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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第五章 記憶の鉤爪
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十八 『無限の優しさ』

「なんで、貴方がここにいるの」


 詰まるような息を吐き出して、マギクは咄嗟に札を構えた。


「ここは俺の家だ。いてもおかしくないだろ」


 結希ゆうきは込み上がってくる熱い感情を綯い交ぜにして押し殺し、腰に下げていた《半妖切安光はんようきりやすみつ》を抜刀する。

 二人の敵意は糸となって絡み合い、互いの気配を隅から隅まで探り合った。


 真夏の夜の湿度の高さと、背後の炎の暑さで汗が吹き出る。百妖ひゃくおう家を覆っていた結界は破壊され、燃え盛る家からは風に乗って火の粉が運ばれてくる。

 そんな火の粉を全身に浴び、唇を強く強く噛み締めて結希は血を舐めた。


「ゆうゆう! わかねぇ! 下がって! これはあたしの戦いなの、だから止めないで!」


「下がらない! アグがなんと言おうと、ワタシは無抵抗の人間を傷つける人を絶対に許さない!」


 和夏わかなの瞳は、亜紅里あぐりを正しく捉えていた。結希は擬人式神ぎじんしきがみを貼りつけたままの亜紅里を守るように、切っ先をマギクへと向ける。


「お前……何言ってんだよ」


 と同時に、亜紅里を攻撃したくなった。糸が切れそうだ。《半妖切安光》を握り締める。


「ふざけるな! なんでもっと周りを見ないんだよ!」


 じわんじわんと痛む喉の奥から出てきた叫びが、びくっと亜紅里の全身を震わせた。


 百妖家を包み込んで今も尚燃え盛っている、炎の依檻いおりも。


 炎が意志を持って避けているバルコニーで、どこからともなく飛んでくる呪詛じゅそを弾き返している歌七星かなせも。


 玄関先で蹲っている血だらけの麻露ましろも。


 そんな彼女を傍らで守っている隻腕の愛果あいかも。


 真っ先に戦地に飛び出した和夏だって、亜紅里を保護することに異論はなかった。


 亜紅里に傷つけられた姉妹は、亜紅里を殺す為にこの家に迎え入れたわけではない。

 味方だったマギクからの攻撃を無抵抗のまま受け入れて死ぬことを、誰も望んでいない。


『殺されたって構わない、この命はゆうゆうとヒーちゃんに生かしてもらったんだからね』


 そんな思想のままでは、誰も笑顔にはなれない。


「気づけよ馬鹿!」


 何もかもをかなぐり捨ててがなった。


 彼女たちの無限の優しさは、血縁のない結希と亜紅里にとっては理解に苦しむものだった。

 何も与えていないのに、何もしてあげられないのに、何故か優しくしてくれる家族を結希と亜紅里は何一つ知らない。


 それでもやっと、わかり始めた感情だから──自らの戦いだと言いながら、まったく反撃しようとしない亜紅里に腹が立った。


「お前を大切にしている人の気持ちをもっと考えろよ!」


 言われてすぐに気づくものではない。傷ついてやっと気づくものだと自分自身が一番よくわかっている。

 だからこれは、多分結希にしか言えないことだった。


「部外者が勝手なことを言わないで!」


 刹那、マギクが殺意を込めた札を飛ばす。

 彼女の気配を細部まで察知していた結希は、半妖はんようを即死させるほどの妖力を持つ刀を振るい──マギクの札を、正面から叩き切った。


「嫌い! 嫌い嫌い嫌い嫌い大っ嫌い! 貴方自身も、人の血を引く半妖も! 何もかも大っ嫌い!」


 札が円を描いてマギクの周囲に展開される。

 その数は、数百──


りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん!」


 ──脳に情報を送り込む隙さえなかった。結希は咄嗟に九字くじを切り、神経を研ぎ澄ませて周囲の妖力を探る。


 背後にいた亜紅里の気配は麻露と愛果の気配と共に上空へと飛び去っており、鈴歌れいか朱亜しゅあは怪我人に能力を使おうとする双子を支えて遠くの方へと避難していく。

 残されていたのは心春こはるるいの妖力で、スザクとビャッコと共に歌七星一人で弾き返していた呪詛を迎え撃っていた。


「奇偶だな。俺もお前が嫌いだ」


 むしろ、彼女のどこに好きになれる要素があるのだろう。

 自分を嫌っている人を無償で愛せるほど、結希は人として優れているわけではない。いや、優れていなくてもいいからマギクのことはこの先も嫌いであり続けるだろう。


「ならさっさと死んで!」


「俺たちの前から今すぐ消えろ!」


 陰陽師おんみょうじ同士の刃が剥き出しになってせめぎ合う。結希も、マギクも、当然のように一歩も引かない。


 引いたら殺される。

