十三 『月光』
「あぁ〜……やだやだ〜! なんで冬休みになったのに今日も誰も来ないの〜?!」
ママの毛に思いっ切り顔を埋め、イヤイヤ期の幼児のように駄々をこねる亜紅里が一人で地団駄を踏む。結希は振り返ることもなく先に進み、今日も祠を目指していた。
「まぁ、冬休みとか関係ない人いっぱいいるし……愛果には受験があるしな」
「ウッ受験……! ていうかそれ言っちゃうならあたしらだって来年受験じゃん! 世界の危機より自分の将来を考えるならあたしも一緒に離脱する! バッキー後は一人でシクヨロ!」
「えっ?! お、おうわかった! 後はアタシに任せとけ!」
「椿ちゃん……」
何かあれば損な役回りを任されやすい椿の将来が心配になる。
結希は亜紅里の襟首を掴み、亜紅里の腕に抱かれていたママに頭を噛みつかれても決して離すことなく力強く握り締めた。
「ぐぇぐぇ! ゆうゆう、逃げないから離してよ〜……」
勇気を振り絞って一人で先を行く椿の後ろ姿を眺める。
椿は活発で積極的な人間だが、年相応に不安を感じながら生きている。それは亜紅里にも当てはまるが、椿とは決定的に違うものが亜紅里にはあった。
「離脱して、母親の元に行くんだろ?」
そうじゃないかという疑念が拭えなかった。結希と亜紅里は、どうしようもなく〝お揃い〟なのだから。
「俺だって、父親の元に行くと思うし」
写真の中でしか見たことがない父親の居場所ならわかっている。亜紅里も、生きていればいつかは頼に巡り会えると思っている。
「……そうだな。私とお前は──どうしようもなく〝お揃い〟なんだな」
薄笑いを浮かべながら、亜紅里は結希から視線を逸らした。
裏切り者の家に生まれ、一人っ子として母子家庭で育ち、陰陽師として、半妖として、まったく交わることのない人生を今の今まで生きてきた。
芦屋雅臣が真菊や紫苑を育てながら阿狐頼の裏切りに加担していると言うのならば、二人は、二人の子としてやらなければならないことがある。
誰にも告げずに、たった一人で背負っていいのならばたった一人ですべてを片づけようとする。
「だから俺は離さない」
「……私もお前を離さないよ」
ニヒルな笑みを浮かべた亜紅里が、多分本当の亜紅里だった。
駆け出していく亜紅里の雰囲気は椿に近づけば近づくほどに様変わりし、残された結希は頭の上に乗ったママを下ろす。
『イガイダ。ミヌイテイタンダナ』
「見抜くというか……似てるからな。俺たち」
彼女が隣に立つことはない。一時期は本気でそう思っていたが、なんだかんだでずっと隣にいてくれたのが亜紅里だった。
本心を見せてくることは滅多にないが、いつの間にか風丸や明日菜よりも時間を共有していた亜紅里の気持ちがまったくわからないわけでもない。
亜紅里は、その時が来たら必ず母親の胸を刺す。それが叶わない宿命にあるとしても、誰かの──自分を家族として初めて迎え入れてくれた義姉妹たちの為ならば真っ先に阿狐頼の命を狙う。
そう思っていることくらい日頃の亜紅里を見ていたらわかるのだ。それが、彼女が結論として出してもまったく違和感を感じることのない罪滅ぼしへの答えだった。
足元に纒わりつくママと共に森への入口へと歩き出す。すると、その歩を止めるように電話がかかってきた。
「もしもし? 明日菜?」
『あ……ゆう吉。今いい?』
「いいけどどうした?」
『……明日か明後日、空いてるかなって。ほら、毎年妖目の家でやってたでしょ? 今年はなんだかんだで忙しくて有耶無耶になってたし、ゆう吉に家族ができたからないのかなって思ってたんだけど……熾夏さんうちにいるし……』
