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ツァラトゥストラはもはや語らない  作者: 伝説のPー
第一章【自由の芽吹】──第三部【悪人の夜明】
19/67

19. 晴嵐

 ガラガラと車輪が大地を踏みしめる音が、耳心地の良い子守唄に聞こえる。

 全身を響かす馬車の揺れは、自然の織りなす協奏曲と相まって荒れた心を着実に癒してくれる。

 見渡す限り緑に覆いつくされた森林の中で、三人…………今では四人に増えた吞気な旅人たちは長閑で優雅な昼下がりを迎えていた。

 とはいえ、雑談に興じる程に余裕があるわけでもないもないのが現状だ。


 漆黒の装束に身を包み、見るからに身軽な軽装で漆黒の外套を羽織る銀髪の少女。

 獣の毛皮を使用して織られたであろう白のショートパンツに黒のハイソックス、薄手のシャツ一枚の上に純白のファーコートを羽織り、薄桃色のパーマがかった長髪を揺らす少女。

 美脚を惜しみなく露見させるスリットの入った漆黒のドレスに、限りなく黒に近しい紺色のファーを露出している肩にかける金髪の美女。

 世が世ならばその容姿だけで高貴な者の妻となりえるに足りる端正な三人は、まるで警戒心の欠片もなく荷台で寝息を立てている。


 いや、気持ちは痛いほど理解出来うるし、何よりも猫のように丸まって眠るホロウは、熟睡中であろうとも敵愾心を察知すると想像もできないほどに瞬時に臨戦態勢へと移行できるから問題はない。

