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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第十章 佳月の幸福
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七  『宿命の座敷童子』

 辛うじて人が住めるであろうおんぼろ屋敷を遠くから眺め、走り出す月夜つきよの後を追いかける。だが、玄関から出てきた人物を見て足を止めた。


 驚くほどに見た目に変化がない、半纏とスウェット姿の中年男性は──あの芦屋雅臣あしやまさおみだったのだ。


「──ッ!」


 息が詰まる。月夜は構わず駆けていく。


「月夜ッ!」


 自分でも驚くくらいの、切羽詰まった声が出た。


「やっぱり君が月夜ちゃんか。そっくりだね、幸茶羽ささはちゃんに」


 自分の感情に不釣り合いな、穏やかな声だった。


「ささちゃんに会いに来たの! 呼んで!」


「構わないけど、寒いだろう? 中に入りなさい」


「えっ、いいの?」


「駄目だ!」


 こうなる可能性が高かったのに、何故こんなところに来てしまったのだろう。対面して初めて後悔する。心臓が早鐘を打っているせいか気分が悪い。


「君は陰陽師おんみょうじだからそう思うのだろうけど、大丈夫。取って食べたりしないから」


 困ったように笑う彼を見て確信した。芦屋雅臣は、ここに来た陰陽師が実の息子であることに気がつかなかったのだ。それはそれで腹立たしくて、視線を落とす。


 気づかないものなのかと、思った。五十メートルほど離れているが、自分はすぐに父親だと気づけたのに。


「いいからさっさと、幸茶羽ちゃんを……」


 その後の言葉が出てこなかった。

 再び開いた玄関扉から突き飛ばされた幸茶羽を見て、驚いた月夜が名前を呼ぶ。幸茶羽はさぁっと顔を青ざめさせ、自分をここまで引っ張ってきた真菊まぎくを見上げた。


「なんで!」


「話くらいしなさい。家族がわざわざ会いに来たんでしょ?」


「でもっ!」


「でもじゃない。血の繋がりは、切っても切れないの。無理なの。絶対。縁は切れないの、何があっても」


 彼女は幸茶羽を送り出し、ようやく結希が来ていることに気づく。そして咄嗟に傍らに立つ雅臣を見上げ、彼がまったく気づいていないことを悟った。


「…………」


 絶句。真菊でもそんな反応をするのかと思って、だからこそ心が落ち着いていくのを感じる。ずっと理解できない敵同士だったが、今だけは心が繋がっているような気がした。


「ささちゃん! 帰ってきて!」


 耳を塞ぐ幸茶羽に声をかける。


「お願いだからっ!」


 月夜の慟哭を幸茶羽は聞かない。誰も、幸茶羽が家出をした理由を知らなかった。


「どうしてそんなことを言うの……? ささはいらない子なのに」


「ささちゃんこそなんでそんなことを言うの?!」


「だって……姉さんが力を使えないのは、ささが生まれてきたせいなんだもん」


「そんなことない! そんなことないよささちゃん!」


「そんなことある! だって、ささたちは〝二人で一人の半妖はんよう〟なんでしょ? ささが生まれてきたから姉さんの力は半分なんでしょ? だったら、ささなんか生まれて来なかった方が良かったでしょ? その方が、この世界の為になるでしょ……?」


「そんなの嫌だよ! つきは……っ、つきはささちゃんと一緒じゃないとやだ!」


「なんで?! 姉さんには姉さんたちがいるのにっ! ささは……血が繋がってない人たちと一緒に暮らすことなんてできない! 姉さんたちが家族だって言うなら、ささが出ていった方がみんな幸せになれるでしょ?!」


