3:ずりずりずり(運搬中)
泥のように朦朧とする意識の中、タルトは重い瞼を辛うじて広げてあたりを見た。
まず目につくのは無数のうねる触手、あるいは魔草の蔓。そしてその隙間からのぞくのが逆さまの空。地面。たいそう奇怪な世界に迷い込んだのだとタルトは思った。樹海をさ迷えば前後左右が不覚となる話は珍しくないが、魔界となると天地さえも曖昧になるのかと。
否、逆さまなのは空ではなく――。
「――私か」
そう、逆さ釣りにされている。
妙な張力を感じる右足首、見ればそこに絡みついたツルが己を引っ張り上げて、まるで化石虫ミノミノムシのように宙ぶらりんにされていた。さらにはご丁寧に両手も後ろで縛られて、自由がきくのは口だけだ。状況によっては『クっ殺せ』というセリフが似つかわしいが、このゲームは良い子のゲームなのでそんなことは言わない。タルトはやはりミノミノムシのように身体をひねり、状況をさらに確認する。
「むぅ~? てっきり天使が襲撃してきたのかと思ったんだけど。やっぱり君は魔族なんだね~? とすると。君はボクの手からエクレアを取り戻そうとしに来たわけじゃなくて、魔草族への転生さえ許さないほど彼女を憎んでいるということなのかな? ねぇ?」
盲点。声は己の真下である。
タルトが視線をやれば、そこにはズイと己の携帯が差し出されている。そして画面には堂々と『彼女』のステータスが表示されていた。
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名前:シャルロット・シロップ
種族:魔草族ゲッカキジン
職業:クライネルット教会の巫女:音速剣『月下美人』
LV:20
HP:1800 MP:1700
装備:大脇差『かんむりおとし』
解説:堕天使エクレアに命を救われ、育てられた魔草族のひとり。以後、なにがあっても彼女を守るという決意で身に着け、辿り着いた異界の剣術は芸術の域。しかし同時に辿り着いた『確実に守るためにはエクレアを魔草族に変えればいい』という結論は狂気に染まっている。
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「どちらにしても、君を生かして返す理由はないけどね。あるいは何か弁明でもある? いわゆる『ブシノナサケ』できいてあげる。そのあと『ジセイノク』を詠ませて『カイシャク』で滅界行だけどね。ナムアミダブツ」
何かキャラ説明を兼ねたくさいセリフのあと、スマホの画面がすぅと引かれる。
「さぁ、どうぞご自由に話したまえよ」
そして現れたるがクライネルット教会の苗床か。
闇色の長髪。
切れ長の目。
ユキユリも似た白い肌。
ようするに超美人。
そしてオリエンタルな着流し衣装。レディ並みにファッション好きなタルトならばこそ知るそれは『ツムギソデ』。魔界レディースファッション誌『ググリッター』で見たあれ。あれをいい感じに着ていた。タルトは歯噛みする。く、こんな形で出会わなければ、きっと友達になって一緒にお買い物にいけたかもしれなかった。いや、でもまだ遅くない。スマホのプロフ見た感じだとそこまで悪党じゃなさそう。彼女はまず話をしてみることにした。
「まず最初に言うんだけど、私はエクレアちゃんのお友達。具体的には1000年前までは互いのお茶会に頻繁に呼び合いっこしてたぐらいよ。そして今もその関係に変わりないし、今日だってお菓子を手土産にお話しに来たの」
そこまでタルトが言うと、彼女の手を縛っていたツルが解けた。そしてこのシャルロットという名の魔草族は、その長髪を腕でさらりと流して見せる。
「その話は半分だけ信じることができるね。教会の入り口でケーキと紅茶の匂いがした。そこには毒も含まれていない。そして茶葉はダージリン。この教会の建立者にちなんだものだね。ケーキの種類はモンブラン。これもこの教会のルーツを示したものだ。いずれもエクレアの好みのものだし、それは彼女と深い友人でなければ知りえない情報と言える」
タルトは喉をならした。自分たちの振る舞いが筒抜けである。しかしそのこと以上に、そこまでエクレアのことを理解したうえで、彼女の幸せが理解できないことが恐ろしかった。
「でも半分は疑わしいね」
タルトの内心はよそに、シャルロットが目を細める。
「茶会に来たという君は、業物のトライデントスピアを帯びて教会に来ている。もちろんここは魔界だ。道中の用心に越したことはないだろう。しかし君がそれを振ろうとしたのはクライネルット庭園の外ではなく内だ。とても穏やかな『お話』をしに来たとは思えない。少なくとも、見張りに立たせたパクリンドウと敵対する程度にはボクとエクレアへの敵意があるということだ」
『ボクとエクレア』への敵意――そのセリフで、タルトは少し恐ろしさの正体を理解できた気がした。タルトは頷く。
