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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第九章 諸刃の氷雪
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十九 『吹雪く白雪』

「なぁ」


 何も言わない結希ゆうきに痺れを切らし、紫苑しおんが肩を揺さぶってきた。


「どうなんだよ、なぁ」


「……わからない」


「わからないってなんだよ!」


 何も聞こえてこなかった。それでも結希は諦められず、透明な氷に覆われていると思いたかった。


「けど、麻露ましろさんが俺たちを置いていくような人じゃないってことだけはわかってる」


 今でも鮮明に覚えているのは、麻露の流した透明な涙だった。氷そのものと言っても過言ではないのに、涙には熱が込められている。そんな彼女の泣き顔だ。

 大切な人たちの為に嘘を吐かざるを得なかった優しくて冷たいあの彼女が、大切な家族の心臓を氷柱で貫くなんて信じたくない。まだ結希は、麻露がもう一度笑う姿を見ていない。叶うなら、あの頃に見た麻露の子供のような笑顔をもう一度だけ見たかった。


「ゆうゆう! シロねぇ!」


 駆けつけてきた亜紅里あぐりは瞬時に変化へんげを解いた。アイラに場所を譲られて、代わりに結希が抱き上げた麻露の掌を握り締める。


「ねぇ、嘘でしょ?! 嘘って言ってよ!」


 異様に冷たい体に触れ、こうなっているのは彼女が雪女ゆきおんな半妖はんようだからだと結希も亜紅里も信じていたくて。紫苑は絶句したまま力なくその場にへたり込んだ。


 いつだって生気を感じさせない人なのに、今日という日ほど彼女の体を信じることができないなんて滑稽だ。体の震えが止まらない。こんなにも慄然としたのは初めてで、遠い未来で笑い話にすることもできないほどに流れている血が凍っている。


「結希お兄さん! 連れてきたよ!」


 器用に森の中を駆け抜けたまこは、星乃ほしのとアイラが留まる方へと移動しながら辺りを見回した。随分と長い間会っていないと錯覚してしまいそうなほどに懐かしいその気配たちは、いつの間にか麻露のことを囲んでいた。


「シロ姉ッ!」


 そうだ。この人はシロ姉だ。例え粉々に砕け散ろうと、彼女は永遠に自分たちのシロ姉なのだ。


「なんでっ! ねぇ、何があったのさシロ姉!」


 愛果あいかは真っ先に亜紅里の傍らにしゃがみ込み、大粒の涙をぼろぼろと流す。


「具合が悪いんですか……? それとも、何者かにやられたのですか……?」


「違う、そうじゃないと思う」


 その声に思わず視線を上げると、立ち尽くしていた義姉妹全員が緊張を僅かに解けさせた。自分の顔に何かついていたのだろうか。空気が変わった瞬間を肌で感じ、否定した熾夏しいかに視線を移す。

 熾夏は、千里眼を使っているのか琥珀色の片目を見開いたまま麻露の表情を刮目していた。


「…………どういうこと、シイカ」


「生きておるのか……? そ、それとも、死んでおるのか……?」


「生きてるよ、これでも。ちゃんと。信じられないことだけど」


「ほ、ほんとに? よ、良かったっ、良かったぁあぁっ……!」


 泣き崩れた心春こはるを支える余裕なんて誰にもなかった。歌七星かなせは口元を覆って堰を切ったように泣き出し始め、依檻いおりは無言で目元を拭う。鈴歌れいかは隣にいた朱亜しゅあと抱き合い、和夏わかなは唇を噛み締めたまま鼻水を流して泣いていた。


「も、もうっ! なんなのさバカ! 心配して損した! さっさと目ぇ覚ましなさいよ!」


「そうだよジロ姉……! お願いだからもう起きでよぉ〜……!」


 愛果と和夏の懇願は、心を穏やかにして聞いていられるものではなかった。どれほど麻露の為に号哭しても、麻露の凍った心には届かないのだからその号哭は止まらない。二人の涙が枯れることはないのだから、懇願は終わらない。


「熾夏、シロ姉はいつ頃目を覚ますのですか? 危険な状態にあるのですか?」


「んん〜、体温が異常に低下してるけど、こういうのって雪女の特性みたいなものだしね。命に危険がないってことはわかるけど、どうしたら目が覚めるのかは私にもわからないよ」


 嘘を吐いているようには聞こえなかった。麻露がこれからも生きていてくれる。永遠のお別れにならないのなら、沈んでいても仕方がない。自然と緊張が解けていく。


「な、なんだよ、ビビらせんなよ……」


「ほんとだよぉ、もう……。今でも心臓ばくばくしてるぅ……」


 紫苑と亜紅里も、結希に合わせて胸を撫で下ろした。離れた場所から見守っていた真と星乃、アイラと美歩みほは、表情を和らげさせて息を吐いた。


「……そうね、私の心臓も珍しくばくばくしてるみたい」


 ようやく口を開いた依檻は、心臓がある左胸に手を置いて笑みを零す。麻露と一番長く一緒にいたのは間違いなく次女の依檻だ。四分の一の寿命を奪われた依檻の心臓は、今日も彼女を生かす為に必死に脈を打っていた。


