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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第六章 姫君の黒翼
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十  『四兄妹』

 玄関先で靴を履いている最中、開けっ放しの扉から差し込む茜色に影が差して、結希ゆうきは顔を上げる。


るい


 今しがた帰宅したのだろう。スーツ姿の涙は相変わらずの無表情で、屈む結希を見下ろしている。だが、その薄花色の瞳は身近な人間でないと気づけない程度に充血していた。


「今から進行ですか?」


「あぁ」


 結希は振り向き、俯きながら背中を丸める紅葉くれはを見やった。


 千羽せんばのことを告げてから、紅葉はこうして──喜ぶでもなく悲しむでもなく、大人しく結希に追従している。

 学校でもそうだったらしく、紅葉のクラスに迎えに行った時に見た火影ほかげの戸惑ったような表情は忘れられなかった。


「涙も行くぞ」


「俺は昨夜対面です。今回は……兄妹だけで」


 ぽつりと、涙が言葉を漏らした。その言葉の意味はそのままで、兄の千羽と、妹の紅葉のことだ。


「……ふざけないでよ」


 見つめていた紅葉の肩がわなわなと震えた。


「くぅと、〝にぃ〟と、〝ゆぅ〟と、るい……四人でキョーダイでしょ? そうだったでしょ? 何が兄妹だけでよ、そうやって今さら他人面しないでよ!」


 ぼろぼろと涙を流す紅葉は力強く涙を睨んだ。紅葉はいたいけな少女だし、よく泣くが、叩いても折れない芯がある。それを今発揮していた。


 だが、今の今まで他人面をしていたのは紅葉だ。涙をゴミと罵って、距離を置いて、嫌っていたのは紅葉なのだ。そして、涙も涙で他人面だったのだ。四年もアメリカで生活をし、帰ってきても仕事でいない日々が続く。

 結希はそんな二人を知っている。


「……それに、〝にぃ〟は、今のくぅたちを知らないでしょ?」


 百妖ひゃくおう家で暮らしている結希が結城ゆうき家に赴くことは極端に減り、必然的に距離ができてしまっているのも現状の一つだ。


「〝にぃ〟にこんなの……くぅは絶対に見せられないもん」


「紅葉、俺は……」


 涙は口を開け、やがて閉ざす。何も言えないのかゆっくりと視線を逸らし、涙は唇を引いた。


「くぅはあんたのことが嫌いだけど、〝にぃ〟はそんなの……絶対に望んでないもん! それくらいはわかるもん!」


「俺もそう思うよ、紅葉」


「……結希」


「昨日会った千羽は、俺と紅葉と涙──三人で会いに来ることを望んでいた」


 ぎょっと目を見開いた涙は結希に視線を移し、問うようにこてんと首を傾げる。


『待ってるよ、結希くん。いつまでもずっと、この地でね』


『うん。紅葉ちゃんにも、涙くんにも、教えてあげるから』


 心優しい千羽は、弟の結希にそう言ったのだ。

 六年前で時間が止まっている千羽は、キョーダイのことを誰よりも大切に思っている。四兄妹全員が六年前のあの日に時間が止まってしまったというのに、本当に変わっていないのは千羽だけなのだ。


「行くぞ、三人で」


 そして、幼子のように瞳を揺らす涙の肩に片手で触れた。


「……了解です」


「……あんたの車でなんだからね」


 ローファーを履いて隣に並んだ紅葉が言う。

 涙は確かに頷き、三兄妹はかつての四兄妹が遊び明かした結城家を後にした。


 幽霊の出没時間は丑三つ時が基本であるが、千羽の場合はそうではない。彼には強い未練があり、リンドウのあの地で六年も待ちぼうけている。

 結希と紅葉、そして涙が揃うのは定時を過ぎた黄昏時だ。今日は無理を言って文化祭の準備を互いに放棄し、今こうしてあの地へと向かっている。


「なぁ、今まで誰もあの地に行かなかったのか?」


 車内の空気が緊迫したものでないと確認した結希は内心で怯えながらそう尋ね、後部座席で首を横に振る紅葉と運転席で否定する涙を見た。


「あの地は鴉貴からすぎ家の縄張りです。無闇に行くところではありません」


「じゃあ、あの日はどうしてそこに行ったんだ?」


「鴉貴家が所有する地下階段が目的です。《十八名家じゅうはちめいか》全家の蔵に存在し、町民は皆、有事の際は地下に避難です。そこに進行する途中で妖怪に襲われたと推測です」


