1.洞窟寺
結局、夜が明けても、ロローリャの義足は直らなかった。
裂けた留め革を蔓で縛り、歪んだ木の継ぎ目には薄い石を噛ませたが、ロローリャが体重を預ければ、三歩目には木の足先が外へねじれた。
「あっ……!」
傾いた身体へノイが抱きつき、二人は落ち葉の上へ転がった。ノイは、赤く擦れたロローリャの右脚と、曲がった義足を心配そうに見比べた。
「また、外れちゃったね。お姉ちゃん、この足なしで歩けるの?」
「なんとか左足でぴょんぴょん下りるよ。道まで出たら誰かの車を止めて、落ち着けるところまで連れていってもらおう。だからノイ、助けてね。わたし一人じゃ、さすがに無理!」
「うん、頑張る! お姉ちゃんが転ばないように支えるし、車が来たら私がちゃんと頼んでみる」
「ありがとう。それじゃあ、二人で少しずつ下りよう!」
壊れた義足はノイが抱え、ロローリャは拾ったサーベルを背へ括りつけた。
「その剣……持ってきてよかったのかな。あの骨の人のものでしょう?」
「でも、これがないとノイを守れないしね。いつか持ち主の家族が見つかったら返すから、それまでは借りておくよ。ところで、骨のあった場所は覚えてる?」
「うん。曲がった大きな木と、二本の沢が一つになるところ。その上に崩れた石積みがあった」
「さすがノイ。なら、いつかちゃんと返しに来られるね」
ロローリャは杖を突き、左脚だけで跳ねるように進んだ。
川沿いの国境の町には、人買いたちの仲間が残っているかもしれない。二人はそちらへ戻らず、畑の間を通る内陸の道を目指した。
急な坂は尻で滑り、小さな沢ではノイの肩を借りて、ぴょんと飛び越える。何度か二人そろって転びかけたものの、どうにか山を下りていった。
昼近くになって、ようやく車輪の跡が残る赤土の道へ出た。
ロローリャは木陰へ腰を下ろすと、杖を地面へ放り出す。
「もう一歩も跳べない……。ノイ、あとはお願い」
しばらくすると、年季の入ったトヨタのピックアップトラックが、土煙を上げながら近づいてきた。
ノイは壊れた義足を両手で頭上に掲げ、その場で大きく振った。
「お願い、止まって……!」
トラックはすぐに速度を落とし、二人の前で止まった。
運転席の窓が下がり、日に焼けた男が顔を出した。義足と、木陰に座るロローリャを見比べながら、何事かと尋ねてくる。
ノイはロローリャを指し、壊れた義足を見せながら、ラオ語で事情を伝えた。
「姉の足が壊れて歩けません。町まで行きたいんです。車に乗せてもらえませんか」
男は眉間へ皺を寄せ、何度か聞き返した。
ノイも同じ言葉を繰り返し、片脚で歩く真似をしてから、道の先を指差した。
──タイでは、学校や役所で標準タイ語が使われる一方、地域ごとに北部語や東北部語など、異なる言葉も話されている。標準タイ語とラオ語は、国こそ違っても同じ系統に属する近縁の言葉で、「行く」「来る」といった基本語や文法の形にも共通するものが多い。ゆっくりと短く話し、身振りを交えれば、おおよその意味は通じる。
男は壊れた義足を見て、ようやく事情をのみ込んだ。
「町まで乗せるのは構わんが……こんな山の中で、子供が二人だけで何をしてるんだ?」
ノイはロローリャを振り返った。
どこまで話してよいのか迷っているらしい。
「変に隠すより、困ってることは本当のまま話そう。助けてくれそうな人だよ」
ロローリャに促され、ノイは身振り手振りも使い、これまでのことを話した。
親族に騙されて、ラオスから人買いの船で運ばれたこと。船の上で逃げ、流された末にタイへ着いたこと。追ってきた男たちは追い払ったが、金も、身を寄せるところもないこと。
男は初めこそ半信半疑の顔をしていたが、ノイの汚れた服と、ロローリャの傷、それに壊れた義足を順番に見ているうち、次第に表情を曇らせた。
「つまり、悪い連中から逃げてきたはいいが、町へ行ったあとどうするかは何も決めていないのか?」
「足を直してもらえるところを探す。そのあとは……これから考えるよ」
ロローリャは明るく答えた。
男はしばらく黙っていたが、荷台の供物を振り返ると、山の方角を指した。
「私はこれから寺へ参りに行くところなんだが、町へ行く前に、そこへ寄ってみるか?」
「お寺?」
「ああ。山の洞窟にある古い寺でな。困っている人が来れば庇を貸してくれるし、寄進された米や野菜があれば、飯も食わせてもらえる。お前たちの話が本当なら、町の道端へ放り出すより、まず坊さんに相談した方がいい」
ノイは男の話を聞き終えると、少し不安そうに尋ねた。
「私たち、タイの人じゃないし、お金もありません。それでも助けてもらえるかな……?」
