32:明け方の夢
縦横無尽のステビア、
夜の砂漠にきらめく咲き乱れるような剣光は、勇者の振るう撫子の軌跡。
一人の悪夢を終わらせるため、殺到するその残骸を薙ぎ続けるこの腕は、たとえ氷点下を迎えた今にあってしなやかに滾る。
変幻自在のバルバドス、
八方に乱れて襲いかかる怪蛇のごとき切っ先は、ヨルムガンドの振るう鋭槍の乱舞。
神殺しと恐れられ、しかし虫さえ殺せぬ、国を統べし悪魔王。今宵は決闘の誓いに従い、容赦を捨てて刺し穿つ。
摩訶不思議の大風院、
鼓の音を黄泉路の調べとし、雫の如く儚げに、とろりと素首落としてさらす、龍剣の真髄。
天魔の争いさえ他人事に傍観し、いまなお乖離させ続ける護身の神域は、瀟洒にしてただひたすらに不可解。抗う者には幽玄の死を。
悪行愉悦のベルゼブブ、
耳障りな羽音に被るは風切り音、目にも留まらぬ刺突の嵐、蝿の王が興じる言語道断の悪ふざけ。
鼻歌交じえて無尽蔵に炸裂する突きの面は、しかしどれもが凍える程に澄ました精緻の一撃。彼が嗤うは回避概念そのもの。
そんな具合に一人と一頭と二柱は、四者四様。
夜の砂漠に入り乱れ――、
死兵を友とし砂漠の脅威を捌き続ける――。
俺は撫子を嵐のように振るい、デビルアンツたちを次々に散華させる。
間断なく夜空に散らされる血煙。
築かれていく屍。
散らばっていく残骸。
落命につぐ落命。
絶命につぐ絶命。
斬り結ぶこと百を超え、撫子はその刃の色を鮮血色に染める。
ここまでくれば力の差は歴然。
歯向かうことの無意味を、彼らは承知するだろう。
しかし
しかし
なお襲い来る、勇敢なデビルアンツたち。
理性と知性を獲得して、勝てぬと理解して、なお立ち向かってくるデビルアンツたち。
滑稽かもしれない。
馬鹿かもしれない。
無能かもしれない。
――しかしどうして、それを笑うことができるだろうか。
力いっぱいに振るう撫子。
刃に込めるその気持ちは、身命賭して女王を守らんとする、決死の騎士への哀悼と敬意。
俺はそれと同時に、憤怒を込めて吠える。
「死にたい奴からかかってこい!」
目一杯に両手剣を振りかぶり、襲い来る彼らを圧す。
「俺がお前たちの終焉だ!」
そして、撫子の刃圏に踊りでてきたデビルアンツを、ためらいなく切り捌く。
次々に切り捌く。
容赦なく切り捌く。
慈悲は乞わせぬ。
覚悟のみを切っ先に問う。
理由は言わずもがな。
加減も生半も捨てる、
それが勇者が、騎士に示すべき最上級の敬意だとは、もう心得ているから。
――そしてしかしなによりも。
クイーンが最後まで投げなかったこの人生。
俺たちはその最後の敵だから、
半端な決着は許されない――。
「腕に覚えがあるなら遠慮するなベイベー!!」
砂漠の夜風を、旋風音がうねっていく。
「このヨルムガンドが食い散らかしてやるぜ!!」
そしてうねりの音を、破砕音が縫っていく。
変幻自在にして不断的確な槍術。
闇夜を三又の鋭刃がうねり裂く。
攻撃即ち防御。
防御即ち攻撃。
虚が実を生み、実が虚を生む、円環の連撃。
みる者の目を釘づけにする、舞踏に勝るバルバドスの槍捌き。
全てが攻撃の伏線にして攻撃そのもの。
全てが防御の伏線にして防御そのもの。
吹き荒れるようなトライデントスピアに、もはや付け入る隙はない。
さながら意志を持った刃の風車。
ただひたすらに吹き荒れる。
同胞を微塵にされたアリたちは、既に承知したことだろう。こんなものの攻略などありえないと。
しかしデビルアンツに迷いはない。
