4:貴族の生き残り
パクリンドウのクサオに案内されたクライネルット教会は、もはや以前の面影がないほどに荒れ果てていた。黒。青。紫。緑。緑。黒。うごめく暗緑色のツルに覆われたそれは、さながら一個の巨大な魔獣を思わせる。すなわちツルのうねりや運動は、魔獣の鼓動であり呼吸だ。
恐らくはその、苗床。心臓。
もしくは元凶と言うべきか。
教会正面の門から大蛇のように首を伸ばす巨大な花。優に数メートルはある紫の花びらを揃えた禍々しい大輪。それがクライネルットの異物たるデザートと、その異物をおめおめと連れてきたクサオを睥睨していた。その中の、槍衾のようなめしべが揺れる。
「なにやら朕のクライネルットが騒がしいと思ったら、かようなネズミが二匹も迷い込んでおったのか。これヨリミツや。ネズミの駆除は任せたと言っておいたであろう。あと朕はソロが大好きだと言ったであろう」
実に気持ち悪いハイトーンボイスが響いてきた。例えるなら男の裏声。ストレートに言えばオカマボイスである。その不快感を伴う声に、クサオは、蛇に睨まれた蛙のようにビクビク震えつつも、硬直した口を開く。
「お、お、お、恐れながらローゼン陛下。こ、こ、こちらにおわす方は。ね、ね、ね、ネズミなどではなく。あ、あ、あのブリージング・ア……ぎゃぶ!?」
口上を述べるクサオを一撃したのは、やはりデザートの握る鞘である。ただいま紹介に預かりかけたこの魔王は、頭上の化け物じみた(事実化け物)花にはしかし目もくれず、おカマ染みた声にも耳を貸すことはない。彼はただ、足元に色濃く残ったタルトの残香に意識を集中させていた。まじまじと、デザートは草むらの一角と、その奥に続く茂みに目を向ける。ずりずりずり。ずりずりずり。そんな音が聞こえてきそうな、地面にタルトをなすった跡がある。恐らくは引きずり、運び去ったのだろう。
「……なるほどな。確かにタルトはここで大声をあげたらしいが、そのあとに移動させられているわけか。ったく、考えなしの困った側近だ。待ってろ。すぐいくからな」
ひとり言ってから、デザートは初めて顔をあげ、その禍々しい大輪の花を見上げた。
否、正確にはその花のさらに上。
クライネルット教会の頂上――とんがり屋根の天辺。
そこで、まるで教会の偶像のように神々しく、さながら天使のように眠る堕天使――エクレア・クリーミィの寝顔。
デザートはそれを見据えた。
――そして、とうのエクレアはここか。
その姿は安からな眠りに見えるが、実際は転生に向けた昏睡である。注がれている魔力の膨大さは、この教会が魔窟と化していることからも窺い知れる。並の魔物であれば数日で変化の兆しが表れるレベルだろうが、測定不能天使を祖先に持つ彼女ともなれば、そう簡単にはいかないらしい。エクレアの対魔力は伊達ではない。
ひとまず安心して良さそうだった。
我知らずデザートは安堵の息をつく。
かたや、ローゼンフロイラインという名の大魔草族テラフレシアは、もはや激おこプンプンドリームだった(古)。せめて己を見上げて震えあがっているならまだ可愛げもあるが、見上げたうえで眼中になしときている。モブどころか背景扱いである。貴様何様であるかと問い詰めたい。そして己のステータス画面など見せつけてビビらせたい。ドヤりたい。わなわなわな、怒りのあまりにオシベの痙攣が止まらない。
「そこなネズミよ。朕はいま激おこである。いますぐ謝罪すれば比較的楽な死に方を選ばせてやるが、なにか気の利いた――」
「おいクサオ。お前はいますぐエクレアを解放しにいけ。オレ様はこれからタルトを探しに行くから。それじゃあな」
スタスタスタ。
クサオとローゼン陛下を置いてデザートは行く。
数秒。
あまりにショック過ぎてローゼンから花びらが一枚落ちた。
「ち ょ っ と 待 つ ん で お じ ゃ る ! ! ! ! 」
怒りを超えて泣きそうになった。解説しよう。ローゼン陛下のメンタルは豆腐である。とくに無視に対しては過去のトラウマが刺激されるらしくほとんど耐性がない。あまり詮索しないのが優しさだ。
奇声みたいな悲鳴をあげて、その巨大なツルの一本をムチのように振るう。
衝撃で大地が裂かれる。
侮ってはならない。メンタルは豆腐でも表皮は鋼。種族名に『大』を冠する以上、この魔物の実力は悪魔王のそれである。そして不意打ちとはいえ、なにせこの一撃こそタルトを昏倒に追いやったものだ。如何なデザートとはいえ軽々しく受けて無事に済むものではない。
バシッという破裂音。
ちょうど、先に来たネズミ@タルトを気絶させたときと同様の手ごたえをローゼンは感じた。まさに一撃必殺の手応えだった。あとは消化して養分にするのみ。第三章完。そんな素敵なものを感じたが、しかし同時に絶対に感じてはならない――絶対に感じるはずのない絶対を感じた。
――…… う そ で お じ ゃ る ?