珍しく明日菜が要領を得ない話し方をしている。止めに入ろうかと思ったが、微かな情報を頼りにして結希はようやく思い出した。
「あ、明日クリスマスイブか」
明日菜の声が一瞬固まる。
『ゆう吉……忘れてたの? 毎年あんなに楽しみにしてたのに』
「そうなんだけどさ……さっき明日菜も言ってただろ? 忙しいっていうか、日付感覚を忘れるっていうか……」
『別にいい。だって、今までのゆう吉って、あまりにも暇そうで逆に心配だったし』
「暇そう言うなよ。確かに去年はほとんど何もしてなかったけどさ」
三人で遊んで、三人で誕生日を祝って、三人で色んな行事を共に過ごした。そんな日々が永遠に続くと思っていた。
特に、クリスマスは明日菜の家に行って贅沢な一日を過ごさせてもらえる特別な日だった。手狭なアパート暮らしだった結希や実家が神社の風丸の家では過ごすことができず、その日だけ気軽に遊びに行けた病院の最上階にある妖目家。
今年は百妖家でも過ごすことができるのだと思って密かに楽しみにしていたが、そんな未来はすぐに潰れてなかったことになってしまった。
夢見ていたその未来は明日と明後日に訪れる。結希は唾を飲み込んで、無理矢理笑みを浮かべた。
「悪い、多分どっちも空いてない」
明日も、明後日も、頼が来なければ大晦日の日だってここに来る。こんなところで年越しする可能性も念頭に入れておかないといけない。
『……そっか。ゆう吉はもう家に一人っきりってわけじゃないもんね』
寂しそうに明日菜が呟いた。ヒナギクも、八千代も、現頭首として両日家にいるのだろう。暇そうなのは人一倍騒がしい風丸だ。
『妖目も熾夏さんと一緒に過ごしてみる。じゃあ、また……新年会辺りで』
電話が切れた。
「結兄〜! 何してんだ〜?!」
「ゆうゆう〜! 誰か来てくれんの〜?!」
先に行って結希を待つ二人に向かって首を振り、既に視界に入っていた祠の前で足を止める。
「なんでよなんでよ〜! ホントにケチんぼじゃん!」
「……みんな、来たくないのかな」
なるべく騒がしくしていたが、亜紅里は椿の今にも泣きそうな表情を見て息を止めた。
「バッキー……」
特別な理由もなく百妖家に残り続けている義妹の椿は、多分、まだ幸せな夢を見ている。現実を受け止めず、まだ全員が笑って再会できる日を信じている。
もしかしたら、義姉妹の中で一番精神年齢が低いのかもしれない。心春の方が現実を見ているような気がするし、月夜と幸茶羽は現実がどれほど理不尽であるのかを知っている。
「そんなに悲観することないんじゃない?」
「あぐ姉、でも……」
「生まれた時からずっと一緒だったんでしょ? そんでじゅーぶん愛されてたんでしょ? そんなの誰がなんと言おうと絶対家族じゃん。そっちはそっちで何かジジョーがあるのかもしれないけどさ、あたしやゆうゆうからしたら……お前らはちゃんと、家族だよ。私たちがどれほど焦がれても一生手に入らない、幼少期に共に過ごしてきた家族のこと。どうしてそんなに信じられないんだ?」
「…………」
ママを抱き上げた亜紅里は軽く一回転し、口角を上げて祠の柱に寄りかかった。あまり褒められたことではないが、一度見逃して結希は地べたに尻をつける。
顔を上げると、日は既に沈んでいた。黄昏時の最中に歩いてきた道で見た妖怪は普段となんら変わりはなく、今日もまた空振りなのかと真っ白な息を盛大に吐いた。
「疲れたよねぇ〜。もうあり得な〜い!」
満天の星空を見上げる亜紅里も、大きくなったママに包まれて地べたに寝そべる。
「二人とも! なんでそんなに気ぃ抜いてるんだよ〜!」
唯一真面目だった椿はずっと立っていたが、すぐにしゃがんで自分のマフラーを巻き直した。
結界はまだ破られていない。穏やかな時間だけが流れていく。