「まったく、本当に人騒がせな人なんだから」


 呆れたように息を漏らし、動き出した依檻は麻露の頭を膝に乗せる。そして、今まで麻露を支えていた結希の頭を擽るように優しく撫でた。


「あぁっ?! ちょっ、何してんのさいおねぇ!」


「そっ、そうだよいお姉! 今撫でる必要なかったよね!?」


「…………不必要なボディータッチは絶許」


「何言ってるのよ。頑張った弟にはちゃあんとご褒美をあげないと」


「あぁ〜、狡い。私も弟クンの頭撫でた〜い。ご褒美あげた〜い」


「いけません! 依檻姉さん、熾夏! 普通のキョウダイはそんなことしないんですよ?! ましてや人前でなんて……いいえ、密室だったら溺死させます!」


「えぇ〜? 私と弟クンは普通のキョウダイじゃないんだけど? 固い絆で結ばれたキョウダイなんだけど?」


「あら? しいちゃん、それなら私も負けてないわよ?」


「むぅ、二人とも一体何を言っておるのじゃ! 結希に〝姉さん〟と呼ばれておるのはわらわのみじゃぞ!?」


「確かに〜! ねぇユウどうして? どうしてシュアねぇだけなの? どうしてワタシたちのことは〝姉さん〟って呼んでくれないの?」


「……え、今さらですか? 呼べません」


「え、なんで?!」


 徐々に全員が距離を詰めてくる。鈴歌に至っては頬と頬が今にもくっついてしまいそうだ。


「……なんでって、最早これがあだ名みたいなものですし」


「ありゃあ。あだ名なら仕方ないね」


「うんうん、仕方ないねぇ。私たちも弟クンのこと言えないし」


「え? しいねぇ、それってどういうこと?」


 顔を上げた心春は、まだ気づいていないのだろうか。


「みんな呼び方変えてないじゃん。私たちはもうキョウダイじゃないのに」


 息が止まるかと思った。家を出て、頭首になり、それぞれの道を歩んでも──変わらないものがまだここにある。

 この場にいないのは、家を出なかった真璃絵まりえ椿つばき月夜つきよとあの幸茶羽ささはだ。ここにいる全員が出て行ったのに、誰一人として百妖ひゃくおう家のことを忘れていなかった。


