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第五章 すれ違い

 白石つづみと初めて会ってから、しばらく経った。


 気がつけば、俺は以前よりも頻繁にラウンジへ通うようになっていた。


 理由なんて、もう自分でも分かっている。


 ――つづみに会いたいからだ。


 最初は、少し気になる女の子だった。


 マッチングアプリで知り合って、メッセージをして。


 実際に会ってみたら、写真で見るよりずっと可愛かった。


 話していて楽しかった。


 自分の話をちゃんと聞いてくれるのも嬉しかった。


 だから、もっと話したいと思った。


 もっと会いたいと思った。


 そして、気づけば――。


「俺、あの子のこと好きなんだな」


 仕事帰りの電車の中。


 窓に映った自分を見ながら、俺は小さく呟いた。


 認めてしまえば、意外と簡単だった。


 つづみが他の客と話していると、少し気になる。


 返信が来ないと、寂しい。


 つづみが笑ってくれると嬉しい。


 忙しいと分かっているのに、会えない日が続くと会いたくなる。


 もう、それだけで十分だった。


 俺は――つづみに恋をしていた。


     


「今日、来るかな……」


 仕事が終わると、俺は自然とスマートフォンを確認していた。


 つづみから連絡はない。


 以前なら、「今日は忙しいんだろうな」と思って、そのまま帰っていた。


 でも、今は違う。


 会いたい。


 声を聞きたい。


 ほんの少しでも、顔を見たい。


 気づけば俺は、いつものラウンジへ向かっていた。


 店の扉を開ける。


「いらっしゃい」


 ママさんが俺を見るなり、楽しそうに笑った。


「あら、今日も来たの?」


「……はい」


「残念だけど、今日はまだ来てないわよ」


「そうですか……」


 思わず声が小さくなる。


「そんなに分かりやすく落ち込まないの」


「落ち込んでないですよ」


「はいはい」


 ママさんはくすくすと笑った。


「でもね」


「はい?」


「あの子も、あなたが来ると嬉しそうよ」


「……本当ですか?」


「ええ」


 その言葉に、胸が少しだけ熱くなった。


 もしかしたら。


 ひょっとしたら、つづみも俺と同じ気持ちなのかもしれない。


 そんな期待をしてしまう。


 しばらくして――。


 店の扉が開いた。


「こんばんは」


 聞き慣れた声。


 俺はすぐに振り向いた。


「……!」


 つづみだった。


 俺の顔が、自然と緩む。


「来てたんですね」


「うん」


「ありがとうございます」


 つづみは笑いながら、俺の隣に座った。


 その瞬間。


 仕事で感じていた疲れが、全部消えてしまったような気がした。


「今日は学校どうだった?」


「疲れました……」


「やっぱり大変?」


「はい。でも、頑張らないと」


 つづみはそう言って笑う。


 俺はそんな彼女を見つめていた。


 学校に通いながら、配信もして。


 その上、夜はここで働いている。


 自分よりずっと忙しいはずなのに、それを弱音にしない。


 夢を追いかけながら、毎日を頑張っている。


 そんな彼女を見ていると、自然と応援したくなった。


「無理しすぎないでね」


「ありがとうございます」


 つづみが笑う。


 その笑顔が好きだった。


 もっと見ていたいと思う。


 ずっと、この時間が続けばいいと思う。


 でも――。


「ごめんなさい。次のお客さんのところ、行ってきますね」


「あ……うん」


 つづみが席を離れる。


 分かっている。


 ここは彼女の仕事場だ。


 俺だけのためにいるわけじゃない。


 そんなことは、最初から分かっている。


 それでも。


 少し離れた席で、つづみが別の客と楽しそうに話しているのを見ると、胸の奥が苦しくなった。


 自分でも、驚いた。


「……俺、嫉妬してるのか」


 こんな気持ちになるのは初めてだった。


 彼女を応援したい。


 忙しいことも理解している。


 だから、邪魔をしたくない。


 なのに――。


 もっと自分を見てほしいと思ってしまう。


 そんな自分が、少し嫌だった。


     


 その夜。


 家に帰ってから、スマートフォンが震えた。


 つづみからだった。


『今日は来てくれてありがとうございました』


 それだけなのに、少し嬉しくなる。


『こちらこそ。会えてよかった』


 送信する。


 そして少し迷った。


 何度も文字を打っては消す。


 それでも、結局――。


『また会いたい』


 送った。


 既読がつく。


 けれど、返信は来なかった。


 十分。


 三十分。


 一時間。


 何度もスマートフォンを確認する。


「……寝たのかな」


 自分に言い聞かせるように呟く。


 それでも、落ち着かなかった。


 そして――翌朝。


 ようやく返信が届いた。


『私も会いたいです。でも、最近本当に忙しくて……』


 その文章を何度も読み返した。


 嬉しい。


 「私も会いたい」と書いてある。


 それだけで、胸がいっぱいになる。


 でも同時に、その後に続く言葉が気になった。


『大丈夫だよ。無理しなくていいから』


 そう返信した。


 俺は、つづみを困らせたくなかった。


 夢を追いかけている彼女の邪魔をしたくなかった。


 だから、そう言うしかなかった。


 けれど――本当は大丈夫なんかじゃない。


 会いたい。


 もっと話したい。


 もっと近くにいたい。


 好きになればなるほど、その気持ちは強くなっていた。


     


 一方で、つづみもベッドの上でスマートフォンを見つめていた。


 画面には、蓮から届いたメッセージ。


『また会いたい』


 本当は、すぐに返したかった。


『私も会いたい』


 その一言を送ってしまいたかった。


 でも――送れなかった。


「……恋愛してる場合じゃないのかな」


 小さく呟く。


 自分には夢がある。


 もっと配信を頑張りたい。


 もっと有名になりたい。


 そして、いつか美容師としても成功したい。


 そのためには、今頑張らなければならない。


 学校。


 配信。


 ラウンジ。


 毎日やることはたくさんある。


 今でさえ時間が足りない。


 もし蓮との時間が増えたら――。


 もっと会いたくなる。


 もっと好きになる。


 そして、それが止められなくなったら。


 自分は夢を追い続けられるのだろうか。


「……怖いな」


 つづみはスマートフォンを胸元に置いた。


 蓮からのメッセージが、どうしてこんなにも嬉しいのか。


 会いたいと言われるだけで、どうしてこんなにも心が動くのか。


 もう、答えは分かっていた。


 自分も――蓮に惹かれている。


 でも、それを認めてしまうのが怖かった。


     


 蓮は、つづみの夢を邪魔したくなかった。


 つづみは、蓮を待たせたくなかった。


 二人とも、相手を大切に思っている。


 だからこそ、自分の気持ちを抑えた。


 本当は――。


 会いたい。


 もっと一緒にいたい。


 もっと好きになりたい。


 そう思っているのに。


 「無理しなくていい」と言う。


 「忙しいから」と距離を置く。


 そんな小さな遠慮が、少しずつ二人の間に隙間を作っていく。


 好きなのに。


 会いたいのに。


 お互いに一歩踏み出せない。


 そして二人は、まだ知らなかった。


 このすれ違いが――。


 二人の恋にとって、最初の試練になることを。


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