最果てのヴェローニャ①
降り注ぐ雨が容赦なく体温を奪っていく。何処で何を間違えたのかと、上手く回らない頭で考える。油臭い下水の悪臭に包まれ、泥の溜まった石畳の上に転がって考える。
『何もかもだ。』
誰かが嘲笑った気がした。
『最初から何もかも間違えていたんだよ。』
曲がりくねった道を歩いて行く誰もが、倒れたクレオールには目もくれずに通り過ぎて行く。身なりの良い商人も、足を引きずりながら歩く乞食も、傘を手にした聖職者も、仕事に向かう娼婦も、家路を急ぐ幼子も、そして封印者も。
最果てのヴェローニャはそういう街だ。
『子供が此処へ来たのが間違いだったんだよ。』
と誰かが嗤う。
幼いころは女子によく間違えられた、線の細い顔立ち。これと言って特徴のない赤毛。何処か拗ねたような目つきのそいつは執拗に繰り返す。
『だから言ったのに。』
クレオールと同じ顔をしたそいつは賢しげに続ける。
『だから止めておけと言ったのに。』
五月蠅い、と思うが起き上って反論する力も無い。痛みと空腹で吐き気がする。雨と石畳に体温を奪われて、もう指一本動かせない。
「……だから言ったのに!」
とうとう女の幻聴まで聞こえて来る。一際高い声で、苛立たしげに告げた。もう俺をそこまで責めなくてもいいじゃないかと思うが、声は止まらない。
「あんなの止めておこうって言ったじゃない! 案の定、大失敗! 明日からどうするのよ!」
「いやぁ……まぁ、そうだなぁ、困ったよなぁ……」
クレオールは答えていないのに、酷く疲れたような男の声が応じた。全く持ってその通りだ。声に出さずにクレオールは同意する。つまり、ありふれた話なのだ。何もかもを間違える男と、責める女という構図は。道端で倒れていても聞こえてくるくらい、溢れ返っている。
「メグのヒステリーはさておき、治療者が居なくなったのは困ったにょん。しかもあの神官、聖職者の癖にギルドに置いてあった現金全部持って行きやがったぐしゃー」
まったりとした変な声が2人の会話に割り込んだ。ぐしゃー? これも幻聴なのか。耳に汚水でも入ったせいでおかしな風に聞こえたのか。クレオールはほんの少し頭を動かして彼らを見上げた。指一本動かせないと思ったのに、まだ何処かに残っていた下らない好奇心がクレオールを動かす。
クレオールが尋ねたわけではないが、角ばった声が問う。
「何だそのぐしゃーは」
「決意表明的なやつにゃ。今度会ったらすり潰すよ。てへっ!」
「そうかー。あの野郎をすり潰すのはミスティに任せるとして……そうだなぁ。治療者なぁ……」
男は立ち止まったようだった。分かっているのか、いないのか。わざとらしい溜息を1つ吐き出す。
「まぁ、いないと困るよなぁ。どっかに落ちてないかなぁ……あれ、こんな所に行き倒れが」
「リーダー?」
女――というか、まだ少女と言って問題無い年齢だろう。彼女は心底嫌そうな声を上げる。
「まさか、まさかとは思うけど、またやるつもりじゃないでしょうね?」
金属製の杖に、幾何学模様が刺繍された布を何枚も重ねたような服。雨避けのフードの下に、白い小さな貌があった。耳元や首元で、鮮やかな色の大きな鉱石飾りが揺れている。伝統的、かつ一般的な魔法使いの出でたちだ。
「あー、治療者がいないと困るなぁ……こんな所に緑の神官服の少年が落ちてるなぁ……どうだい、少年?」
薄汚い犬でも拾うように、男がクレオールに向けて手を伸ばしてくる。革の手袋、鈍色の金属の籠手。何を言ってるんだこの人は。クレオールはわずかに目を細める。
「死んでいるのかもしれないじぇ」
先ほどからおかしな話し方をする少女が、金属で補強された長靴の先で脇腹をつついてくる。やめろよ、とクレオールが唇を震わせると、それを見た男が笑み交じりに言った。
「いやぁ……そんなことはなさそうだぞ。よっ……と」
クレオールが答える間もなく、男はこちらの服の襟首を掴んで来る。無理やり立たされて男を見上げた。男の方も、クレオールの顔を確認するように兜のバイザーをあげたところだった。
話し方からして意外と言うか、他のメンバーの年齢から考えて当然と言うべきか。存外若い。少年と呼ぶのは無理があるが、立派な大人かというと微妙な所だ。
まだ夕方なのだが、雨のせいで視界は悪い。そんな中でもはっきりと分かるくらい、彼の目の下には酷い隈がある。それ以外は、それなりに整った顔立ちの青年だ。
板金の胸当て。その下には鎖帷子。やけに使い込まれたような長剣を腰に下げている。ヴェローニャの何処にでもいるような戦士だ。
