2,魔術師病
意気揚々と旅立った私だったが、早速たいへんな目にあっていた。
心配していた乗り物酔いは、クラハの持たせてくれた酔い止めで大丈夫なのだけど、予期していなかった体調不良で私は大変な目にあっていた。
オトテール領から王都までは遠く、馬車で五日かる。最初の頃は物珍しさで馬車の外を眺めたりと楽しんでいたのだが、徐々に体調を崩していき、四日目の現在座っていることすらつらい状況だ。
呼吸はしづらいし、眩暈はするし、酷く気持ち悪い。出発時は元気だったのに、いったいなんでこんなことになったのか、さっぱりわからない。動く馬車の中へたりこむしかない。隣でコレットが心配そうに声をかけてくれているが、今は返事をする余裕すらない。
「具合はどんな感じですか?」
聞こえてきた声に顔を上げると、私と同じくらいの年頃の少年が目の前にいた。薄い緑色の髪に、シルバーフレームの眼鏡の奥には新緑のような濃い緑色の瞳。見覚えのない子だ。
「ああ、すみません。自分はシャルル・ミュレーズと申します。少々医学をかじったことがあるので力になれないかと思いお声をかけさせていただきました」
シャルルと名乗った少年は、恭しく頭を下げた。ミュレーズ家と言えば、この国ヴェリテヴィオー王国の最西端に位置する所領をもつ。爵位は伯爵。爵位こそオトテール家と同じだが、ミュレーズ領には海があり、そのため漁業や交易などで栄えている。何もないオトテール領は違う。
「丁寧な自己紹介痛み入ります。失礼ながら体調不良の主人に変わってわたくしが紹介させていただきます。こちらはオトテール伯爵家嫡女のブランシュ・オトテールでございます」
体調が悪い私がまともに対応できないと判断したコレットが変わりに頭を下げる。私はそれを座ったままぼんやりと眺めていた。
本来であれば子どもであれ貴族同士の挨拶はきちんと行わなければならないのだけど、ケガや病気などで出来ない場合に変わりに使用人が行うことも致し方ない。流石に公式の場になればまた変わってくるのだけど。
「お嬢様は先ほどから、息がしづらそうで、気持ち悪さと、眩暈がひどいそうです」
「なるほど。少し失礼しますよ」
そう断ると私の手頸にシャルル様の手が添えられた。
「!?」
ああ、どうやら脈を測っているだけか。お兄さまたち以外の同性代の男の子と触れ合うことが全然なかったので、ちょっとびっくりしてしまった。やっていることはお医者様が普段していることとさほど変わらないので、安心する。
「なるほど、これはおそらく魔術師病ですね」
診察が終わったシャルル様が聞いたこともない病名を口にした。
「魔術師病、ですか。どのようなものなのでしょうか?」
「魔術師病とは、窮屈な体制で長時間同じ姿勢のままでいると体内の魔力が固まり体調不良を引き起こす病気です。魔力が多い人がかかりやすく、特に魔術師がかかることが多いためそう呼ばれています」
なるほど、確かに一日中馬車の中に居てずっと同じ姿勢だったので魔術師病とやらにかかったのだろう。そう言えば師匠も私は魔力が多いと言っていた。
「それで、お嬢様は大丈夫なのですか?」
「正直このまま放置しておくと、最悪死んでしまいます」
「!」
「そんな!」
まさか自分そんな危ない状態だなんて思ってもいなかった。
「大丈夫です、安心してください。今ならまだ、死ぬほど悪化には至っていません。まず水分を多めに取ってください。水分を取ることによって、体内の魔力の巡りをよくするのです」
コレットに水の入ったコップを渡された。もらった水をあっという間に飲み干す。自分で思っていたよりも喉が渇いていたようだ。
馬車に乗っている間にトイレに行きたくなったら困るので、水分をあまりとらないようにしていたのが悪かったようだ。
「奥様にマジックバッグをお借りしてきたので水はまだありますよ。遠慮しないでくださいね」
そう言ってコレットはトートバッグから大きな水筒を取り出し、空になったコップに水を注いだ。