 故に、御者と見張りを己一人に任せて睡眠を選択する判断は間違っていない…………いないのだが。

 三人は己が寝込みを襲うなどとは考えなかったのだろうか。

 いや、断じて()()()はない上に、そもそもそういった欲望とは何故だか無縁なのが己だ。

 かつての世界にあっても、思春期に入った同級生の()()()()()()()に準ずるであろう話を聞いても興味はなかった。

 周囲が美少女だと褒め称える幼馴染であっても、親愛なる姉であっても、己の聖槍がそういった反応を示したことはない。

 それに、アナスタシアやホロウ、その友人であるテリアに対してもそういった相手というよりかは、己の何を犠牲にしても護り抜きたいと誓う存在だという色のほうが強い。


 まあ、己の事情は一度脇に追いやるとしてもだ…………警戒程度はしてもよいと思うが。

 信頼の証なのか、それとも男としては認識されていないのか。

 どちらにせよ、己にとっては些細な違いではないから捨て置いてもよいか。


「さて、休憩はそろそろ終わりかな」


 思考を戻そう。

 他愛ない雑念をこねくり回すのは終わりにしよう。


 昨晩のひと悶着の結果、ホロウはボクたち……というよりかは、アナスタシアと共に在りたいと覚悟を示して。

 アナスタシアもまた本音でホロウへと応えた。

 けれども、ホロウが人間であるアナスタシアの隣で歩むとは、それ即ち“龍人”ではないと同義。

 そんな結論を族長たるオンが許すはずもなく、一触即発の雰囲気へと様変わりしたのだが。

 己の独断でホロウとアナスタシアの想いに肩入れし、“オドラの邑”より二人と…………テリアを連れて出たのだ。

 テリアに関してはホロウの友人として、彼女の理解者として、本人の意思で邑を奔放したのだから己が気に揉む話ではない。


 城塞都市ドルからの逃避行の道すがら巻き込まれたトラブルの結末として、結束は強固となり、仲間が一人増えた。

 重畳と定めてもよいだろう。

 誰一人として失うことはなく、円満に事が進んだ。

 申し分のない勝利だ。


 けれども、どうしてだろう。


 素直に喜びきれない己が、存在している。








 ❒❏❒❏❒❏❒❏❒❏❒❏❒❏❒❏❒❏❒❏






 パチパチと爆ぜる焚き火の悲鳴は、どうやら聞く者の心を落ち着かせるという。

 墨汁をぶちまけたような夜空に点在する星々の下で、無謀にも捕食せんと立ち向かってきた獣の肉を調理する。

 食料に不安はないが、臨時に手に入った食材を無駄にするわけにもいかない。

 なにせ、生肉なのだから、保存が難しい。

 薄くスライスした肉に香辛料を適度にまぶして、焚火の直下で満遍なく焼いたのならば、乾パン擬きに挟んで完成だ。

 調理時間にして二十分余り、味は比較的美味である上に食べ心地満点のボリュームに仕上がった。

 残りの肉は干し肉として最低限の備蓄としよう。


 眠気は完全に失せたのであろう三人は、いつのまにやら起床して己が調理している間に馬の世話や野営の準備に取り掛かっていた。

 その間にも絶えず談笑し、和気藹々と仲を深めていた。

 寂しくなどはない。

 きっと、調理中に話しかけるのは悪いと思ったのだろう…………全く構わないのだが、それを指摘するは無粋というものだ。

 うん、そう己に言い聞かせないと色々と悲しすぎてふとした瞬間に孤独に襲われてしまう。

 己はウサギだから、寂しすぎるとぽっくり逝きかねない。

 なんて取り留めのないことばかりを考えていると、あっという間に夕餉の時間だ。


「改めまして、あたしはテリア~。“龍人”にして“龍人”の敵ですぅ~。ホロウちゃんとはお友だちなんだぁ~。アナスタシアさん、悪人さん、よろしくね~」


