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ツァラトゥストラはもはや語らない  作者: 伝説のPー
第一章【自由の芽吹】──第三部【悪人の夜明】
23/66

23. 吐露

 唐突だが、世界には侮蔑に付さざるを得ない存在が実在する。

 そう、例えば、信頼して明かすべき秘密を恐れのあまり口にできず、凡そ考えられる最悪の事態を引き起こしたオドアケルとかいう偽名の『悪人』とか…………。

 うん、己の話はおいておこう。

 いや、確かに己も最低最悪の極悪人であることに変わりはない。

 断言しよう。

 この一件が片付いた暁には【運命識士(リードスペクター)】の本質と、【楽園(エデン)】という派生について包み隠さず話そうと思う。


「はぁ……何も、そんな益体のない思考をしたい訳ではないのだけれどもね」


 爆ぜる焚火の仄かな紅の前で、まるで神の前で赦しを得る迷い人のように首をもたげてしまう。

 自信満々に【運命識士(リードスペクター)】を用いて“未来”を閲覧した上で、最大効率の作戦を実行して、見事に失敗した日から既に二日。

 お通夜とまでは言わないが、出会った当初よりも張り詰めた三人旅は、身を削るような感覚を常時味わうこととなった。

 己は失敗の負い目から、ラクシュミーは感情のままに糾弾してしまった気まずさから、ホロウは……魔法少女ダークプリズムの格好をさせたことにご立腹のようだ。

 そこまで酷いものか、魔法少女。

 ラクシュミーなど目尻に涙を携えて笑顔で送り出していたというのに…………もしかして、爆笑していたのか? 余りにもおかしすぎて?

 ならば、ホロウには悪いことをしたな。


 違う。

 思考が逸れている。

 目的もなく、わざわざリヴァチェスター領突入前の深夜に眠らずに一人で物思いに耽っていたりしない。


 先の失敗は己が想像するよりも深く、克明に記憶に刻み込まれた。

 他の誰でもない自分を殺してまでアナスタシアのために力を振るおうと生まれた己が、まさか彼女を危険に晒した挙句に、救出すらもままならないなど。

 腸煮えくり返るどころか、己の存在意義について呆れ、そして酷く失望した。

 故にこそ、続く作戦でしくじる訳にはいかないと。

 もう一度の失敗など許されないと、己自身に暗示が如く繰り返すしかない。

 恐らく、次はない。

 きっと、己は、己を許せないだろうから。


「…………いけないね。()()()なら、きっとボクのようにうじうじとは悩まない。ただ自分を叱咤して、逆境なんてどこ吹く風で──」


 脳裏にはいつだって完全無欠な姉がいた。

 関わる全ての人間に辛く扱われようとも、慈しむような柔らかい笑顔をなくすことは決してなかった。

 もし、この場で己の姿を一目視界に収めたのであれば、変わることのない笑みと、安らぐような声色で慰め、そして送り出してくれたであろう。


 だが、この世界のどこを見渡しても、彼女はいない。

 だから、今は己の力だけで立ち上がらなければならないのだ。


「そろそろ、戻ろう。うん、戻そう」


 問いは巻き戻るが、そう、世界には侮蔑に付されても文句のつけようのない人間が一定数以上存在する。

 して、しまうのだ。

 それが、アナスタシアたちを拉致した人攫いだ。


 少し立て込んだ話をすると、繫栄する大国には比例するように悪徳、悪辣、邪悪極まりない者たちが蔓延ってしまうものだ。

 古今東西の国々では統治者の側近や、市政、経済、メディア、多種多様な形態で病原菌のように悪影響を及ぼす。

 それが、帝国では悪名高く“帝国の三大病巣”として周知されている。


 奴隷売買組織である“渓谷からの呼び声(メルアト)”と、“縦横(じゅうおう)”。


 麻薬武器売買組織である“ガジェーラ密団(みつだん)”。


 それぞれに差異はあれど、根本は何ら変わらない。

 帝国内で必要とされる裏世界の需要(ニーズ)に対して相応の見返りを授けると同時に荒稼ぎをする。

 何ら変わりない、生粋の悪人だ。


 問題は、現状、己たちが追っている人攫いはただの裏稼業連中ではなく、“渓谷からの呼び声(メルアト)”の木端だということ。

 下請けに過ぎない人攫いではあるが、それでも名の知れた奴隷売買組織直下の連中であるために、奴らを敵に回すと必然的に“渓谷からの呼び声(メルアト)”をも敵に回る可能性があるのだ。