トートバッグはあまり大きなサイズではない。水筒の頭がはみ出してしまうサイズだ。しかし水筒は飛び出ることなくトートバッグに収まっていた。それだけではなく、他にも携帯食や衣類や薬など様々なものも入っていた。明らかに容量オーバーであるが、問題なくトートバッグの中に収まっている。なぜならこのトートバッグがマジックバッグだからできることだ。
マジックバッグとは空間魔法がかけられているバッグのことだ。空間魔法で異空間と繋げて、見た目以上の容量を入れることが出来る優れたものだ。容量は値段によって変わり、さらに高いものになると時間を止めることが出来るもののあるらしい。出来立ての料理とか持ち運べて便利そうだけど、かなりお高いという話だ。
時間を止めることが出来るマジックバッグはよっぽどのお金持ちぐらいしか持っていないが、普通のマジックバッグなら貴族はもちろん商人や少し裕福な平民も持っているぐらいに一般的なものだ。
これでもかとコレットに水を飲まされた結果お腹がタプタプする。
「後はたまりすぎた魔力を適度に発散させることなのですが……」
シャルル様はそこで言葉を切った。ここは馬車の中だ。当然ながら魔法を使う訳にはいかない。
水を飲んだおかげで先ほどよりもいくらか気分がよくなったし、次の町に着くまでそんなにかからないはずなのでそれまでは持つだろう。しかしシャルル様の考えは違ったようで、
「仕方ありません、止めてもらいましょう」
「そこまでしてもらう訳には……」
今乗っている馬車は個人の馬車ではない。乗り合馬車だ。私の体調不良のせいで止める訳にはいかない。一日のノルマがあるだろうし、第一今馬車の乗客は私たち三人だけではない。もう一人乗っている。その人にも迷惑をかける訳にはいかないだろう。
「いえ、人命が優先です」
シャルル様は私が止める間もなく、御者へと近づき声をかけた。
「すまないがいっとき停まってもらえないだろうか。急病人だ」
「へ、へえ!」
真剣な表情のシャルル様に事態を察したのか、御者が慌てて馬を止めようと手綱を引いた。
「おい、止めるな! 俺は急いでいるんだ!」
怒鳴り声が後方から聞こえてきた。振り向くと、三十過ぎぐらいの男性が、怒りを露にしていた。
「急病人です。人命を優先すべきだ」
怒鳴りつける男を前にしてもシャルル様は怖気づくどころか、淡々とした口調で話す。彼は撤回する気はないようだ。しかし私のせいでこのような揉め事が起こるのは申し訳ない。急いでいるのなら、馬車を止められて困るのは当然だろう。
「シャルル様、私なら大丈夫なので……」
「いえ、大丈夫ではありません。一刻も早く処置を施すべきでしょう」
え、今の私ってそんなに酷い状況なの?
「この者の言うことは気にしなくていい、馬車を止めてくれ」
「とめんなっていってんだろ!」
「わしゃどうすればいいんですかい!?」
同時に二人に詰め寄られて御者は困ったようにおろおろと手綱を握るばかりだ。
「っち、しかたねぇ」
そう言うと男は懐からナイフを取り出した。いったい何をするのかと思うと、男は私の腕を強引に掴んだ。痛みを訴えるが、うるさいと一蹴される。引きずるように無理矢理立たされると、羽交い絞めにされた上に首元にナイフを突きつけられる。
「っ……」
鈍い輝きを放つ凶器を目にして私は恐怖で動けずにいた。
「お嬢様!」
コレットが怒りを露に声を上げた。男がナイフを持っていなければ、きっとすぐに飛びかかっていたことだろう。
「お前ら二人とも貴族のお坊ちゃん、お嬢ちゃんらしいから人質としては十分だな」
品定めするような視線を感じた。
「俺はロベリタ村で人殺して逃げてきてんだよ。追加で一人二人殺しても問題ねぇ」
粘つくような不快な声で男は嗤った。ぞくりと怖気が背中を這いあがる。冗談と切り捨ててしまえればよかったのだけれど、背後から感じる男の気配が酷く不気味で彼の言い分が嘘だとはとても思えなかった。
ロベリタ村は昨日通過した村だ。馬車が馬車乗り場に停まっていた時、村がなにやら騒がしかった。何があったのか村人に尋ねるが怯えた様子で口を噤み、何も教えてはくれなかった。
