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10 夢幻燈想

ある日の昼下がり。


俺はミーナのパン屋で、昼食を取っていた。


テーブルの上には、焼きたてのピザが置かれている。


香ばしく焼けた生地に、とろりと溶けたチーズ。


具材の旨味が合わさった匂いが食欲をそそる。


「……うん、おいしい」


一口食べて、思わず頬が緩んだ。


「カイ、味はどう?」


調理の合間に、ミーナが声をかけてきた。


「おいしいよ。いつ食べてもいいな」


「えへへ、よかった!」


ミーナは嬉しそうに笑うと、再び調理に戻った。


俺がもう一切れに手を伸ばしたとき、店の扉が開いた。


入ってきたのは、1人の女性だ。


整った顔立ちに、凛とした雰囲気。


長い髪が肩のあたりで揺れ、すらりとした立ち姿にも目を引かれるものがある。


 ……綺麗な人だな


女性は店内を見回し、ピザを食べている客たちに目を向けた。


「いらっしゃいませ!」


ミーナの明るい声が響く。


女性はミーナに近づくと、店内に漂う香りを確かめるように尋ねた。


「ねえ、ここで焼いているのは何かしら?」


「ピザですよ! 焼きたてがとってもおいしいんです」


「ピザ……。聞いたことのない料理ね」


「よかったら、召し上がってみませんか?」


「ええ、ぜひお願いするわ」


女性は楽しそうに微笑んだ。


ミーナは注文を受けると、手際よく準備を始めた。


やがて、焼きたてのピザが女性のもとへ運ばれる。


女性は一口食べると、目を少し見開いた。


「……おいしい!」


その声に、ミーナの顔がぱっと明るくなった。


「本当ですか? よかった!」


「生地が香ばしいし、具材とチーズの組み合わせもいいわね。こんな料理があるなんて知らなかったわ」


「ありがとうございます! カイに教えてもらった料理なんです」


ミーナがこちらを指し示した。


女性の視線が俺へ向く。


「あなたが考えたの?」


「いえ、料理そのものは覚えていたんです。作り方をミーナに教えただけですよ」


「そうなの。とてもおいしい料理ね」


女性は、にこやかに笑った。


「ありがとうございます」


俺が軽く頭を下げると、女性も笑顔で応じた。


その後、女性はピザを食べながらミーナと話をしていた。


何気ない話題で、二人の会話は自然と弾んでいる。


 ……本当に、ミーナは人と打ち解けるのがうまいな


俺がそんなことを考えているうちに、女性は食事を終えた。


「ごちそうさま。とてもおいしかったわ」


「ありがとうございます! また食べに来てくださいね、セリアさん!」


「ええ、ぜひ」


 ……セリアさん、か


セリアさんは食器を返却口へ運び、店を出ていった。


俺はその後ろ姿を見送ってから、ミーナに声をかけた。


「ミーナ、さっきの人とは初対面だったんだよな?」


「うん、そうだよ!」


ミーナは食器を片づけながら答えた。


「でも、すごく話しやすい人だったね。セリアさんっていうんだって」


「そうみたいだな」


「それでね、ロイドさんの昔の冒険者仲間なんだって!」


「……ロイドさんの?」


思わず聞き返した。


「うん。旅の途中で、昨日この村に立ち寄ったんだって」


「そうだったのか……」


ロイドさんに昔の仲間がいたことは不思議ではない。


けれど、実際にその人と会うとは思っていなかった。


「それから、一緒に旅をしている男性がいるんだって。ユリウスさんっていう、セリアさんの恋人らしいよ」


「恋人か……」


「ロイドさん、久しぶりに会えて嬉しいだろうね」


俺がそう言うと、ミーナはうんうんと頷いた。


「そうだね! あとでロイドさんにも聞いてみようかな」


ミーナはそう言って、再び仕事に戻った。


俺も残りのピザを食べながら、先ほどのセリアの姿を思い返していた。


 ロイドさんの昔の冒険者仲間か……


「あ、そういえばね。セリアさんたち、明日はルーデンの森に行くみたいだよ」


ミーナが、思い出したように付け加えた。


「明日、森へ行くのか?あそこは、ロイドさんも奥の方は危険だって言っていたな……」


以前、ロイドさんから聞いた話を思い出す。


森の奥には、村の近くとは違う危険があるらしい。


セリアさんたちは冒険者なのだから、危険な場所へ向かうこと自体は珍しくないのかもしれない。


