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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第六章 姫君の黒翼
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二  『鬼と鴉のお巡りさん』

 《カラス隊》の見学は、なんの収穫もないまま時間切れとなってしまった。

 結希ゆうきはため息をつき、駅前のデパートを後にして付近にある駐車場の中を猫背のまま歩く。両手には日曜大工用品を大量に購入したビニール袋を下げており、だらりと腕まで下がってしまうのも自然だった。


 不意に電話がかかり、結希は片方の荷物をバイクの上に置いて電話に出る。座席の上から落ちないように片手で支え、結希は汗を拭いながら「もしもし」と応答した。


『あ、もしもし。百妖ひゃくおう君ですか?』


「あぁ、神城かみじょうさん」


 電話の奥にいる千里せんりはほっと息を吐き、続けて何を思ったのか母親のような言葉を矢継ぎ早に告げる。


『買い出しは大丈夫でしたか? 何か問題はありませんでしたか? 熱中症にはなっていませんか?』


「いやいや大丈夫、本当に大丈夫。今からそっちに行くから……ていうか今そっちにいる?」


 慌てて千里を押し止めると、千里は無邪気に──多分何も言外に込めずに答えた。


『はいっ、いますよ。私の居場所はここだけなので』


 結希は笑顔を取り繕い、生真面目で自分と同じく片親である千里の人間関係の乏しさを僅かに案じる。

 最近は、同じクラスで遠足の班を共にしていたヒナギクと亜紅里あぐり──そして二人に釣られるような形で明日菜あすなとよく一緒にいるが、仲良くなれているのだろうか。


 人の人生にケチをつける気はないが、完全なる他人ではない以上娘を思う父親のような立場で不安を覚える。

 間宮まみや家の式神しきがみであった先代スザクの娘──千里は、結希にとっては最早家族同然だ。


 彼女や他の誰かを死なせる気は毛頭ないが、戦場に出る者のみと交流を続けているといざという時に千里を独りにしてしまう。それだけが気にかかっていた。


「わかった。スザクを呼ばせてすぐに行くから、しばらくそこで待っててくれ」


『わかりました。あ、飲み物はキムチラムネかキャラメルジュースのどっちがいいですか?』


「ごめん、ちょっと聞き取れなかったんだけどそのチョイス何?」


『あはは……。この前買い物に行ったゲンブとスザクちゃんが大量に買ってしまったみたいで、今全員で消費してるんです……』


 結希は頭を抱え、真新しい物にはとりあえず興味を持つスザク──というか自分自身の内の内側を反省する。


「ごめんな、あいつらバカで……。もう殴っていいから……」


『あ〜……セイリュウさんとビャッコがもう殴ってます』


「うん、それが正しい。絶対正しい」


 一言二言千里と会話をし、結希は通話を切った。

 スマホをひとまずズボンに入れ、百妖家の倉庫に眠っていたという誰のものかもわからない真っ黒なバイクに鍵を差し込む。荷物をメットインスペースの中につっこみ、それでも入り切らなかった袋を座席に置く。そして、これでも積載量がクラスメイトの中で一番多かった自らのバイクの座席を撫でて結希は一思いにバイクを押した。


 バイクを屋外の駐車場から出し、人通りが多く走行禁止となっている駅前の広場を歩く。

 荷物を支えながらバイクを押すとどうしても蛇行し、周囲に気遣いながら人気のない場所へと向かおうとするが──


「あっ」


 ──思いっきり荷物を落として結希は無言で空を仰いだ。


 忘れていたわけではないが、とてつもなく不器用な自分が荷物を落とさないというのは無理な話で。再び長いため息をつきながらバイクを止めると──


「はい、どうぞ」


 ──見知らぬ誰かが目の前に荷物を差し出した。


「あ、すみません。ありがとうございます」


 荷物を受け取った結希は視線を上げ、反射的に体を強ばらせる。

 そこにいたのは、《カラス隊》ではないどこにでもいる方の警官だった。


「文化祭の準備なのかな? いいね、青春だね。懐かしいな」


 そう言って微笑んで、どこか見覚えのある顔立ちをした警官は姿勢を正す。


 生まれつき備わっている宝石のような紫色の双眸。知性を帯びた瞳はまっすぐで、彼の前では決して悪事を働けないと思わせる。騎士道精神の塊のような優雅さと優しさと誇らしさを兼ね備えているが、繊維のようにきめ細やかなアシンメトリーの黒髪はカラスの黒翼のように流れている。

