第四十七話 大地下
「奴隷の件ですが・・・受けたいと思います」
言った。
言ってしまった。
覚悟はしてきたつもりだけど、いざ口に出してみると、これは・・・。
「・・・え!!」
エルマさんは。
惚けたあとの一声。
続く呆然とした表情。
「ミュリエルさんを僕の奴隷にするという話。ミュリエルさんの気持ちに変わりなければ受けたいと思います」
呆然とした顔のまま目にはうっすらと光るものが。
「・・・」
次第に表情を取り戻し、泣き笑いのような顔になるミュリエルさん。
すると。
「ありがとうございます!」
今度は踊躍しそうな勢いで答えてくれた。
ありがたいことだよなぁ。
これだけ喜んでくれるんだから。
「感謝するのはこちらの方ですよ」
「いえ、そんな」
「とにかく、よろしくお願いします」
「はい、はい!」
二つ返事だ。
ホント、俺なんかには勿体ないよ。
でも、まだ話があるんだ。
「それで、少し条件と言うか、提案があるのですが」
「はい?」
少し不安そうな顔になるミュリエルさん。
「まず、2人の関係についてですが」
さて、解って下さいよ、ミュリエルさん。
「エイドスの上では奴隷ですが、実質的には異なる関係でお願いします」
「えっ?」
「たとえば、友人とか同僚とか」
顔が曇る。
「・・・そういうわけには・・・」
だろうね。
ミュリエルさんなら、そう言うと思っていた。
なら。
「では、被用者とか部下とか、そんな関係でお願いします」
これは飲んでもらいますよ。
そうじゃないと、こっちが困る。
「・・・」
うーん。
すごく困った顔してる。
そんなに受け入れ難いかな。
ミュリエルさんにとっては、そうなのかも・・・。
でも、俺も譲れない。
なんとか理解してもらいたい。
この条件を了承してもらえないと、上手くやっていく自信が持てないから。
だいたい、元日本人の俺が奴隷を持つなんて、重すぎるわ。
しかも、その相手が親しくしているミュリエルさんなんだから、無理無理。
せめて、これくらいでないと・・・。
数瞬の沈黙の後。
かぼそい声で。
「命令・・・ですか?」
「いえ、お願いです」
再び黙考。
しかし、今度はすぐに。
「でも、断れないのですよね」
「・・・」
ええ、まあ・・・。
「だったら、私に選択の余地は無いです」
決然とした表情で答えてくれた。
「ハヤト様がどうしてもという事でしたら、従うだけです」
よかったぁ。
受け入れてくれたよ。
でも、従うとかそんな話じゃないんですが。
ん?
結局、そういう事になるのか。
うーん・・・。
「部下としてお仕えしたいと思います」
「・・・お願いします」
まあ、よかったかな。
とりあえず、一つ目はクリア。
「それで、呼び方はどうすればよいですか?」
もう一つ提案しようと思ったら、今度はミュリエルさんから。
呼び方?