 笑みを浮かべて、妙に間延びした口調で宣言したテリアはホロウへと微笑みかけてアナスタシア、己の順番に視線を巡らせた。

 夕食のタイミングで徐に立ち上がった時は何事かと身構えたが…………杞憂に終わって心底安心した。

 害をなすのであれば、幾らホロウの友人といえど()()()()()をしなければならないところだった。


「よろしくお願いします、テリア。ホロウから聞いているだろうけれど、わたくしはアナスタシア=メアリ。しがない商人……ですら、今はありませんけれど」


「よろしく~。それにしても~、想像よりも美人さんでびっくりしちゃった~」


「そ、それはありがとうございます」


「……………………アナスタシアの赤面など初めて見たぞ」


 思えば、アナスタシアとホロウの関係が変化している。

 他人行儀な口調であったアナスタシアは穏やかに、あくまで契約相手程度だと割り切っていたホロウが親密に。

 テリアの纏う泰然としたマイペースな雰囲気に充てられたのか…………それとも、先の一件で損得を凌駕した信頼関係を築いたのか。

 事の真偽は生憎と判断しかねるが、良好な仲で何よりだ。


 ああ、己も()()()()()()()と思わなくもない。


 羨望、嫉妬。

 うん、確かに己は切望しているようだ。

 あの三人のように、互いが互いを補填し合いながら、より密接に関わり合う関係に。

 友人でもあって、尊敬も内包されて、けれどもそこに“悪”は関与していない。

 なんと手に入れ難くも、尊き関係性なのだろうか。


 決して己の手中に収まることのない、そんな──


「それで、悪人さん。あなたは何なの~?」


 ソプラノの声色に思考が途絶し、視線を下げると眼前にはテリアが微笑を携えて座っていた。


「……、随分と漠然だね。何を聞きたいんだい」


「うぅ~ん…………あなたがホロウちゃんの味方なのは分かってるんだけどね~。隠し事が多い気がするんだ~。ホロウちゃんとアナスタシアちゃんから聞いちゃったんだけど~、あなた強くないんでしょ~?」


 睨め上げるように、首を傾げるように、油断なく細められた瞳は疑念に染まっていた。

 当のアナスタシアとホロウは変わらず談笑しているが…………先までの会話より推測するに中心はテリアであったはずだ。

 何とも巧妙で油断ならない話術、掌握術だろうか。

 二人に気づかれずに輪を外れて、こうも際どい質問を問えるのだから。

 その胆力には脱帽ものだ。


「弱いはずのボクが“龍人”の長に勝利して不服かい? プライドを傷つけたのであれば謝ろう」


「そんなんじゃないって~。あたし、“龍人”の誇りなんて気にしないから~。そうじゃなくて~…………」


 言葉を切ってちらりと背後の二人へと視線を向けたテリアの横顔は、続く言葉と同様に、忘れられないものとなった。


 ──信じてもらえないよ、と


 望むところだと見栄を張れればどれほどよかっただろうか。

 まるで射竦められた小動物の如く、ぴたりと呼吸が止まってしまう。

 それは久しく感じることのなかった生命原初の感覚であり、同時に、振りほどきたくとも追い縋る粘着質な感情。

 それは、恐怖だった。


 まさか。

 万に一つでもあり得るはずのない、身の毛のよだつある種の嫌悪ですらあった。

 アナスタシアに、ホロウに、認められずとも己の理想は果たさんとしていたはずの堅牢な意志が、ただの恐怖一つで瓦礫してたまるかと。

 己を奮い立たせることすら、できなかった。

 元“黒鉄”級冒険者に挑む時も、“オドラの民”に誘致された時だって…………いいや、右も左も分からない世界に飛ばされて決死の逃亡をしていた時も、初めて()()──()()()時だって、震えはなかった。