「繋がってなかったよっ!」


 幸茶羽の動きが一瞬止まった。耳を塞いでいた手を僅かに離し、ようやく月夜の方へと視線を向ける。


「つきたちに、血の繋がりはないんだって」


 月夜の声は震えていた。彼女の手はとめどなく溢れる自分の涙を拭っていた。


「ぁ、」


「つきたちとお姉ちゃんたちじゃなくて、つきとささちゃん以外の全員が、そうだったよ」


 幸茶羽の思考を読んで告げる。幸茶羽の目は、混乱と絶望が混じった見ていられない目をしていた。


「お姉ちゃんたちは知ってたのに、なのに、つきたちを愛してくれた。抱き締めてくれたし、一緒にお風呂にも入ってくれたし、授業参観にも来てくれたし、美味しいご飯を毎日毎日作ってくれた。……いらない子なんて、言わないで」


 月夜も、幸茶羽も、姉の幸せを誰よりも願っていた。それは、座敷童子ざしきわらしとしての本能だったのか──与えられたものを返そうとしていただけなのか。

 姉の幸せを探して何もしなかった月夜と、姉の幸せになると信じて家を出た幸茶羽は、拳を用いず言葉を交わす。


「お姉ちゃんたちは今、みんな、《十八名家じゅうはちめいか》の頭首になって、百鬼夜行を止めようとしてる。死ぬかもしれないのに、家族を、つきたちを守るって言って笑ってる。つきは、ささちゃんがいないと何もできない。半妖の力を出すことも、頭首になることも、できないから……だからささちゃん、帰ってきて。つきとお姉ちゃんには、ささちゃんが必要なの。ささちゃんがいないと、ダメなの」