考えてなかったけど、どうなんだろ。
「ご主人様、主様・・・」
「いや、待って」
だから、部下だって。
「はい」
「えっと、今までと同じでいいです」
「ハヤト様と?」
「ええ」
「では、これからもハヤト様と呼ばせていただきます」
ハヤトとは呼んでもらえないだろうし。
まあ、これくらいは仕方ないよな。
うん、ご主人様なんかよりは遥かにましだ。
ご主人様って・・・イタすぎる。
しかし、ミュリエルさん、あまり機嫌良くないのか。
やっぱり、奴隷ではなく部下というのが気に入らないと。
はぁ~。
ちなみに、様付けからさん付けに変更して貰えないかと後日提案したけれど、却下されました。
ふぅ・・・。
予想以上に疲れてきたぞ。
まだ話は途中なのに、既に気持ちで押されているかも。
おかしいなぁ。
でも、まだ続けねば。
「で、次ですが。話し方についてです」
「はい」
「もう少し気楽に話して下さい。敬語なんかもなるべく無しで」
「目上の方に敬語無しで話すというのは難しいです。それに世間体もあります。やはり、敬語で話すべきだと思います」
うっ、なんか圧力が。
・・・。
でも、正論だ。
実際、対外的にも正式には奴隷という身分になるわけだし、敬語無しというのもおかしい話だよな。
それに、様付けで呼びながら敬語無しも変な感じになる。
まあ、分かってはいるんです。
分かっているけど、もっとこう、気楽な関係っていうか、そのね・・・。
で、話し合った結果。
他人の目がある時は、完全に敬語で。
2人きりの時には、なるべく敬語を少なくするということで納得してもらいました。
うん、納得してくれたと思う。
多分・・・。
その後、ミュリエルさんからの提案もありました。
俺の方こそ、敬語は止めて欲しいと。
さん付けでも呼んでくれるなと。
実情はどうあれ、人目もあるから敬語を使うのは不自然だと言われました。
まあ・・・了解しましたけど・・・。
ということで、まだ口約束ではあるけれど、2人の間では仮契約完了。
年明けに、奴隷商ギルドでエイドスに記してもらうことで正式に契約を完了させるということになりました。
「もう一つ、これは確認でもあるんだけど」
「はい」
「本当にいいんですね」
「勿論です」
「分かりました。でも、今後気持ちが変わった時には必ず言って下さい」
そう。
ミュリエルさんの意に反してまで奴隷の身分でいてもらうつもりはない。
考えが変わった時には、すぐにでも奴隷の身分から解放するつもりだ。
奴隷商ギルドの不文律なんかはどうでもいい。
そこは、何とでもしてやる。
「必要ありません」
そんな事を考えていた俺に対して、迷いの無い言葉を口にするミュリエルさん。
俺の目を真っ直ぐに見て・・・。
どうして、そこまで思ってもらえるのか分からないけど、本当にありがたいことだ。
でも。
「一応、頭には入れておいて下さい」
何が起こるか分からない。
考えも変わるものだ。
だから、心には留めておいてもらわないと。
「・・・」
納得いかないようだけど、今はこれでいい。
「では、話はこれで終了です。すぐに新年がやって来ますが、よろしくお願いしますね」
今できる精一杯の笑顔で握手を求める。
ミュリエルさんも、笑顔で応えてくれた。
「は、はい。こちらこそ、よろしくお願いします。でも・・・」
うん?
「来年からは、その話し方やめて下さい」
「・・・」
お洒落なレストランでのプロポーズも無事に終わり、新年まではあと数日。
少しやりたい事もあるので、それをこなしている内に気付けば新年という感じなんだろうな。
俺がこの世界に来て初めて迎える新年。
色々あったけど、ホント色々あったけど。
何とか新年を迎えることができそうだ。
新年。
俺は成人になり。
ミュリエルさんは俺の奴隷になる。
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ミュリエルさんとの話も終わり、少し肩の荷が下りた気がする。
ということで、今日は1人で地下迷宮の探索に行くことに。
エルマさんには黙って1人でこっそりとだ。
朝から鍛錬をして、昼前には迷宮に到着。
仕事は・・・。
今はまだ余裕があるということで・・・。
さてと、骸骨と赤鬼のいた地下の部屋はひとまず保留。
で、どこを調べるかというと、残りの地階だ。
年明けにエルマさんと2人で探索する予定だったんだけど。
先日のエルマさんの様子を見るとなぁ。
ということで、1人で探索。
・・・。
うん、正直に言おう。
新年まで待てなかったのです。
エルマさん、ごめん。
この迷宮。
まだ調べていない地階が4つ残っている。
そこを降りて、地下を探索したい。今までの経験からすると、おそらく他の地階も骸骨や赤鬼みたいな強力な魔物に守られているんだろうけど、そこは実際に確認しないとな。
まず、一つ目。
階段を降りて通路を進み大広間へ。
ここまでは赤鬼のいた地階と同じだ。
圧迫感のような異様な雰囲気も同じ。
調べるまでも無いのかな。
まあ、ここまで来たんだから。
ということで、大広間に足を踏み入れると、予想通り発光が始まった。
現れたのは、やはり骸骨兵たち。
戦うのは・・・止めておこう。
骸骨が動き出す前に階上へと脱出。
次の地階も探索。
同様だった。
更に次も同様。
これで、4つの地階がほぼ同じような造りということが分かった。残り1つも同じなんだろうなと思うけれど、とりあえず確認はしたい。ということで、最後の地階へ。
うん?