物々しく村の中を兵士たちが何人も見回っていたし、臨時の検問もあった。厄介な時に村に来てしまったと御者のおじさんが独り言ちていたのを覚えている。
確かこの男はロベリタ村を過ぎてすぐの道端で強引に乗り込んできたのだ。本来なら馬車乗り場以外では客は乗せないことになっているが客は少なかったし、男の押しが強く御者のおじさんが結局折れた形で乗り込むこととなった。
乗車するとき男が酷く焦っていたのを覚えている。てっきり馬車を乗り過ごしてしまったために焦っていたのかと思ったのだけど、今思えば兵士から逃げていたのだろう。
背後にいるのは殺人犯。本来なら怖いはずだ。実際に冷静な頭では恐ろしいと感じている。しかし今の私には、目の前で起きていることが現実のように感じられない。まるで舞台でも眺めているような感覚でぼんやりと眺めている。
それは別に私がこういった騒ぎになれたからとかとそう言った類のものではない。ただ単純に魔術師病のせいで具合が悪くそれ以外のことを考えられる余裕がなかったというだけの話だ。
先ほど強引に引き摺られたせいで悪化している。元々の体調不良に足して、気持ち悪さと吐き気まで出てきた。これはもしかして乗り物酔いも出てきているのだろうか。今すぐ座るか横になるかしたい。しかしそんなことが出来る雰囲気ではないことぐらいはわかっている。今にも崩れ落ちそうな足を必死に奮い立たせる。
男がシャルル様やコレットとなにやら言い争っているが、よくわからない。今はそれどころではないのだ。小石にでも乗り上げたのか、馬車が大きく揺れた。つられて私たちも揺れる。あ、もう無理だ……。
「うぇっ……」
胃からせり上がってくるものを押しとどめることが出来ず、私はあえなく嘔吐してしまった。しかも男の胸者とに向かって思いっきり。
「ぎゃー! コイツ吐きやがった! きたねーー!!」
男叫び声をあげながら私を突き飛ばすと、腕を振ったり服で拭ったりとしているがなかなか取れないようだ。ちょっとだけ悪いことをしたと思ったけど自業自得でもある。そして吐いた私は少しスッキリした。
「くっそ! こいつぶっ殺してやる!」
一人でギャーギャー騒いでいた男だったが、暫くすると諦めたのかこちらを振り向くとナイフを振り上げながら近づいてくる。血走った目から恐怖を感じた。
「お嬢様!」
「ブランシュ嬢!」
殺されてしまう、逃げなければ。しかし恐怖竦んだ体は動かない。こういう時に障壁魔法が使えていれば簡単に身を守れたかもしれない。しかし使えないものは悔いてもしょうがない。
その間にもお男はこちらに近づいて来ていた。後数歩というところで私は手を目の前にかざし、火の魔法を放った。せめて時間稼ぎにもなれと願って。冷静になれば生活魔法程度で何ができると思うが、それはそれ。最後の悪あがきだ。
「ウワァーー!!」
せいぜい火傷程度の火など片手で払ってしまうと思っていたが予想外にも男の口からは叫び声があがった。
「え?」
なんと私の手から現れたのは想像していた十倍くらいの勢いを持った炎だった。今までろうそくの炎より少し強いくらいの炎しか出したことなかったのにこれはいったいどういう事だろうか。
「た、助けてくれ――!!」
既に何もない両手を見つめて呆然としていると、男の必至な声が耳に届いた。視線を上げると、達磨の男がそこにいた。このままでは焼死してしまうだろう。いくら殺人犯でも、私を人質に取った相手でも殺してしまう訳にはいかない。急いで火を消さないと。
「み、水! 水で消して……」
「あ、ちょっとまって!」
シャルル様の静止の声が聞こえたけれど、動転していた私は止まるわけもなく水魔法を発動した。次の瞬間、想像以上の大量の水が現れ馬車の中は水に包まれる。
「っがぼ……!」
全身水に飲み込まれ息が出来ない。私は泳げないというのにどうしよう。必死にもがくが何もつかめない。このままでは溺死してしまうと思った瞬間、後方へと押し出された。後ろの出入り口は布で閉じていたはずなのだが水圧でこじ開けられ、私は馬車から飛び出した。
