9.
入学式が終了し、新入生たちは三々五々ホールから移動し始めた。
このあと、休憩を挟んで各教室に集合することになっている。
(あっ、今ならウーゴさんに話しかけられそう)
「少し話をしたい人がいるんだけど」
マルティーナはウーゴを呼び止める前に、オリビアに断りを入れた。
「少しなら待ってるけど?」
「よければ、先に行っておいてほしいわ」
「わかった、そうするね」
自分からそうしてほしいと望んだくせに、その後ろ姿が見えなくなった途端に心細くなった。
(私のせいで、ウーゴさんが王族に睨まれることになっていたりでもしたら……)
そう思うと不安が押し寄せ、緊張で強張る。
マルティーナは胸に手を当て、ひと呼吸置いてからウーゴに声をかけた。
「ウーゴさん」
しかし、そんなマルティーナの声色に気がつかなかったのか、ウーゴは柔和な笑顔で振り向いた。
「おう、同じクラスだったな。これからはクラスメイトとしてよろしく」
「こちらこそ。ところで、昨日のことなんだけど……」
「昨日? 何だっけ?」
マルティーナは声を落とした。
「ほら、さっき新入生代表で挨拶した人に連れていかれたでしょう?」
「ああ、ルーカスな」
「ル……!?」
気安い呼び捨てに、背中が震えた。
「い、いいの? あの人、王族なんじゃ……」
「ああ、そうだって。第3王子って言ってたかな?」
マルティーナの驚愕をよそに、ウーゴは淡々と答えた。
「第3王子を呼び捨てしていいの?」
「俺だってもちろん最初は『殿下』って付けたよ。だけど、あっちから『やめてくれ』って。『王位継承権はもってるけど、王位に就く可能性は限りなくゼロに近い』んだって」
(だからって、本当に……?)
「学院の外ではマズいらしいけど、中では学友同士、気楽に呼びあおうってことにしたんだ」
「学友同士……」
「そう。俺たち友達になったんだ」
「友達になりたくて、わざわざあんなふうにウーゴさんのことを連れ出したのかしら……」
質問というよりは独り言に近かったが、ウーゴはにこにこしながら『うん』と答えた。
「話はそれだけだったの? ほかには?」
ウーゴの表情は寸分も変わらない。
「まあ、雑談もしたかなー」
同じにこにこ顔で答えた。
(雑談以外もしてそうだけど、教えてくれるつもりはなさそう)
「脅されたりとかは……」
ここでようやく貼り付けたような笑顔が剥がれた。
「ない、ない! ルーカスがそんなことするように見えるか?」
「……ええ、正直」
「何があったら、3日目でそこまで印象が悪くなんの? そんなやつじゃないって!」
(ウーゴさんこそ、どうして3日目でそこまで必死に庇うの?)
けれど、ウーゴの言葉に嘘はなさそうだ。
ひとまずマルティーナと係ったせいで、余計なトラブルに巻き込まれたりしていないことがわかっただけでも十分だ。
安心したところで、マルティーナは周囲が騒がしくなっていることに気づいた。
「何かしら?」
ガヤガヤしている方角に視線を向けた。
そこは、どうやら中庭になっているようだ。
上級生と思しき学生が、テーブルをセッティングし始めていた。
「歓迎パーティーの準備か何かだろ」
学院の外からも、カゴに山盛りにした野菜や果物が運び込まれている。
マルティーナが初めて目にする食材もある。
「屋外なのね。てっきり食堂でおこなうんだと思っていたわ」
「食堂だと、立食形式にしても、とてもじゃないけど全生徒は入りきらないんじゃない?」
「それもそうね」
見る見るうちに、ガーデンキッチンまで設置された。
「おっ、もしかしてその場で調理してくれるのかな」
「それ……」
オリビアたちの教えてくれたタローロのことに違いなかった。
「マルティーナさんは何か聞いてる?」
「い、いいえ! ただ興味あるなと思って」
「俺も、俺も。なんか、めちゃくちゃ豪華なご馳走が出てきそうな雰囲気するね」
(パウラは、ウーゴさんには内緒にするつもりなんだった。危なかったわ)
期待しているウーゴに対して、悪い気がするにはした。
けれど、何も知らずに食べてしまって大騒ぎしているウーゴに、パウラと一緒になって誠心誠意謝るのは楽しそうだ。
そうして3人で大笑いする光景を、ありありと思い浮かべることができた。
マルティーナはがんばって笑いを堪えた。
「そろそろ教室に行きましょうか?」
「そうだな、そうしよ」
(せめて、すぐに差し出せるように、飲み物ぐらいは用意しておこうかしら?)
さっき堪えきったはずの笑いが漏れてしまった。
何も知らないウーゴはのん気に言う。
「マルティーナさんは歓迎パーティーが本当に楽しみなんだねー」
「ええ。絶対楽しいもの!」
しかし、マルティーナたちがタローロの蒸し料理を食べることはなかった──