 常に合理と効率を重んじて、恐怖など拭い去ってきたはずだ。


 だというのに、何たる体たらくか。


「…………テリア嬢、どうやら君の助言は覿面だったようだ」


「そうやって~、他人事みたいにしてるから~。いつまで経っても並び立てないんじゃな~い?」


「これは手厳しい。善処しよう」


「ふ~ん。まあ、ここからはあたしじゃ~、どうしようもないしね~」


 我関さずを貫くわりには、的確な言葉を投げかける。

 テリアという少女について、図り損ねているようだ。

 真意を探っている己の視線に気が付いたのであろう、薄桃色の髪を揺らして視界から緩慢に外れていく。

 言葉の通り、彼女の親切心はここまでというわけなのだろう。


「君がホロウの友人で心強いよ」


 ぽつりと零した独白は誰にも拾われずに宙へと霧散していく。

 咀嚼した夕食の味などわかろうはずもなく、無味無臭の雑巾を嚥下しているような感覚に陥る。

 病は気からとは言い当て妙で、迷いがあるから切っ先が鈍る。

 やはり、逡巡している。

 己ともあろう者が迷っているのだ。


 受け入れられない恐怖に。


 苛み続ける孤独に。


 けれども、時間は過ぎて夜が更けるまで、答えなどそう簡単にはわからなかった。








 ❒❏❒❏❒❏❒❏❒❏❒❏❒❏❒❏❒❏❒❏








 生暖かいそよ風が頬を撫でる。

 月明かりに照らされて鈍く光る金髪を耳にかけて、改めて周囲を見渡す。

 視界に収まるのは緑一色の密林で、時折きらりと金色を見かけるも次の瞬間には、その姿は木々の奥深くへと駆けていく。

 見張りとは銘打たれているものの、仕事量としては嵩が知れている。

 なにせ、アデラ・ジェーン山脈へと入った当初はひっきりなしに襲ってきた野生の獣は、今では影のみをちらつかせるだけで敵意の欠片も感じ取れない。

 既に山の中腹を過ぎて生態系が変化したからなのか、それとも、ここらの地形等を知り尽くしているテリアの助言通りに進んでいるからなのか。

 その理由は憶測に過ぎない。

 けれども、確実に危険性は遥かに低くなっている。


 故にこそ、雑念を振り払うこともできずに、悶々と答えのでない問いに苦しめられる羽目になる。


 バチバチと爆ぜる焚火を眺めながら、夜食にと用意した干し肉をチビチビ咀嚼して物思いに耽る。

 そこに優雅な風情など介在しておらず、ただひたすらに胸の引き締められるような時間だけが過ぎ去っていく。


「あれは…………一体、なんだったのでしょうか」


 脳裏にフラッシュバックするは、克明に刻まれた最後の夜。

 アナスタシアでは目で追うことすらままならないような人間離れした動きを、いとも簡単に、まるで赤子の手をひねるようにいなしてみせたあの男。

 都合のいい夢を見ているのだと思えればどれほどよかっただろうか。


 断言しよう。


 あの男は、オドアケルと名乗る彼は決して強くない。


 単純な正面戦闘能力は平均よりもやや上方に位置していようが、それも中の下程度だ。

 非力な商人風情であるアナスタシアが、一体何様で…………とも思わなくもないが。

 それでも、彼は【権能】を用いても現役を退いて弱体化まで計ったロバートに辛勝する程度の実力しか保有していなかった。

 けれども、まさかオンに余裕を残して勝利するなど…………悪い冗談にしか聞こえない。


「何かが、彼を変えた何かがあるはず…………」


 自問自答しても意味はない。

 もう、既にアナスタシアの中では答えは出ている……というよりも、わかりきっている。

 人知を超えた存在については、たった一つしか知り得ない。


「【権能】。【運命識士(リードスペクター)】に違いありません」


 だが、解せない。

運命識士(リードスペクター)】の性能については“コンスタンティノープルの雪辱を晴らせ”作戦で仔細十分な説明を受けた。

【権能】を用いた戦闘手法など、一秒先の“未来”を文字通り先読みして回避と反撃に繋げる程度が関の山だ。


 先の夕飯の際にホロウとテリアにそれとなく探りをいれても、“龍人”のみが使用できるはずの“龍気”を彼がものにしていた点に疑問を抱いていた。

 手詰まりだ。

【権能】が絡んでいるまでは理解できるが、一体、何をもって超抜的な戦闘能力を獲得したのかには疑問が残る。


「こうも一人で考えずとも、本人へ直接聞けば問題ないのですけれど…………」


「それができれば苦労しないんだけどな」


「ぴゃっ……!? ホ、ホロウ……! 起きていたのですかっ?」


「可愛らしい悲鳴だな。そろそろ見張りの交代だ」


 思えば、長らく微動だにせず考えていたらしい。

 散漫になっていた注意力は、それ即ち、見張りとしての機能を果たせていなかった訳で。

 恥じ入るようにいそいそと荷台へと戻ろうとする傍ら、無意識のうちに彼の姿を視界に収めようとしている自分に気が付く。

 薄手の毛布を被り、寝息の一つもたてない男の存在から意識を逸らせない。

 未練がましいと思われようか。

 アナスタシアには彼が何をしたのか、いいや、そもそも彼が何を思っているのか皆目見当もつかない。


 せめて、何を思っているのか…………それさえ知ることができれば。

 魔が差した、のだろう。

 ホロウに声を掛けられる寸前まで【権能】の存在について思考していたことも要因なのかもしれない。

 詰まるところ、それはアナスタシアの不覚であった。

『悪人』の思考を読み取りたい一心で、本来なら尻込みするはずの行動にすら安易に手を染めてしまったのだ。


悪因叛逆(マリス・リフレクター)】──第一段階“悪意誘引”