躊躇いも戸惑いもなく、まして命を惜しむべくもなく、率先してヨルムガンドの放つ死に身を投じていく。
その心にあるのは純然たる忠誠。
既に彼らは誓っているのだ。
――デビルアンツでは、ヨルムガンドをしとめられない。
――ならば自分たちは、せめて女王を守る命の壁であればよい。
――クイーンがそれで刹那でも永らえるならば、この命捨てて本望。
「見上げた根性だベイベー」
バルバドスは彼らの死に様に大きな口で笑んでから、トライデントスピアをすぅと脇に沈め、
「おまえら後で全員、ネクロポリス正規軍として雇ってやるベイベー!」
トライデントスピアを横薙ぎ一閃。
直後、槍先は八方に乱れ、瞬く間にアリたちの串刺しを夜空に穿った。
しかしそれも束の間。
ヨルムガンドは凡庸の八つ頭のヘビではなく、神々を懲らしめた北欧の怪蛇。
これに留まる道理はない。
攻撃後に隙有りと踏んで飛び込んできた後続のデビルアンツ、
それら全ても中空で刺し穿たれる。
「右一閃は左一閃の予備動作。左一閃は右一閃の予備動作。攻撃前はあっても攻撃後なんてないんだベイベー」
バルバドスは一度動きを止めてからトライデントスピアをビュバババと振るって圧し、十八番を告げる。
「悪いなベイベー。こいつは出生から槍術なんだ」
そして再び、うねりとなって突っ込んで行った。
「ひょっひょっひょ。敵ながらあっぱれな戦いぶりザンスよ。流石はレッドホットチリペッパー砂漠一の脅威と謳われたデビルアンツさんすね」
かたやその重臣。蠅の帝王にして不浄の暴君と謳われた悪魔王も哄笑する。
そして哄笑しながら『面』として錬成された不可避の刺突を、襲い来る彼らに浴びせて行く。
―― 刺突剣。
一突きであれば、その攻撃は『点』である。
しかし薙ぐ様にして複数『点』を突いていけば、その攻撃は『線』である。
では
――刺突の『線』を、編み込む様に上下にも重ね、
――走査させればどうなるのか。
「フンバルトモレール。覚悟は良いざんすね?」
ベルゼブブは片手を腰に当て身体を半身にし、刺突剣を前に出して構える。
「これはチンが国王陛下に破れた際に編み出した剣技ザンス」
ニヤっと下劣に笑んでから、飛びかかって来たデビルアンツにそれを繰り出した。
そうして上空から襲いかかって来たデビルアンツを迎え撃ったのは、
刹那に錬成された『針山』である。
無数の炸裂音がこだまし、直後、穴だらけになったデビルアンツの遺骸が降ってきた。
血雨の中で蠅の王は刺突剣の血振りをし
「七つの大罪に因んで、これには『暴食』と名付けたザンス」
バラけた遺骸に死因を述べた。
「最もこの剣技、国王陛下に敗れて編み出したとはいえ、振るう目的は打倒国王ではなく堅守国王ザンスがね」
―― 刺突剣。
一突きであれば、その攻撃は『点』である。
しかし薙ぐ様にして複数『点』を突いていけば、その攻撃は『線』である。
では
――刺突の『線』を編み込む様に上下に重ね、
――走査させればどうなるのか。
――その攻撃は、『面』となる。
――鋭い切っ先で編み込まれた、回避概念を笑う『面』となる。
このように。
「もう一度行くザンスよ?」
新たに果敢に、襲い来た悪魔のアリ達。
半身になって構えるベルゼブブ。
そして再び、嵐の様な炸裂音。
直後、アリ達は残骸となって肢体をバラけさせた。
「最初に申し上げておくが、私には一向戦う意思などないでござるよ。言うなれば土くれに投げ出された刃物のように、無垢にして無害にござる」
次期龍帝の大風院ポン太は穏やかに告げる。
「されどやはり刃物は刃物。いかに無害にして無垢とはいえ、その心得なくして迂闊に触れれば――、」