「でも、でもささは……」


「つきとささちゃんが一緒じゃないと幸せじゃないってお兄ちゃんも言ってた!」


「……でも」


 言葉が途絶えた。幸茶羽の隣に今までずっと立っていたのは、雅臣だった。


「迷っているなら帰りなさい」


 彼が幸茶羽を縛っているわけではない。優しく微笑む彼は確かに紫苑が語った通りの彼だった。


「ただ、俺が言えた義理じゃないけど、あの町は危険だよ。百鬼夜行は人を殺す、みんなで逃げた方がいい」


「……逃げられるわけないだろ」


 思わず声に出してしまった。聞こえていないと思ったが、読唇術どくしんじゅつで読み取ったのか雅臣は悲しそうに眉を下げた。


「そう、か……。やはりそうなんだね」


 何も知らない彼の態度にも腹が立つ。


「逃げられないから大勢死んだ。わかってるのか、あんたは」


「わかっているよ。だから、今回は絶対に逃げてほしいんだ」


「いや、違う。あんたは何もわかってない」


「そうかな。少なくとも俺は、君より長く生きてるよ」


「長く生きてるだけだろ。あんたはあの人たちのこと、何も知らない。あの人たちは絶対に逃げない、逃げられないんだ」


「いいや、逃げられる。物理的に縛られているわけではないのだから」


「……あんたに、人としての心はないのか?」


「……何を言っているのかな?」


 雅臣は、彼らがどういう思いで百鬼夜行に立ち向かおうとしているのかを本当に知らないようだった。

 結希がそのことを知っているのは、あの春の日に朝日あさひのおかげで百妖ひゃくおう義姉妹に出逢えたからだった。


「だから……」


 もしかしたら伝わるのかもしれない。彼の反応を見て期待を抱き、雅臣を、父親を、止める為に声を出す。


「〝父さん〟離れて!」


 瞬間に心を裏切られた。いや、真菊は最初から父親と同じく裏切り者だった。


「──馳せ参じたまえ、カグラ!」


 瞬時に姿を現したカグラは、赤髪を振り乱して結希の元へと駆けてくる。以前つけていた黒い布は一切なく、京紫色の瞳が結希を捉える。


「──ッ」


 式神しきがみを呼び出す暇などなかった。咄嗟に張った簡易結界はすぐに破られ、抜刀された刀が躊躇なく肉を裂く。


「お兄ちゃんッ!」


 月夜の絶叫が遠くの方から聞こえてきた。


「真菊ッ!」


 幸茶羽の責めるような声がだだっ広い野原に響いた。


「カグラ! そいつを出して! 今すぐに!」


「真菊、やめなさい! なんてことを……!」


「でも父さん! こいつは癌! 殺すべきよ!」


「駄目だ! 傷つけていい理由にはならない!」


 偽物の親子の会話も。


「ささちゃん! 来て!」


「っ」


「お兄ちゃん! 大丈夫?! お兄ちゃんッ!」


「…………」


 本物の姉妹の会話も聞こえてくる。

 幸茶羽が何か言っているように聞こえたが、それだけは聞き取れなかった。膝を折った結希は這いつくばり、溢れ出てきた自らの血を凝視した。


 痛い。しんどい。死にそうだ。


 それでも絶対に死ぬわけにはいかない。だが、月夜と幸茶羽では荷が重い。町までなんとか持ち堪えられるだろうか。それともこの近辺に病院はあるのだろうか。いや、陽陰おういん町に大きな病院があるのだからきっとない。どちらにせよ町まで戻らないと助からない。

 思考停止したくなるほどの激痛なのに、駆けつけてきた月夜と幸茶羽の心をなんとか守ろうとして必死に頭を働かせた。だが、出した結論はどうしようもないほどに残酷だった。


「ね、姉さん……! ど、どうすれば……?! どうすればいいの?!」


「落ち着いてささちゃんっ! つきたちは、〝二人で一人〟でしょ?!」


「でもっ、今まで二人でやろうとしたのに一回も成功できなかったじゃん! そんなの無理! できないよ!」


「できる! いい? ささちゃん! 絶対今成功させるの! このままだとお兄ちゃん死んじゃうんだよ?!」


 死に包み込まれる。致命傷ではないと思うが、今攻撃されたら確実に死ぬ。なのに、近くに立っていたカグラは真菊からの命令を待っているのかまったく攻撃してこなかった。


「〝お兄ちゃん〟……?」


 視線を上げると、真菊の両肩を抑えていた雅臣と目が合った。


「結希……?」


 それは知っていたのかと思って、目を閉じる。命を諦める気はなかったが、父親に気づいてもらえただけでどうでも良くなった自分もいた。


 この気持ちは一体なんなのだろう。両立しなさそうに思えるのに、様々な感情が同居している。


 やはり会うべきではなかったのだ。死なないという絶対の決意が一瞬でも揺らぐなら、死んでも会わない方が良かったのだ。


「月夜ちゃん! 幸茶羽ちゃん! 手を繋いで!」


 雅臣の声が遠くの方から聞こえてくる。困惑する月夜だったが、幸茶羽が彼の言うことを信じる。

 幸茶羽にとって雅臣は信用に値する人間なのだ。紫苑が嫌悪していないように、朝日が今でも愛しているように、雅臣には人としての心があるのだ。人の心を読むことができないだけなのだと思って、父親のことを本当に何も知らないのだと思って、目を開ける。


 父親は、月夜と幸茶羽のすぐ後ろにいた。視界が霞んでいるが、それだけは見えた。


 言葉を理解することはできなかったが、話し声が聞こえてくる。穏やかな声だったのに、それが崩れて焦った声が聞こえてくる。


 それを聞くことができて良かったと思ってしまう自分は本当に性格が悪いのだろう。六年前の自分が報われたような気がして微笑む。

 月夜と幸茶羽のおかげで完治することができたら、父親になんて言おう。説得することも、起こることが確定した今百鬼夜行計画を阻止することも不可能だが、父親の真意を聞くことはできる。


 紫苑しおんはきっと、このことを危惧していたのだろう。だが、間宮まみや家の人間の意見を聞いた以上、芦屋家の人間の意見も聞いてみたいと思う。


 結希も美歩みほと同じ芦屋家の人間なのだ。今までずっと聞こえていた妖怪の声が聞こえる能力は芦屋家から来ているのだから、間宮家よりも芦屋家の方を意識してしまう。


 意識は、そこで途切れてしまった。

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