ChapterⅢ:彼女はアインザックウォルフ④
断崖を登り終えると、そこはアインザックウォルフの屋敷へ続く石造りの舗装路の上だった。その道をまっすぐ行くとアインザックウォルフの立派な門が見え始めてくる。
その前には微動だにしない人影が一つ。それを見つけるなり先を進むハーパーの歩調が強まる。
「お帰りなさいませ」
「バーンハイム!これは一体どういう事ですか!!」
ハーパーは屋敷の門の前に整然と佇んでいたバーンハイムへ怒鳴る。
「ふむ、成功したようですね」
しかしバーンハイムはハーパーの話を全く聞いていないのか、にっこり微笑みながらそういった。
「お嬢様、ワイルド様、お二人は吊り橋効果というものをご存知ですか?」
「吊り橋効果?」
思わず俺はオウム返しをしてしまう。
「はい。古い実験なのですが、脆い吊り橋を見知らぬ男女のカップル数組で渡らせたところ、その後に殆どのカップルが正式に交際を始めたそうです。この実験が何を意味しているのか……それは!恐れのある状況に男女を置くと、その二人の距離が急速に接近することに他なりません。どうして吊り橋効果を実践したか、それは……」
バーンハイムが目を見開き、気迫をみなぎらせた、ようにみえる。
「ワイルド様!是非、当アインザックウォルフ家の婿となって下さい!」
「「ええっ!!??」」
思わずに俺とハーパーは同時に叫んだ。相変わらずバーンハイムは一人で勝手に話を進める。
「本日、ワイルド様がバーレイの毒牙よりお嬢様を御救いしているところを見て私は確信いたしました!勇敢なワイルド様こそお嬢様の伴侶、アインザックウォルフを担うお嬢様の支えとして必要不可欠な方だと!」
「なっ……バ、バーンハイムッ!」
ハーパーは顔を真っ赤に染めて叫ぶ。しかしバーンハイムの言葉は止まらない。
「加えて!ワイルド様の勇敢な遺伝子こそアインザックウォルフを未来永劫存続させるために必要なのです!さぁ、ワイルド様準備はできております!ベッドメーキングは完璧です!いざ参りましょう、アインザックウォルフの未来のた……」
「いい加減黙りなさいッ!」
ハーパーの左拳が、バーンハイムの顎へアッパーカットを決めた。バーンハイムは、それこそ人形のように宙へ浮き、門に叩き付けられる。
「し、しかしです、お嬢様……では一体どうしてずっとワイルド様とお手をお繋ぎになっておられるのですか……?」
バーンハイムはよろよろと立ち上がりながらそう言う。するとハーパーは耳まで真っ赤に染め、弾くように俺から右手を離した。
「動揺されてどうしたのですかお嬢様?」
ハーパーのアッパーカットなどまるでなかったかのようにバーンハイムは涼しい顔つきでハーパーへ迫る。
「そ、それはその……!」
「どうなのですかお嬢様?」
「ああ、もう!バーンハイムのいじわるぅ!」
再びハーパーがアッパーを繰り出すが、バーンハイムはさらりと受け止めたのだった。
「さて、夜の冷えは体を悪くしてしまいます。中へどうぞ」
バーンハイムはさも何事も無かったかのように門を開けた。
「いや、さすがにもう遅いし俺帰りますよ。他のみんなも心配してると思いますし」
「帰られるのですか?」
気が付くとハーパーが俺のことを見上げていた。まるで寂しがる子犬のような視線が俺に突き刺さる。
「そ、そうですよね……お仲間の方が心配されますもんね……」
「あっ、いや、なんつぅーか……」
「大丈夫です!私大丈夫ですとも!だい……じょうぶですから……だいじょうぶでずがらぁ……」
なんて言いながらもハーパーは寂しそうに眉をひそめ、必死に涙を堪えていた。
「ワイルド様、どうぞこちらへ」
相変わらずバーンハイムはマイペースである。
「分かった分かった。じゃあ今夜は世話になるよ」
「本当ですか!!」
急にハーパーは泣き止んで、満面の笑みを浮かべた。
「さぁ、こちらです!」
「お、おい!」
ハーパーは再び俺の手を取って、屋敷の敷地へ踏み込んでゆく。
―――まぁ、ローゼズにはアインザックウォルフへ行くって言ってあるから大丈夫だろう。
広大な庭を抜け、屋敷の玄関に至る。今回は落とし穴は無し。改めて見ると、滅茶苦茶豪華な内装だった。レッドカーペットが至る所に敷かれ、壁の淵には全て金色の飾りが設けられている。屋敷の内部を照らす豪華なシャンデリアは一体何ペセするんだろう、と思わせるほど煌びやかだった。
そんな中を俺はハーパーに手を引かれ進んでゆく。やがて二階の廊下に、いつの間にか先回りしていたバーンハイムが居て、扉を開いた。
ハーパーに手を引かれるがまま、俺はその部屋へ連れ込まれる。
「ごゆっくりどうぞ」
っと、バーンハイムはさらりと言って扉を閉めた。
ハーパーが壁に触れると、部屋が橙色の光で満ちた。
「屋敷の中にコーン発電機があるんです!ですからランプに火を灯さなくても明るくなるんですよ!」
ハーパーは笑顔でそう説明してくれた。
暖色の光の中にぼんやり浮かぶ豪華なベッドや机が見える。部屋の隅の大きなハンガーにはドレスが沢山ぶら下げられていた。客間とは到底思えない。
「ここは?」
「私の部屋です」
「で、なんで俺はここに?」
「そ、それは……」
ハーパーは顔を俯かせた。
「どうした?」
「いえ、その……」
「?」
なんでハーパーの部屋に通されたのか分からない。それに世話になるとは云ったが、さすがにここに居るのは気持ちが落ち着かなそうだし、ここは女の子の部屋だ。
いつもだって俺はローゼズ達とは少し距離を置いて寝ている訳だし。
「どっか空いてる部屋無いか?俺、そこで休ませてもらうから」
踵を返すが、何かが俺の上着を引っ張った。
俯いたままのハーパーが俺の上着を指先でつまんでいた。少しハーパーの指先が震えているようにみえる。
「ハーパー?」
「……」
「もしかして未だ怖いのか?」
フルフル
「じゃあ……」
「あ、あの!」
ハーパーが顔を上げる。オレンジ色の輝きを浴びたハーパーがまっすぐ俺を見据えていた。
「ここではダメ……でしょうか?」
「ここって……マジ?」
コクリ。
まっすぐとハーパーが俺のことを見ていた。どうにも断りずらい雰囲気がハーパーから漂っている。
「……わかったよ。じゃあ、俺あのソファーを使うから……」
しかしハーパーの指先は俺の上着を摘んだままだった。
「あちらで……」
ハーパーは顔を俯かせ、肩を震わせながらそう言う。彼女の手が指し示す先、それは、
「あそこって、ベッド?」
コクリ。
「あそこはハーパーが寝るところだろ?」
「はい」
「だったら……」
刹那、ハーパーが思い切り俺の手を握り締めた。
「え、ちょっ!?」
あまりに唐突で俺は抗う術もなく、ハーパーに手を引かれベッドへ向かう。
これは、つまり、その!?