 己としては、潰してしまっても問題ないとも思うが、またも己のせいで皆を危険な目に遭わせたくはない。


「仕方ないとはいえ、厄介な状況になったな……」


「自覚があるとは結構だな、『悪人』」


 音もなく、気配もなく、ただそこにある空気と同質の存在として気付けばホロウは右隣に座っていた。

 己も【楽園(エデン)】修行によってそれなりの武人になれたのではないかと思っていたが、間合いに入るまで、それどころか声をかけられるまで気が付かないとは……流石はホロウだ。

 皮肉に満ちた笑みを携え、保存食たる干し肉を噛みちぎりながら琥珀に輝く瞳をギラギラと光らせている。

 なんて絵になる少女だと、改めて認識させられる。


「起きていたのなら声をかけてくれても良かっただろう」


「それでは詰まらん。貴様の極凍妖狐(フェールラーベン)につままれたような間の抜けた顔で溜飲を下げられる」


 なんだ、その狐につままれた〜云々に類似する諺は。

 狐に比べると余りにも凶暴な気もするが。


「……そんな空恐ろしい獣がいるのか」


「ハッ、全知の【権能】をもっていても術者がこのザマでは哀れの一言に尽きるな」


「仰る通りだね。以後、気を付けよう」


「…………そんな真に受けずとも」


 なにやらホロウがモゴモゴと呟いているが、生憎と極凍妖狐(フェールラーベン)について閲覧しているために上手く聞き取れなかった。

 因みに、極凍妖狐(フェールラーベン)は北方に生息する獣の一種で、大柄ではあるが想像を絶する俊敏性で瞬く間に狩りを終わらせてしまうらしい。

 又、群れを成してより大勢の生物を襲う好戦的な性格に加えて、一度狙いを定めた獲物は息の根を止めるまで追い続ける執着により冷酷無比とも呼ばれる。


 なんと、オスマンやビザンツたち中央の森に属する白毛半魔獣(ブラン・ライガ)と北方の極凍妖狐(フェールラーベン)、そして、帝国近海に生息する黒刃逆叉(ホワイト・ホエール)、荒野にて悪行の限りを尽くす(こんちゅう)の四種は生態系の頂点に君臨する生物らしい。

 危険な生物に関する情報はあって損はなく、非常に有益だ。


「兎も角、君の言い分は理解できた。腑抜けたボクが悠長だと釘を刺しに来たのだろう? 安心したまえ。もう、油断はしない」


 獣は利口で、過敏だ。

 主であるホロウの心の機微を感じ取ったのであろう、オスマンとビザンツが──特にオスマンが──睨みを効かせながらじりじりと迫りくる。

 それも、目と鼻の先なのだから、その威圧感といったら今は千切れた左腕がズキズキと痛む。


「…………何が理解できる、だ。何もわかっちゃいないじゃないか」


「……? 済まない、オスマンの唸り声で聞き取れなかった」


「オスマン、ビザンツ。戻れ」


 低く、地の底から響いているのではないか? と錯覚する声色で命じたホロウは、キャンキャンと一目散に寝床へ戻る二匹を尻目に溜息を吐いた。

 彼女にしては珍しく、毛嫌いしているはずのボクに弱みらしい弱みを曝け出している。

 “龍人”たちの邑にあっても、疲弊の色を見せなかった彼女が一体如何なる心変わりだ?