――無事では済むまいよ。
飛びかかってきた悪魔の蟻に目を細め、そしてそのか細い首に鋭いアゴが食い込むかという刹那、
鼓の音が雅に響いて彼女は消失し、
そして後には、
トロリとアリの首が落ちるという始末ばかりが残された――。
「龍剣、初伝八勢が一勢、右身抜打『笹露』」
そのように宣いながら、
まるで一枚の花弁が落ちるよう儚げに、
彼女は再びその姿を顕現させた。
ふわりと白衣の裾が翻る。
その所作は幽玄にして優美。
祭り神に奉納する舞のような趣きさえあって、
おそらくそれに殺されたものは、
ひとときの恍惚を味わったに違いない。
龍の巫女はそして、
血に染まった『素手』を静かに一度、
ぺろりと舐めてみせた――。
彼女の切れ長の目は、自身の手の甲をなぞるように見ていく。
「刃物のついた刃など、剣術の極みにあっては枷と思うて、この方ずっと棒ばかりを振ってござったが、もはやそれさえ龍剣は要らぬと言うらしい」
――我即剣也。
――剣即我也。
自身が至った境地を、心で復唱する。
そして真紅に染まる手をマジマジと見つめる彼女。
新たな蟻の血は赤いらしいと、その小さな口が呟いたのも束の間、
襲い掛かる新手。
切れ長の目がそこへ流されたと同時、大風院ポン太が薄く笑った。
「護身開眼にござるか」
そして再び、鼓の音が幽玄の死をもたらした。
次々と、次々と。
次々に、次々に。
鼓の音が不可解なる死を、アリたちにもたらしていく。
――こうして四者は戦う。
夜の砂漠で戦い続ける。
勇者は一人の娘を救うため。
怪蛇は誓いを守るため。
蝿の王は国王を守るため。
龍帝は己にかかる火の粉を払うため。
――宝石のように美しく変体を遂げた、新生のデビルアンツを切り捌いていく。
それはまさに死線の波。
触れるものを尽く葬り、砂漠の砂や塵へと変じていく終わりの境界線。
――――加えてそれに、
死者帝国の国防軍10万を加えたとあっては、
対峙するものに、逃走以外の選択肢があるのだろうか。
あった。
彼女にはあった。
むしろ逃走という選択肢こそなかった。
夜空にふわりと佇んでいるクイーン。
彼女は黙して、現状を俯瞰している。
自軍の圧倒的な劣勢を、痛感させられているクイーン。
ボロボロにくずれていく自軍を、睥睨しているクイーン。
その有様をマジマジと見ているクイーン。
その有様をマザマザと見せつけられているクイーン。
体は細かく震えている。
ワナワナと。ワナワナと。
しかし彼女の蒼白な顔に浮かぶのは、敗色の絶望ではない。
この圧倒的劣勢に、茫然自失しているのではない。
絶望などしていない。
自失などしていない。
諦めてなどいない。
その凍えるように白くなった顔に浮かんでいるのは――、
そう。
――純粋たる怒りである。
気を失いそうになるほどブチぎれそうになっている、
極限の怒りである。
額に亀裂のような皺を走らせ、
目を見開いて三白眼にした、
度を超えた激情である。
滾るマグマが火の泡を噴くような、
触れることさえ出来ぬほど熱せられた、
身体の中心より発露る、
――怒りである。
ギリギリギリと、彼女は万力のような力で歯を食いしばった。
目を剥き、身体に怒りを震わせ、眉間に裂傷のようなシワを寄せ、歯を食いしばった。
が。
しかし。
しかしクイーンはその激情を発さずに、
目を閉じて。
逆に力を弛緩させて、
息を「すぅ」と吸い込んだ。
穏やかにゆっくりと、息を吸い込んだ。
彼女は己を落ち着かせようとしているのだろうか?
