六 『運命の座敷童子』
月夜の頼みは断れない。新年会を抜け出して月夜に引きずられるがままについて行くと、いつの間にか財布を開いていた。
「え?」
見下ろすと、小銭入れから小銭を漁る月夜が視界に入る。
「ちょちょちょちょ待って! どこ行く気?!」
「ささちゃんのとこ」
「え?!」
「だからお金貸して」
「待って! 幸茶羽ちゃんのところって……」
その先の言葉が出てこなかった。
幸茶羽のところということは。幸茶羽のところということは。幸茶羽のところということは。つまり。
「……ッ!」
財布を引っ込めて、小銭を地面にばら撒く。それを這いつくばって拾う月夜の背中を見ていたが、結希はまったく動けなかった。
「お兄ちゃん」
縋るように、また、彼女から呼ばれる。
「勝手にお金盗ってごめん、でも、つきは、ささちゃんに会いたい……会わなきゃいけないの」
その気持ちは痛いくらいに理解できた。
「ささちゃんに会って話がしたい。ずっとこのまま会えないのは……つき、絶対やだから」
理解できるから、結希は月夜を止められなかった。
ただ、理解することとついて行くことは別だ。結希はまだ、行動に移す勇気を持てない。
「少しだけ、考えさせて」
「だめ。今すぐ行きたい」
結希のことを知らない月夜は、泣きそうになりながらそう訴えた。結希は、断れなかった。
月夜一人を外には出せない。会えると決まったわけではない。別々の言葉で何度も自分を言い聞かせて、結希は切符を購入する。
「場所は知ってるの?」
聞くと、月夜は首を横に振った。
「そんなんでよく行こうと思ったな……」
呆れるが、月夜らしくて安心した。
この一ヶ月で月夜が月夜らしくないところを何度か目撃していた結希は、それだけで月夜を見失わずに済んでいた。
「ちょっと待ってて」
スマホを取り出し、紫苑に電話をかける。すぐに出た紫苑は『なんの用だよ』と欠伸をし、結希の言葉を聞いてやめた。
『なんで』
「悪いけど、何も聞かないでくれると助かる」
『聞くだろ普通。なんで。頼むから答えろよ』
「月夜ちゃんが幸茶羽ちゃんに会いたいって言うからだよ」
『なら最初からそう言えよ。で、他には?』
「別に何もねぇよ」
『んなわけねぇだろ。母親になんか言われて会いに行こうとしてんじゃねぇの?』
「別に何も言われてないし、お前が心配するようなことはしない。する勇気なんてない」
『どうだか。てめぇは他人の為ならマジでなんでもするヤツだからな』
「しねぇよ別に。教える気ないなら切るから」
本当に電話を切ろうとすると、紫苑の慌てた声が聞こえてきた。
耳元に戻すと、『まさか、美歩に聞く気か?』と言い当てられた。
「そうだけど?」
連絡先を知っているわけではないが、会えないというわけでもない。
一週間前からかつての紫苑と同じく《カラス隊》の独房の中で暮らしている美歩には、会おうと思えばいつでも会えた。三賀日が終われば身柄を引き取る手続きもしており、義姉妹たちがいなくなったあの家で、美歩と暮らせる日を結希はずっと心待ちにしていた。
『チッ、わかったよ。教えるよ。てめぇはほんとクソ兄貴だな』
「どういう意味だよ」
『教えね』
「教えろよ」
意味がわからない。紫苑は時々変なところでそうやって拗ねる。
『いーだろ別に。つーか、今のうちに言っとくけど、美歩には気をつけろよ。あいつは芦屋の人間だからな』
それがどういう意味なのか、結希は怖くて聞けなかった。
「……俺も芦屋の人間だよ」
自分の中に流れている血が化け物であるかのように思えて仕方がなかったが、自分を傍で見守る月夜に気づいて思考をやめる。自分が化け物の子であるのなら、月夜も化け物の子ということになる。それだけは我慢ならなかった。