 ゴミを漁るそれと同等の髪と、その髪から覗く左耳につけられた二個のピアスと右耳につけられた一個だけのピアスは彼なりのアンバランスさを強調していた。


 それだけで、こんなに親しく話しかけてくる彼がどこの誰であるのかなんとなく察してしまう。


「……鴉貴からすぎ、さん?」


 秩序を司る家柄でありながら、無秩序の《カラス隊》を率いている輝司こうしの親戚。そうであるとしか思えないほど、輝司とよく顔立ちが似ている。


「うん、正解。陽陰おういん警察署地域課所属の鴉貴蒼生そうせいです。初めましてなのによくわかったね、結希君」


「な、なんとなくです。雰囲気とか、そんな感じの顔なので」


 ただ、例え末席だとしても《十八名家じゅうはちめいか》──それも警察官の一族の人間がただの警察官の服を着てこの辺りを見回りしているとはどうしても思えなかった。

 自信なんてものはこれっぽっちもなかったが、蒼生は何故か嬉しそうに微笑していた。


「そうなのかな? 俺としては結構馴染んでると思ってたんだけど」


 それは多分無理だろう。

 結希は言葉と唾を飲み込み、教えてもいないのに自分の名を的確に呼んだ蒼生をおっかなびっくりと観察した。


「んん? 蒼生〜、そんなとこで何してんだ〜? 早く交番に戻って人助けしようぜ〜」


虎丸とらまる。見てよこの子。間宮結希君だよ」


「えっ?! 間宮結希くん?!」


 刹那、目つきの悪さが全人類一の警官が結希の目の前に立った。

 血よりも濃い赤色の髪を持ち、その警官服と目つきの悪さも相俟って誰よりも悪目立ちをしている。警官服を着ているというのに不良っぽさがまったく抜けていないが、馬鹿っぽい口調と間の抜けた言い方は無垢な子供のようにも見えた。


「間宮結希くん! 間宮結希くんだ! 間宮結希くんだよね! ねぇ握手して!」


「なんでですか?!」


 許可もしていないのに結希の手を鷲掴んで上下に振る虎丸は、ヒーローを見るかのような子供の目をしていた。

 結希は一歩歩を下げて、《十八名家》やその関係者から知らぬ間に旧姓のフルネームで認識されていることに改めて気づかされる。


 自分なんて、記憶を失ってから人との交流を避けていたのに。

 知らないところで多くの人たちから知られていたことをこの年になって知るなんて思いもしなかった。


 それも、こんな町の交番に勤務する警官まで知っているなんて──。


「俺、鬼寺桜きじおう虎丸! 会えてすっげー嬉しいわ! そっか、そうだよな! 六年前が十一歳だから今年は生徒会だよな〜! うわ〜、懐かしい! 俺らが生徒会だったのって何年前だ?!」


 鬼寺桜?


 結希は顔を上げ、生まれて初めて出逢った《十八名家》鬼寺桜家の人間を観察した。

 鴉貴家と同じ警察官の一族である鬼寺桜家。その一族の人間である虎丸が鴉貴家の人間である蒼生と共に行動をしているのは自然なことだった。


「十年前だよ、虎丸。麻露ましろが生徒会長で、依檻いおりが副会長で、輝司がいて……かがりがいた」


「そっかそっか。あの頃はまだ愁晴しゅうせいもいたよな」


「そうだね。みんながいたから〝昔の話〟なんだよ」


「んん? おい、そこは〝思い出話〟って言えよ〜」


 勝手に話を進める二人に置いてけぼりにされた結希は、何も言えずに虎丸に繋がれたままの手を見下ろす。が、無駄に力強く握り締める虎丸から逃れることは難しかった。


「あぁ、ごめんね結希君。虎丸、そろそろ離してあげて」


「あっごめんな結希くん! 痛いの痛いの飛んでいけ〜……って、どうしたボーッとして。熱中症?」


「どうして……」


 離された自分の手をまっすぐに見つめる。


「……どうして、俺のことを知っているんですか?」


 先ほどまで繋がれていたものは、絆なんてものではない。そんなものを虎丸と蒼生と結んだ記憶は一切ない。


 なのに、確かに手とは違う部分で繋がっているような気がした。


「んん? なんでって……間宮結希くんが六年前の百鬼夜行を終わらせたんだろ? 《十八名家》で知らない人間は未成年の子ぐらいじゃん?」


「そうだね。特に、俺と虎丸は《十八名家》の本家の嫡男だし。何よりも結希君は、この世でたった一人しかいない俺の妹の命を救った恩人だから」


「妹?」


 ということは、鴉貴家本家の一人娘という意味だろうか。


 スザクがよく言っているが、結希はこの町の人間の命を救っている。それは虎丸にも、蒼生にも当てはまることだ。蒼生の妹に限った話ではない。


「ううん。なんでもな……あだっ?!」


「何をしているの、蒼生。虎丸。間宮結希くんにだる絡みをしゃダメじゃない。困っているでしょう?」


「んん? って、うわっ! 吹雪ふぶきさん!」


 視線を向けると、そこには蒼生の頭を殴った吹雪がいた。初めて会った後で聞いた話だが、分家筋だという吹雪は立ち位置で言うと輝司と同じ立場にいる。


 吹雪はウェーブがかった水色の髪を耳にかけ、腕を組んでため息をついた。次世代を担う《十八名家》の中では年上の部類に入る彼女は、結希を一瞥してふわりと微笑する。


「行きなさい、間宮結希くん。文化祭の準備があるんでしょう?」


「あ、はい。ありますけど……」


「けど?」


「……どうして、みなさんは俺のことをフルネームで覚えて呼んでくるんですか?」


 ずっと気になっていたことを尋ねると、三人は視線を合わせて首を傾げた。


「言いやすいからかしら?」


「みんなそう呼んでますし」


「んん? 《十八名家》だからじゃね? 俺らって一族ぐるみで付き合いあるし、どこどこの誰さん〜って感じだろ?」


 虎丸は結希を見、にっと人好きのする笑顔で敬礼する。


 間宮家の結希。誰もがそういう意味で呼んでいる。


 それは、裏切り者の家の結希という意味ではなく──誰もが悪意を持って呼んでいるわけではないことを、結希はこの時初めて知った。

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