第六章 つらい
この続きとしては、蓮が「彼女にしたい」と思いながらも、つづみの夢を優先して告白をためらう一方、つづみも蓮への気持ちを自覚していく流れが自然です。
好きになってしまった。
もう、自分でも認めるしかなかった。
つづみと話せるだけで嬉しい。
会えれば、それだけで一日が楽しくなる。
メッセージが届けば、自然と顔が緩む。
他の誰かと楽しそうに話していれば、少しだけ胸が痛くなる。
それはもう、ただの「気になる女の子」ではなかった。
「……彼女にしたい」
仕事帰りの道を歩きながら、俺は小さく呟いた。
初めて会ったあの日から、ずっと考えていた。
もっと一緒にいたい。
もっと彼女のことを知りたい。
自分の隣にいてほしい。
そして、いつか――。
「彼氏になれたらいいな」
そう思うようになっていた。
でも。
その気持ちと同時に、一つの不安が浮かんでくる。
つづみは忙しい。
美容師の学校に通っている。
動画配信もしている。
そして夜はラウンジで働いている。
朝から学校へ行き、授業を受ける。
そのあと配信の準備をして、夜にはラウンジ。
そんな毎日を過ごしている。
もし、俺が彼氏になったら。
今まで以上に俺のことを気にするようになるかもしれない。
連絡をしなければならない。
会う時間も作らなければならない。
俺のために、無理をすることだってあるかもしれない。
「……それって、負担になるんじゃないか」
足を止める。
夜の街を歩く人たちを眺めながら、俺は考えた。
つづみには夢がある。
東京に来たのも、ただ遊ぶためじゃない。
有名になりたい。
配信を頑張りたい。
そして、美容師として成功したい。
自分の未来のために、毎日頑張っている。
そんな彼女の時間を、俺が奪ってしまったら。
彼女が無理をするようになったら。
俺は、それに耐えられるだろうか。
「好きだからこそ……困らせたくない」
そう思った。
本当なら、もっと近づきたい。
今よりもっと、つづみのそばにいたい。
でも――。
好きな人の負担になるくらいなら。
今の距離のままでいい。
そう考えるようになっていた。
一方、つづみもまた、同じようなことを考えていた。
東京に来たばかりの頃。
知っている人はほとんどいなかった。
家族も友達も地元にいる。
慣れない場所で一人で生活するのは、思っていた以上に寂しかった。
そんなときだった。
「彼氏でもできたら、少しは寂しくなくなるのかな」
そう思って始めたのが、マッチングアプリだった。
特別な相手を探していたわけじゃない。
学校が終わったあとに話せる人がいたら。
何でもないことで笑える人がいたら。
一人で過ごす夜が、少しだけ楽になれば。
そんな軽い気持ちだった。
そして――蓮と出会った。
最初は、少し気になる程度だった。
優しい人。
自分のことを急かさない人。
忙しいときには、ちゃんと「無理しないで」と言ってくれる人。
ラウンジに会いに来てくれたことも嬉しかった。
自分のために時間を使ってくれたことが、純粋に嬉しかった。
だからこそ。
最近のつづみは、少し怖くなっていた。
「……私、今こんなに忙しいのに」
学校。
配信。
ラウンジ。
そのすべてを両立するだけで精一杯だった。
学校では友達も増えてきた。
配信を見てくれる人も増えている。
ラウンジの仕事も簡単には休めない。
毎日が慌ただしく過ぎていく。
そんな生活の中で、もし恋人ができたら。
「ちゃんと会えるのかな……」
つづみはスマートフォンを見つめた。
画面には、蓮とのトーク画面。
メッセージを送ろうとして、やめる。
今連絡したら、また期待させるかもしれない。
会いたいと言われても、すぐには会えない。
返信だって遅い。
恋人になったら、きっと今以上に蓮を待たせてしまう。
それでも自分は、蓮に会いたいと思ってしまうだろう。
そうなれば、今以上に無理をするかもしれない。
「……今の私に、彼氏なんて作れるのかな」
以前は、寂しいから恋人が欲しいと思った。
でも、今は違う。
寂しさを埋めるために始めたマッチングアプリで――。
本当に、誰かを好きになりかけている。
それなのに。
好きになればなるほど、その人を待たせてしまうのが怖い。
つづみはスマートフォンを胸元に置いた。
「……どうしたらいいんだろう」
その夜。
蓮からメッセージが届いた。
『今日もお疲れさま』
つづみは、すぐに笑顔になった。
『ありがとうございます! 蓮さんもお疲れさまです』
少しだけ会話が続く。
それだけなのに嬉しい。
もっと話したい。
本当は、もっと長く話していたい。
でも、時計を見る。
明日は朝から学校がある。
そのあと配信。
そして夜はラウンジ。
つづみは少し迷ってから、文字を打った。
『ごめんなさい、もう寝ますね』
『うん。おやすみ』
『おやすみなさい』
会話が終わる。
スマートフォンを置く。
静かな部屋の中で、つづみは天井を見つめた。
「……もっと話したかったな」
小さく呟く。
同じ頃。
蓮もベッドの上でスマートフォンを見つめていた。
「……もっと話したかった」
同じ言葉を呟く。
本当は、もう少しだけつづみと話したかった。
でも、無理をさせたくなかった。
だから、何も言わなかった。
二人は別々の場所で、同じことを考えていた。
――もっと近くにいたい。
けれど、どちらもその一歩を踏み出せない。
好きだと言えば、関係は変わる。
告白すれば、今までのようにはいられないかもしれない。
蓮は、つづみの負担になることが怖かった。
つづみは、蓮を大切にできないことが怖かった。
本当は、二人とも相手を必要としていた。
それでも。
タイミングだけが、二人の気持ちについてきてくれなかった。
恋をしている。
幸せになりたい。
それなのに、その一歩を踏み出すことが、今の二人にはあまりにも難しかった。
――好きだからこそ、つらかった。
そして、このとき二人はまだ知らなかった。
いつか自分たちが、今とは違う場所で向き合うことになることを。
儚い夢だったはずの二人の未来が――。
少しずつ、現実へと変わり始めていることを。