今までとは違うような気がする。
階段を降り通路を進むと、その思いが強くなる。
その感覚は・・・当たっていた。
まあ、感知結界でなんとなく違いがあることは分かっていたんだけど。
で、その地下部屋はというと。
これぞ自然の洞窟といった感じ。
階上や他の地階の部屋には、どこか人の手が入っているような箇所があったんだけど、ここでは人の残滓を感じることができない。人工物の雰囲気が全くない。
まさに、天然物。
荒々しい岩肌がむき出しのこの空間。
幅30メートル、高さ10メートルくらいの空間が見渡す限り前方へと続いている。感知結界でも、その果てを感知できない。そんな地下空間は階上よりもかなり薄暗い。クリスタルの発光が少ないみたいだ。
では、奥を調べてみるか。
薄暗い上に足下も悪いので、時間がかかってしまう。
200メートル程度進んだところで歩を止める。
そこには大きな穴が空いていた。
谷のような穴。穴の向こうまでは50メートルほどの幅がある。
なんとも不気味な大穴だ。
身を乗り出して谷底を覗いて見る。
底が見えない。
魔法で火の玉を造り出し、底の方を照らしてみても・・・見えないな。
通常の感知結界でも分からない。
ならば、精度を下げて感知範囲を広げてみる。
ゆっくりと、徐々に下へと広げ。
・・・。
これは深い。
何となく感じることができる底までの距離は相当だ。
落ちたら、ひとたまりもないな。
うん?
かなり下の方に水の流れを感じる。
地下水脈でもあるのか。
まっ、とりあえず前へ進もう。
大穴のちょうど真中に石造りの橋がかかっている。
この橋・・・人工物だよな。
この空間には珍しい。
でも、助かった。
これで、先に進めるから。
橋を真っ直ぐ進めば穴の向こう側に辿り着けるだろう。
で、この石橋・・・なかなか頑丈な造り・・・かな。
幅2メートル、長さ50メートルの石橋、なのに橋脚なんかは無い。
構造力学は詳しく知らないけど、これ大丈夫なんだよな。
恐る恐る、一歩踏み出してみる。
・・・二歩、三歩。
まあ、大丈夫かな。
ゆっくりと慎重に、さらに数歩進む。
良かったぁ。
想像以上に丈夫そうだ。
と安心したところに嫌な感じの発光が。
魔法陣!?
まずいと思った時には遅かった。
「えっ!?」
次の瞬間、俺は5メートル横にいた。
石橋の横5メートル。
もちろん、そこはただの空中。
俺は空中に投げ出されていた。
暗闇の中、真っ逆さまに落ちていく。
初めてこの地下迷宮に来た時も落下したんだけど、その時とは比べ物にならない。
やばい、まずい。
このまま落ちたら、死ぬぞ。
パニックになりかけながらも、できるだけ冷静に感知。
底までの距離を測る。
冷汗が滴る。
あと50メートル、40メートル。
これは、もう。
30メートル。
試すしかない。
無詠唱で可能な限りの最大威力水弾を真下に放つ。
無詠唱でできるか?
できるよな。
頼む。
あと10メートル!!
よし!
掌から強力な水弾が。
その反作用で落下速度が軽減される。
が、落下を避けることは当然できるわけもなく。
俺は地下水脈に突っ込んだ。
直前に魔力と気で身体を覆いながら。
遠く、近く、耳を撫でる。
誰に咎められることも無く、音色がそのまま中に入ってくる。
それは何か欠けているものを補うかのように、満たし、癒してくれる。
・・・。
ゆっくりとした律動。
世界がたゆたっている。
・・・心地いい。
ずっとこうしていたい。
冷たくて気持ちいい・・・。
・・・。
・・・冷たい・・・。
「うっ」
さ、寒い。
なんで??
何が?