「……そうね。今さらなんて呼んだらいいのかわからないし」


「……うむ。意外とみんな元気そうじゃな」


「元気じゃないのはシロ姉だけよ。ほら、みんなもっと近寄って」


「うわっ、しい姉なんであたしのこと抱き締めんの?!」


「近寄ってって言われたからねぇ」


「だっから鈴姉れいねぇ! 近い! 結希もボケっとしないこういうのはちゃんと避ける!」


「…………近寄ってって言われたから」


「いお姉はそんなに近寄ってって言ってないよ!」


「そうですよ! 適切な距離を保ってください!」


「でも、ユウってあったかいからワタシもぎゅ〜ってしたいなぁ」


「もぉ〜、みんな勘違いしてない? ゆうゆうはあたしのなんだけど? お触り禁止!」


「うるっせぇなてめぇらは! てめぇもさっさとなんか言えよ!」


 後ろにいる紫苑に殴られる。だが、もう何かをする体力が残されていなかった。


「ふふっ。ほら、そこにいる四人も来ていいわよ?」


 依檻は未だに遠くにいる四人を呼び、膝枕をした麻露の髪を梳いて息を吸う。吐いた刹那、熱が周囲に広がった。



「──温かいな」



 とても懐かしい声が聞こえた。視線を落とすと、緋色の瞳と目が合った。


「シロ姉?!」


「シロ姉!」


「シロ姉だ!」


「シロ姉〜!」


 全員が彼女を見ると必ずそう呼ぶ。それ以外の呼び名を与えられなかった長女の麻露は、照れくさそうに笑って起き上がろうとし──動きを止めた。


「……ゆ、結希?」


 氷を抱き締めているようだった。なのに、氷にはない柔らかさが麻露にはある。


「えっ」


「なっ?!」


「おにいちゃ……?!」


「…………死角から刺客」


 腕に徐々に力を込めた。麻露が壊れないように、それでも思いが伝わるように彼女の肩に自分の手を置く。


「……これはちょっと予想外じゃな」


「そうねぇ。シロ姉ったらいつの間に落としちゃったの? うちの弟は頑固なのに」


「あははっ。うちの弟クンはみんなが思ってる以上にシスコンだったんだねぇ」


「くふふっ! しい姉やっさしい。ライバルって言って引っ掻き回せばいいのにぃ」


「あぐちゃん腹黒〜。私はまだ死にたくないかなぁ」


「い〜な〜! ワタシもシロ姉抱き締めたい!」


「わかちゃんだけは平和だねぇ。お願いだから、わかちゃんだけはそのままでいてね?」


「おい、てめぇ! いつまでそうしてんだよ!」


 誰が何を言っているのかはよくわからなかったが、紫苑の声だけはよく聞こえた。

 自分でも何故こうしたのかはわからない。起きようとした麻露の体を止めようとして、体が勝手に動いていた。それだけしか説明できない。


 病み上がりの麻露を離そう。そうして、離れないことに遅れて気づいた。


「……麻露、さん?」


 背中に麻露の両腕が回されている。その手が結希の背中を撫でている。


「すまなかったな。心配させて」


「あははっ。シロ姉、実は最初から起きてたでしょ?」


「えっ?!」


「意識だけだ。体は本当に、今の今まで動かなかったよ」


 腕に力が込められた。ようやくまともに動かせるようになった麻露の体は、依檻の熱に溶かされて麻露自身の熱を放つ。


「そう。……良かったわね、生還できて」


「あぁ。キミたちの……おかげだ」


「家族のおかげって言いなさい。言ってもいいわよ」


「依檻、キミは本当によくわからないな」


「私だって自分がよくわからないわ。けどね、今までずっと姉だった人が死にかけたら──まりちゃんみたいになるかもって思ったら、意地なんて張れないわよ」


「……依檻」


 刹那、あまりにも突然に大粒の涙が溢れ出した。それは結希だけでなく、百妖義姉妹全員がそうだった。

 全員、心のどこかでそんな未来を考えていたのだろう。もう二度と会えないかもしれないと怯え、虚勢を張り、それがいつも通りの日常をこの場に呼び寄せていた。


「……ん、これは」


 冷たい何かが襟首に落ちた。顔を上げると、雪がはらはらと舞い降りていた。


「日付は?」


「変わってる」


「ホワイトクリスマスか」


「まだイブだよ」


 こんなイブになるとは思わなかった。月夜と幸茶羽も、こんなイブになるとは思っていなかっただろう。


「結希」


「……はい?」


「結界。まだ張れていないぞ」


「あ」


 麻露を放して振り返る。紫苑を押し退け祠を見ると、ククリとオウリュウの戦闘は未だに繰り広げられていた。


「張れ」


 美歩の声がする。信じられなくて視線を戻すと、美歩はもう一度「張れ」と言った。


「美歩」


「あたしは、投降する」


「え?」


「何驚いてるんだ。自分で離さないって言ったくせに」


 確かにそんなことを言ったが、だからといって美歩の気持ちがわかるわけではない。

 信じられなかったが、紫苑は何も言わなかった。それが唯一の判断材料で、結希はゆっくりと顎を引いた。


「美歩、貴方本気なんですか?!」


 随分と遠くにいたはずなのに、いつの間にか声の届く範囲にいた。オウリュウとの戦闘を続けながら、ククリは信じられないとでも言いたげに目を見開く。


「本気だ、ククリ」


「何故です! 貴方は一番忠誠心が高かったのに!」


「あたしが慕っていたのはあんたの主だ! 女狐じゃない!」


「──ッ!? あぅっ!」


 鮮血が舞った。ククリの腹を裂いたのは、今の今まで身を潜めていたタマモだった。


「タマモ! でかしたっ!」


「主君! トドメを!」


 自らの傷口を抑えたククリは、日本刀を消滅させて後方に飛ぶ。できるだけ遠く、誰も追いつけない森の奥まで──そうすると完璧に逃げられる。


「オウリュウ!」


 当たり前のようにオウリュウは追った。だが、麻露が降らせたわけではない雪が視界と足元を悪くさせる。


「いい! 追うな!」


「なんでだよ結希!」


式神しきがみだけ倒しても意味がない! それに、今ククリが倒れたら……」


「あの人も、倒れるな」


 口を閉ざした。芦屋雅臣まさおみが倒れたら、芦屋家の収入は断たれてしまう。それは結希だけでなく、百妖家全員が望むことではない。


「帰ろう。結界を張って」


「……チッ、わかったよ。タマモ」


 紫苑以上に不服そうな表情をしていたが、タマモは無言で祠から姿を消した。依檻で暖を取っていた全員は、自分たちから離れていく結希の背中を眺めることしかできなかった。


「結希っ!」


「ゆぅっ!」


 たった今到着したるい紅葉くれはは、振り向いた結希の元へと駆けつけて腰に手を回す。

 百妖家の全員が並んで見たのは、そんな二人と共に結界を張り直す結希だった。

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