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【余談】アラブ諸国にとっての1991年以降

アラブ諸国にとっての1991年以降を説明する。ちょうど1991年に湾岸戦争が発生しクウエートが取られる事態となった。そのイラクの卑劣な行為を米軍を中心とした多国籍軍が取り返した。その後()()()のあるサウジに米軍基地が作られた。これが全ての悲劇の元凶でイスラム教徒にとっては「ネオ・十字軍」にしか見えなかったのだ。そのツケは2001年9月11日となって帰ってきた。その後アフガン戦争・イラク内戦と起こり米軍は敗北の連続となった。一体ベトナム戦争から何を学んだのか。なおイラク戦争ではフセインを討ったもののその後の内戦で泥沼化しイラク撤退つまりここでも「敗北」の二文字を味わった。米軍のアフガン敗北が決定的になる頃に「アラブの春」がやってきたが民主化後に待っていたのは無秩序のテロ組織の跋扈であった。おかげでシリアは2025年まで無政府状態となり国土は焦土と化した。リビアに至ってはいまだに無政府状態である。民主化がうまくいったのはなんとチュニジアだけ。こうして民主主義=善という妄想は敗れ去った。クウエートはオイルマネーでアラブの春を抑えつけた。要は国民にバラマキ政策を行った。その代償は大きく2015年以降のクウエートの経済は右肩下がりとなり皮肉にもそれがクウエート女性の社会進出のきっかけとなった。クウエートは民主化よりも経済低迷がきっかけで女性の権利を認め、女性既婚者のパート労働が一般化したのだから。エジプトに至っては軍政に逆戻りとなった。2025年現在、「『アラブの春』は所詮SNSの暴走に過ぎなった」というのが世界史の記述となった。

 冷戦時代は民主主義つまり西側の勝利だったがソ連亡き後のアメリカの無礼な振る舞いがアラブ圏全体を「反米」にしたのだ。アラブ圏はソ連側とも戦い、西側とも戦って勝利したので文字通り1991年で線引き出来るであろう。もっと言うと宗教原理主義の世になったともいえる。左(共産主義)でも保守(民主主義)でもない極右(宗教原理主義)の世となったのだ。もっともその片鱗はイラン革命成就(1979)時から見えていたはずなのだが。

 ソ連解体後の世界においてイスラエルの存在がますます「ネオ・十字軍国家」と化す。1991年以降の中東に現れたのは「ネオ・中世封建主義社会」だったのかもしれぬ。

 勘違いしてはいけないのはそれでもイスラム教圏で民主化を果たせた国もあるという事である。マレーシア、トルコ、チュニジア、バングラディシュの4国である。バングラディシュに至っては革命で民主化を成し遂げた。確実に言えるのはトルコ・チュニジア以外「民主主義はまだ早かった」というのがアラブ圏という地域だったのだろう。

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