十四 『悲しき双子』
春に結希と敵対関係にあった半妖の亜紅里は、銀色の美しい毛並みを逆立ててかつてのパートナーである彼女のことを睨みつける。
亜紅里が離脱した夏に結希と敵対関係にあった陰陽師の紫苑は、金色に染められた髪を夜風に靡かせて今でも自分の義姉である彼女のことを睨みつける。
真菊は、そんな二人を視界に入れても動じなかった。今の今まで取り乱していた真菊の姿は、今日に限ってどこにもなかった。
「ッ! ささちゃん!」
隙のない真菊の後ろから気配なく姿を現した幸茶羽は、顔色を変えることなく月夜の姿を視認する。
当然のように駆け寄ろうとした月夜の足を止めたのは、一番近くにいた紫苑ではなく──威嚇にも見える猛々しい変化を披露した幸茶羽だった。
変化によって生じた風に視界を奪われる。荒々しい。来るものを確実に拒んでいるそれは、呼吸することさえ認めていないかのようだった。
「ぇ……?」
掠れた、絶望に近い声が月夜から漏れる。
幸茶羽は、唇を真一文字に結んで真菊の傍らに立っていた。
「……なんで? なん、で、ささちゃ……」
半妖姿に変化した幸茶羽は、普段の姿からはまったく想像ができないほどに真っ白な着物を身に纏っている。なのに、彼女の行動は普段の姿と大差ない〝真っ黒な〟ものだった。
「姉さん、ささは……ささはもう、姉さんと一緒にいたくない」
初めて吐いた幸茶羽の拒絶は、変化することもなくその場に突っ立っていた月夜の胸を確実に刺した。その刃は心臓さえ動かせないほどに月夜の胸を的確に貫き、溢れ出したものを一身に浴びながら何度も何度も抉って嗤う。
結希やスザクだけではなく、亜紅里と紫苑も息を呑んだ。あの幸茶羽が月夜にそんな言葉を吐くなんてあり得ない。あれほど月夜を敬愛していた幸茶羽に限って、月夜が最も嫌がるようなことをするはずがない。そう信じていたかった。が、信じていたいだけで実際の幸茶羽は月夜を意図も容易く傷つけた。これは、認めなければならない事実だった。
「幸茶羽ちゃん……」
何も言えない月夜の代わりに結希が名を呼ぶ。だが、呼ぶだけで何かをすることは絶対にない。何をしたらいいのかがわからないせいだ。双子の月夜の方が幸茶羽のことをわかっているのだから、月夜に丸投げしてしまいたい。これは思い込みだと紫苑に怒られてしまうだろうか。
「……どうして」
答えなんて返ってこないかもしれない。それでも、家族として幸茶羽のことを少しでも理解したかった。
「そうだよ、ささちん。なんで一緒にいたくないの? あたしたち家族じゃん」
刹那、幸茶羽の瞳の色が変わった。
「違う! ささたちは家族なんかじゃない! なんで勝手に家族面してるんだっ! ささは貴様らのこと家族なんて……家族だなんて思ってない!」
「おい幸茶羽!」
紫苑に幸茶羽を咎める権利なんてない。タマモは紫苑を一瞥し、百妖家の残滓と幸茶羽の決別を楽しそうに眺めている真菊に視線を戻す。
「家族だからってわかり合えて当然なわけないって言ったのはそっちだろ?! ささのこと、麻露も、依檻も、真璃絵も、歌七星も、鈴歌も、熾夏も、朱亜も、和夏も、愛果も、椿も、心春も、姉さんだって……何一つわかってくれないのに!」
「ささ、ちゃん」
震える声で月夜が幸茶羽の名を呼んだ。
結希も、亜紅里も、紫苑も、そこで初めて気づいてしまった。
幸茶羽はまだ、何も聞かされていないのだ。麻露から、まだ一度も突き放されていない。家族じゃないのは結希と亜紅里と紫苑だけだと思っている。
「ささちゃん、ごめんね……」
月夜はただ謝った。崩れ落ち、声を上げながら涙を流した。百妖義兄弟姉妹の中で唯一血が繋がっていた双子の片割れは、双子の片割れにまだ何も話せていない。
結希は唾を飲み込んで、幸茶羽と──そしてあからさまに笑みを浮かべた真菊に秘密を漏らすことをやめた。幸茶羽にこれ以上追い討ちをかけるようなことをしたくなかった。
「ツキヨは謝らなくていい」
蜘蛛の足が不気味に動く。
「ササハ、悪いのはあなた」
それを言ったのは、アイラだった。
「部外者は黙ってろ!」
「そう。わたしは部外者。でも、言っていいことと悪いことくらいわかる」
「うるさい! 黙れ!」
「黙らない。あなたには、わたしと同じくらいたくさんの家族がいるから」
「だからなんだって言うんだ?! 貴様にささの気持ちがわかるのか!」
「わからない。けど、たくさんの家族からあなたが愛されていたことだけは知ってる」
「ッ?!」
「あなたは愛されていた。みんな、あなたに寄り添おうとしてた。けど、そのみんなを突き放していたのはあなた。理解してもらおうとしなかったのも、あなた」
アイラは今でも、自分と同じ元《グレン隊》だった人たちと一緒に暮らしている。
《カラス隊》という新しい場所で生きて、かつての敵だった《カラス隊》の人たちに可愛がられている。そして、その場所で百妖義姉妹たちと暮らしていた日々がある。
「わたしの家族は、みんな誰からも愛されてなかった。生まれた場所も育った場所も全然違って、喧嘩することもたくさんあった。けど、その度にみんながみんなを理解しようとした。仲間になって、一緒に暮らすようになったから、みんなが理解しようとしてた。いつの間にか家族になって、みんながみんなを愛するようになって、バラバラになっちゃうって不安になった夜もあったけど、わたしたちは最期まで一つだって誓い合った。同じ炎を胸に灯すのが家族だって思ってるから、あなたのやり方には納得できない。理解したくもない」
アイラにしては珍しく、突き放すような言い方だった。誰よりも長く一緒にいた紫苑はそんなアイラのことを知っていたのか、それとも幸茶羽に思うことがあったのか。誰よりも険しそうな表情で彼女を見ていた。
「……何も、何も知らないくせに」
幸茶羽が両拳を握り締める。
「偽物の半妖のくせに!」
そうやって怒りを顕にしても、幸茶羽からは何も出てこなかった。十二歳になってもなお、彼女の半妖としての力は発現しなかった。
「……ッ!」
そのことに一番ショックを受けた様子の幸茶羽は、声をなくしてその場に崩れ落ちる。月夜も、幸茶羽も、月光の下で泣いていた。
互いに傷ついて、動けなくなって、嗚咽を上げて泣き出した。
「紫苑」
真菊が紫苑の名前を呼ぶ。
「私と貴方も、今日で最後よ」
彼女は本気でそう言っていた。泣きじゃくる幸茶羽の肩に手を置いて、彼女に心を傾けて、一歩ずつ前に進んでいく。
その行く手を阻んだのは、タマモだった。




