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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第八章 業火の大罪
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十六 『本物』

 人をいとも容易くこと切れさせる呪いと呪いがぶつかり合い、ほんの一時でも、書類上だけでも家族であった者の命を奪おうとしている。

 胸糞が悪くなるほどに悪意で満ち溢れる禍々しい力の暴力だ。呪術と呪術の境界線で発生した突風に吹き飛ばされまいと懸命に踏ん張り、結希ゆうきは義姉弟の殴り合いに呑み込まれる。


紫苑しおん、退きなさい! 私は貴方を殺したくないの!」


「退かねぇよ! どうしてもこいつを殺りてぇなら俺を殺してから殺して死ね!」


「どうして?! 紫苑、そいつが誰だかわかって言ってるの?!」


「こいつが誰だか知ってるよ! つーか、いい加減わかるだろ! 俺がこいつを恨む理由なんてどこにもねぇってことをな!」


 自分にとって結希がどういう存在であるのかを確かめている二人の言葉に突然刺された。

 義姉弟は、結希が原因で争っている。他者の命を奪えるほどの禁術を平気で使用する二人の諍いは、ただの姉弟喧嘩ではない。まるで、依檻いおりと自分の六年前を見ているようだ。


「紫苑……」


 ……やめろ、とは口が裂けても言えなかった。言ったら自分が殺される運命を肯定することになる。それを防ごうとしている紫苑の思いを否定することは絶対にできない。


「紫苑! 姉さん! やめてっ! お願いだからやめてくれよ!」


 とてつもなく遠い場所から聞こえてきた悲痛な叫びは、双子の兄のはるのものだった。和夏わかなは加減しているのか、ただただ家族の元へと駆け寄ろうとするだけの春の足を止めている。隣で棒立ちをする美歩みほは、不安そうな表情を浮かべつつも春より取り乱してはいなかった。


「どうして……」


 心底理解できないとでも言いたげな声色で、どうしても理解したくないとでも言いたげな嫌悪の表情をするマギク。


「……どうして紫苑はいっつも我儘ばっかり言うの! 子供じゃないんだからっ、今だけでもいいからっ、お姉ちゃんの言うことを聞きなさいよっ! じゃないと……本当に…………」


 彼女は、今この瞬間も紫苑の反抗期が続いているのだと思いたいのだろう。

 確かに紫苑は反抗期だが、ちゃんと自分の言いたい言葉を持って反抗している。彼には彼なりの信念があるのだと、結希は出逢ったあの瞬間から知っている。だから紫苑が恐ろしかったのだ。


