二十 『親子』
一夜明けたクリスマスは、それぞれの家で過ごすものだと思っていた。だが、結希の視線の先には膝を抱えてソファに座る熾夏がいる。
明日菜が一緒に過ごそうとしていた熾夏は忙しなく体を動かしており、それはこの場に集った幸茶羽以外の全員も同じだった。
昨日のうちに帰ってきた月夜は多くを語ろうとしなかったが、幸茶羽が芦屋家を選んだことだけは告げてついさっき揃ったばかりの義姉の表情をそれぞれ眺める。そして、今日も表情を曇らせた。
「あっ」
和夏が背筋を伸ばした刹那、玄関に鍵が差し込まれる。回り、開き、扉が閉まる。
「──ッ!」
息を呑んだ。
すべてを知った上で幸茶羽以外の全員がここにいるのは、クリスマスなのに本当の家族と過ごさないのは、すべての元凶が──
「ただいま、みんな」
──朝日が、ここに帰ってくるからだった。
「あさひ、さ……」
声を震わせた麻露が椅子から立ち上がる。
「麻露ちゃん。覚えていてくれたのね」
意外そうに目を見開く朝日は、何もわかっていなかった。
「朝日さん!」
「朝日さん……!」
依檻は腰を浮かし、歌七星は泣き出し、鈴歌は唾を飲み込んで熾夏は全身の動きを止める。朱亜は口をだらしなく開け、和夏は嬉しそうに破顔する。朝日は、我が子のように大切に育てた彼女たちに微笑みで応えた。そして、車椅子に座る真璃絵を見て真顔になった。
「母さん、」
呼び出した結希も立ち上がる。言いたかったことはたくさんあるはずなのに、何一つ言葉にならなくて立ち尽くす。
「結希君」
ここに来て初めて結希を視界に入れた彼女は、表情を変えぬまま前に出た。
「ずっと、守ってくれてありがとう」
おかえりという言葉を伝える間もないまま、両手を包み込まれてしまう。その手は依檻のように温かく、依檻よりも歳をとっていた。
「結兄の、お母さん……」
朝日に育てられていない椿にとってはそうなのだろう。朝日は微笑み、「初めまして、椿ちゃん」と彼女の名前を言い当てた。
「うぇっ?! な、なんでアタシの名前!」
「娘だと思っているからよ、みんなのこと。私、本当は女の子が欲しかったの。あ、もちろん結希君は私の自慢の可愛い息子よ?」
「気持ち悪い」
「やだ酷い! どこでそんな言葉覚えてきたの? そんな子に育てた覚えはありませんよ!」
ほとんど放置していたくせに何を言っているんだろう。そう思ったが、そんな言葉さえ飲み込んだ。
「朝日さん」
結希を守るように声を上げた熾夏は、「休ませる暇なくてごめんだけど」と言葉を続ける。
「話してほしいの。どうして私たちを家族にしたのか、どうして弟クンをこの家に寄越したのか。全部。朝日さんの気持ちが知りたいの」
真っ直ぐに朝日を見上げた熾夏の瞳は、千里眼を一切使っていなかった。コントロールできている。熾夏は、朝日の口から朝日の想いが語られることを待っている。
「そういうこと。みんなはもう知っているのね」
呟き、朝日は観念したように顎を引いた。
「誰かが大変なことになっていると思ってたし、実際幸茶羽ちゃんがいないからそうなのかなと思っていたけど、みんなはそれが知りたいのね?」
「待って、どういうこと? 結希の母親がウチらを家族にしたってこと? ていうか全然考えてなかったけど……なんでウチら、この家にいたの?」
混乱する愛果の言うことは最もだ。家族じゃないと言われただけで、どうしてここにいたのかは一度も義姉から明かされていない。
「あの、全部、話してください。よくわかりませんけど、だからこそ、ぼくはちゃんとぼくたちのことが知りたいです」
「えぇ、もちろんよ。隠す意味なんてないものね。それよりも結希君? そうならそうと最初から言って? 『俺と姉さんの為に帰ってきてくれ〜』なんて言うからお母さん心配しちゃったでしょ?」
「嘘つくなよ」
ならもっと早くに折り返し電話があったはずだ。
「ゆ、結希。そんなことを言っていたのか?」
「あへっ? いやいや違います! あっいや違わなくはなくなくないですけど…………ん?」