「……そうよ」


 振り返ると、紅葉が間髪入れずに唇を噛んだ。


『〝にぃ〟が目の前で死んじゃって、にぃが来てくれて、くぅを助けてくれた。にぃはくぅを閉じ込めてどっかに行っちゃって、百鬼夜行は終わったの』


 あの地で千羽が死んで、結希がすぐさま駆けつけて、紅葉だけが助かった。結希は紅葉を──恐らく鴉貴家の蔵に閉じ込めて、どこかに向かい、百鬼夜行を終わらせた。それが真実なのだろう。


 バイクでかけた時間よりも、車でかけた時間の方が短い。結希は助手席から身を起こし、鴉貴家へと向かう森の小道を視認した。

 車外に出、後部座席にいた紅葉が結希に縋りつく。


 彼女の傷はまだ癒えていない。

 涙の傷も、まだ癒えていない。


 結希は怯える紅葉の好きなようにさせ、涙と共にリンドウの地へと前進した。

 青と紫のリンドウが咲き乱れ、金木犀の匂いがどこからともなく香ってくる。山の紅葉がひらひらと落下し、この地独特の雰囲気を醸し出す。


「千羽!」


 彼の名を呼んだ。すると、ふわりとした冷気が結希たちを包み込む。


「結希くん、涙くん」


 千羽だった。

 昨日の姿のまま移動する千羽は視線を移し、柔らかく微笑する。長年探し求めていた宝物を見つけたような、生まれて初めて宝石を身につけたような──そんな薄花色の瞳で彼は唇を動かす。