一年前の自分は、帰路を歩きながら妖怪退治をしそれ以上のことは決してしようとしなかった。家に帰って帰りが遅い母親のことをたった一人で待ち続け、そんな自分を恥じてすぐに眠るようになって。いつからこんな生活になったのかと自問自答するまでもなく、すべての原因が麻露ただ一人に集約されていく。
結希の肌を刺すこの冷気よりも冷たい体を持つ彼女は今、この地に向かっているのだろうか。
「──あ」
思わず声を出して立ち上がった。遠くの方から誰かが近づいてくるのが見える。
「嘘だろ? なんで……」
姿を現したのは、麻露ではなくアイラだった。
「行ってあげられないって、ワカナが困ってたから」
「……それで来てくれたのか?」
「えっ、ちょっ、アイラ?! ちょっと待てよ危ないから帰れって!」
「でもねぇ〜、人足りないのはガチじゃん? あたしら三人一週間以上どれだけの時間ここにいたのかって考えたらガチでガチで有り難しじゃ〜ん!」
「うん。だから、誰か休んでて」
「じゃあバッキー」
「えっアタシ?! なんでだよここは結兄だろ〜?!」
「えっ俺?! 俺休んだら意味な……」
そこで言葉を途切れさせたのは、視界に入った紫苑だった。
「紫苑、お前、真璃絵さんは? 月夜ちゃんはどうしたんだよ」
「胸騒ぎがした」
そんな彼の後ろに立っていた月夜は、忙しなく辺りを見回している。
「真璃絵は今、家に一人だ」
「はっ?! ちょっ、なんでだよ紫苑!」
「バッキー落ち着いて。とにかく一度バッキーが帰ってまり姉のこと見てくれる?」
椿は反論しなかった。すぐさま半妖の姿に変化して、慌てて夜の町を駆け出していく。
「胸騒ぎってなんだよ、まさか──これから来るのか?」
「かもしれない」
強ばった表情で、これから訪れるであろう強大な力がいつ来るのかと紫苑は本気で警戒していた。紫苑の服の裾を握り締める月夜は、手を離して周囲を落ち着きなく歩き回る。
「月夜ちゃん、平気?」
一体どの結果を望んでいるのだろう。声をかけても、月夜は返事らしい返事をせずにただ一つだけを考えていた。
「ママ」
ママの重たい腰が上がる。結希は紫苑と視線を交わし、ポケットの中から同時に紙切れを取り出した。
「──馳せ参じたまえ、スザク」
「──馳せ参じたまえ、タマモ」
光と共に傍らに立った二人の式神は双眸を開き、ざわざわと騒ぎ出す森の声に神経を研ぎ澄ませる。
先ほどまでの穏やかさはなんだったのだろう。結希はスザクが差し出す《半妖切安光》を受け取り、紫苑はタマモが差し出す《鬼切国成》を受け取った。
「結希様」
随分と久しぶりに見た気がする緋色の双眸は結希をしっかりと映して緩む。
「今日で終わりでございます。きっと」
「……そうなるって、俺も信じてるよ」
《半妖切安光》を腰に下げ、邪魔になるジャケットを脱ぎ去った。冷たい風が服の隙間に入り込んで、結希の動きを鈍らせていく。
紫苑も《鬼切国成》を腰に下げた。上着であるダウンまで脱いで、何もかも結希とお揃いにして仁王立ちする。
「……シオン」
「なんだよ、アイラ」
「わたしは、シオンが味方になってくれてとても嬉しい」
「…………」
その笑みが見れたのは紫苑だけだった。結希はママから適切な距離を取る亜紅里に視線を移し、亜紅里からの笑みを受け取る。
亜紅里は銀狐の半妖となった。アイラは、履いていたスカートから巨大な蜘蛛の足を八本出して自らの体を宙に持ち上げた。
あまりにも異形すぎるアイラの姿が結希の視界を支配する。なのに、紫苑はその姿を見たのが初めてではないような反応で立っていた。
月光と共に現れたのは、真菊ただ一人だけだった。




