一 『陽陰警察署A棟七階』
九月も半ばに差し掛かり、残暑が陽陰町を包み込む。それは、駅前から見た雑居ビル地区とは反対側に位置するオフィス街も例外ではなかった。
様々な企業やテレビ局、公共機関などが立ち並ぶこの場所に《カラス隊》の寮と本部は存在している。陽陰警察署A棟七階──エレベーターを下りて通されたフロアを見、結希は唖然と口を開けた。
今までの堅苦しい部署とは何かが違う。そもそもまず雰囲気が違う。隊員の一人が結希を一室へと案内し、結希はようやく、そこで輝司と対面した。
「おはようございます、百妖くん」
執務室の再奥に位置する王座に座り、足を組んで結希を見上げている。
結希は返答も忘れて視線を逸らし、明らかに執務室とは思えない絢爛豪華な王の間を見渡した。シャンデリアも、絨毯も、壁に施された細やかな彫刻も、丸みを帯びた天井の絵画も、何もかもが警察署の一室とは思えないデザインになっている。正直、ここまで《十八名家》の権力を目の当たりにしたのは初めてだった。
「おや。私を無視するとはいい度胸ですね」
「い、いえ! お久しぶりです鴉貴さん!」
慌てて背筋を伸ばし、考えが一向に読めない《カラス隊》の隊長──輝司を結希は強ばった表情で見つめる。輝司は微笑し、奇っ怪な物を見るかのような目をする結希を貪欲な瞳で観察した。
「安心してください。無視をした程度で貪り喰ったりはしませんから」
「信じられません」
「おや」
輝司は目を丸くし、多分、結希の返答に笑みを漏らした。
「面白くない冗談ですね」
「冗談を言うような人間に見えますか?」
「いいえ見えません。だからこそ扱い易い人間だ」
結希は顔を顰め、本当に何を考えているのかまったく読めない輝司の社交的な笑みに圧倒される。引くに引けないこの現状を作り出したのは自分だが、避けては通れない輝司を前にして早くも心が折れかけていた。
「ようこそ、百妖くん。烏合の衆の巣窟へ。愉快な《カラス隊》の駒が貴方を歓迎いたしますよ」
「言っときますけど入隊しに来たわけじゃないですからね」
「おや。それは残念です」
わざとらしく肩を上げ、組んでいた足を下ろした輝司は立ち上がる。
「では南雲くん、そろそろ入室を許可いたしましょう」
そして指し示した出入り口から、ノックもなく青年が入室した。
「百妖くんが《カラス隊》の見学をしたいそうです。案内をよろしくお願いいたしますね」
刹那、青い宝石のような瞳が揺れた。灰色に近いが似ても似つかない錫色の髪。色白い肌にも関わらず筋肉質で、その顔立ちは儚げにも見受けられる。全体的に色素が薄いがゴツゴツとした体格のアンバランスさは、捨てられたガラクタを磨き上げたかのような印象を抱かせるほどだった。
青年は少し厚めの唇を開き、眉間に皺を寄せ──
「はぁ? なんで俺がこんな奴の案内を任されるんですか。暇人なら他にいくらでもいるでしょう」
──見下すような視線で思い切り舌打ちをした。
「えっ」
隠しもしない不快感を顕にさせ、青年は錫色の髪を掻く。
「百妖くん。彼が《カラス隊》突撃班班長──南雲朔那くんです。とても優秀な私の駒で、自身の感情を真っ直ぐに表現することを得意としている元《グレン隊》の貧乏人です」
「ぶっ殺しますよ」
表情を歪めに歪め、朔那は苛立たしそうに腕を組んだ。輝司はそんな朔那の表情を嬉々として眺め、「そして立派な反抗期中なんです」とつけ足す。
「……反抗期?」
とてもそういう部類には見えないが。
ちらりと朔那を見上げると、朔那はぎろりと結希を睨むように見下ろした。瞳の中にさえ苛立ちを込めて、朔那は退出しようと背を向ける。
「百妖くん、早く行きなさい。南雲くんの歩行速度は異常ですよ」
「引き受けたわけじゃありませんから」
「貴方が引き受けないのなら、同じく班長のアリアくんと乾くんのどちらかに任せますが」
それでも良いですか?