『あ? なんつった?』
「別に何も。で、場所は?」
芦屋家が隣駅にあることは、幸茶羽が芦屋家に言ったその日に聞かされていた。
意外と近くに住んでいるんだと思って、だから幸茶羽が家出をする決心ができたのだと思って、自分も行こうと思えば行けるのだと思った。
具体的な場所を紫苑が口頭で説明する。結希は月夜を連れて改札を通り、二度目の電車に乗り、長い長いトンネルを抜けた先にある澄んだ冬の青空を見上げた。
「……お兄ちゃん、しお兄となんの話してたの?」
「別に何も」
「しお兄が心配するようなことって何?」
「だから何もないって」
どうしてそんなことを聞くのかと思って、隣に座る月夜の顔を覗き見る。月夜は、いつもの不安そうな表情をして俯いていた。
「つきね、初めて会った時から、お兄ちゃんのことが大好き。お兄ちゃんが来てからお姉ちゃんたちいっぱい笑うようになったから、もっともっと好きになった。お兄ちゃんはつきたちの座敷童子なんだって思った。自慢のお兄ちゃんだって思ってたけど、それがちょっと悔しかった」
なんの話をしているんだろう。月夜は今にも膝を抱えてしまいそうだった。
「小さい頃からいつか座敷童子になるんだって思ってたけど、つきは全然なれなくて、焦って、ささちゃんも焦ってるんだなって気づいて、お兄ちゃんと比べて、すっごく苦しくなった。お姉ちゃんを笑顔にしたお兄ちゃんが羨ましかったけど、お兄ちゃん、一人でいっぱい……いろんなもの、抱えてた」
やっと、自分の話だということに気づく。そんな顔を月夜にさせる一因になっているとは思いもしなくて吐き気がした。
「ごめん、俺……」
咄嗟に口が動く。月夜は首を左右に振った。
「謝ってほしいんじゃないの。ずっと苦しい思いをしてたのは、つきたちやお姉ちゃんだけじゃなかった。お兄ちゃんも、苦しかった。それに気づけなかった自分が嫌なの。お兄ちゃんもつきが笑顔にしなきゃいけない人だったのに」
今まで見てきた月夜からは絶対に出ないであろうしっかりとした言葉だった。
だから余計に、これが月夜の本心なのだと思う。
「ごめんなさい。つき、お兄ちゃんを笑顔にできなかった。お姉ちゃんだけじゃなくて、お兄ちゃんも幸せにできなかった。つきは座敷童子なのに、何も……何もできない……お兄ちゃんが今隠していることを教えてもらっても、つきは役立たずだからっ、何もっ……何もできない……ごめん、なさい……」
どうして、そう思ってしまったのかと悲しくなる。座敷童子であろうとなかろうと、月夜が謝ることは何もないのに。
「優しすぎるよ」
それを結希も実の母親から指摘されていた。
「優しくないよ」
月夜は大粒の涙を流して否定したが、結希の評価は変わらなかった。
《十八名家》の現頭首として不動の強さを見せたあの義姉たちに育てられた末の彼女は、誰よりも優しい。全員から愛され続けてきた結果が彼女ならば、その愛は罪であったと思うほどに彼女は優しく育ちすぎた。だから必要以上に苦しむのだ。
背負わなくていいことまで背負い込んでいた月夜は、幸茶羽の家出で崩れ落ちた。月夜の背景をようやく理解して、月夜が幸茶羽に会う決心をしたことがどれほどの奇跡だったのかを知る。
「少なくとも、俺はそう思ってる」
そんな彼女を認めてあげたいと思った。
「なんで……? だって、つきは座敷童子なんだよ? みんなを幸せにしなきゃいけないんだよ? 優しいんじゃないんだよ、しなきゃだめなんだよ」
「しなくていいんだよ」