地面に落ちた勢いで転がり、道端の木にあたりようやく止まる。口の中にも水が入ったようで盛大に咽た。あちこちぶつけたところが痛いが今はそれどころではない。
「っごほ、ごほ……!」
ようやく息が整ったころ辺りを見渡す。馬車は既に止まっており、御者も含め全員が馬車の外にいた。私にナイフを突きつけた男はどうなったのかと見やると、コレットに取り押さえられていた。暴れる力もないのか大人しく縛り上げられている。
火は私の出した水でとうに消えているが、所々赤くなっており火傷を負っているようだ。けれど死ぬような火傷ではなさそうでほっと胸をなでおろす。
「大丈夫ですか?」
声とともに差し出された手。視線を上げると、そこにはシャルル様が立っていた。
「あ、ありがとうございます!」
「よかった、顔色はよくなったみたいですね。派手に魔法を使ったおかげでしょう」
「え?」
そう言われれば、さっきまであれほど気持ち悪かったのが今はスッキリとしている。シャルル様の言う通り(嘔吐したというのもあるけど)魔法を使ったからなのだろうか。
それにしてもさっきの魔法の火力はいったい何だったのだろうか。火魔法にしろ水魔法にしろあんな威力の大きな魔法は今まで一度も使えたことがなかった。
師匠に言われてこの一年間、魔法はほとんど使っていない。なのに明らかに威力が上がっている。もしかしてこれが火事場のバカ力とか言ったものなのだろうか。何も考えずに身が夢中で魔法を放ったので、それなら納得できる。
「お嬢様―! ロベリタ村の兵士が来ました!」
どうやら男を追っていた兵士たちが追い付いたようだ。来た道を見やれば、馬車が近づいて来ているのが見えた。
◆
その後やってきた兵士に男を引き渡した際に聞いたのだけど、人を殺したと嘯いていた男だったが実際のところは人なんて殺しておらずただの放火犯だった。しかも火がつけられた場所は物置で負傷者も出ていないとのこと。どうやらただの張ったりだったようだ。
あんなはったりに騙されてしまい恥ずかしいが、何はともあれ死傷者もおらず犯人も連行されていったことだしこれで安心だ。
王都に近づくにつれて、周りの景色も徐々に変わっていった。森や山などの自然の風景は徐々に減っていき、民家や畑などが増えていった。王都も目と鼻の先というところまで来るとその傾向は顕著に表れる。王都を囲うようにそびえる高い外壁。その周辺にもいくつもの家々が点在していた。
開かれた門には多くの人々が出入りしている。人々の波に乗り堅牢な門をくぐると、そこは人でごった返していた。オトテール領では祭りの時でしか見られない人の多さだ。いや、収穫祭の時よりも多いかもしれない。様々な屋台や露天商もみられ、もしかしたら今日は何かイベントでもあるのだろうか。
「なにか、お祭りでもあるのかな……」
ぽつりと呟くと、後ろから笑い声が聞こえた。振り向くとそこにいたのはシャルル様。田舎者と思われたかもしれない。
「失礼、ブランシュ嬢は王都は初めてですか?」
「は、はい!」
「王都はいつも人が多いです。ですが、今頃は特に多いのですよ」
「え、なんでですか?」
やっぱりお祭りでもあるのだろうか。
「王都には様々な学園があります。そのほとんどがこの時期に入学試験を行うからですよ」
「あ!」
なるほど、私たちのように国内外から受験を受けるためにこの王都へ人が集まるのか。どおりで人が多いわけだ。
「シャルルー」
「あ、失礼。知り合いが迎えに来てくれたようです」
私たちに一礼すると、シャルル様は遠くから呼ぶ声に、返事を返す。そしてそのまま知り合いの方へと向かうのかと思ったら、再びこちらを向いた。
「ブランシュ嬢。あなたとはまた近いうちに会う事でしょう。それではまた」
そう言うと、シャルル様は人ごみに紛れて行ってしまった。
穏やかな、しかしどこか確信を持った声が頭に張り付いたままだ。冗談と切り捨てることも出来ず、こうして私の初めての王都は幕を開けた。




