第71話 ロクスの大火災
それはニーアの異変より始まった。
ニーアには予知能力と思しき能力が備わっている。沈没する前の船から脱出を試みるネズミの群れのように、浸水する家屋の中を落ち着きなくウロウロする犬猫のように。これから起こるであろうあらゆる事態を事前に察知する、低い精度ながらそんな力がある。
急激に彼女は、ニーアは目を覚ます。隣には同衾しているシオンとベローズがスウスウと寝息を立てて眠っていた。真っ暗な闇夜、静けさが耳鳴りとして聞こえて来る、そんな夜半にムクリと目を覚ました。
「……?」
最初は何かしらの信号をキャッチしたような反応で、それが何なのか判断が出来ない。だが脳内にはモヤモヤと言い表せない不安感のような得体の知れない何かがゆっくりと渦を巻いている。
目を擦り、テーブルの上に置いてある水差しの水を椀に注いで一口。ニーアの予知能力はそのほとんどがあやふな、曖昧な感覚で表される。良い事も悪い事もだ。最近で一番ハッキリしていたのはシオンとの出会いの時だろう、頭の中に「川辺」「運命」「落とし子」と強くしっかりとイメージが湧いて来たのだ。それに従った結果今がある。
「ドウされましタ?」
「ん、ああ。何か……妙な感じが……」
隣のベッドではイリスがそこに腰かけていて、いつも中々起きないニーアに疑問を投げかけた。部屋の中には変わった事が無い、胸騒ぎはしかし徐々に強まっていく。
街灯も何もない都市部の通りには人通りの気配が無い。せいぜいが秋を迎えるチリチリと鳴く虫の声が聞こえるのみ、そこに風が緩やかに吹いた。
「……!煙!」
僅かな、イリスには察知出来ない程度の僅かな、炊煙とは違う種類の煙のニオイをニーアの鼻が捉える。ベッドを飛び出し、軋む木窓を開け、そこから顔を出して辺りを見回す。
さっきまでは僅かだった煙のニオイが少しずつ強く感じだす。ロクスの街の家屋はほとんどが木造で、それを昨日の明るいうちまで見ていたニーアの脳裏には冷ややかな感覚が頭をもたげだした。
「イリス、火が出る!火事になるよ!」
「!!シオン様!ベローズ様!」
ニーアが声を上げた瞬間だった、ゴオッ!と勢いよく1棟が急激な火に包まれる。その不自然極まる出火にニーアは一瞬だけ気を取られてしまった。明らかにおかしい、そんな勢いで燃えるならばもっと強くニオイや煙が出ていた方が自然だ。近隣の住人がソレに気が付いてもおかしくは無い、だが人の声も無く燃え方も異常。
事態は急変する。火のニオイ、煙のニオイがそこかしこから漂ってくる。ゴウッ!ゴウッ!とさきほどと同じように不自然な出火がほぼ同時に相次いだ。そして次には新しいニオイ、イヤな臭いが漂ってくる、油の焼けるニオイ、正しくはヒトの脂肪と毛髪、体毛が焼けるニオイだ。
「どうしたんですか、火事!?」
「シオン!ここから見えるよ、ベローズも逃げる準備をして!明らかにおかしい燃え方をしてる!」
シオンとベローズが飛び起きる、幸いなのかはわからないがこの宿には火の手は上がっていない。故に多少ながら落ち着いて装備を整える事が出来た。窓の外には新たに火の手が勢いよく上がり続ける、密集した木造の家屋にだんだんと延焼してゆき徐々にその異変に気付いた住民が叫び声を上げた。
だがこのロクスはそんな状況を事前に予防すべく通りによって細かく家屋を分断し、防火対策が講じられているのだ。
だが、その通りを挟んだ家屋からもまた勢いよく火の手が上がった。それを見ていたニーアはギョッとする、風は微風、火の粉も飛んでいない、だが火柱が上がるが如く火災が発生する。さらに新しく悲鳴を上げる住人。
早くも混乱した住人による阿鼻叫喚の火災現場が出来上がる。
「準備は整っているね?この宿もいつ火が回るか分からないからすぐに出るよ!」
一同はそれを号令にし、すぐさま宿の外に出て退避行動に移る。宿の外、ロクスの通りにはすでに沢山の退避する住人が溢れそうなほどに逃げていた。深夜のはずが明るい、それは当然出火による明りでそうなっている。すぐ近くの2階建ての窓から逃げようとしている衣服に火が付いた老人が落ちた、転んだ子供の浮浪者が走って逃げ惑う何人もの住人から踏みつけられ動かなくなる姿が見える、子供と妻がまだ中に!と叫ぶ冒険者風の男、どこからかは赤ん坊の泣き声。
それは地獄の様相をありありと照らし出していた。
シオンは絶句する。未だ経験、体験した事の無いどうしていいか分からない大きすぎる災禍、火災。足の力、手の力が抜け、ブルブルと震える。ニーアはそんなシオンに気が付いて手を引いた、壁の近くまで退避するために。
「ニ、ニーアさん、カイハさん達……カイハさん達とルロイさんは!?」
「シオン!今は退避を優先させるのだわ!カイハ達はあの猫が、ファニがいるからニオイで気が付く、ルロイは身体能力で逃げられるのだわ!落ち着くのよ!」
蒼褪め、はた目からでもガチガチと歯の根があっていないシオン。動物としての根源的な火への恐怖心が表情に現れていた。動揺、混乱、恐怖、焦り、様々な悪感情はシオンの体を硬直へと導く。ベローズは舌打ちをし、シオンを抱え上げてニーア、イリスと共に壁際へと走った。
壁際には人だかり、シオンはその群れを端から見回すがそこにカイハ等とルロイの姿は見かけない。言い様の無い脱力感はシオンを地面にヘナヘナと座らせる。だが、ここまで逃げる事が出来たならば火に巻かれる事はないだろう。
壁際の住人たちはシオンのいる方向を見つめている。自分達を見ているワケではないと気付いたシオンは振り返った、そこにはロクスの街並みの一角が天も焦がせとの勢いで燃え広がっている光景が目に飛び込んで来る。
シオンは不意に泣きそうになった。絶望で、だ。
こんな時に雨が降ってくれたら、消防隊のような組織は?井戸水や街中を流れる川で消火活動、何でこんなに燃えているの?グルグルとそんな思考が頭の中を駆け巡るが結局は何も出来ない、どうする事も出来ない無力感がそんな無意味な思考を加速させる。
そんな組織はここには無いし、都合よく雨は降らない。壁の外には魔物が闊歩していて、これだけ火の手が広がっていたらもう手の付けようが無い。
力無く地面に座り込んでいるシオンの目の端に、火災のオレンジを背景に、何故かニヤニヤと笑っている1人の男が映った。その男は明らかにシオンを見ている、腕組みをし顔を歪ませた男は右手の甲をシオンに向ける。
するとその男からは黒い粒子が舞い上がり、一種異様な手へと変化した。
「13号、お仲間を助けに行かないのかァ~?」
その男の言葉を聞いた瞬間シオンは瞬間的に悟る「追手だ」と。そして同時にこの火災の原因はこの男にあり、そして更にその原因をロクスに呼び寄せ、関係のない人を巻き込んだのは自分だと、悟った。
男はニタニタと笑いながら火の手の上がっていない通りへと姿を消した。