それでも、少し気になった。


「何事もなければいいけど……」


俺が呟くと、ミーナも心配そうに頷いた。


「うん。無事に帰ってきてほしいね」


俺は、残っていたピザを口に運んだ。


 ルーデンの森か……


いったい何をしに行くのだろう。


そんなことを考えながら、俺は昼食を続けた。


 ♢♢♢♢♢


昼食を終えた俺は、ミーナのパン屋を出て、ルーデンの教会へ向かっていた。


村の通りを歩いていると、背後から声をかけられた。


「……カイルさん?」


振り返えると、そこに立っていたのは、見知らぬ男性だった。


整った顔立ちに、柔らかな笑みを浮かべている。


男性は俺の顔を見るなり、嬉しそうに目を見開いた。


「やっぱり、カイルさんじゃないですか! どうしてこんなところに? マークスさんたちと一緒じゃないんですか?」


矢継ぎ早に尋ねられ、俺は戸惑う。


「えっ……?」


カイル? マークス?


どちらも聞き覚えのない名前だ。


「あの……すみません。俺はカイといいます。この村に住んでいるんですが……」


「えっ?」


今度は男性が目を丸くした。


「カイさん……? 失礼ですが、グランゼル王国の冒険者ギルドで、マークスさんたちと一緒にいらしたカイルさんではありませんか?」


「冒険者ギルド……?」


聞き慣れない言葉に、俺は首を傾げた。


男性は、俺の顔をまじまじと見つめたあと、申し訳なさそうに頭を下げた。


「申し訳ありません。あまりにもよく似ていたもので……」


「この辺りでは黒髪の方は珍しいので、てっきりカイルさんだと……」


そう言って、男性は苦笑した。


「そうだったんですか……」


俺は、自分の黒髪にそっと触れた。


男性は、まだ少し不思議そうに俺を見ていた。


「それにしても、本当によく似ていますね。お顔立ちも髪の色もそっくりですから、すっかり本人だと思ってしまいました」


「そうなんですね……」


俺には、カイルという人物にも、マークスという人物にも心当たりがない。


けれど、男性の話では、俺とよく似た人物がグランゼル王国の冒険者ギルドに出入りしていたらしい。


「申し遅れました。私はユリウスと申します」


「あ、俺はカイです。よろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


ユリウスは丁寧に頭を下げた。


「あっ、そういえば……ユリウスさんは、セリアさんと一緒に旅をされている方ですよね?」


俺がそう尋ねると、ユリウスの笑顔がわずかに止まった。


「……セリアをご存じなのですか?」


声は穏やかだったが、先ほどまでとは少し違う、探るような響きがあった。


「ああ、いえ。今日、セリアさんがパン屋に来られて、偶然お会いしたんです。そこで少しお話ししたんですよ」


ユリウスは、俺の表情を確かめるように見つめてから、再び柔らかな笑みを浮かべた。


「なるほど、そういうことでしたか」


「はい。それで、明日はルーデンの森へ向かうと聞きました」


「ええ、その予定です」


ユリウスは何でもないことのように頷いた。


「そうなんですね。ただ、森の奥は危険だと聞いたことがあるので……気をつけてくださいね」


俺がそう伝えると、ユリウスは俺の顔を確かめるように見つめている。


「ご心配いただき、ありがとうございます。十分に気をつけます。それでは、私はこれで失礼します」


ユリウスは丁寧に頭を下げ、立ち去っていった。


俺も軽く会釈を返した。


それにしても、カイルという名前が気になる。


マークスという人物と一緒にいたと言われても、俺にはまったく覚えがない。


……カイルとは、いったい何者なのだろう。


そんな疑問を抱きながら、俺は再び教会へ向かって歩き始めた。


 ♢♢♢♢♢


その日の仕事を終え、俺は自宅でくつろいでいた。


椅子に腰を下ろし、昨日の出来事を思い返す。


カイル。


マークス。


どちらも、俺にはまったく覚えのない名前だった。


ユリウスさんは、俺を見た瞬間、本気で驚いていた。


人違いだと分かったあとも、顔立ちや髪の色がそっくりだと言っていた。


 ……俺に、そんな過去があるのだろうか。


考えてみても、何も思い出せない。


記憶を失う前の自分がどこで暮らし、何をしていたのか。


「……考えても仕方ないか」


小さく呟き、椅子から立ち上がろうとした、そのときだった。


バンッ!