戦況を預かる指揮官として、
群れを支配するその長たる自覚として、
平静と冷静を保とうとしているのだろうか。
否だ。
断じて、否だ。
その証左としてクイーンは、
これ以上ないほどの『凶相』となって開眼し、
己の命を護るべく散っていく部下たちを睨めつけた。
「 臆 す な 砂 漠 の 脅 威 達 ! !」
闇を切り裂くような裂帛。
そして轟く爆鳴。
砂漠の砂が音圧で爆ぜった。
「 こ の 臆 病 者 ど も が ! 恥 を 知 れ ! 」
クイーンより発せられたこの言葉は、
ステビアをして理解を超えていた。
女王を守らんとして、
我先に命を捨てている彼らの、
一体どこが臆病なのだろうか。
その答えを、クイーンが告げる。
「 ク イ ー ン を 失 う こ と を 恐 れ る な ! 」
空を割るような叫び。
「クイーンは死して守れ! 身を呈して守り切れ! しかし失うことは恐れるな! あくまで獰猛たれ! 脅威たれ!」
この傲岸さには、ベルゼブブまでが剣を止めてしまった。
「 そ し て さ っ さ と そ の 程 度 は 始 末 し て み せ ろ ! 」
クイーンが吠えた。
破裂するような音圧で吠えた。
そして一同は唖然とする。
何という傲岸さだろうかと。
自分は死しても守れと言いつつ
しかし自分が死することは恐れるなという。
更に加えて
勇者悪魔王龍帝はさっさと始末しろという。
バルバドスもまた、あの暴君がポカンとなっているさまを横目に見て思った。
このクイーン。
尋常ではない、どころか。
これはもう、異常ですらないと。
あえて言えばもう、
天性か天才の一種なのだろうと、そう思った。
「……フンバルトモレール」
ベルゼブブは冷や汗をかいて嗤う。
「これほどのキャラクター、魔眼ぐらいのハンデがないと手に負えないザンスね」
それはベルゼブブによる最上級の賛辞だった。
そして実に笑えない冗談だった。
そして実際、笑えないどころか冗談でさえなかった。
事実として、
死線の波に飲まれていた宝石色の部下たちは、
夜空から睥睨する女王により、
こんな爆ぜる様な怒声で『激励』され、
魂の底から『心酔』し、
そ の 猛 威 を 加 速 さ せ た の だ 。
しかしクイーンはさらに発破をかける。
「たかが死に損ない! たかが悪魔王! たかが勇者! たかが竜帝だ! 我らの恐るるような手合いではない!」
そして薙ぎ払うような威勢で、その手を振りかぶって号令する。
「この砂漠でアタシたちに抗う愚を、こいつらに教育してやれ!」
デビルアンツたちが雄叫びをあげた。
天魔を轟かせるような、咆哮をあげた。
そして途端に、
形成が滑稽なほど逆転する。
宝石のように輝くデビルアンツが、
そのダイヤモンドのようなアゴでもち、
ネクロポリスの死兵達を次から次に、
――砂漠の砂へと変え始めた。
「やばい!」
俺は思わず声を漏らした。
しかしもう手遅れだった。
デビルアンツは死兵達を、
レッドホットチリペッパーに眠る数多くの遺骸の一つに、
数多ある取るに足らない残骸の一つに、
無数にある砂漠の砂の欠片に、
一咬みごとに、
彼らを埋没させ始めた――。
この軍勢のドミノ倒しに、司令官が焦燥する。
「イッヒフンバルトモレール! これは酷い負け戦ザンス!」
信じられない言葉だった。
ベルゼブブが負け戦と言った。
しかしそれが現実だった。
ネクロポリスの国防軍が、紙のように破られていく。
ネクロポリスの国防軍が、草のように毟られていく。
ネクロポリスの国防軍が、花のように散らされていく。
形勢逆転どころの騒ぎでなくなった。
この一方的な展開、もはや集団私刑か公開処刑か。
少なくとも確実に、
戦の体は成してはいなかった。
この新たな勢い、それは俺達四人を留めるにこそ至らなかったが、
しかしその他9万9千9百9十6人を喰らうには充分だった。
