の動きが。
ぴたりと、まるで時が止まったように。
彼らだけではない。
吹雪も、木々のざわめきも、自然の織りなすありとあらゆる音が、失せたのだ。
耳の痛い唐突な沈黙は、二人対大軍の睨み合いを強調したが停止した時間はすぐさま融解することとなる。
光路。
言葉に表すのならば、正しくその通りだ。
わたくしのすぐ左手の外壁から漆黒の杭を貫通して、丁度テリアと正門を守るように立っていた地点の…………つまりはわたくしの眼前で途切れている。
目前まで迫っていた彼らと、わたくしたちと、同等の距離を保って輝いている路は現実を把握しようと勤しむ者を置き去りに変化を見せる。
後光が指すかの如き閃光を伴って、楽園の支配者がその姿を白日の下へ表す兆しが。
「やあ、久しぶりだね、アナスタシア」
不意にかけられた言葉は胡散臭いけれども、それでいてとても優しいものだった。
わたくしには彼の大きな背しか見えないが、それでも彼の携えた表情までもが感じられるようだ。
純白のローブに一振りの鉈、赤の混じった白髪。
その姿は懐かしさをわたくしに思い出させた。
彼だけではない。
二頭の純白な獣が、まるで守護するかのように漆黒の装束に身を包む少女の脇を固めている。
彼女から迸る殺気は年不相応の熟練の暗殺者のそれ。
「感動的な再会といきたいけれど、外野が煩わしいね。ホロウ、君はどう思う?」
「わかりきったことを聞くな」
「おや、つれないね」
軽口を叩き合う様子は以前までの刺々しさは皆無で、気心の知れた間柄で交わされる暖かさを感じさせる。
すらりと抜刀された一振りの鉈と、ダガー。
そして、唸り声を上げる二頭の獣。
思わず膝をついてしまうそうになる。
勿論、安堵から。
夢ではない。
胸を締め付ける感動と安心は、空想では得られない痛みを確かに与えてくれる。
「少し、待っていてくれ二人とも。なに、そんなに待たせはしないさ」
その言葉を皮切りに、停滞していた時が動き出す。
戦場に相応しい雄叫びが聞こえたかと思えば、大地を踏み鳴らす大音声が反響する。
だが、わたくしの胸を支配していた不安や恐怖は噓であったかのように晴れ渡っていた。
実際には短いけれど、酷く長く感じた旅路に終止符が打たれたのだ。