「貴様のことだ。どうせ迂遠に伝えたところで煙に巻く。だから、吾は単刀直入に聞くぞ」


 眼が、合った。

 耳朶を打つ焚火の音も、頬を撫でる生暖かい夜風も、失態を犯した自責の念も、消え去った。

 ただ、闇に浮かぶ琥珀色の瞳と、焔に照らされた横顔が克明に脳野に刻まれる。

 そして、己の心臓が嫌に早鐘を打つ鼓動だけが規則正しく聞き及べる。


「……待ってくれ、今それを聞くとまず──」


「まずくはないし、黙って聴け。なあ、『悪人』。吾に──貴様の名を教えてくれ」


 やけに静かだ。

 アデラ・ジェーン山脈では息づく生命が、夜の帷の降りた後でも騒がしく聲を発しているはずだ。

 だが、ホロウと向き合って、名を聴かれている今だけは一同に静まり返っている。

 まるで示し合わせたようなタイミングで静寂を歓迎するのだから、己としてはたまったものではない。

 これでは、()()()()しまうではないか。


「『悪人』でもなく、オドアケルでもない。どれもこれも、貴様を冠するにはしっくりこない。そうだな……偽りの人相を、役柄を演じているようだ」


 偽名だから、当然感じるだろう感覚だ。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()──とでも思っているんだろ、貴様」


 眉間に皺を寄せて、彼女は半歩ばかり身を寄せる。

 素直に恐ろしいと感じてしまった。

 殺意を発している訳でもなく、狂気が垣間見える訳でもない。

 だが、全身に悪寒が走り脊椎を掴まれたような、魂の震える感覚から抜け出せない。

 これ以上、会話を続けていては危険だと本能が判断している。


「…………ホロウ、君は疲れているんだ。どうだろう、一度深呼吸をしてみては」


「答えろ。話を逸らすな。貴様の手管にはうんざりだ」


 ああ、やはり分からないな。

 アナスタシアと言葉を交わした時も、ロバートと死闘を演じた時も、オンの矜持を受け止めた時も、テリアに忠告をされた時も。

 いつだって、己には理解しえない領域だった。

 合理も効率も、予測も演算も。

 理想とするべき“未来”のためには必要不可欠で、何人であろうと道程では信頼する道具だ。

 だけれども、一定の人間は()()をまるで塵芥のように捨て去って感情論なんて、激情に身を委ねてしまう。

 それで果たして“未来”があるのかと疑問は尽きないが、未熟な己なりに答えを出してみた。


 規定のレールから外れて合理だとか重荷を外した者は、時に合理では導き出せない()()に達せられる、と。

 そして、その過程に後悔は微塵もなかった、とも。


 曇天の夜空が頭上を覆う二人だけの世界で、ホロウは()()()()()()()()()

 “龍人”の邑長たるオンと決別した時だって、アナスタシアの感情に呼応するように振り切った。

 そして、結果として二人は無二の間柄になった。

 ああ、成程。

 己が恐怖する理由に合点がいった。


 己は短慮で、稚拙、後も先も切り捨てる投げやりな感情論に忌避感を抱いて──


()()()()だ、と言ったはずだぞ。うだうだうだうだ理屈ばかりをこねくり回して……だから貴様はいつも空回るんだ」


 違う。

 理屈なんて大層なものではない。

 ただ、ひたすらに己の内実を演算して、言葉という外殻に適応しようとしていただけだ。

 その証左に、今にも崩れそうなはりぼての己を形成して、朽ち果てるまでの延命措置を生き汚く繰り返している。

 たった一度の失敗で、傍目からも看破できる程に消耗して、挙句の果てにはホロウの心象すら憶測できずにいる。


「なあ、なぜ吾たちが貴様を心の底から信用できないか、わかるか?」


 そんなものわかりきっている。

 己は偽っているのだから。

 偽善の仮面で取り繕って、認めてもらおうなんて考えていなくて。

 傍にいられるだけで幸運だと、上塗りして。


 ああ、ああ、わかっていたつもり? 違うのか? 教えて欲しい。

 どうして、君はそうも泣きそうに顔を歪めるんだ? 君の琥珀の瞳に、一体己は如何様に映っているんだ?

 どうして? 何が? なんで? 

 何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?


 なぜ、なんだ…………?