「紅葉ちゃん」


 ありったけの愛おしさと真心を込めて。

 温もりなど遥か昔に亡くなった彼にはもうないのに、千羽は温かさを感じるような声で実の妹の名を呼んだ。


「…………」


 紅葉は何も言わない。ぷるぷると唇を震わせて、ぐしゃっと顔を歪めている。カラーコンタクトを入れたショッキングピンク色の瞳は今にも泣きそうだ。



「──ずっと、君に会いたかった」



 そんなことを言われたら泣かずにはいられない。

 紅葉は何度目かの泣き顔を晒し、十四歳の千羽を困らせた。


「泣かないで、紅葉ちゃん」


「うっ、ぐぅっ、うぅ〜!」


「ほら、笑って」


「うう〜!」


 全力で首を横に振る。

 千羽は眉を下げ、変わり果てた妹の化粧が崩れた泣き顔を見つめた。


 千羽の記憶の中にいる紅葉は、八歳で止まっている。十四歳と八歳の差は結希でもよくわかるほどに大きい。


 それでも千羽は妹を見間違えなかった。

 確信を持って彼女の名前を呼んでいた。


「酷い顔だよ、紅葉ちゃん」


 千羽は決して紅葉の頬には触れない。


「笑って、僕のお姫様」


 その距離がどうしようもなく遠かった。


 結希は視線を涙に移し、彼と目を合わせる。

 涙は無表情ではなかった。まっすぐに血の繋がった兄妹を見て、自分の感情に触れている。


「ばか……〝にぃ〟のばか……」


「ごめんね、紅葉ちゃん」


「どうして一人で行っちゃったの……! くぅを置いて行かないでよ……!」


「君と一緒には行けないよ」


「連れて行ってよ!」


「涙くんと結希くんを残して行かないであげて」


 兄妹の会話が延々と続く。

 紺碧色の着物を翻し、千羽は悲しそうに紅葉から距離を取った。


「〝にぃ〟っ!」


 慌てて紅葉が手を伸ばす。その手は空を掠め、紅葉は千羽へとさらに腕を伸ばした。


「行かないで!」


「紅葉ちゃん、君を守りたかっただけの僕を許して」


「待ってよ!」


「いつまでも大好きだよ。僕の、最初で最後の可愛い妹」


「〝にぃ〟っ!」


 千羽は慈愛の笑みを浮かべ、その様子を見守っていた結希と涙に視線を移す。


「まだ行かないよ。伝えたいことがたくさんあるから」


「それを全部伝えたら、〝にぃ〟は行っちゃうの?」


「うん」


「ッ!」


 千羽は結希と涙の目の前に降り立ち、再び微笑した。


「星読みと……あと、何がいいかな?」


「千羽の持っている知識を、すべて」


「教えてあげるよ。たくさんある僕の知識を」


「やっと、伝授する気になったのですか?」


「うん。独り占めをしていても、いいことなんて何もないから。死んでからようやくわかったよ」


 千羽は申し訳なさそうに肩を竦めた。

 話したいことは昨日のうちに話したのだろう。涙は怒ったような表情で「当然です」と返す。


「涙くん。この町がまた百鬼夜行の脅威に晒されているって、本当?」


「肯定です。サトリの半妖はんよういぬいが発言です」


「乾──あぁ、涙くんの義妹だね。彼女が言うなら間違いなしだと僕も思うよ」


「肯定です」


「アリアちゃん、だっけ? あの子も元気かな?」


「肯定です。…………俺の義理の家族で生き残ったのは、その二人だけです」


「そっか。涙くんも……大変だったんだね」


 四兄妹の最年長者は、紛れもなく涙だ。だが、今この瞬間は千羽が歳上のように見える。

 涙は大人だが、まだ二十三歳だ。こう見えて麻露ましろよりも幼く、結希とは六歳差である。


 六年後の自分が涙のようになれるとは思わないし、千羽が誰よりも大人びて見えるのは一度亡くなったからだろう。


 ──追いつけない。


 結希は兄二人の背中を見てそう思う。だから、紅葉には追いついて欲しくない。そういう四兄妹でいたい。


「俺たち陰陽師おんみょうじの現状は悲惨です。親世代をほとんど失い、老陰陽師と若い陰陽師のみで成り立っているも同然です」


「そうなんだ。じゃあ、僕たち若い世代が頑張らないとね」


 どこか他人事のような口調で、それでも〝僕たち〟と言う千羽は謎で。

 結希は眉間に皺を寄せながら、千羽が告げる術式の数々のメモをとる。星読みの方法から禁術まで。さらには札作りの神童である紅葉でさえ知らない札の製法まで彼は知っていた。


「どうしてそんなに……」


「紅葉が札作りの神童ならば、千羽は術式の神童です。そして──」


 視線を上げると、涙は何故か結希を見下ろしていた。



「──結希は、不可能を可能にする天才です」



 最後の最後に「俺はただの陰陽師ですが」と付け足す涙は謙虚で、驚く結希は千羽と紅葉の異論のない表情に戸惑う。


「涙くんは他の誰よりも飲み込みが早い、いい陰陽師だよ」


「否定です」


「ダメです、肯定してください。君は僕たちの──最高で最強のお兄ちゃんなんだから」


 教師が生徒を叱るような口調で異論を唱えた千羽は浮き、空を仰ぐ。

 いつの間にか夜が更けていた。黄昏時は既に終わりを告げている。


「〝にぃ〟?」


 何かに気づいたのか、紅葉がぴくっと肩を上げる。


「待って〝にぃ〟! まさか……!」


「もう、祓わなくても行けるのかな」


「ダメ!」


 隣に立っていた紅葉は咄嗟に千羽に抱きつくが、その身は空を掠めてたたらを踏んだ。そのまま地面に倒れ、顔だけ振り向かせた紅葉は空を見上げる。


「やだ! やだよ!」


 再び泣いたのは紅葉のみで、覚悟ができていた涙も、ほとんど初対面の結希も、黙って彼の旅立ちの瞬間を待っていた。

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