「結希君、大丈夫? 少し見ない間にちょっとおバカちゃんになってない?」
「ぶん殴るぞ」
やはり呼び戻さなければ良かった。母と姉に挟まれて、余計な恥を晒している気がする。
「ん〜、麻露ちゃん? ちょっと教育間違えたんじゃない?」
「えっ、すみません朝日さん! いじめがいがあってつい!」
「そんなこと思ってたんですか?! ていうかこの麻露さんを育てたのはあんただよ!」
「あら、私? ……確かにそうね、巡り巡ってきちゃったみたい」
朝日はへらへらと笑ったが、結希と麻露はそんな風には笑わない。咳払いをし、朝日は脇に挟んでいたコートをかけて全員の顔を見回した。
「みんながこの家に来たのは、百妖家が生まれたばかりの半妖を集めて監視する一族だからよ」
「は? 監視? なんでよ、なんでそんなことされなきゃいけないのさ!」
「愛果ちゃんみたいに力を上手く使えなかったり、月夜ちゃんと幸茶羽ちゃんみたいになかなか力が出てこなかったり。出たら出たで大変なことになる麻露ちゃんや依檻ちゃん、何よりも貴方たち自身を守る為に、一つの家で育てる決まりが千年前に作られたの。それからずっと、この制度は続いているわ」
「なんでそのこと知ってんの?!」
いちいち突っかかって反撃を食らい、赤面した愛果は髪で自分の顔を隠す。そういう人だ。朝日は何も変わっていない。
「貴方たちの本当のお母さんのこともなんとなぁく知っているんだけどね? あの人たちもここで育って、歴史に名を残す立派な頭首になったのよ」
椿と月夜を除く全員の視線が一瞬絡んだ。彼女たちが見てきた先代の頭首を結希もなんとなく知っているが、ここで育ったようなイメージがない。そもそも幼少期でさえ想像できない。生まれた時から今の姿をしていると言われても驚かないくらいだ。
「全員頭首として優秀過ぎる人たちだし、幼少期を共に過ごしてきたから他所の家とも上手くやれている。けどね、見てたらわかるのよ。あの人たちにはあるものが欠けている。全員、同じものを持ってないの」
それがなんなのか朝日はすぐに言わなかった。全員の表情を見、答え合わせの時間を伸ばして全員の口を開こうとしている。
釣られて結希も周りを見た。答えを探す為に周りを見、その答えが同じものであるのかを確かめる百妖義姉妹。そして、その輪の中に入ろうとしない亜紅里と紫苑を。
「──〝愛〟よ」
結希が出せなかった問いの答えを、憐れむような表情で言い放った朝日の心臓に視線が行く。
「私が知ってるあの人たちは、全員〝家族への愛〟や〝母親の愛〟を知らないまま育ってた。異様に冷淡なのよ、誰に対しても。怖いくらい」
答え合わせが上手くいったのかは知らない。どうでもいいし、今はそれどころではない。
「ここのことは養母になる前から知ってたし、そうなっても仕方ないなとは思うわよ。けどね、私が監視者に任命された時、そんな子たちを育てなきゃいけないんだと思ったら吐き気が止まらなくてずっとトイレで吐いてたの。それでも、この腕で初めて抱いた赤ちゃんの麻露ちゃんはちっちゃくって、あったかくて、まだ何者でもなくって、愛おしかった」
用意に想像できたその光景は、結希が喉から手が出るほどに欲していたものだった。そして、麻露や他の義姉妹たちも永遠に手に入れることができないものだった。全員が、本当の母親の腕に抱かれることなく今という時間を生きていた。
「この子は責任を持って私が育てる。この子の母親のようにはさせない。溢れ出る愛情のままに育てたけれど、貴方たちに関われば関わるほど貴方たちが〝モノ〟扱いされている現実に全身を貫かれる。貴方たちのことを、一族の宝を、そうでなくても大切な命を、人権を、あまりにも軽視されている現実にまた吐き気を覚えちゃって、あの人たちがあぁなったのも無理はないなって思ったわ。だから私はみんなのことを家族にしたのよ。私が貴方たちの母親になって持てる愛をすべて注ぐから、貴方たちは家族としてお互いのことを愛してほしいなって。百妖家という〝家族〟で、愛を知ってほしいなって思ったのよ」