()()()()()()()ッ! 言葉にしてぶつけろッ!」


「貴様と出会ってからずっと、そうだッ! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それでも他人を信じられない。貴様、いつまでも甘えていられると思うなよ…………!」


「貴様は卑怯で姑息だ、それも清々しいまでに極悪だ。貴様は吾を、アナスタシアを、連れ出して前を向けと言って活力を与えた。ああ、救われたよ。貴様はそれで満足したのだろうし、実際に貴様の出る幕はそれで終わりだ…………! だが、だからといって、貴様が救われる機会すら終わったのではないッ! 膝を抱えてすり減るだけの貴様の姿を、指をくわえて見せ続けられる身になってみろ、みっともなく叫びたくもなるだろうさ。おい、感情だとか、理論とか関係があるのか? 貴様が吾を、アナスタシアを、信頼するのに、それは必要か……ッ!?」


 気付けば、ホロウは立ち上がって己の胸倉を掴み上げていた。

 金色に輝く瞳は仄かに雫が溜まり、口元は強く引き締められいる。

 それは彼女の苦悩と葛藤、憤怒、そして、良心の慟哭だったのだろう。


 羨ましいなあ、まったく。

 どうして、ホロウは、アナスタシアは、こんなにも真っ直ぐにヒトを視れるのだろうか。


 度し難いなあ、まったく。

 どうして、己はこうも彼女たちの心根を信じられないのだろうか。


 二人は、己の、己ですら理解の及ばなかった心情を察して、言葉を尽くしてくれているのだ。

 アナスタシアは、“龍人”の邑で。

 ホロウは、今この場で。

 訴え方も、声色も、違う。

 それでも、同じなのだ。


 だが、応えられない。

 ちっぽけなプライドではない。

 分からないなんて言い訳ですらない。

 もう、その場しのぎの小言に逃げはしない。

 けれど、名は明かせられない。


 その名を語るべき者は、いないのだから。








 ❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐






 漆黒の世界で、橙色の灯に照らされた空間にあって、一人の少女の慟哭を聴いた。

 分からないと、不適格だと対話の機会すら投げ捨てた愚かで、蒙昧な男のための叫びだった。

 つくづく、彼女が本当に暗殺者として生き残ってきた歴史に疑念を感じずにはいられない。

 こうも自身の感情を表に出して、よくぞ生計を立てられたものだ。

 ……話が逸れた。

 悪い癖だ。

 そして、改めなければならない性根なのだろう。


 もう偽らないし、誤魔化しもしない。

 己は彼女たちに向き合うと決めた…………いいや、背中を押してもらえたから。


「ホロウ、君の言葉は届いたさ。話そうと、思う。けれど、名前だけは…………見逃してはくれないだろうか」


「……その理由(わけ)は、納得できるものなのだろうな」


「ああ。きっとね。ボクは()とは違う。だから、()の名を騙るのは()に対する侮辱だ」


 釈然としない表情のままではあるが、己が一歩も譲る気がないと理解したのか渋々といった様子で全身の力を抜いて再び腰掛けるホロウ。

 燻る不満は憮然とした表情からも読み解けるが、こればかりは許してほしい。

 自我の消滅、つまりは“()()()()()”を突き付けられようが躊躇なく最善を尽くした()のためにも。


 自分のを消して己を創り上げた報酬が、他の誰でもない生を譲り渡した相手の傍若無人では釣り合いが取れないだろう。


「それで、貴様はいつまでだんまりを続けるつもりだ? 上辺だけで都合のいいことを言って「話しません」では失望するぞ」


「今までは見限っていなかったのかい? それは嬉しいじょうほ…………わかった。話すからナイフをどけてほしい」


「……ふん。次はないぞ」


 どうやら、随分とご立腹らしい。

 首元から生暖かい感触が伝うあたり、薄皮一枚斬られたようだ。

 抜刀の瞬間も、殺意の起伏も感じ取れなかったあたり、まるで呼吸かの如く自然に刃を向けられると。

 己も鍛錬を怠ったつもりはないが、それでもホロウのセンスは一級のようだ。


「ホロウ。もし、ボクが想像もつかない辺境から来た言えば…………信じるかい?」


「なんだその胡散臭い騙り文句は……? おい、まさか……」