「ううっ」
小さく呻きながら目覚めた俺の全身は水に濡れそぼっていた。
水を吸った服が皮膚にまとわりつき、それがさらに身体を冷やしている。
確かに、それを感じる。
が・・・見えない
「・・・何も見えない」
ここは?
なぜ真暗なんだ。
何が?
「??」
・・・あっ。
そうか。
橋から落ちたのか。
迷宮地階の探索中に橋から。
そう。
橋を歩いていると、いきなり横に飛ばされたんだ。
なぜ?
飛ばされる時、物理的な衝撃は感じなかった。
あの発光・・・魔法陣なのか。
俺が感知できないような魔法陣が仕掛けてあったと。
5メートル横に転移させる仕掛けの魔法陣。
何だよ、それ。
石橋に魔法陣を仕込んでいるなんて。
たちが悪い。
しかも、真横への転移って・・・。
まあ、転移と決まったわけじゃ無いんだけど。
ホント、一体どうなってんだよ、この迷宮。
・・・。
で。
俺は・・・生きてるよな。
思わず頬をつねりそうになる。
が、冷たい・・・。
そう感じるということは、生きているか。
うん、まだ俺は生きてる。
で、ここは迷宮の地下のさらに遥か奥底にある場所のはずなんだが。
・・・。
本当に真暗だな。
右も左も分からない。
なので、まずは火の玉を作り出し周囲を観察。
ほぉ・・・。
幅30メートル、高さ20メートルほどの空間が続いている。
その真中には5メートルの幅を持つ川。
なるほど。
俺はこの川の浅瀬に半身を浸しながら今まで気を失っていたと。
「うぅ、寒っ」
そう気付くと、冷たさが増してきた気がする。
水に浸かった半身が冷たいので、とりあえず這い出る。
このままじゃ駄目だな。
火魔法で服を乾かすか。
もう一つ適度な大きさの火の玉を作り、服を乾燥させていく。
「さてと」
まずは、状況分析からだ。
迷宮の地階を探索して、そこにあった大穴にかかる橋を渡っている途中で、なぜだか橋の横に放り出され。
そのまま落下。
ここの地面に衝突する寸前に水弾で落下の衝撃を軽減。
そして地面に衝突・・・いや、川に落ちたのか。
しかし、あの瞬間に無詠唱を良く選択できたな。
我ながら良くやったよ。
そういえば、走馬灯現象も起こらなかったな。
案外、冷静だったのかも。
とはいえ、無詠唱に成功したのは、ホント驚きだ。
魔法の無詠唱発動は、ずっと練習を続けているけど、成功率が低かったから。
これを契機に無詠唱の成功率上がるかも。
と、話が横にそれた。
それで、谷底を流れる川に落下。
幸運にも致命傷を負うこと無く、川に流され浅瀬に行きついたと。
そんなところか。
で、俺の身体は・・・。
痛みはほとんど無い。
頭、首、腹、背中、腰、手、足・・・問題無い。
外傷もない。
怪我していないのか!?
さすがに、それは変だろ。
いくら俺の身体が頑丈でも、落下前に魔法で衝撃を緩和しても、魔力と気で身体を保護しても、無傷というのは・・・。
ステータスも確認してみる。
体力、魔力共に満タン。
減っていない。
ホントかよ?
あの高さから落ちたのに・・・。
気絶している間に回復したとか。
いや、いや・・・そんなに長く気絶してたのか?
うーん・・・。
考えても無駄だな。
今はこの奇跡に感謝して先に進もうか。
今は地下迷宮の最下層とも思われる場所。
身体は万全。
ならば、ここを探索しないという選択肢など無い。
何かあったら地上に戻ればいいんだから。
地上に戻るのも問題ないだろう。
まずは、自力での脱出を模索してみるけど、無理なら転移石を使えばいい。
転移石を使えばレントに戻れるはずだ。
使うのはもったいないけど。
転移石の効果は・・・大丈夫のはず。
転移石を次元袋に入れておいて良かったよ。
「・・・」
次元袋・・・。
えっ!
えっ、え!?
「・・・」
次元袋が・・・。
無い。