「しなきゃだめなの。だって、いお姉はみんなのことをあったかくするもん。かな姉はお歌上手いし、わか姉は猫ちゃんだもん。みんなできてるもん」
「俺はそうは思わないよ。それに、俺たちのことを幸せにしたくても──」
瞬間、月夜があり得ないくらいに素早く顔を上げて結希を見た。黄緑色の瞳が煌々と輝くくらいに涙で濡れている。どれほど涙を拭っても充血したそれは隠せないだろう。そんな彼女の笑顔が久しぶりに見たいと思った。
「──月夜ちゃんと幸茶羽ちゃん、二人揃って笑ってくれているだけで俺たちは充分幸せだから」
なのに、月夜はまったく笑わなかった。それどころかぼろぼろと新しい涙を流し、結希の反応を見て慌てて拭って背中を向ける。
「ごっ、ごめん!」
泣かせるつもりはなかったのに泣かせてしまった罪悪感は並ではなかった。今の月夜はかつての心春のように繊細で、何がきっかけになるのかまったくわからない。
「謝らないで!」
何故か怒り出した月夜の本心が本当にわからなくなった。頬を膨らませた顔をわざわざ見せてくる程度に彼女は自分に怒っている。
なのに、こんな時に限って電車が隣駅に着いた。立ち上がり、ホームに下りて、相変わらず服の裾をしっかりと握る月夜を見下ろす。
「月夜ちゃん、その……」
「何?」
声も完全に怒っていた。女性である義姉の気持ちもよくわからなかったが、まだ子供だと思っていた月夜の気持ちでさえわからなかった。
「……幸茶羽ちゃん。一緒に迎えに行こうな」
機嫌を直してもらう為に笑みを浮かべると、膨らましていた頬が一気に萎んだ。上手くいったかと思ったが、せめてもの親愛の証であった裾引っ張りでさえやめて、月夜はふいっとそっぽを向く。
「つ、月夜ちゃん?」
「お兄ちゃんは、つきとささちゃんどっちが好き?」
「は?」
「どっち?」
意味がわからない。だが、答えないという選択肢が一切ないくらい強い口調だった。
「そりゃあ、月夜ちゃんだけど」
「じゃあ、つきのこと〝月夜〟って呼んで」
「えなんで」
「だって、つきのこと好きなんでしょ? 妹扱いはもうやだよ」
意味がまったくわからない。月夜は義妹だ。椿と心春と月夜と幸茶羽。たった四人しかいない義妹なのに。
「それって……」
一瞬麻露が脳裏を過った。いや、相手はあの月夜だ。他意なんてない。絶対に。
「だって、お兄ちゃんの妹扱いって〝よそよそしー〟もん。つきのこと嫌いじゃないならやめてくれるよね?」
そう思って、本当に他意がなかったことを知った。
深読みしようとした自分が馬鹿だった。麻露の件で敏感になっていたのかもしれない。
結希は咳払いをして了承し、月夜に裾を握られる前に改札を出た。
「お兄ちゃん待ってよ! 先に行くなんてずるい!」
一気に熱くなった体を冬の空気が包み込む。視線を巡らせると、あれほど瘴気に塗れた陽陰町とは打って変わって澄んだ空気が広がっていた。
「月夜ちゃ……月夜」
「ん?」
「見て、空」
「……うん、綺麗」
妖怪を外に出さないように張られていた結界に意味はなかった。妖怪は千年前に駆逐したにも関わらず、何故か外に溢れていたのだから。
だが、陽陰町に蔓延している瘴気は陽陰町内に留まっている。それを確認できただけでも来て良かった。そう思って、改札からすぐに見える脇道へと向かい、ゆるやかな坂道を上っていく。斜面の角度は違うのに、どことなく百妖家前の坂道のようだった。
改札付近は電車が通っていることもあってかたいした坂道ではなかったが、数分も歩くと山道のように変化する。そのずっと先のだだっ広い野原の奥に、古ぼけた日本家屋が建っていた。