「そのまさかさ。【権能】の存在すら曖昧で、帝国の常識──その欠片すらない田舎出身。一念発起して傭兵になっただけの一般的な青年。それがボク」


「……………………成程。異端としか言いようのない言動も、殺しに慣れていないくせに妙に筋の良い戦闘スタイルも頷けるか……?」


 うんうんと自問自答を繰り返しつつも己の言葉を吟味しているホロウ。

 その姿を見ても、チクリとも痛まない機能不全の己をこの時ばかりは呪いたくなる程に恨んだ。

 いま、己は正面から向き合ってくれたホロウを騙しているのだ。

 無論、何の根拠もなく噓を噓で塗り固めている訳ではなく、純度百パーセントの虚偽とも言えない。

 先ず、少なくとも己はこの世界の人間ではない。

 気が付けば奴隷貿易の商品として目を覚ました日本人だ。

 転生者か、召喚者か──どちらにせよ、【運命識士(リードスペクター)】に()()()()()()()がない限り前例は不確かだ。

 その状況下で迂闊に身元を明かす危険は冒せない。

 やもすると、この世界では嫌悪の対象である可能性も捨てきれない。

 未然に防ぐことのできる危険性は回避するに限る。


 けれども、彼女を騙していることに変わりはない。

 合理的な思考に基づいた虚偽だが、道義にもとる行為だとも理解している。

 信じてくれた相手を蔑ろにしているのだから。

 だというのに、罪悪感も、良心の呵責すら感じない己に…………酷く絶望してしまう。


「まあいい。貴様の生い立ちなど毛ほどの興味もない」


「……それはそれで傷つくね。ならば、ホロウ。君は何をボクに求めるんだい?」


「勿論、貴様の名だが……無理を押し通すほど吾も無慈悲ではない。吾が聞きたいのは、貴様がどうしてアナスタシアにああも熱烈に入れ込んでいるか、だな。話を聞く限りアナスタシアとは拘留場で初対面なのだろう?」


「…………長くなる。それは、ボクの根源に関わるからね」


 雰囲気の変化に敏感なホロウだからこそ、僅かに眉をひそめて姿勢を正せたのだろう。

 今までに、(あの人)について誰かに話したことはない。

 いいや、例外はあった。

 腐れ縁である日本の幼馴染、一人だけ打ち明けたことがある。

 だが、彼女を除いては初めてだ。

 嫌でも力んでしまうのだろう。

 右も左もわからなくて、それでも生を諦めきれなかった己や()にとって(あの人)は正しく心の支えであるから。


「ボクには年の離れた姉がいてね。その人は常に笑顔で、“愛”にあふれていた。そんな姉を、ボクは尊敬していたし敬愛していた。けれども、あの人は突如として行方をくらましてしまった──」


 口に出してみると思いの外、言葉はするすると飛び出してくれる。

 己の裡で渦巻いていた姉への想いが、言語化してみると想像よりも単純で、それでいて如何に己が寂寥感を抱えていたのかよく分かった。


 ホロウは静寂を保って瞠目しつつ耳を傾けてくれている。

 相槌はなく、共感もない。

 ただ身じろぎの一つせず聴いている。

 決して饒舌とは言えない己の語り口であっても、疑問を挟まずあるがままに受け止めている。


 やはり、ホロウは優しい。


 そして、どうしても彼女が暗殺者としてしか生きれないこの世界に怒りを募らせてしまいそうなる。


 彼女は生き残るために力を欲して、外道に堕ちるしか路がなかったのだ。

 ただ出生が差別されているだけ、そんな傲慢で不条理に彩られた為政者の都合だけで。

『悪人』だと嫌悪している己の言葉に、難色を示すことなく不退転で隣に座っている。

 なんて、純粋で汚し難いのだろうか。


 ホロウだけではない。

 アナスタシアも、彼女の姉である今は亡きオラウダも、社会から迫害されてプライドにしがみつかざるを得ない“龍人”も、それでも腐らず前を見るテリアだって。

 そこに蔑まれる謂れはなくて、貴びこそすれ、唾棄するなど言語道断で。


 ああ、そうか。

 ようやく、ようやく、()()に気が付けた。

 “愛”の意味を、それを成すには己が如何するか。


 さあ、決断の(とき)だ。


 不条理に圧殺されるしかない者のために、理不尽に抗う者のために、泥にまみれても芯を失わない者たちのために。

 己が居場所を、その生きた証を刻む安住の地を。


 ──互いが互いを尊重し、“愛”をもって生を謳歌できる世界にしてみせよう。

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