全身の神経という神経が凍えるように固まった。
ミリも動かせないほど、身体が固まった。いましも魂が気化して蒸発しそうだった。
知っている。
この感触を、私は知っている。
忘れもしない。まだ己が種子としてあった時分、クライネルットの土に根付いて間もない頃。まだこのあたりが砂漠の乾いた名残を残していて、測定不能天使エクレールが健在であった頃だ。
――ふぅん。珍しいわね。
死す運命にあった己に、ひとつの奇跡が差した。
――テラフレシアの種子なんて早々見かけるものではないのだけれど。風の気まぐれとはいえ、よりによって旨味のない砂漠に根を張らせるなんて、残酷で人生させられてるのね。
そう言って屈みこみ、己の未熟な枝葉に触れた、触れてくださったあの方も、たしかこんな匂いの魔力を放っていた。
――面白いわね。ここで思う様に根を張りなさい。そして天使が花を華やぐに相応しいほど、地の色を青く、もしくは赤く染めなさい。この私が裁定してあげる。
ピン、と指先で弾かれたとき、身体に宇宙の誕生を感じた。あるいはそうと形容しかできない、それは生命の奔流だった。そんな気まぐれで、ここで枯れ果てるしかなかった己に、たった一滴にして膨大に過ぎる魔力を、あの方は授けて下さった。
テラフレシアは震える。
ようやく震えられるぐらいに、彼は自我を取り戻せたのだ。
「……まさか。まさかお前……否、貴方様は……」
したたかに背中を打ち付けたはずのツルは、しかしその先をしっかりと掴まれている。
「……エクレアを取り込んだ罰は、彼女にまだ影響が少なかったことと、そしてこの砂漠に潤いは与えた功績に免じて許してやる。タルトと俺を打った罰は、前魔王の気まぐれに免じて許してやる。次はないからな」
少しだけ振り向いた魔王は、ニィとその犬歯を見せて、掴んだツルをハッシと放り投げて歩みを再開した。そしてその後姿を呆然自失で見送っていたローゼン陛下だったが、ハっと我に返ると庭園が崩壊するほどの地響きを立てて教会から剥がれ、どすんと下り、実にややこしい形で跪いた。
「ま、ま、ま、魔 王 様 ! ! お、お待ちください! ! ! 」
吐きそうなほど気持ち悪い奇声に、デザートは思わず足を止めて顔をしかめた。
「なんだよ。オレ様は急いでるんだ。あとその気持ち悪い声やめろ。たぶん前魔王の声真似してるんだろうけど、すごいできてないからな!」
地味にショックだったが、禿げあがるのは後にしなくてはいけない。
「ははーー!!! 本来は万死に値すべき無礼の数々!! しかしその詫びはまたいずれとして!!!」
「面倒くさいなお前。許すって言ったんだから許すんだよ。それで、なんだよ? 逆に殺せって言われても殺してやんないからな」
「じ、じ、じつは!!! この私が!!! エクレア様を魔草族に変えようと考えた理由は!!! 決して不純なものではないのです!!! エクレア様はいま、命に関わる呪いにその身を蝕まれております!!」
*
「――だから、ボクはローゼンがエクレアを魔草族にすることを認めたんだ。彼女の身体に堆積した魔草の毒素は、もはや『堕』天使として振舞うことさえ彼女に許さなくなっている……。さぁ、トドメを」
タルトとシャルロットの戦いは数秒で決着していた。
いまやシャルロットは、標本の蝶のように無数の槍によって地に縫い止められている。身動き一つとれないなかで、自分を見下ろすサキュバスはエクレアの話にショックを受けているらしく、表情には動揺が広がっていた。やはり彼女は、エクレアの真の友人であるらしい。そこは不幸中の幸いだとシャルロットには思えた。