気が付くと俺は柔らかいベッドの上に押し倒されていた。
「ハ、ハーパー?」
「……」
ハーパーは俺の上へ跨り、顔を真っ赤に染め俺のことを見つめていた。
もはや逃れる術はない。それにこうなった以上、俺も男。覚悟を決める時が来たようだ。ハーパーは身体を僅かに震わせながら俺との距離を縮めてくる。
―――お袋、俺今日いよいよ男になるよ。グッバイ古き少年の日々!ハロー大人な新世界!
俺もまたハーパーを受け止めるべく身構えた。
しかし突然、ハーパーの姿が俺の目の前から消えた。
「あ……えっ?」
左腕にほのかな暖かさとわずかな重さを感じる。
そっちを見てみれば、ハーパーが俺の腕の上へ頭を置き寝転んでいた。
「ハーパー……?」
次第にハーパーの身体から震えが抜けてゆき、強ばっていた顔が穏やかになってゆく。
「気持ち良いですね、やっぱり……」
「気持ちいい?」
「はい……ワイルド様の腕はやはり暖かくて、逞しく、安心します……」
なんだかよくわからない。
「な、なぁ、ハーパーこれは?」
「腕枕ですが……ご存知ありませんか?」
「や、それぐらいは知っているけど」
「いきなりすみません……でも、どうしても私ワイルド様にこうして頂きたかったのです。……不快ですか?」
ハーパーは少し怯えた顔をしてそう聞いてくる。予想外だったけ、でも案外悪くない気もする。
「いや、全然」
「そうですか!それなら良かったです」
すっかり俺の腕の上で落ち着いたのか、ハーパーは柔らかい表情を浮かべていた。
「本当に気持ち良いです。なんだか守られている気がします」
「別に腕を貸してるだけだけどな」
「十分です。ワイルド様に出会えて、私幸せです……」
俺の腕の上でハーパーは柔らかい笑顔を浮かべた。俺の心臓は激しく鼓動しているけど、胸の中は優しい気持ちでいっぱいになっている。俺の手は自然とハーパーの頭へ向かう。指先に感じる、まるでシルクのようにサラサラとした黄金色のハーパーの髪は、こうして触っているだけで気持ちがいい。
「ふふ、どうしたのですか?」
ハーパーはいたずらっぽくそう聞く。
「ハーパーの髪、綺麗だなって」
「髪だけですか?」
「あ、いや……」
急にそんなことを聞かれちゃ、意識をしてしまう。
確かにハーパーは綺麗だ。透き通るような白い肌、稲穂のように輝く金色の髪、水晶のように澄んだ瞳。そんな彼女が今、俺の腕枕で微笑んでいる。
「すみません、意地悪が過ぎましたね」
「全くだ」
「私、ずっとこうして誰かに腕枕をして頂きたかったのです」
「どうして?」
「小さい頃に両親を亡くしまして……特にお父様は生前アインザックウォルフの当主として多忙な日々を送ってました。だから、私はお父様にこうして腕枕などをしていただいたことがないのです……ですから私は……」
ハーパーが顔を曇らせる。俺の胸がきゅっと痛む。
「ワ、ワイルド様?」
自然と俺はハーパーの頬に触れていた。
「もう良いよ、分かったから。俺ならいつでも良いから。こうしてハーパーに腕を貸すぐらいお安い御用だからさ」
「……はい。ありがとうございます、ワイルド様……」
沈黙が流れた。俺とハーパーの視線は重なり合ったまま、長い時間を過ごす。腕を伝ってハーパーの鼓動が感じられる。だからこそ、多分俺とハーパーの距離が段々と縮んでゆくのは当然だった。ハーパーの綺麗な華のような唇が俺の意識から離れない。
ハーパーもまた同じ気持ちなのか、俺に顔を寄せてくる。
ハーパーの甘い香りが俺の鼻腔を掠め、彼女に少しでも触れたいという欲が自然と沸き起こる。そして俺たちの距離は、手を伸ばさなくても届くまでに達し、そして……
「おんどりゃぁー!」
突然、奇声が聞こえたかと思うと扉が思い切り蹴破られた。