 引いたら消される。


 その一心で札と刀が交差する。


「いけません結希様ぁぁぁぁ!」


「やめろマギク!! 下がれ!」


 スザクと──そして木々を伝って姿を現したカグラが止めに入るが、結希とマギクの攻防は隙さえ見せなかった。


「〝しゅ〟はいつか、意趣返しとなって自らに返ってくるのですよ?!」


「言霊は自分自身を縛る! 自分の未来がどうなってもいいのか?!」


 式神は知っている。だが何故か、やめる気にはなれなかった。


「──ッ!」


 マギクは自らの命を捨てる覚悟で結希を殺そうとしている。そんながむしゃらな〝気〟が、嫌というほど結希の神経を刺す。


 負けられない。死にたくない。まだ死ねない。


 走馬灯のように自らの意志が脳内を駆け巡った。

 後ろにいる和夏の為にも、結希はここで引くわけにはいかない。必ずここでマギクを食い止めなければ、本物の宝物を壊してしまう──。


「ユウッ!」


 錘がついたようだった。刮目して陰陽師の攻防を見ていた和夏は、結希の背中を鷲掴んで支えている。


「下がって和夏さ……」


「下がらない! 周りを見ていないのはアナタも同じ! ワタシたちは、誰もアナタに消えてほしくなんかない!」


 刀が斬りこぼした札を鉤爪で弾き、和夏は結希の傍らに立った。


「生きてって、アナタが言ったんでしょう?! 今も、あの日も──アナタの言葉でしょう?!」


 鳥肌が立つ。

 記憶が軋む。


 よろめいて、和夏に支えられた。和夏の記憶にあって自分の記憶にはない祈りの言葉は、あまりにも安直で陳腐だ。

 なのに、信じられないくらい重い。


 和夏は鉤爪を振るい、瞳を閉じて記憶の濁流に沈む結希を守る。スザクが振るう刀はそんな和夏を守っていたが、マギクの勝機に満ちた表情で息を止めた。


「私の、勝ち」


 にたりと笑うマギクの猛攻は止まらない。

 弾き返されたスザクは周囲の木々に身を打って、両足に力を込めた和夏には札が張りつく。


「ッ、ユウ……! 誰か……!」


 誰もいない。


 常に妖力を感じ取っている結希は知っている。今動けるのは、ここにいない椿つばき熾夏しいかだ。だが、二人はこの家を囲っている退魔避けの札に阻まれている。


 誰か。いや、誰もいない。


「……ユウ」


 和夏さん。


「大好き」


 その愛を、最後まで理解することはできなかった。


 唇が溶けるように熱い。胸が焼けるように熱い。死にそうだ。火災に巻き込まれたのか。いや、あの炎は家を守る依檻だ。彼女は家族を殺さない。


 結希はいつの間にか閉じていた瞳をゆっくりと開け、眩い黄金色の光を視認した。


「ぁつ……?!」


 フード下にある目を隠したマギクの攻撃が止む。

 同じく反射的に瞳を閉ざした結希は、徐々に自身に流れ込んでくる不明瞭な二つの力を取り入れた。


「ユウ」


 一つは多分、和夏の力。そして一つは、あまりにも遠すぎる小島から贈られてくる土地神の力だ。


 愛してくれてありがとう──そんな言葉が聞こえてきそうなほど、贈り物には熱が込められている。


 目を見開いた結希の体に不調はなかった。小島の土地神が微弱な力を懸命に送っていたのかと思えるほど、体が軽い。

 夜風が吹いた。風を司るこの町の土地神でさえ結希に力を貸しているようで、火照った体が適温へと下げられていく。


「和夏さん」


 今度は声に出して名前を呼んだ。和夏は微笑み、緋色の瞳に結希を映す。


 琥珀色だった和夏の瞳はどこにもなかった。緑色の裾が短い着物も、黄緑色のマフラーも。何一つ変わらないのに猫の尾だけが長く靱やかに伸びている。ひくひくと動いた猫耳はピンと張り、血色にも見える緋色の瞳は瞑目した。


「あの日、アナタと一緒に過ごせて本当に良かった」


「…………」


「いいことすると、幸せだね」


 再び微笑んだ和夏の愛らしいそれのせいで、一瞬だけすべてがどうでも良くなった。


 覚醒した和夏は長い長い鉤爪を剥き出しにして腰を屈め、陰陽師である結希を守る位置に立つ。


 本当に、彼女の優しさはどこから来るのだろう。何も与えていないのに、何もしてあげられないのに、何故か優しくしてくれる。

 わかり始めたと思っていたのに、彼女たちのその気持ちだけが遠い。結希と紫苑しおんの運命が違うように、結希と姉妹たちの育ってきた環境は違うのだ。


 それでもいつか、歩み寄れると信じている。


 結希が守ると誓った百妖家の姉妹は、仲が悪いマギクと紫苑の姉弟ではない。だから、いつかきっとを信じている。


「ッ、許さな……!」


「やめろババァ! ぶっ殺すぞ!」


 反撃に出ようとしたマギクを止めたのは、肩に誰かを担いだ紫苑だった。

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