それにしても、不可解だった。
ひたすら不可解だった。
何が起きたのか、それさえ理解できなかった。戦いが始まったと認識したら屈服させられていた。状況理解さえ許されない問答無用の完敗、否、そもそも戦いでさえなかったのか。竜界の姫から血の滲む努力で学んだ音速を超える抜刀が、抜く間さえもなかったのだから。
気付けば既にこの態勢だった。
あとはアゴ一つ動かせない。
ならばこそ、シャルロットは『ブシニニゴンハナシ』の誓いで正直にエクレアのことを告白しつつ、頭では『ジセイノク』なんかも練りつつ『セプク』の覚悟を決めていたのだ。
が、なにより。
いまは、彼女が『いったい何者なのか』を知りたくって仕方なかった。
かりにも皇龍妃より皆伝を授かった己を、こうもへし折った彼女は何者なのか。
知りたい。
武人の端くれとして、最後に知りたい。
ゆえに、何とか目だけを動かし、足先に落ちているスマホの画面、そこに表示しっぱなしにしていたタルトのステータスを確認する。
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名前:タルト・ストロベリー → カルミラ・エルゼーベト(仮)
種族:魔人族サキュバス → ノスフェラトゥ(仮)
職業:オーダー・オブ・チェイテ:監獄城の串刺し姫(仮)
LV:20 → 10万(仮)
HP:1800 → 1000万(仮)
MP:1700 → 1500万(仮)
装備:概念武装『アイアンメイデン』(仮)
解説:かつて魔王デザートと魔界の半分をかけて争った最強の貴族。彼女の残した残虐伝承は人間界にも大いに影響を与え、その幻影はアイルランドに伝承として伝わる。かつてカルミラは種族を問わず処女の体液を異様に好み、いかに効率的にそれを搾取するかの過程で様々な拷問器具を生んだ。鋼鉄処女はその傑作であり、概念武装としてのそれは吸血にまつわるあらゆる拷問器具を任意召喚するもの。魔王デザートに敗れて数百万年を彼と共に過ごすうち、彼女はいまのタルト・ストロベリーへと『生まれ変わった』。
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「……カルミラ。そうか、君は……貴族の生き残りだったんだね。それなら」
勝てるわけがない。そう観念したようにシャルロットが呟くと、タルトは頭を振った。そして恥じらうように顔を両手で覆う。
「ごめんなさいね。どうしてかここ500年はね、たまに何かの拍子に『彼女が出てきちゃう』のよ。怖かったでしょ。ごめんなさいね。でも、もうカルミラは死んだの。死んだわ。魔界の悪夢は魔王によって滅ぼされたの。だからこれは悪い夢なの。ああ、こんな簡単な挑発で封印が解けるなんて、ほんと魔王の側近失格ね。フィナンシェ様に顔向けできないわ。……いえ、いえいえ。それより、ね」
大きく息をついてから手をおろし。パチンとタルトが指をならすと、シャルロットを拘束していた無数の槍は真っ赤な霧になって消えた。
「エクレアに起きていること、もう少し詳しく教えて頂戴。友達として助けたいの」
その目はさきの『貴族カルミラの魔眼』ではなく、エクレアの友人タルトの目に戻っていた。そしてその段になってようやく、シャルットに血の気がひくほどの震えがやってきた。