そして俺達四人がいかに死線とはいえ、
あくまでその数、所詮は四人である――。
単位時間あたりに潰せる数など、知れている。
――これは、まずい。
「た、体制を立て直すザンス!!」
今更になっての号令も虚しく、ネクロポリスの軍はボロボロに潰されていった。
「隊伍を組むザンス! 勝手にバラけたらダメざんす!」
叫ぶベルゼブブ。
しかしすっかりと収拾がつかなくなっていた。
ボロボロにやられる上に、陣形も乱されるという、散々な目に陥り始めた。
発狂して目が飛び出るベルゼブブ。
「ワーデルモーデル! 逃げるなザンス! 軍令違反ザンス! 国防軍の誇りはないザンスか!」
喚く司令官に、敗走兵が答える。
「あばばばばばばば!!!(YO!! ゾンビでも命あっての物種だYO!)」
こんな風に逃走者まで出始める始末。そしてブチ切れて耳まで飛び出る蝿の王。そのさまにバルバドスは、「急造の死兵は熱しやすく冷めやすいベイベー」と何か本質的なことをつぶやいていた。
そうしてそのまま、
凍えるような砂漠の夜で、
宝石のような悪魔たちに、
ネクロポリスの国防軍は食い散らかされ続け、
空が明けの朱色に染まる頃、
俺たちは綺麗サッパリ、
見事にたった四人だけになり、
まだ数万からいるデビルアンツたちに、
――包囲されていた。
明け方に見る夢のように、淡い現実感を伴った朱色の地平線。
見渡す限りにそれを埋める、宝石色のデビルアンツたち。
その圧倒的な眺めには、感嘆の溜息さえ零れてしまう。
なんと壮麗で恐ろしいのだろうと。
――とりあえず戦況把握などしてみる。
4対数万。
以上。
俺は思う。
――これもう、アカンかもわからんね。
背中合わせのポン太が苦笑した。
「ステビア殿の激、少々効きすぎたようでござるな」
と。
俺もそれに、笑い返すほかなかった。
現状、俺達四人は互いの背中と両脇をかばうよう身を寄せて、
取り囲むデビルアンツたちを睨んでいる。
乱戦につぐ乱戦、
混戦につぐ混戦、
混沌としたそんな中、
いつの間にやら無意識に、
四人は互いが互いを探し続け、
このように合流してしまったらしい――。
計らずとも陣形は、防御陣形。
防御特化にして攻撃待ち。
槍兵のお得意戦法。
虚勢全開な『専守防衛』。
とても勇者とはいえない、最も弱気な戦の型。
しかしそれもそうなるだろう。
向こうは数万からいて、こちとらヨレヨレ四人。
いくら勇者とはいえ、ここで突撃などは勘弁願いたい。
いや、そもそもこれ、陣形として成立しているのだろうか?
徹夜明けの朦朧とする頭で、そのようなことを俺は、つらつらと考えていた。
ともあれ、不幸中の幸いか。
四人は四人とも、手傷を負っていなかった。
徹夜で戦い通して無傷であったこと、まずはそんな自分を褒めてやりたい――そんな場合でもないが。
が、
しかしやはりもう息は切れ切れで、
立っているのもやっとという有様だった。
正直なところ、いま襲われたら怪しい。
きちんと剣を振れるか、充分に怪しい。
というかもうぶっちゃけ、
戦えない。
しかしだ。
俺は大きく深呼吸する。
しかしこの戦いに勝利はない。
そしてこの戦いに敗北もない。
あるのは悪夢の終焉と、
そしてゲームのクリアだけ。
――ならばここらで、もう充分だろう。
俺はすっと剣気を納めて、撫子の切っ先を砂漠に突き立てた。
戦闘終了、戦局終焉の証の提示。
クイーンが、それに目を細める。
俺はその彼女の目を見上げて、大きく叫んだ。
「 俺 の 負 け だ ク イ ー ン !」
デビルアンツたちが、どよめくようなアゴなりを立てる。
そしてそれを、手で制して黙らせるクイーン。
俺は続けて言う。
「もう一振りだって、剣を動かせない! もう一撃だって、攻撃を受け切れない!」
そしてひときわ大きな声で、こう叫んだ。
「 降 参 だ !」