 自分は自分だ。六年以上前の記憶がなくても、間宮まみや結希から百妖ひゃくおう結希になっただけのただの結希だ。

 なのに、未だにマギクや紫苑からは〝誰〟なのかと問われ続ける。空っぽだという自覚があるから結希はそれには答えられない。だから紫苑が羨ましかった。


「…………本当にあの人に殺されるわよ?! あの裏切り者と同じように狙われて、いつかあっさりと殺される! 貴方は本当にそれでいいの?!」


「いいも何もハナからテメェらの味方じゃねぇよ! 殺せるモンなら殺してみろ! あいつと一緒に返り討ちにして殺してやる!」


 ふうから貰い、結希から手渡された銃を構え、一反木綿の上から妖怪を撃ち続ける半妖はんよう亜紅里あぐり

 ママを嗾けた彼女は安全地帯から幾度となく妖怪を殺し続け、その合間に一瞥した結希のことを不安そうに見つめていた。


「違う! 紫苑、あの人は本気になったの! あんなにこだわってた吉日じゃない今日を狙って来ているんだから!」


「……来てる? あの女狐が?」


 紫苑の声よりも先に踵を返した結希は、そんな亜紅里の元へと走る。自分が離れれば紫苑はマギクを止める理由がなくなる。マギクも紫苑を攻撃する理由がなくなるはずだ。


鈴歌れいかさん!」


 伸びてきた一反木綿の尾に体を絞められ、そのまま背中に乗せられた結希はすぐさま亜紅里の隣に膝をつく。


「亜紅里!」


「なんだ結希、手短に……」


阿狐頼あぎつねよりが来てるらしい! だから、姉さんやママから絶対に離れるな!」


「あの女が……?! わ、わかった。お前は結界に集中しろ! マギクは他の姉さ──」


 刹那、視界の隅で世界が燃えた。暗闇の中で吹き出した異様な赤き火柱は、結希の右頬を熱で撫でて森を焦がす。

 見ると、本当に焦げていた。炭になった森の悲鳴がここまで聞こえてきそうだった。


「依檻……さん?」


「一体何が……?!」


 裏の亜紅里のまま目を見開き、撃つこともやめて互いに中心点を注視する。だが、そこには炎の塊しかなかった。見慣れた依檻の姿はどこにも見えず、その炎が今の依檻の姿だった。

 思えば、和夏と心春こはると共に春と美歩と交戦していたはずの依檻は──別れてから一度も姿を見せていない。二人ともマギクを追ってこちらへ来たのだから、依檻も来ていいはずなのに。


「あれは……本当に依檻なのか?」


 視線を上げると、一反木綿の上にたった今飛び移った雪女ゆきおんな麻露ましろがいた。熾夏しいか愛果あいかも表情を曇らせ、それでも「いおねぇだよ」と答えた熾夏の力を信じてしまう。


「絶対何かあったんだ……! いお姉は無闇に森を燃やしたりしないし! 性格はアレだけど!」


「まさか……」


「結希、お前の推測はアタリだ。結界を張るのは後でいい、今はあの人を連れ戻せ」


「……わかった」


「ママ! 結希を頼む!」


『ワカッタ、アグリ』


「ママ、ありがとう」


『イクゾ』


 上がってきたママの巨大な背中に跨り、地上に下りて呪術を消したマギクと紫苑の真上を飛ぶ。


「なっ……?!」


「ババァ! 余所見してんじゃねぇよ!」


 結希がその場を去っても、紫苑がマギクを逃がさなかった。マギクは結希だけを見つめ、紫苑のことを極力見ないようにしているのに──紫苑が力技で自分を見るように仕向けているせいで動けない。


『紫苑! やめっ……やめなさい!』


『やめねぇ。そんな姿になってまであいつを殺そうとするてめぇは狂ってる。だからここでてめぇを殺して今すぐ楽にしてやるよ』


『紫苑…………そうね、わかった。私も今ので決心がついたみたい。貴方があの人に殺されてしまう前に、私が貴方を殺してあげる。終わらない恐怖を覚えることよりそっちの方が幸福だものね』


『ハハッ、やっと……やっとてめぇのその口を終わらせる日が来たんだな』


 振り返ると、マギクの無機質な後ろ姿が見えた。今まで見えなかった紫苑が浮かべる表情は、決して好戦的というわけではなかった。何度も何度も諦めることを選択し続けた幼子のようなそれだった。

 決別する過程を間違えた義姉弟は、再び死の術をぶつけ合う。どちらかの心が死んだ時に決する勝負は、勝者の幸福を永遠に祝福するのだろう。だが、敗者は永遠と恨みを孕んで生きていくに違いない。


「待てっ!」


 その声の持ち主は、心を削り合う勝負を止められない二人の家族の春ではなかった。ママと結希を睨みつけ、自分を軽々と超えていく一匹と一人の後を追うのは美歩だった。


「──ッ!」


りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん!」


 他人なのに、他人とは思えないような瞳で結希を睨みつける美歩は一気に九字くじを切る。瞬時に結界で防ぐが、陰陽師おんみょうじの術を陰陽師の術で完全に防げるというわけではなかった。


