第二章 第一話
本当に、それは突然の再訪だった。ベリルが授業を受けるようになってから数週間が経った頃。この日は学園の主力となる三年生が、校外実習のため不在だった。それ故、三年生を担当している力のある教員たちも学園には居なかった。学園が確実に手薄な時を狙って、マントを羽織った集団は再び学園を襲った。
ベリルは普段通りの授業を受けていた。昨日の疲れが残っており座学で寝落ちしそうになっていた時だった。下の階、二年生の教室があるフロアから物が壊されるような鈍い音と共に緊急放送が入った。
「緊急放送緊急放送。二階、二年生のフロアに敵襲有り。紺色のフード付きのマントを羽織った集団。一年生は速やかに避難し、生徒は集まって身を守ってください」
仰々しいサイレンが一年生のフロアに響き渡る。しかしサイレンの音のみで、戦闘音や何かが壊されるような音は聞こえない。幸いにもこのフロアにマントはまだ来ていないようだった。
「避難ルートはB。クラス全員で固まって避難を始めてください」
授業をしていたアンの代わりの担任教員の指示で、C組の全員が教室から出た。このような非常事態の場合、必ず全員で体育館に避難するように決められている。他のクラスもそれは同じで、廊下では既にA組とB組の生徒は体育館に向けて避難を始めていた。
生徒たちは決められたルートで体育館へ避難する。下のフロアが襲撃を受けているこの時は、その場を通らない形で組まれたルートBが安全だと考えられた。
「またこんなことがあるんだ」
避難をしながら、イコが不安そうな顔でベリルに話しかけた。
「本当にね。この前のことだって普通じゃないのに。またこんなことがあるなんて」
不安に思っているのはベリルも同じだった。半分はイコを落ち着かせるために。そしてもう半分は自分が落ち着くために、現状を思ったまま返答にした。
「しかも短い期間に二回目があるなんて」
けれどイコはまだ不安そうだった。それは当たり前のことだとも思う。学園では対人を想定した魔法を習わない。必要がなかったからだ。だからまだ魔法使いとして未熟なベリルやイコが、人の魔法によって故意に命を奪われるかもしれない。自分たちが戦う術を持たないことが一番不安なのだ。周りのクラスメイトが居るか、確認しながらベリルたちは体育館へ急いで向かった。
*****
やがてA組から体育館へたどり着いた。しかし体育館の手前で、入り口を塞ぐように一人のマントの男が突然姿を現した。
「ご無沙汰しております」
そう言って男はA組の生徒に向かって一礼した。顔がフードですっぽり覆われていて、まるで顔が存在していないように見えて気味が悪い。生徒たちは一瞬のうちに警戒態勢になり、クラス全員を覆う大きなバリアを張った。
「早速ですが、フローラ様、我々と共にいらしてください」
フローラはA組のクラスメイトに囲われ、直接マントの男の姿は見ていなかった。けれどフローラには、彼が以前アンと戦闘していた男だとわかった。そして彼も、フローラがそこに居るということはわかりきっていた。
「フローラは渡さない。諦めてさっさと撤退しろ」
そう言い返したのは、フローラを彼から見えないようにして立っていた、フローラとよく会話をしてくれる女子生徒だった。
「お前らなんかにフローラは渡さない」
彼女に続いて別のクラスメイトもそう言った。
しかしそうは言っても、クラスメイト全員がそう思っているわけではなかった。中にはフローラの青い髪を良く思わない生徒もいた。ただでさえ青い髪を持った忌まわしい人間なのに、彼女のせいで学園が二度も襲撃されているのだ。彼女が大人しく彼らについて行けば学園は安全だったのではないか、そう思う生徒が居るのは自然なことだった。周りの目を気にして、それを口にするものは誰も居なかったが。けれどそれはフローラ一番よくわかっていた。今までだってそうやって周りから距離を置かれていたのだから。
フローラは彼女を守ってくれたクラスメイトに感謝し、集団から姿を現した。引き留めるクラスメイトを無視して、フローラはバリアからも出た。
「フローラ様。お待ちしておりました」
姿を現したフローラに向かってマントの男は跪いた。しかしフローラは男の前で杖を具現化させた。
「あなたについて行くつもりはさらさらありません。私一人が目的なら学園ではなく私を殺しに来るのが筋ではありませんか」
フローラは杖を両手で握ったまま、毅然とした態度で言い放った。二年生のフロアからは依然として破壊音と戦闘音が聞こえている。
C組が体育館前の集団にたどり着いた時、フローラが杖を具現化したところだった。ベリルはまずマントの男を捉えた。そしてフローラが男と対峙しているのが見えた。それを見たベリルは迷わず走り出した。
「ベリル! 危ない!」
そう必死に叫ぶモナの声はベリルには聞こえていなかった。考えていたのはフローラのことだけだった。フローラが危ない。フローラを助ける。フローラを守る。それだけがベリルの体を突き動かした。
全速力で駆け抜けていくベリルを、C組のクラスメイトだけでなくB組とA組の生徒も見ていた。あれって引きこもりの子じゃない? 確かC組の落ちこぼれの子だよね。まだ退学してなかったんだ。ベリルに向けられる言葉はそんなものばかりだった。それはベリルにも聞こえていたが、今のベリルにとっては全く関係のないものだった。こんなことを言っているだけでフローラを助けようともしない彼らと、ベリルは一生会話することもないだろうと思った。
ものすごい速さでこちらに向かってくる生徒にマントの男は気付く。フローラに対し跪いているその姿勢を崩すことはなかった。
「またお前か」
ベリルはすぐにその場にたどり着き、フローラを守るように彼女の前に立った。そしてマントの男を鋭く睨みながら杖を具現化させた。フードに覆われて暗く顔は見えない。けれどそれがアンを怪我させた男だとすぐにわかった。
「フローラは渡さない。お前なんかには絶対に渡さない。フローラが行くのを望まない限り、フローラは絶対に守る」
生徒集団から一つ前に出た二人の表情はマントにしかわからなかった。不安そうな顔で二人を見る生徒、そして紅い目に鋭い光を宿すベリルと恐怖を感じていないような態度のフローラ。
「そうですか。残念ですが今日は諦めることにします。フローラ様、いつでもお待ちしておりますので」
マントの男は先ほどから声色を変えずに話すので、残念そうには聞こえなかった。けれどマントの男は右手を高く上げ、その指先から光を放った。とても眩しい光だった。間近でそれを受けたベリルとフローラは思わず目を閉じた。
次に目を開けた時にはもうマントの男の姿はなく、二階から聞こえる音もなく、完全な静寂が学園を包んでいた。