勇者の敗北宣言が、明け方の砂漠で反響する。
朝焼けの空はスミレ色に染まり、砂漠はオレンジ色に輝いていた。
気温は少し肌寒い程度で、十分に過ごしやすい。
凍えるような寒さはもうない。
本当に一夜明けたのだという実感だけが、この瞬間にはあった。
そして俺は、ベルゼブブに流し目した。もういいだろ? と。
蝿の王はしかし、俺の促しに不服そうな顔をしたので、お嬢様ばりにそっとウィンクなどしてみた。お願いと。
するとベルゼブブは、観念したようにやれやれと嘆息し、肩をすくめてクイーンに言った。
「国防軍を全滅させられて、勝利を名乗る司令官なんてイないザンスね。ゲーデル。チンも敗北を認めるザンス」
そしてその刺突剣を、俺と同じように地に突き立てた。
次にクイーンの視線を向けられたのは、ネクロポリス国王のバルバドス・ゲロッパーズ。
彼も同様に、トライデントスピアを地につけ立てた。
「軍の総司令官がそう言ってるんだベイベー。仕方ない」
そして腕を組む。
「このネクロポリス国王バルバドス、デビルアンツのクイーンに対して和平を申し入れるベイベー」
敗北を認めるとは言わなかったが、実質同じようなものだった。
この言い方はしかし、彼が負け惜しみや意地になって言っているのではない。
彼は国王の自覚として、おいそれと『敗北――無条件降伏』は出来ぬと、もう弁えているのだ。
ベルゼブブが微かに、安堵の息を吐いたようだった。
次にクイーンの目がポン太の方に向くと、彼女は頷いた。
「私はそもそも和平案の提案者にござるよ。なればもとより戦いは不本意。故に双方が剣を収めるならば答えは自ずと」
そしてその手を、白衣の袂にしまった。
まるで剣を収めるかのように。
そうして四人が敗北を宣言すると、
デビルアンツたちが一斉に、
空のクイーンを見上げた。
さぁ我らが女王、
この愚か者たちを始末する下知を、
お授けくださいと。
その目が、
その触覚が、
そのアゴが、
そう物語っていた。
さもありなん。
このクイーンは、これまで一度だって命乞いを聞いた験しがない。
すでに呪縛を解かれたアリたちも、それだけは覚えていた。
だから次の瞬間、彼女が四人を殺せと号令するのはもう知っている。
そして再び戦いが始まり、自分たちの半分以上が殺されるのも目に見えている。
しかしそれでも、最後の一匹まで戦えば、始末できるという自信も彼らにはある。
なにせ四人はフラフラだ。
立っているのもやっとだ。
今の四人ならば、殺しきれる。
デビルアンツには自信があった。
徐々に響いてくる、さざなみのような顎なりの音。
アリ達は魔眼による魅了を解かれてなお、
傲岸不遜たるクイーンに羨望と忠誠と、そして恍惚の目線を向けて願う。
さぁ我らが女王、
この愚か者たちを始末する下知を、
お授けください。
と。
そんな爛れるように熱く、そして獰猛な熱を一身に浴びるクイーン。
常人ならば気が触れてしまいそうなほど黒く、
そして圧倒的な量の熱を総身に浴びても平然としたまま、
彼女はしばらく明け方の空で黙して佇む。
そのさまを沈黙で周囲が見守る中、やがて。
クイーンがその口を開いた。
「和平の件、了承したよ」
と。
そのとき割れるような動揺がデビルアンツ全軍をめぐったが、それをクイーンはたったの一睨みで完全沈黙させた。
数万からなる殺意を源とした動揺を、
言葉さえ発さぬ眼力で黙らせた。
そしてクイーンの目が自軍へ語ったのは、黙れ、でも、従え、でもない。
――女王はクイーンだ。
ただそれだけだった。
そしてただそれだけで、デビルアンツは一匹残らず、沈黙したのだった。
バルバドスさえ、それには喉を鳴らした。
クイーンはすっと白眼を細める。
その目にはもう魔眼などないのに、視線にはそれ以上の毒を孕んでいるように見えた。