朝日の声しか聞こえてこない。全員口を閉ざして黙っている。
「私の父さんはね、私と姉さんをこの世界に生んで良かったのかって死ぬまで迷ってたの。裏切り者の一族だから、間宮以外からは愛されなくって何度も酷い目に遭ってきたわ。生まれてきて良かったのかって何度も本気で思ったけど、貴方たちにはそう思ってほしくなくて持てる愛を全部注いできたつもりよ。けど、随分と酷いことをしちゃってたみたいね。ごめんなさい、愛してるわ」
それが、朝日の答えだった。
「弟クンは」
棘を含んだように聞こえるその声で、怒りを孕んだように見えるその片目で、熾夏が朝日の目を捉える。
そうだ。朝日はまだ、その問いの答えを話していない。
「結希君を連れて町の外には行けないもの。生活能力もないんだから、一人暮らしもさせられないしね」
「それが答え? ねぇ、朝日さん。普通の人はそういう時、結城家のような親戚に我が子を預けるんだよ? 言ってよ、本当の答えを。じゃないと歴史は繰り返すよ」
「待っ、熾夏さ……」
「止めないで弟クン! お願いだから〝家族〟になってよ……。私を、結希クンの〝お姉ちゃん〟にさせて。守らせてよ……」
本当の家族に傷つけられないように、麻露とは違う立場で家族を守ろうとした熾夏の涙が傷口を撫でる。痛いのに、それが薬となって結希の心を癒していく。
「熾夏ちゃんは本当になんでも知ってるのね。えぇ、そうよ。百鬼夜行が来るわ」
「えっ?」
「それも、六年前の百鬼夜行が可愛く思える規模のものがね。この町で最初に百鬼夜行が起こってからちょうど千年経つ来年には、必ず」
「は? ちょっ、何言ってんの?」
陰陽師の間では今年中に共有されていた情報だが、彼女たちにはきちんと伝えていなかった。一人で背負うと決意して、誰かが犠牲になる前に一人で退けようとしたものだから。
「弟クン、一人でなんとかしようとしてたでしょ」
だから、答えられなかった。
「ふっ……ふざけんなバカ結希! アンタ本気でそんなこと思ってたのか?!」
「結希くん! 貴方、なんてことを……! どうして貴方はいつもそうなんですか!」
愛果や歌七星だけではなく、ほとんど全員が声を上げる。亜紅里と紫苑は、信じられないとでも言いたげに目を見開いて結希を見ていた。
「嫌になるな。本当に、陰陽師という存在は」
「……すみませ」
刹那、右頬に鋭い痛みが走る。頭が真っ白になったのは、相手があの朝日だったからだった。
「結希君。私が言ったこと覚えてないの?」
初めて見た。叩かれたことよりも怒っていることが意外すぎて、また言葉を飲み込んでしまう。遅れて、頬が痛みを訴えた。
「女だって、愛する家族を守る為なら強くなれる。だから私は結希君をみんなに託したのよ? みんななら、私の娘なら、貴方を守ってくれるって思ったから」
「……ご、ごめん」
ようやく出てきた謝罪の言葉は、本当に母親に向けて言っているようで思考が止まる。
「お願いだから、もう、あんな無茶しないで。私が貴方をここに預けた意味を、考えて」
わかった気になっていたのだと思った。どこか他人事として考えていたのだと思った。
結希と朝日は、一度も親子らしいことをしたことがないのだから。
「言っとくけど、朝日さんにも原因あるから。どうしてうちの弟クンをちゃんと甘やかしてくれなかったの? 全然甘えてくれなくてこっちは死ぬほど苦労してるんだけど?」
「えっ」
「確かにねぇ。結希がずっと反抗期なのって、朝日さんが原因よねぇ?」
「依檻ちゃんまで?! そんな、えっと……え、本当にそうなの?」
振り向いた朝日の戸惑った表情でさえ見たことがない。
「……結希くん、その、ごめんね?」
そんな謝罪で救われるような傷じゃない。それでも、結希は頷いて朝日を許さざるを得なかった。
義姉が全員、自分たちを見ていたから。