「やぁ、少年。何処のギルドの子だい?」
何処でもない。人でなしの封印者になんてならない。めでたく俺はここで降りる。今度は他人を騙さず、自分を騙さないような真人間に生まれ変わるんだ。そう答えるつもりではあった。
「……まだ、何処のギルドでも、ない」
クレオールが言うと、青年は満足そうに目を細めた。
「そりゃあ、好都合」
青年の言葉を聞きとがめた魔法使いの少女は、猛烈な勢いで喚く。
「リーダー! 神官拾うのはもうやめなさいよ! 先月失敗して昨日痛い目に合ったばっかりでしょ!」
拾う、という言葉が引っかからないでもないが、確かに言葉通り拾われかけているクレオールには反論しようも無い。喚く少女と青年の両方に言ったのは、変な話し方の少女だった。
「でも真っ当な神官は封印者になんてならないもげ。神殿とか田舎とか森の中で祈っているもげもげ。真っ当じゃない中でせめてマシなのを拾うなら、若くて困っているのを拾うに限るもげもげもげ」
魔法使いの少女は心底嫌そうに口を挟む。
「あーもう! もげもげ何で増えるのよ! 鬱陶しい!」
どうやら語尾にだけ文句をつけたのは、そこにしか文句をつけられなかったかららしい。苛立たしげに杖で地面を引っ掻いて、雨に濡れた髪を掻き上げた。
封印者をやっているのが勿体無いくらいの、綺麗な顔立ちが露わになる。ほっそりした頤に、柔らかそうな唇。気の強そうな瞳は不機嫌そうに細められていた。
「もげもげもげもげ……飽きたからもうやめるがぉ」
がしゃり、と装備を鳴らしておかしな話し方の少女が一歩近付いてくる。
「きったない少年だぴょん」
言葉とは裏腹に、やけに愉快そうだ。琥珀色の長い髪を三つ編みにしている。少女の割に、けっこう背が高い。クレオールとほとんど変わらないだろう。
少女はやけに重そうな装備で身体を覆っていた。頭部の上半分だけを覆う兜、肩当て、幾つもの金属片が打ち付けてあるブリガンダイン、腕甲、脛当て……銀色のパーツ1つ1つに、月と五芒星の刻印がある。聖騎士か。
クレオールが少女を観察したように、彼女もクレオールを観察し終わったようだった。ふんふんと歌うように頷いて、クレオールを摘み上げている青年に尋ねる。
「神官。レアっぽい生き物。拾っておくー? おいちゃう? 夢見て踊ってまたまた裏切られちゃう? またぐしゃー候補かにょん?」
「おーいミスティ。何ではじめっからすり潰し前提なんだ……心から信頼できる仲間候補、の方がお互い幸せだろ」
「ふへへへへ! 愉快だじぇ!」
ミスティ、と呼ばれた聖騎士の少女は笑ってクレオールと青年を見比べる。クレオールの顔に何を見たのか、不意に笑みを消して低い声で続けた。
「……そんなのは期待していないし。治療法術が使えて、ギルドの資金を持ち逃げしなければ何でも良いよ」
「ミースティ―?」
「冗談にゃーん」
リーダーらしき青年に名前を呼ばれて、ミスティはわざとらしいくらいわざとらしく首を傾げて舌を出した。てぺ、と妙な擬音まで付いてくる。雨に濡れた琥珀色の三つ編みが、顔の両側でゆらりと揺れた。
「よしよし。それじゃあ、持って帰るかー……あぁ、ダイキリがうるさいかもな……」
何に納得したのか、リーダー男はそのままクレオールを何処かへ引きずって行こうとする。いやいや待って。俺の同意無しに俺を動かすなんて。そう言い掛けると、魔法使いの少女が言葉を被せて来る。
「大したことじゃないでしょ。あの馬鹿がうるさいのはいつもの事だし。それにしてもリーダー、本当に拾って帰るの? 本人は不本意そうよ」
「んー……?」
彼はほんの少しクレオールを見下ろして微笑んだ。
「人生なんて不本意なことだらけさ……本当に嫌なら、明日にでもどっかに消えてるだろ」
「お人好しめ」
居たことを忘れてしまうくらい、存在感の薄い男が囁いた。
「馬鹿なことだぉ」
聖騎士の少女も笑う。
「……それなら、宿までずっと引きずっていったら可哀想でしょ。脚くらい持つわよ」
魔法使いの少女は宣言通りクレオールの足を抱えて歩き出す。
「メグはツンデレ魔女っ子だじぇ」
「2度とそれ言うんじゃないわよ」
茶々を入れるミスティに、魔法使いの少女は凶悪に唸った。
荷物のように運ばれながら、クレオールはどうにでもなれ、と思う。どうにでもなれ。リーダー男の言う通りだ。明日。明日になったら。明日まで生きていたら。そうしたら、明日は好きな所に行くから。