 “コンスタンティノープルの雪辱を晴らせ”作戦にて当の本人から教わった、所謂【権能】の使用用途を逸脱した妙技。

 第一段階では相手の“悪意”を誘導する程度が関の山ではあるが、“悪意”に指向性を持たせるとは、それ即ち──相手の思考を覗き見ることを前提としているのだ。

 “悪意の誘導”までは食指が伸びずとも、その前段階である“思考の閲読”で【権能】の行使を止めればよいだけだから。


 少しでもいい、ほんの一端でも()()()くれさえすれば納得できよう。

 例え、理解不能な思考を重ねていたとしても、理解できるようにすればよいだけなのだから。

 そんな健気で、一所懸命な彼女の浅慮な行動は、所謂引き金に手をかけた状態だ。


 まさか、夢見の人間にすら断片的に存在しているはずの思考がなくて、まるで無機物に【権能】を使用しているような感覚に襲われて。


「……っ、!? 考えがないですって……っ!?」


 弾かれたように毛布を剝ぎ取ると、そこにあったのは土嚢を積み上げてさも横になっている人間を模った偽物で。

 裏切られたとは思わなかった。

『悪人』とは確信的な事柄についてこそ口にしないが、それでも背信的な行動を見せたことはないから。

 それでも、理解の及ばない領域においては不安が一挙に拡がってしまう。


 正常な、建設的で、合理的な状態のアナスタシアであれば…………きっとすぐにでも浮足立った自分に叱咤していた所だ。

『悪人』の姿形はなくとも、アデラ・ジェーン山脈の最中にあって行方をくらませる等と荒唐無稽な話はないと。

 そも、荷物は土嚢の近辺に転がっている上に、まさか手ぶらで遠方まで赴くはずもないと。

 現状ではアナスタシアに打てる手は残されておらず、明日にでも彼に問い詰めるだけだと。


「ホロウ……っ!」


 気が付けば飛び出していた。

 抱きつくなんて優しくはない。

 泣きつくように瞑想をするかの如く見張りの番を務めていたホロウの元へと駆けよってしまう。


「……っ、アナスタシア? 酷い慌てようだが……」


 怪訝そうに眉をひそめるホロウにちゃんと理論立てて説明しなければとする自制心は健在だ。

 しかし、呂律が上手く回らず、ただ指を指してみっともなく異常が発生したのだと伝える他にない。


「………………成程、『悪人』め。何かしでかしているとは思っていたが。寝床を空にして何をしている………?」


「ど、どうしましょう……ホロウ。今すぐにでも探しに行った方が……!」


「ああ、そうだろうが…………アナスタシア。君は落ち着け。深呼吸をして、周りをよく見ろ。君らしくない」


 ホロウの言葉はゆっくりと胸に染みていき、先までの狼狽が噓のように消えていく。

 そして、改めて状況を整理しようと思考を加速させる。

 …………まあ、それはホロウに泣きつくまでにしておくべき作業で。

 何よりもアナスタシアが得意とする分野であるにも関わらず、焦燥と不安に見事敗北した元商人の目も当てられない惨めな惨状を見せつけてしまって。

 年下の少女に諫めてもらって、ようやく現状把握ができるなんて…………大商会を立ち上げようとする人間にはあるまじき体たらく。


「ホロウ…………さっきのわたくしの様子。誰にも喋らないでくれませんか…………?」


「や、吾はよいが…………」


「……? わたくしはホロウに言って──」


「テリアちゃんには口止めしなくていいのかな~?」


「……っ!? 起きて…………っ!?」


「そりゃ~、同じ寝床でどたどたされちゃったら起きちゃうよね~?」


「え、あ……」


「ねえ~、ホロウちゃ~ん。アナスタシアちゃんってこんなに可愛いのね~」


「ああ。吾も最近気がついた」


 ニタニタと下卑た? 笑みを浮かべながら視線を向ける二人が鬱陶しい。

 仕方ないじゃないかと自分を正当化しそうになるものの…………テリアを起こしてしまった負い目から強くは出られない。

 というよりは、二人の間違った印象を訂正するよりも重要な問題が転がっているのだから、それどころかではない。

 決して、話題を逸らしたいわけではない。断じて。


「テリア、貴女は彼の不在には…………」


「気づけなかったね~。まあ、邑長を子ども扱いするような人がかんっぺきに隠密しちゃったら~、幾らテリアちゃんが“龍人”だからって限度があるのだよ~」


「吾も警戒はしていたのだが…………今の今まで気が付かなかった」


「…………探すべき、でしょうか」


 口ごもってしまったのは他でもない。

 彼が事の次第をアナスタシアたちに話していないのならば、詮索するなと言外に公言していると同義だ。

 その意図を汲み取って彼の帰りを待つ選択もできる。

 いいや、何を考えている? 彼の行ったことは明確ではないにしても背信行為に他ならない。

 誰にも告げずに一人夜中に出かける行動を許せるほど懐は広くない。

 だが、それでも…………。


「捜索は吾が一人でする。アナスタシアとテリアはここで待っていてくれ」


「……っ、ですが…………!」


「今のアナスタシアに夜のアデラを踏破することはできない。それに、吾の方が小回りも効くし、多少のトラブルであっても対処できる」


 正論だ。

 ホロウの言葉は一から十まで正しい。

 理路整然とした受け答えはおろか、的確な状況判断能力すら欠けているアナスタシアには自分の身すら守れない。

 足手まといになるのならば、無理を押し通してまで捜索に出るべきではない。

 簡単な衡量であって、商業畑の人間ならば秤にかけるまでもない選択。

 自分も探しに行きたいと訴える本能には抗いがたいものの…………ホロウやテリアに迷惑もかけられない。


 腹をくくろう。

 自分では現状、ホロウと共に捜索へは出られない。

 単純な肉体的能力もさることながら、自分でも分かっている通り…………冷静ではない。

 ならば、ここは大人しくしていた方が合理的だ。


「…………分かりました。わたくしは残ります」


「あ、ああ。テリア、アナスタシアを頼む」


「まっかせてよね~。だから、ホロウちゃん。『悪人』さんひっつかまえて拳の一つでもお見舞いしちゃえ~」


「そうした気持ちは山々だが…………一発で収まるかどうか、吾にも分からん」


「だからやめておくって~? 律儀だな~」


 軽口を交わしてはいるものの、ホロウもまた困惑と同時に怒りを隠しているのが分かる。

 けれども、それをおくびにも出さずに平静を保っている。

 流石はホロウだと思う反面、些末な感情の制御(コントロール)すらままならない自分が如何に矮小であるかを見せつけられている気分だ。

 準備も程々に「では行ってくる」と、まるで気負うことなく荷台を飛び出した小さな背中は、自分よりも遥かに大きいのだと気づかされる。

 背負っているものの大きさか、それとも、生来の器の差異か。

 どちらにせよ。ホロウの方が大局をよく見えているし、何よりも自制心が強い。

 素直に羨ましいのだと認めよう。

 そして、切り替えよう。


 彼の捜索には役に立たずとも、話を聞く程度ならば可能だ。

 そのためにも、昂る気持ちに冷水を浴びせ、理性を取り戻そう。


 いざ彼を連れ立ってホロウが帰還した時に、感情を優先させて叫ぶだけの傀儡(ぐぐつ)となり果てぬように。


 けれども、アナスタシアの意識は次なる波乱と混乱へと向けざるを得なくなってしまう。

 身の丈を大きく凌駕する殺意を滾らせて、周囲に鋭い視線を向けるテリアの存在に気がついてしまったから。

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