俺は思う。ベルゼブブがいったように、あるいは魔眼ぐらいのハンデがないと、不公平だったかもしれないなと。
そして女王が再度口を開く。
「和平の条件は三つだ」
クイーンは、『三つ』といった。
バルバドスが頷く。
クイーンが彼を見下ろしながら腕を組む。
バルバドスもその視線を真正面から捉え、大きな目で睨み返す。
クイーンが指を一本立てる。
「一つ目、レッド・ホット・チリ・ペッパーからのネクロポリス国王軍撤退」
クイーンが指をもう一本立てる。
「二つ目、ダージリン修道会が所有する水源の譲渡」
それからさらに目を細め、目力を強めて言う。
「まずはこの二つをいますぐ約束するってなら、アタシらはアンタらを全面的に信頼し、いますぐにでもデビルアンツ全軍を引き上げるよ。そして――」
――ダージリン修道会には二度と手を出さない。
――出させないとも約束するよ。
と。
ダージリン修道会を、もうデビルアンツが襲うことはない。
砂漠一の脅威を、もう教会が恐れる必要がない。
その意味を理解した瞬間、
無意識のうちに背負っていた重荷が、
一気に解かれたような心地がした。
ほ、というため息さえ、あからさまにこぼしてしまう。
戦いが終わった。
これ以上ない決着をみた。
デビルアンツの撤退と、襲撃の終わり。
これは俺達が、
ティラミスやジェラートが、
エクレールが、
身命を賭して願った最高の結果だったから。
内心で、俺は飛び上がるような思いだった。
あるいは、再び日の光を受けて色を取り戻していくこの砂丘のように、鮮やかな心持ちだった。
――夜が明けて、闇が晴れた。
目端に少しだけ、ほんの少しだけジワっとこみ上げるものがあった。
そしてそんな心の中を、バルバドスは読み取ってくれたのだろう。彼はその大きなギョロ目で俺を一瞥してからニヤリと笑い、そして再びクイーンを見据えた。
「了承だベイベー。ネクロポリス国王バルバドス:ゲロッパーズ、国王の威信にかけて全軍――といっても四人だけ――撤退させるベイベー。そして――」
――デビルアンツの女王クイーンの賢明な判断に感謝する。
そう言って、この和平を決着させた。
そのとき、クイーンが微かに笑んだのを見て、
とうとう俺は心の中を抑えることができなくなった。
「クイーン!!」
俺はこころのままに叫んだ。
そしてこの声にあまりに歓喜の色が滲んでいたからだろう、
向けられたクイーンの目はちょっと驚いたような様子だった。
そんな彼女に続けて叫ぶ。
「お前が倒した相手は、ゲームの主人公に龍族の最強、そして悪魔王のベルゼブブに死者帝国の国王だ!」
そして大声で言った。
「マジですげーよ!!」
と。
「これで本当に、お前のナイトメアは終わったんだ!」
と。
そして最後に、
最後の最後に、
ほんとうの意味で、
彼女の悪夢が終焉したことを知らせてやる。
俺は言った。
俺らしからぬ、満面の笑みで。
「ク リ ア お め で と う ! !」
と。
これは俺にとって一番の決めゼリフで、
そして最高の締め言葉だった。
だからだろう。
クイーンは空に佇んだまま、
地に足を着けるのも忘れたまま、
朝日をその背に浴びて羽根を透かしながら、
顔を両手で隠して、
俯いて、
肩をシクシクと揺すってしまった。
感極まって、泣いてしまったのだ。
ようやく、この悪夢が本当に終わったのだと知らされて。
他ならぬ自分こそが、その悪夢を終わらせたと知らされて。
そして最後に立ちはだかった、勇者と悪魔王と龍帝という難敵にしても難敵な難敵を、
自らの力で打倒したのだと知らされて。
クイーンは感極まって、泣いてしまったのだ。
と。
――そう思っていたのに。
「ふふふふ……」
クイーンは笑っていたのだった。
どうしてか、ふふふと、笑っていたのだった。
肩をシクシクと揺すっていたのではなく。
肩をヒクヒクと揺すっていたのだった。
まる。
――――あるぇ?
