十三 『陽陰学園文化祭』
煙が中庭に充満している。結希は自分の鼻を頼りに歩き回り、目的地へと向かっていく。昼時とあってか食品の出店が立ち並ぶ中庭は混雑しており、辺りを見回して結希はようやくそれを見つけた。
「愛果」
テントの下で豪快に焼きそばを焼く愛果に声をかけると、愛果は顔を上げて一瞬だけ息を止める。そして顔を赤らめ、「ちょっ、えっ?! 何しに来たのさバカ!」と罵倒した。
「何って、普通に焼きそば買いに来たんだけど」
「アンタに売る焼きそばなんかどこにもないし! あっち行け! しっしっ!」
「マジか。焼きそばの気分だったのに」
「気分なんかすぐに変わるだろ!? も〜! あっち行けってば〜!」
地団駄を踏みながらも焼きそばを盛りつける手だけは止めず、結希は感心しながら辺りを見回す。
愛果のクラスが焼きそばだと知ったその日から食べる気でいたのに、今から食べ物を変えるなんて真似はできない。せめて同じ焼きそばでなければ。
「あれ? 百妖弟くんじゃ〜ん」
「あ、マジだ。弟クンだー!」
「なになに? あんた、弟が来て照れてんの〜? 追い返すの可哀想じゃんお姉ちゃ〜ん!」
「照れてないし! 部外者は散れ!」
振り返ると、数人の女子生徒がにやにやと笑いながら愛果を小突いていた。愛果は耳まで真っ赤にさせて否定するも、ギャルっぽそうな彼女たちは聞く耳を持たない。
「弟く〜ん、焼きそば何個欲しいの?」
「五個でお願いします」
「へぇー、めっちゃ食べるねぇ。男の子だねぇ」
「違います。他はゲスト用です」
先輩と関わる機会をなかなか持たない結希は若干そっぽを向き、未だににやにやと笑う彼女たちから半歩距離を取る。それをちゃんと見た上で揶揄った彼女たちは、それぞれの持ち場に戻っても楽しそうに会話を続けていた。
「生徒会の仕事で頑張る弟くんのには肉入れまくろーよー!」
「ゲストのは青海苔抜いた方が良くねー? 野菜も細かく切っちゃおーよ」
「はいはーい。愛果、焦がすなよー」
「わかってるし! ちょっと黙ってて!」
愛果はその振る舞いのせいで友達が少ないと勝手に思っていたが、目の前で焼きそばを作る彼女たちは昔からの友人のような雰囲気で作業をしている。それが少し意外で、逸らし気味だった視線を戻して結希は彼女たちを見つめていた。
「アンタさぁ」
不意に、久しぶりに会った愛果がぽつりと口を開く。
「気のせいだったらごめんだけど、なんか元気なくない? 何かあった?」
結希は目を見開き、問うように眉を寄せる愛果の鋭さに驚きながら彼女を見下ろした。
「何かって言うか、この間から紅葉と火影が喧嘩しててさ。あいつらこれから劇やるんだけど上手くやれるかなぁって。それだけだよ」
離れているからこそ気づけたのか、いつの間にか人の顔色を読めるようになっていた愛果は「ふぅん」と相槌を打つ。
「まぁでも、本人同士の問題なら口出ししない方が吉でしょ。アンタが何か言ったって悪化する未来しか見えないし」
「えっ」
「『えっ』て何さ。口出ししたの?」
「…………」
結希が黙って視線を逸らすと、わざとらしく愛果がため息をついた。
「アンタバカ? 女子中学生の喧嘩に従兄が口出しとかおかしいでしょ」
「……確かに」
「まぁ、それでも言っちゃうのがアンタってとこあるけどさ」
呆れながらもへらりと笑い、愛果は焼きそばをパッケージの中に盛りつける。その手際はかつて百妖家で見た手際と大きく異なっており、結希は再び愛果を見つめる。
「あ、あのさ、あんまり見な……」
「やっほ〜、結希。愛ちゃんも」
振り返ると、そこには青葉を連れた依檻がいた。
相変わらず堅苦しいスーツを着用している青葉は表情を変えないまま腕を組み、ちらりと結希を一瞥する。結希は青葉の視線に気づかない振りをして料金を払い、数歩下がって道を開けた。
「二人が校内で一緒にいるなんて珍しいわね〜。今日は大体みんな来ているし、久しぶりに集まれるかもしれないわね」
「俺、今日は忙しいですよ」
「じゃあ《カラス隊》の寮に来ればいいじゃない。久しぶりにみんなで晩御飯食べない?」
「それならまぁいいですけど……」
結希は頷き、いまいち進展しない末森の件を思い出す。
末森が紫苑と春と繋がっているのか。末森は敵か味方なのか。何一つわからないまま紫苑のフルネームを知って一ヶ月が経とうとしている。
なるべく接触する機会を増やす為にも、依檻の誘いを断る理由はどこにもない。依檻を見ると、依檻は子供のように瞳を輝かせて結希を抱き締めた。
「うわっ?!」
「結希〜! ありがと〜!」
「これ依檻。人前で抱きつくな」
「人前じゃなくてもダメだっつ〜の! 離れろいお姉! この恥知らずっ!」
「それ愛果が言う〜?」
「弟くん頑張れー! 依檻ちゃんなんかに負けるなー!」
焼きそばを潰さないように依檻を振り切り、結希は人でごった返す中庭から脱出する。当然中庭以外も混んでいるが、第一体育館に直結する一階の廊下まで来ると先ほどまでの喧騒が嘘のように人がいなくなっていた。
結希は関係者以外立ち入り禁止の立て看板を無視して突き進み、閉ざされた第一体育館の重厚な扉──その手前にある扉を横に滑らせて中に入る。