言外にそう込めて微笑み、輝司は命令放棄をしようとする朔那の反応を待つ。振り返った朔那は嫌そうな表情を隠しもせず、すぐさま結希に視線を合わせて顎をしゃくった。
「よい見学を、百妖くん」
面倒事を隊員に押しつけ、再び王座にふんぞり返った輝司は肘掛けに肘をつく。
退出した朔那を追いかけようとした結希だったが、開け放たれた扉に軽くノックをして入室する隊員に道を譲って出遅れてしまった。
「失礼します、隊長。一週間分の報告書を提出しに来ました。全隊員分に目を通してください。それと、これらの書類に印鑑をお願いします。すべて本日中にやってください。警視監──隊長のお母様からのご命令です」
「なるほど。これを……全部ですか」
去り際に振り返ると、人一人分が抱えてようやく持てるほどの書類の山が絨毯の上に落とされたところだった。それを見下ろす輝司の顔はまったく笑っておらず、慈悲もなく背を向ける隊員と共に外に出る。
「如月」
「断る。それは班長であるお前の仕事だ」
廊下で結希を待っていた朔那は如月に仕事を擦りつけようとするが、忠誠を誓っていない者にはとことん塩対応をする如月にそれは難しく。
「朔那〜……あ、ゆうくん! 宗太!」
アリアと乾の出現により、朔那は結希の手綱を手放せなくなった。
「お久しぶりです、アリアさん。乾さん」
「久しぶり、ゆうくん。見学日って今日だったんだね」
「見学したってなんの経験にもならねぇぞ。無駄なことしてねぇで家帰って寝とけ」
アリアと乾は相変わらず行動を共にしており、舌打ちをする朔那を無視して結希を囲む。久しぶりに会った二人は今日も《カラス隊》の軍服を着用しており、朔那や如月が着ている男性用よりも布の面積が少なくて涼しそうだった。
「まぁ、頑張れ」
血色にも見える真紅色の瞳を細めて、如月は朔那の肩に軽く手を置いて全隊員が使用する事務室へと戻っていく。元々そうであったがさらに機嫌を損ねたらしい朔那は、何度目かの舌打ちをして結希を二人から引き剥がした。
「つーか、なんの用件だよお前ら」
鬱陶しそうな態度を表に出しておきながら、如月とは違い用件まで聞こうとする朔那。輝司とは何かが違うのか、何故かアリアと乾には面倒見が良い気がする。
「あ、そうそう。遥がパソコン壊しちゃったみたいだから見てほしいな〜って」
「はぁ? んなのお前らがやれよ。修理できんだろ」
「んなこと言われてもデータの復元だけはできねぇぞ」
「はぁ?! あのバカデータ吹っ飛ばしたのか?! 情報班はどこにいる!」
「見回りだ」
「じゃあなんで班長のお前がここにいるんだよ……!」
乾の頭を掴んで前後に振った朔那は、如月が消えていった事務室へと駆け込んでいった。後を追うアリアと乾は同時に結希を案内し、A棟七階の七割を占めるこれまた物で溢れかえった絢爛豪華な事務室の中へと彼を入れる。
「あっ、朔那!」
「お〜、来たか。悪いがこれ頼むわ。俺らじゃムリ」
すると、先月一度だけ会ってそれ以来見かけもしなかった遥と睦見が視界に入った。遥は目の前にあるパソコンを朔那に丸投げし、侮蔑の瞳で睨まれた直後に怖気づいて足を竦ませる。
「大丈夫なんですか? あれ」
「ん〜、まぁ朔那だから大丈夫だよ」
「どうせすぐ復旧するだろ。あんまり気にするなよ」
朔那が二人に対して面倒見が良いように、二人も朔那に対しての信頼が絶大な気がする。
結希は静かに事態を眺め、事務室の端に位置する少し大きめのデスクに末森と本庄がいることを確認した。
《カラス隊》の副長であり陰陽師でもある二人は、互いに持っている書類について話をしているらしい。時折声をかける他の隊員にも柔軟に対応し、できる幹部像そのものと言っても過言ではないだろう。
結希は意を決し、アリアと乾の元から離れて二人の元へと歩み寄った。
「あ、結希。おはようございます」
「おはよう。話は隊長から聞いている。今日は存分に学んでくれ」
「おはようございます、末森さん。本庄さん。本日はよろしくお願いいたします」
いつも通りだ。
いつも通りの末森だ。
「ふぅ〜」
「うわっ?!」
耳朶に生暖かい風を吹きかけたのは、末森の式神のヤクモだった。
寸分の狂いも許さず切り揃えられた短い前髪は彼女を幼く見せているが、下級遊女のように着崩された黒い着物から覗く体格は誰よりも色っぽい。髪型も言動も限りなく遊女に近い彼女は、末森の内の内側にいる末森を反映させた存在だ。
結希がスザクに似ているように、末森もきっと、ヤクモに似ている。だが、結希はまともにヤクモを見れなかった。
「ふふふ、ザクさんのぬし様は初心でありんすなぁ。その体、いつまで保つのか見物でござりんす」
「やめなよヤクモ。結希は未成年だから手を出したら犯罪だよ?」
「おやぬし様。あっちを捕まえるんでありんすか?」
「ふっふっふ。捕まえてあ〜んなコトやこ〜んなコト痛っったい!」
「ふざけるな末森。ヤクモも客人の前で秩序を乱すようなことはやめろ」
多分、本庄の様子を見る限り今の末森もヤクモもいつも通りなのだ。
「嫌だな本庄。俺たちは烏合の衆の《カラス隊》だよ? 秩序なんてないも同然なのに。ね〜痛っったい!」
「お前はもう少し警官だという自覚を持て」
ただ、警官としての自覚がないのが末森琴良という人間だった。
「そういえば、ゆうくんのクラスは文化祭何するの?」
末森から視線を外すと、いつの間にか寄ってきていたアリアが少し深刻そうに会話を切り出していた。
「え? 縁日です。この後買い出しに行って、準備に参加します」
「へぇ〜。だから制服なんだ」
だが、アリアが本当に聞きたいのはそのことではないらしい。それは、表情を見ていればよくわかった。
「群青色ということは生徒会の一員なんだね」
末森もその話題に乗っかり、本庄の表情も和らいでいく。
「そうなの? そういえばるいるいと桐也が同じ色の制服を着てたかも……。あ、でね、ゆうくんに聞きたいんだけど、アイラのクラスの出し物何かわかるかな? アイラ、私と朔那が何を聞いても教えてくれないんだよね」
アリアが本当に聞きたかったのは、彼女の大切な家族のアイラだったらしい。結希は「あぁ」と言葉を漏らし──
「アイラちゃんのクラスがわかれば連絡できますよ」
──生徒会の人間として答えた。
「二年A組なんだけど」
「あ、俺のクラスの姉妹クラスなんですね。わかりました。暇があったら調べてみますね」
アイラのクラスは中等部の二年A組であり、結希のクラスは高等部の二年A組である。学年とクラスが一緒であると、何かと交流する機会があるのだ。
「ほんとっ? ありがとうゆうくん!」
アリアは弾けるように笑い、結希の手を取って感謝する。
文化祭まであと五日。末森に対して引っかかることは何もなかった。