勢いよく扉が開いた。


「カイ!」


飛び込んできたのは、ミーナだ。


「ミーナ? どうしたんだ、そんなに慌てて」


ミーナは息を切らしながら、俺の腕を掴んだ。


「大変なの! ロイドさんが……ロイドさんが、セリアさんを抱えて自宅に帰っていったの!」


「ロイドさんが?」


「セリアさん、全然動かなかったの。顔色もひどく悪くて……」


ミーナの表情が曇った。


「たぶん……もう……」


その先は言葉にならなかった。


俺は息を呑んだ。


ミーナも、彼女がどんな状態なのか察しているのだろう。


「お願い、カイ。私には何もできないけど、あなたなら……」


ミーナは、すがるように俺を見つめた。


その気持ちは、痛いほど分かった。


「分かった。すぐに行こう」


俺は必要な道具を手に取り、ミーナと一緒に家を飛び出した。


 ♢♢♢♢♢


「ロイドさん、入ります」


俺が声をかけると、ロイドさんはベッドのそばでゆっくりと顔を上げた。


その視線の先には、女性が横たわっている。


そこにいたのは、昨日、ミーナのパン屋で会ったセリアさんだった。


その顔を見た瞬間、胸が締めつけられた。


何があったのか、詳しいことは分からない。


けれど、ロイドさんがどれほど彼女を大切に思っているのかは、その表情を見れば伝わってきた。


俺はベッドのそばへ進み、静かに告げた。


「……まずは、身体を整えましょう」


ロイドさんは、静かに頷いた。


「頼む」


俺はセリアさんの顔や身体の傷を確かめた。


顔色はひどく悪く、肌は紫色に変色している。身体には、激しい戦闘を経たことが分かる傷がいくつも残っていた。


 ……毒か


傷だけではない。


毒が全身に回り、身体そのものを深く損なっているようだった。


俺は、そっと息を吐いた。


これほどひどい状態の身体を整えるのは、簡単ではない。


それでも、できる限りのことをしたかった。


俺は持ってきた道具を使い、セリアさんの身体を丁寧に整え始めた。


乱れた髪を直し、傷ついた身体を清める。


彼女が、安らかに眠っているような姿になるように。


俺はセリアさんの身体に意識を集中させた。


すると、指先から淡い光がこぼれ始めた。


光は俺の手を包み込むように広がり、セリアさんの肌へと静かに染み込んでいく。


俺は力の流れを感じ取りながら、彼女の身体を丁寧に整えていく。


紫色に変色していた肌が、本来の色を取り戻していく。


傷ついた身体も、まるで時間を遡るかのように、生前の姿へと整えられていった。


 ……よかった


これなら、きっと。


俺は焦らず、一つずつ丁寧に処置を続けた。


やがて、セリアさんの身体から不自然な変色が消え、顔からも苦しげな面影が薄れていった。


淡い光が消える頃には、穏やかな表情が戻っていた。


俺は最後に髪を整え、そっと手を離した。


しばらく、セリアさんの顔を見つめる。


せめて、安らかな姿で送り出してあげたい。


その願いが、少しでも届いていればいいと思った。


 そのとき――


――ロイド、あなたに……


 ……え?


思わず顔を上げた。


部屋にいる誰かが声を発した様子はない。


けれど、確かに聞こえた。


女性の声だ。


俺は、もう一度セリアさんを見つめた。


――あなたに伝えたいことが……


声は、そこで途切れた。


ルドルフさんの時にも、故人の声が遺された家族に届いたことがあった。


あの時と同じように、セリアさんにも、誰かに伝えたい想いが残っているのだろうか。


俺には、その声が何を意味するのか分からない。


けれど、ロイドさんに伝えたいことがあるのなら、何とかしてあげたい。


そう思いながらロイドさんに目を向けると、彼は今もセリアさんをじっと見つめていた。


その表情には、何かを伝えたいのに、伝えられずにいるような切なさが滲んでいる。


もしかすると、ロイドさんにも、彼女に伝えておきたいことがあるのかもしれない。


俺は、ゆっくりと声をかけた。


「……ロイドさん」


「なんだ?」


セリアさんを見つめていたロイドさんの目が、俺へと向けられる。


「……あなたは彼女に、伝えておきたいことはありませんか?」


ロイドさんの表情が、わずかに揺れた。


「……ある。たくさん、ある」


その答えを聞き、俺は静かに頷いた。


俺には、セリアさんの声が聞こえた。


けれど、どうすれば彼女の想いをロイドさんに届けられるのか、分からない。


それでも、もし、もう一度だけでも二人が言葉を交わせるのなら。


 ……何とかしてあげたい


そう思わずにはいられなかった。


俺は、そっとセリアさんの手を取り、両手で包み込んだ。


何かを確かめるように、目を閉じて深く息を吸う。


彼女の手から、かすかな温もりのようなものが伝わってきた気がした。


「カイ?」


ロイドさんの声が聞こえた。


けれど、俺は目を閉じたまま、セリアさんの手を握り続けた。


何ができるのかは分からない。


どうすればいいのかも分からない。


それでも――


 ……お願いだ


彼女の想いを、ロイドさんに届けたい。


ロイドさんの想いも、彼女に届けてあげたい。


ただ、それだけを願った。


そのときだった。


音が、消えた――


風の音も、遠くから聞こえていた人々の声も、すべてが途切れた。


 ……何だ?