男は声を上げて笑った。
「そこじゃ人だけでなく、猿まで施されてるからな。大丈夫さ、お嬢ちゃん」
「猿?」
「ああ、山の猿がすっかり居ついちまってる。参拝客が餌をやるものだから、人を怖がりもしない。屋根にも木にも池の周りにもいて、菓子でも果物でも、手に持っていれば何でも盗っていくぞ」
ノイは男の荷台に積まれた果物を見た。
「それも取られちゃうの?」
「油断すればな!」
「なら、わたしたちも気をつけないとね。おじさん、そこまで連れていってください!」
ノイが頭を下げると、男はすぐに車を降りてきた。近くで見ると、シャツの腹が丸く前へ張り出している。
「功徳を積みに行く途中で、足のない娘と小さな子供を置いていったら、仏様に笑われちまう。ほら、乗りな」
ロローリャは杖を使ってトラックまで跳ねた。
だが、高い助手席の床へ左足を上げられず、男とノイに持ち上げられ、ほとんど放り込まれるように座席へ収まった。
「……自分で乗れたのに」
「お姉ちゃん、最後は身体ごと持ち上げられてたよ」
ノイも中央の席へ上がり、壊れた義足とサーベルを膝へ抱えた。
男は運転席へ戻ると、座席の後ろに置かれた保冷箱を開けた。
氷水の中から、黄色いラベルのオイシ・グリーンティー、ハニーレモン味を取り出してロローリャへ渡し、ノイには紙箱入りのラクタソイを押しつけた。
山へ入ってから沢の水しか飲んでいなかったロローリャは、冷えたオイシを一息に半分まで飲み、蜂蜜とレモンの強い甘さに目を見開いた。
「なにこれ、おいしい……! わたしたちを拾って、行く場所を考えて、冷たい飲み物までくれるなんて、おじさんはもう十分に功徳を積んでるよ。今日のお参りなら、仏様もきっと一番に願いを聞いてくれるね!」
男は腹を揺らして笑った。
「口のうまい娘だな! それだけ元気なら、放っておいても平気だったんじゃないか?」
「足が動かなくても、口まで動かなくなるわけじゃないもの。それに、おじさんの車を見た瞬間、この人なら絶対に助けてくれるって分かったよ。立派な車には、立派な人が乗ってるんだね!」
男は照れくさそうに鼻の下を擦ると、自分も飲みたくなったのか、保冷箱からもう一本のオイシを取り出した。
さらにグローブボックスを開け、ロローリャには赤い缶に入ったコーゲーのココナツ味ピーナッツを、ノイにはハナミのエビせんを渡した。
ノイはラクタソイとエビせんの袋を抱え、心配そうに男の横顔を見た。
「こんなにもらっていいの? おじさんが食べる分までなくなっちゃわない?」
「ノイ、わたしたちが喜んで食べたら、それがおじさんの功徳になるんだよ。そうでしょ?」
「お前さん、とうとう人の菓子まで功徳に変えたな!」
男は声を上げて笑い、そのまま持っていけと手を振った。
トラックが走り出す。
赤土の道が後ろへ流れ、やがて畑の間に民家や小さな店が増えていった。道端にはタイ文字の看板が立ち、遠くには石灰岩の灰色の山が連なっている。
ノイは初めこそラクタソイを少しずつ飲んでいたが、甘い味が気に入ったのか、やがて紙箱を両手で抱えて夢中になった。
ロローリャもコーゲーの缶を開け、ココナツの香りがするピーナッツをノイの掌へ載せてやる。
「お寺に着いたら、まずご飯を食べさせてもらって、足を休めよう。そのあとで義足を直す方法を考えればいいよね」
「うん。私もお寺の人にちゃんとお願いする。お姉ちゃんは、もうぴょんぴょんしなくて済むようにしようね」
「でも、猿が食べ物を盗りに来たら、わたしの出番かな」
ロローリャは窓の外の山を見て、友達に何度も棒で小突かれた日々を思い出す。あの白い老猿に比べれば、参拝客から菓子を盗む猿など、可愛いものに思えた。
トラックは大きな道を外れ、石灰岩の山裾へ入っていった。
やがて道端に、花や線香、魚の餌を売る屋台が現れた。黄色い旗が木々の間ではためき、山から流れ落ちる水の音が近づいてくる。
赤い屋根の堂宇が、灰色の岩壁へ寄り添うように並んでいた。
境内には澄んだ池があり、大きな魚が水面近くを泳いでいる。その奥には、山の腹へ続く暗い洞窟の口が開いていた。
車が門をくぐったところで、屋根の上に茶色い猿が一匹現れた。すると木の枝や石垣、池の欄干にも次々と猿が姿を見せ、気づけば、いたるところから小さな顔がこちらを覗いていた。
一匹が、ノイの抱えた菓子袋を見つけた。
歯を剥き、甲高い声を上げる。
その声を合図に、木々の間から何十もの影が飛び出した。
ロローリャはオイシと菓子をまとめて抱え、男を見た。
「おじさん……猿まで施されてるって言ってたけど、これはちょっと施しすぎじゃない?」




