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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第八章 業火の大罪
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十七 『火柱』

 気づけなかった。真後ろにいる阿狐頼あぎつねよりの狂気を孕んだ妖力は、今まで出逢った半妖はんようの誰よりも膨大な力を秘めている。なのに、彼女は容易にその身を隠して世界を闊歩する悪魔だった。

 陰陽師おんみょうじに悟られないように長年研鑽を積んできたのか──そう思えるほどに彼女は嗤ってそこにいる。若いとはいえ、陰陽師の協力者が数名いるのだ。そうなってもおかしくはないほどに彼女は自分の弱点を認めて殺している。そんな阿狐頼だから、結希ゆうきは指先でさえ動かせなかった。


『〝カンブツ〟メ……! ヨウヤクスガタヲアラワシタカ!』


 ママはポチを耳の中に隠し、毛並みを逆立てて牙を剥いた。


『姦物ダト……? 妖怪ノクセニ、私ノ娘ニ情デモ湧イタカ』


『ダマレ〝カンブツ〟! アノコハキサマノ〝ムスメ〟デハナイ! コレイジョウアノコノジンセイヲツブスナ!』


 剥き出しにしたのは牙だけではなかった。数百年、数千年生き続けたママでさえ感情を剥き出しにし、削ぎ落とし、鋭利な刃物として一直線に獣へと駆ける。


『五月蝿イ獣メ』


『〝ケモノ〟ハキサマダ!』


 ママは九尾の妖狐だ。阿狐頼も妖狐の姿をしているが、両者の実力差を知っている結希は目を見開いて手を伸ばす。


『散レ』


『──ッ!』


 膨大な瘴気を撒き散らし、一瞬にして空中に放り出されたのはママだった。

 千切れた肉片は他の妖怪と違わず平等に地面に落とされていく。平等に、死んでいく。


「──ママッ!」


 母親ではないのに、呼んでいた名前のせいか自分の心も千切れていった。

 切っていた九字くじがどうしても切れない。息を呑んだスザクのように、結希もママの形がなくなったことを受け入れられなかった。


「そ、そんな……!」


「…………」


 結希も、主人に従順なスザクも、千年を生きるオウリュウも、動けなかった。汗を一滴流すことさえ命取りだ。呼吸をすることでさえ躊躇われる。逃げ道はない。ここに来た時点で逃げる気はない。依檻いおりを支える腕が重さで震える。彼女の瞳に映る自分の表情は強張っていた。彼女を救う為に阿狐頼を疵つけなければならなかった。


『其所ニ居ルノハ芦屋結希アシヤユウキカ。久方振リダネ』


 その言葉に答える声はない。静寂の中に、燃やされ荒廃した土地神の身体を撫でる風だけが吹いている。

 焦げ臭い匂いが運ばれてきた。煙さえ出さないほどに酸素が消失した辺りに再び火が灯る。発生した異臭に胸糞の悪さを覚えるが、それ以上に不快だったのが阿狐頼という存在だった。


紫苑シオンハ此度ノ件デ完全ニ私ヲ裏切ッタヨウダ。亜紅里アグリ諸共殺シテヤロウ。其方ノ家族トヤラモ殺シテヤロウ。其所ニ転ガル妖狐ノ様ニ殺シテヤロウ』


 耳の奥で響く耳障りな声が再び聞こえてくる。熟考されたとは思えない安直な発言だ。だが、戦いの火蓋は既に切られている。

 小倉おぐら家でぶつかり合う二つの勢力が、腕の中で赤ん坊のように抱かれている義姉の依檻が、土地に染み込んだママの命が、その事実を結希の頭に刺し込んで、切り刻んで、分解して、捏ねてくる。


 瞳にまざまざと映し出される荒野は戦争の爪痕だ。阿狐頼が宣戦布告をする前に負ってしまった無用の傷だ。だから、その言葉にたいした力がないことを知っている。言葉だけが持つある種の呪いだけがこの土地にこべりついていた。