木製のそれは和室専用の扉で、靴を脱いで再び障子を横に滑らせると幾つもの和室がそこには連なっていた。
同じく木製の廊下を歩き、手前にある障子に声をかける。すると、舞台用の化粧を細部にまで施した歌七星が障子を滑らせて姿を現した。
「結希くん」
少しだけ目を見開いて息を吐く歌七星はやがて笑みを零し、結希を受け入れる。
「お久しぶりです、歌七星さん」
「えぇ。お久しぶりですね」
「お昼持ってきました」
「わっ、ありがとうございます。ルカ、貴方の望む昼食が届きましたよ」
奥の方に視線を向けると、畳の上に寝そべっていた瑠花がガバッと起き上がって結希を見た。
「うわぁ、弟くんだ! 弟くんがご飯を持ってきてくれたの?! ありがとー!」
「ありがとう、結希くん。おっ、焼きそばじゃん。これぞ文化祭って感じだねー」
死角にいた千都までもが姿を現し、歌七星が受け取った焼きそばをマジマジと見つめる。
「しかもこれ、青海苔抜きじゃない? 気が利くじゃん。さっすが歌七星の弟くん」
「ホント? すっごーい! これぞ神からの賜物って感じだねぇ。ナイスだよ弟くん」
喜んでくれるのはありがたいが、何故義姉の知り合いは自分のことを〝弟くん〟と呼ぶ確率が高いのか。
結希は唇を引き、焼きそばを掻っ攫う二人を呆れながら見送る歌七星に視線を落とす。
「行儀が悪くてすみません。ありがとうございます、結希くん」
「いえ。足りなかったら言ってください。追加で持ってきます」
「はい。では、そのように」
障子を閉めようとし、歌七星は不意に結希を見上げる。
「ところで結希くん、その……貴方は見に来るんですか?」
「あ〜……すみません。多分今日は行けないです」
「そうですか。では、明日か明後日には来るのですか?」
「そうですね。裏方として行くのは最終公演なんですけど……」
三日間行われる文化祭で、《Quartz》と和穂がステージに上がるのは午前と午後の計六回。六人いる生徒会役員がどれか一つを裏方として担当しなければいけないのだ。
「そうなんですか。客として来る場合は事前に言ってくださいね。不意打ちで来られると……その、心臓に悪いので」
「はい。気をつけます」
キャラを作っている姿をあまり身内に見られたくないのだろう。歌七星は手を口元に当てて頷き、ぴしゃりと容赦なく障子を閉める。
『心臓に悪いって何? カナセこの前は普通に呼んでたじゃん』
『わかるよ。熱愛発覚って心臓に悪いよね』
『ルカ、表に出なさい』
『ヒィッ! 目が笑ってないよカナセちゃん!』
慌ただしく走り回る《Quartz》の楽屋の隣は和穂の楽屋で、声をかけるとすぐに和穂が障子を開く。
迷惑そうな表情で片手を差し出す和穂に焼きそばを手渡すと、和穂は何故か舌打ちをして隣の楽屋を睨んだ。
「うるさいんだけど」
「あ〜……楽屋変えます?」
「そんな解決方法は望んでないわよ。黙らせてって言ってるの」
「あの時みたく乗り込めばいいじゃないですか」
決して面倒だと思ったわけではない。ただ、結希は棘があっても生き生きと話す和穂と歌七星を知っている。
「あの人にはもう関わりたくないの。忘れたいのよこっちは」
「本気の喧嘩でもしたんですか?」
「違う。疲れただけ」
はぁとため息をつく和穂は、本当に参っているようだった。結希は突っ込んで話を聞くのを止め、「では」と引き下がる。
「ねぇ」
「はい?」
「──貴方たち百妖家は、いつ壊れるの?」
消えそうなほどか細く、先月大学で見かけた時よりもやせ細った和穂は弱々しく尋ねた。あの時のような意地悪な言葉選びでも、あの時のような生気は感じられない。
結希は唾を飲み込み、自分が知らないところで何かが起きているのだと悟った。
「壊しません、絶対に」
だが、結希は目に見えて弱り切った和穂よりも家族を選んだ。和穂は長い息を吐き、無言で障子を閉める。
自分の殻に閉じ篭った和穂にかける言葉はなく、結希は踵を返して──廊下の奥で蹲るアイラに気がついた。
「アイラ……ちゃん?」
近づいて声をかけると、アイラはゆっくりと顔を上げて体を強ばらせる。
「どうしたの?」
麗夜によく似た真朱色の瞳に結希を映し、アイラは強ばったままこう答えた。
「公演まで時間があるから、待ってる」
「え? アイラちゃんのクラスって展示会じゃなかったっけ」
「演劇部だから」
「へぇ、そうなんだ。一人で待ってるの?」
こくりと頷き、アイラは身を縮ませて結希から離れる。それは怯えているようで、身に覚えのなかった結希は頬を掻いた。
「えっと……俺のこと怖い?」
「そうじゃなくて……あなたはマミヤユウキだから」
目を見開く。何故、アイラは自分の旧姓を知っているのだろう。よく見れば白い肌を朱色に染め、照れくさそうにアイラは丸まる。
「あの……あの時、わたしと、みんなのことを助けてくれて、ありがとう」
そして思い出した。彼女が元《グレン隊》で、今は《カラス隊》に身を置いているということに。
「あのさ、もし良かったら公演まで一緒に回らない?」
「え?」
「せっかくだから楽しもうよ」
結希はそっと手を伸ばす。今ここで、アイラとの縁を切らないように。