クイーンはそう、まるで小さな猫に、
「みゃ」っと珍芸でも見せられたみたいに、
おかしくて笑っていたのだった。
――――なんで?
俺がそれに気付いてポカンとなったら、
クイーンは顔から手を離して、
意味深な笑みを讃えながら――やっぱ笑ってた――ふぅわりと着地した。
そして自軍の群れをモーゼのように割りつつ、
俺の方にしゃなりしゃなりと歩み寄りながら、
「戦ってる最中は分からなかったけどさ」
その笑いの答えを、
実に端的に教えてくれた。
教えてくれなくてもいい事を教えてくれた。
「そうやって笑うとあんた、本っ当に可愛いんだね」
と。
その言葉から数秒後、
ボっと、顔から火が出そうになった。
――――俺が、可愛いだって?
クイーンはしかし、腰に手を当てイタズラネコのような表情でなお言う。
「勇者風情にしとくにゃ、本当にもったいないよ」
と。
よりいっそう顔面温度が上がる中、
クイーンは足を止めず更に歩み寄ってきて、
更に歩み寄ってきて――。
とうとう手を伸ばせば届くような距離になった。
近くで見るクイーン。
妙齢の女性が称える、艶やかな色香を備えた蟻の女王。
褐色の肌にミルク色の瞳。シルクのような髪に透けるような大羽根。
スタイルも良く、早い話が美人だった。
――そして同じ女の子として、
胸のあたりなどに目線が行く。
「…………」
――負けた……。
いやいやなんの話よ。
あと形だって重要だからな!
しかしこうして見れば、クイーン。
彼女にデビルアンツなんていう恐ろしげな名は不似合いで、
百歩譲っても、森妖精という塩梅だった。
そんな彼女が腕を組んで、
たいそうな暴言を暴言を吐く。
「アンタは勇者というよりむしろ姫様になってどこかの城に囚われてて、勇者風情に救われてやったほうが似合ってるよ。ステビア?」
――勇者じゃなくて姫様やってろ。
顔から火が出るどころか、涙までジワっと出そうになってきた。
しかしクイーンは容赦なく言う。
「だのに勇者なんてやって、剣なんて振って、こんなとこでホコリまみれになってるだなんて。せっかくの可愛らしさが台無しだね。アンタがやってる人生もほんとひどいクソゲーだよ」
――可愛らさが台無しで、お前の人生まじクソゲー。
やばい、マジで涙でてきた。
隣でポン太が「ステビア殿、これは褒め言葉でござるプププ」とか言ってるが、そんなのどうだっていい。
ていうかプププってなんだおいテメー。
クイーンはそして、
トドメにこんなことまで言いやがった。
それも呆れ笑いしつつ、嬉しげに。
「まったく。アンタの境遇に比べたら――」
肩まですくめて。
「 魔 眼 ご と き で 自 棄 に な っ て た ア タ シ が 馬 鹿 み た い だ っ た よ 」
と。
――魔眼ごとき。
なんていうか、
俺は今ここで、
初めて負けたような気がした。
あげく最後に、クイーンはその手を俺に伸ばして、頭をポンポンと撫でてきた。
まるで小さな女の子でもからかうかのように。
「綺麗な髪にホコリがついてるよ? お姫さん」
隣でバルバドスやベルゼブブ、そしてポン太までが笑っている。俺はどんどん顔が赤くなる。目もジワリとにじんでくる。比例して、クイーンの笑顔も素敵になっていく。
――くそ。
この戦いに敗北なんてないと思っていたのに!
どもども無一文です。
お待たせしました^^
これにてデビルアンツとは一応の決着を見たわけですが、
ラストバトルはこっからですよ?
なにせほら、まだあの人出てきてませんし(爆
感想や評価などまったりお待ちしてます^^
でわでわまた^^(あとで修正もするかと思いますが)