異変に気づいた瞬間、足元から黒い光が放たれた。


「……っ!?」


光は一瞬にして床も壁も区別なく、部屋全体を包み込んだ。


そして、次の瞬間には跡形もなく消えていた。


 ……今のは?


あまりにも一瞬の出来事だった。


何が起きたのか、すぐには理解できなかった。


俺は、セリアさんへ視線を向けた。


すると、先ほどまでとは何かが違っていた。


安らかに眠っているようだったその顔が、どこか柔らかくなっている。


まるで、胸に残っていた何かがほどけたような、穏やかな表情だった。


そして、ロイドさんへ目を向ける。


彼はセリアさんのそばに立ったまま、静かに彼女を見つめていた。


先ほどまでの張り詰めた表情とは違う。


悲しみが消えたわけではない。


けれど、その表情には、どこか安堵したような様子が感じられた。


やがて、背後に立つロイドさんが、セリアさんに向かって声を掛けた。


俺はベッドのそばに座ったまま、その声に耳を傾けていた。


背後から聞こえてくるロイドさんの声は、先ほどまでとは違っていた。


悲しみを含みながらも、どこか穏やかで、静かにセリアさんへ語りかけている。


その言葉を聞いているうちに、ロイドさんは長い間胸に抱えていた想いを、ようやく伝えられたのではないかと思った。


俺は、ゆっくりと背後を振り返った。


「……ロイドさん」


「ああ」


「何があったのか、俺には分かりません。でも……少しは、伝えられましたか?」


ロイドさんは、一瞬だけセリアさんへ視線を向けた。


「ああ。伝えられたよ」


その声には、どこか穏やかな響きがあった。


「……そうですか」


それ以上、尋ねることはしなかった。


何が起きたのか、詳しいことは分からない。


けれど、ロイドさんの表情を見れば、きっと大切な時間を過ごせたのだと思う。


「カイ。ありがとう」


「……ロイドさんの力になれたなら、よかったです」


俺はそう答え、セリアさんへ視線を向けた。


「明日、教会でアステラの礼拝を行います。必要な準備は、俺に任せてください」


「ああ。頼む」


「分かりました。それでは、明日の準備がありますので、今日はこれで失礼します。何かあれば、いつでも声をかけてください」


俺は静かに頭を下げ、部屋を出た。


外に出ると、ミーナが少し離れたところで待っていた。


俺に気づくと、すぐにこちらへ歩み寄ってくる。


「カイ……。二人は、どうだった?」


心配そうな表情だった。


「うん……。二人の想いを、ちゃんと届けられたと思う」


「そう……。よかった」


ミーナは、ほっとしたように目を伏せた。


「ロイドさんは?」


「ああ。少し話をしたよ。明日、教会でアステラの礼拝を行うことになった」


「そっか。私にも何か手伝えることがあったら言ってね」


「ああ、ありがとう」


ミーナの言葉に頷き、俺たちはロイドさんの家を後にした。


 ♢♢♢♢♢


翌日。


教会で、セリアさんのためのアステラの礼拝が行われた。


俺の隣にはミーナがいた。


柩の中で眠るセリアさんの顔は、穏やかだった。


昨日、ロイドさんとセリアさんは、互いに伝えたかった想いを届けることができたのだろう。


そう思うと、俺も少しだけ安心した。


弔い屋として、故人の身体を整えることはできる。


けれど、それだけではない。


遺された人が、故人の想いを受け取り、少しずつ前を向いて歩き出せるように。


その手助けをすることも、俺の役目なのかもしれない。



俺は、セリアさんの穏やかな顔を見つめ、静かに祈りを捧げた。


「……どうか、安らかに」

以上で第二章は終わりです。


この後、閑話・番外編を投稿予定です。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


少しでも「面白そう」「続きがきになる」と思っていただけましたら、ブックマークや★星を入れて頂けますと嬉しいです!


何卒応援のほどよろしくお願いいたします。

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