『何モ言ワヌカ。其方ハ父親ニ似タツマラヌ肉塊ダナ。母親ニ似タ方ガ甚振リガイガアッタトイウノニ』


「──ッ!」


 妖狐に化けた阿狐頼は、細長い妖艶な笑みを浮かべていた。そうだ。思い出した。銀色の毛並みを持つ醜美を兼ね備えた悪しき獣は、自分の両親と共に生徒会としてこの土地を守り続けたニンゲンであるということに。


「結希様……!」


「……ユー」


 二人が結希に判断を仰ぐ。結希を庇うように正面に立ち、結希は依檻を地面に下ろす。


「死ぬ気で守るぞ」


 その為にここに来た。阿狐頼と戦うことは、最初から覚悟を決めていたことだった。


『相変ワラズ勇マシイネ。青臭クテ反吐ガ出ル』


「一応聞かせてください。貴方の目的はなんですか」


『其レヲ聞イテドウスル。冥土ノ土産カ?』


「冗談はやめてください」


 変わらず喉の奥で笑う頼は、愉しそうに尻尾を振る。

 頼が一瞬でも本気を出せば、結希はすぐに殺されるだろう。そんな気迫が彼女にはある。だが、一瞬で終わらせないのは頼の元来の嗜虐性のせいだろうか。


『クククッ、クククククッ』


「スザク、オウリュウッ!」


 呼びかけ、それに応じた二人は一気に左右へと散開した。正面に腰を下ろす阿狐頼は愉快そうに狐目を細め、二人からの攻撃を待っている。


りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん!­­」


 真後ろにいる依檻に幻術をかけ続けているくせに、どこにそんな余裕があるのか。それとも単に要領がいいのか、阿狐頼は想像以上に場慣れしている。切られた九字を避けることも、頼にとっては容易なことだった。

 ニンゲンであるはずなのに、四足に慣れている彼女は後ろ足を器用に使って後退する。人間の姿でも半妖の姿でもない妖狐だが、常に他人を嘲笑うような表情だけは崩さなかった。


『クククッ、陰陽師ハ同ジ事シカ出来ヌノダナ』


「それは貴方も同じことでございましょう?!」


 真後ろに回ったスザクが抜刀。阿狐頼目掛けて刀を振るう。


『何モ同ジデハナイサ』


「……ううん、同じこと」


 太刀を振り回すオウリュウは、スザクが避けられることを想定した上で立ち回っていた。

 小回りが利かないが、豪快に振り回して追撃を繰り返す彼の気迫はないに等しい。過度な力を加えることなく、自然の流れに身を任せて振るい続けている。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!」


 その隙に仕掛けた。逃げ場を断つスザクとオウリュウの刃に追われ、阿狐頼は姿を晦ます。だが、それさえも彼女が作り出す瞞しだ。結希には効かない。


「結希様! もう一度お願いいたします!」


「……ユー、やって!」


 再び切った九字は掠った。どんなに素早く九字を切っても、詠唱中という間が開く。頼はその隙に数多の幻術をかけ続けるが、次に切った結希の九字でその幻は破綻する。


 ──キリがない。


 唇を噛み締めて頼を睨んだ。頼も先ほどまで見せていた余裕を消し去ってその瞳を細めていた。

 お互いがお互いの力を打ち消し合う。姉妹が傍にいてくれたあの時とは、阿狐頼がクローンだったあの時とは、全然違う。阿狐頼が朝日を止めているというのなら、未来永劫終わらない体力勝負となるだろう。そんな地獄のような戦いを強いられて、折れない心はないに等しい。結希の心が折れないのは、真後ろに守るべき対象である依檻がいるからだった。