「……そうね。たしかに貴方への敵意はあるかもしれないけど、エクレアちゃんへの敵意はこれっぽちもないわ。貴方こそ、随分と彼女のことに詳しいみたいだけど、そこまで想っているのに彼女にとっての幸せは考えられないの? エクレアちゃんを魔草族に変える、ですって? どんな経緯があって辿り着いた結論か知らないけど、そんなことを彼女がのぞむわけないでしょ」
ごく当然の結論である。デザートが言っていたが、魔界の紅茶やケーキを楽しめなくなる魔草族への転生を、魔界の紅茶とケーキが好きすぎて堕天したエクレアが喜ぶはずがない。
では、彼女の好みを自分以上に理解していたシャルロットが何故にそんなことをするのか。
答えは逆に単純だ。
何故なら、その行動原理はエクレアの望みではなく、彼女――シャルロットの望みだからだ。
いまどき珍しくない、ドのつく勘違い。いわゆる『私の幸せは彼女の幸せに違いない』というやつである。
シャルロットが目を細めた。
「君の友情が短絡的なのものだと理解できて迷いは消えたよ。同時に少し残念だ。当人の幸せと当人の望みがいつもイコールだと思っているのかい? 病気にかかっている子が『苦い薬は嫌だ』と言えば、たとえ良薬でも飲ませない事がその子の幸せなのかい?」
うむ。それは一理あるとタルトは思ってしまった。タルトは言う。
「なら、私もあなたの言い分を最後に聞いてあげるわ。どうして『魔草族への転生』がエクレアちゃんの幸せだと考えたの? 私にはそれ、苦い良薬ではなくただの苦い毒にしか思えないのだけど」
瞬間、銀光の明滅があった。
タルトの直観が意志よりも先に身体を無数の蝙蝠へ解体し、その咲き乱れるような剣戟をかわした。
カチンという納刀のあと、蝙蝠は再び寄り集まって大地にタルトの姿を形作った。そして臨戦態勢を取り終えてから、ドっと冷や汗がタルトの背中をしたった。
――間違いない。殺しに来てたし、死んでいたわ。
「なるほど、やっぱりフェイクだったんだね。逃げるつもりならいつでも逃げられたわけだ」
「ええ、お生憎様。サキュバスを縄で捕縛なんて穴あきバケツで水を汲むようなものよ」
口では強がるも頬はひきつる。いまの回避は幸運という他はなかった。数万年ぶりに感じた量感のある怖気、それから身をひるがえした時、かつて首のあった位置を切っ先が舐めていたのだから。
相手も自分同様、レベルに依存するタイプの魔物ではない。
紛い物ではない。
本物だ。
ただし、アタマのおかしい魔物だ。
「さておきだ。昨日まではともかく、今日以後から魔草族への侮蔑は許さない。なにせエクレアがそうなるのだからね」
まだまだ聞きたい話、というか聞き出すべき話があるが、もう会話をする余地はなさそうだ。具体的にはエクレアの今の状況とか、クライネルット教会の地図情報とか。しかし、ことここに至っては対話による交渉ではなく腕力による脅迫でそれらを聞き出すしかない。
が。
今の己には、荒事に不可欠な相棒にして師匠直伝の愛槍がな――と、シャルロットからトライデントスピア――『バルバドス』が投げて寄越される。
タルトが意図を理解できぬままそれを受け取ると、美しい魔草族は音のない歩みで前に出た。
「失言には無礼でもてなした。ここからは『セイセイドウドウ』にして『イザジンジョウ』にして『シンケンショウブ』といこう」
シャルロットにはシャルロットなりに理念があり、それを通す、ということらしい。その点は見直したし助けられた。しかし何より愚かだとタルトは思った。
「気前が良いのね。でも今のは致命的な選択ミスよ」
タルトは半身に構える。如何に高潔な理念があろうとそれは勝利に優先すべきではない。理念も心構えもすべて勝利への布石であるべきだ。このタルト・ストロベリーに槍を与えるとは将に軍を、王に城を与えるに等しい。本気で勝つつもりなら失策も甚だしかった。
だというのに。
「さて。この勝負にボクが勝てば――君も魔草族になってもらう。エクレアもきっと喜ぶだろう。……長年の友が同じ選択をしたとしればね」
やはり考え方がおかしい。狂っている。サイコパスか。否、それを差し置いても、
こ の 放 言 は 『 な い 』。
戦士としての矜持を相応に持ち合わせているタルトにとって、この振る舞いは万死に値すべき無礼だった。
――槍を手にしたゴッド・イーター相手に、魔草族が正面から戦って、勝つですって?
ぎりっと槍の柄を握りしめる。怒りを原動力にして発散しそうになる魔力を抑え込む。今の勢いでは一瞬で〇しかねない。しかし〇してしまっては、エクレアの囚われている場所が聞き出せない。今回の目的は、彼女を半〇しにとどめて、心を折り、それらを洗いざらい吐かせることなのだから。
「……ええ。いいわ。貴方が勝てば魔草族になってあげる。その代わり、負けたときの代償を考えておきなさいね」
その言葉を切っ掛けに、タルトのスイッチが1000万年ぶりに切り替わった。