「裏切り者……! 裏切り者……っ! 許さない、あんたら二人は絶対に許さない……!」


 地獄の底から這い出てきたような恨み言は、結希の足首を掴んで決して話さなかった。何故かママにも恨み言を吐く美歩は、なんの反応も示さない二人に罵声を浴びせる。


「誰のおかげで陽陰町ここに来れたと思ってるんだ! なのに……っ、誰も殺さずに自分だけいい思いをしやがって! ふざけるな! 死ねっ! 死ねぇ! 死ねぇっ!」


 ママを狙う九字を九字で弾く。そんな器用な真似ができる結希を美歩は再び睨みつけ、「あんたも死ねぇっ!」と呪術を生んだ。


「──ッ?!」


 確かに自分は裏切り者だ。だが、陰陽師の裏切り者であって美歩自身を裏切ったわけではない。

 それとも──亜紅里がかつて言ったように、百妖家に居候することになった過去が結希を彼女にとっての裏切り者にさせたのだろうか。


 かける言葉を失くしながら、結希はじっと年下である美歩を見つめる。どんどんと引き剥がされていく美歩の姿は遠目から見ても苛立っており、見えなくなってもヒステリックな叫び声だけは聞こえていた。


『オリロ』


 声をかけられ、ようやくママが立ち止まったことに気づく。辺りを見ると、本殿の裏側に存在していたはずの森一帯が焼け野原になっていた。


「ありがとう、ママ」


 背中を撫で、礼を言う。ママの耳の中に入っていたポチは楽しそうな声を上げ、ママの頭部で走り回った。

 きっと楽しかったのだろう。ポチ子はどんな時でも子供のように無邪気になって遊んでいる。そんな日々が、この戦場で戦っている誰にあったのだろう。


「……依檻さん」


 焼け野原の中心部で焚き火となっていた依檻は、結希の声に応えるようにその炎を一瞬強めた。


「結希様!」


「……ユー」


 遠くに避難していたのか、駆けつけてくるスザクとオウリュウは無傷で。これほどまで範囲の森を燃やした依檻だけが傷ついているように見えた。


「何があったんだ?」


「妖狐でございます! きっと、今もどこかに潜んでいるはず……! 幻術を使った阿狐頼あぎつねよりだと思われます!」


「……炎で燃やしても、出てこなかった。この辺りにはもういない……?」


「……あぁ、それであんな火柱が立ったのか」


 合点がいった。依檻の能力にはそれ以外の選択肢がない。だからこんな結末を迎えてしまったのだ。


「依檻さん! 一旦元の姿に戻ってください!」


 瞑目し、頼の妖力を探ってみる。だが、オウリュウの言う通り本当にこの辺りにはいなかった。


「依檻さん!」


 返事がない。口がないせいで声が出ないのは知っているが、なんの反応も示さない。


「まさか、弱っているのでございますか……?!」


「いや、妖力が弱っていたらさすがに気づく。多分、そうじゃなくて……」


 結希は依檻の元へと駆け寄った。断定はできないが、妖力が弱っているわけではないのなら──。


「依檻さん!」


 意を決して九字を切った。ぼんやりと姿を現しつつある依檻は、膝をついた状態から地面に倒れる。その身体は、傷ついているというわけではなかった。

 最悪の事態は免れたものの、この状態には身に覚えがある。依檻の体をうつ伏せから仰向けに変え、結希は朧気な瞳を見つめた。


「……ユー、これって……」


「どうなさったのですか?! 依檻様はご無事でございますか?!」


「いや、これは……」


『キツネノ〝ゲンジュツ〟ダナ』


 結希の見立ては、九尾の妖狐のママと同じだった。幻術にかけられ、夢を見ている状態に等しい。


「どうすれば依檻様を救えるのでございますか?!」


「阿狐頼を倒さないと無理だ。……多分」


「……多分」


『ソレデイイ』


 刹那、ぞくりと背筋を舐められた。この感覚には覚えている。かつて相対したことのある〝彼女〟よりも強力な妖力は、結希に〝本物〟であると告げていた。

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