「ッ!」


 結界を張り、一旦休む隙を作る。無策でここまで来てしまったが、やはり何かしらの策がなければ阿狐頼には勝てないのだろう。


「結希様! 埒が明かないので援軍を呼びましょう?!」


「……スザク、行くならできるだけ多くの戦力を呼んできて。早く決着をつけないと」


 だが、結希の命令がない限り二人が動くことはない。結希は阿狐頼から視線を逸らさずに後退し、依檻を跨いで彼女のことを見下ろした。


 依檻は、炎の壁を作っている間に逃げろと言った。それに了承した結希は多分、今すぐ逃げなければならない。


「いや、すぐに援軍が来る」


 それでも、壁を作れずに敗北した彼女との約束を破って──結希は法螺を吹いた。

 一番傍にいてほしい戦力は、徐々に徐々に増えていく妖怪を倒している姉妹たちだ。だが、足止めをされた彼女たちが来ない以上、異変に気づいた他の勢力の加勢を待つしかない。その時間を作るのは、他でもない自分自身だった。


「──ッ!」


 ポケットに突っ込んだ手は数枚の形代を鷲掴んだ。取り出したそれを荒れ果てた大地に貼りつけて、神が息吹く瞬間を待つ。


『其レハ……』


 阿狐頼は眉を顰めた。穢れが移された形代をそのままに、結希はその時をじっと待つ。


「四神よ、我に力を貸したまえ。我の名は百妖ひゃくおう結希、力を欲する陰陽師である」


 自分の名を口にした途端、阿狐頼がせせら笑った。まるで、自分がその名を名乗ることに快楽を覚えているようだった。阿狐頼が悦ぶことは極力したくない。だが、百妖家であることに変わりはない。そうであることに誇りを持っている。

 これから何が起こるのかを予想して、それでも止めようとしなかったのは何かの罠なのか──。だが、結希は丁寧に詠唱した。


青龍せいりゅう白虎びゃっこ朱雀すざく玄武げんぶ空陳くうちん南斗なんと北斗ほくと三台さんたい玉女ぎょくにょ


 巨大な結界が出現するイメージで、全員を包み込むようなベールを作る。


『土地神ノ穢レヲ祓イ、四神カラ力ヲ借リタカ』


 それは決して悪ではない。悪なのは頼自身であって結希ではない。


『此ノ結界ハ、強固ダナ』


「……何がしたいんですか、貴方は」


 壊した結界が目の前で貼り直されても、頼は妨害することもなく傍観していた。そんな彼女の目的が底なし沼のように不明瞭で恐怖を覚える。


『何ガシタイト思ウ?』


「目的がないならこんなことはしないでしょう?」


『ソウダナ。……アァ、ソウダ』


「これは貴方の目的じゃないんですね」


 今まで壊してきた結界には、なんの意味もなかった。それを遂行していたマギクたちは意味のないことをやらされていた。いや、いつか身になることをさせられていたのなら、それは──。


「──〝百鬼夜行〟、ですか?」


 肯定もしなければ、否定もしなかった。阿狐頼はその目的に向かって今までこんなことをしていたのか。今までの出来事はすべて布石だったのか。


「百鬼夜行を行えば人が死にますよ。六年前、一体どれほどの人が死んだのか知ってるんですか?」


『無知ナノハ其方モ同様ダロウ。記憶ヲ無クシタ哀レナ子供ヨ』


「っ、」


『ククッ、図星カ』


 知らないからこそ、その言葉に熱が入らない。地獄を見ていないのは結希も同様──いや、頼は見た上で平然としているのか。


 だとしたら、それは本当に狂っている。結希ではなく、数多の人間から殺意を向けられて殺される。


「何があってもその道を選ぶんですね」


 それを理解していない頼ではないはずだ。生徒会役員で、《十八名家じゅうはちめいか》の旧頭首だったニンゲンだったのだから。


「貴方は本物のバケモノだ」


 吐き捨てて、歩み寄ることを辞めた。少しでも理解できたらと思った自分が間違いだった。

 理解できないからこそ、結希は自分の信念で動き出す。しゃがんで触れた依檻に謝罪し、結希は軽く口づけをした。


 もう一生しないと思っていたが、緊急事態なのだから仕方がない。依檻もわかってくれるはずだと信じて、覚醒した依檻の火柱に飲み込まれた。

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