12:正義の味方と形見の指輪
三度目の逢瀬は、ショッピングモールでの買い物になった。
入り口で待ち合わせ、二人連れ立って中へ入る。もちろん、待ち合わせ時間より十五分前の集合である。
最初にカフェへ行った時よりも、両者の間にあった距離が縮まっていることに、樹はこっそり気付いてこっそり歓喜した。
「冬物の上着が欲しかってんけど、なかなか買いに行く暇がなかったんよ。付き合うてくれて、ありがとう」
いや、前言撤回だ。いつも以上に声が浮かれているため、全く隠せていなかった。
そんな浮かれポンチを、蛍が静かに仰ぎ見る。
「いえ。腕のお怪我は大丈夫ですか?」
「うん、だいぶ良くなったよ」
三角巾を外してきた腕を軽く振ると、
「それはなによりです」
小さな頷きがあった。
浮かれる樹に気付いているのか、気にしていないのか。
蛍はいつも通りの、人形のように整った無表情である。
しかし恋する男の、幸せな思い違いであろうか。
彼女の服は、前二回よりも気合が入っているように伺えた。
映画デートの際も清楚なワンピース姿であったが、膝上丈のジャンパースカート姿の今日の方が、愛らしさに勝っている。色使いも華やかだ。
少しは自分を、異性として見てもらえているのだろうか、と樹は淡い期待を抱く。
「なんか今日の服、可愛いね」
にこにこそう告げると、蛍はかすかに視線を落とした。
「ありがとう、ございます」
「蛍ちゃん……照れてんの?」
「いえ、全く」
まっすぐこちらを見つめての、清々しいまでに即答であった。思わず噴き出してしまう。
「その切り返し、さすが蛍ちゃんやなぁ」
そう言うと、蛍の眉間にかすかなしわが浮かび、視線も何かを探るようなものに変わった。
「あれ、どないしたん?」
「穂坂さんは怒らないのですか?」
「怒るって……何に怒るん?」
「私は何でも馬鹿正直に言い過ぎる、と家族や友人にも苦言を呈されているので」
なるほど、と樹は胸中で頷く。
お小言を漏らしてしまう気持ちも分かる、が。
「蛍ちゃんの場合、ただ正直なだけで、悪意ゼロなんが分かるんよ。だから僕は、別に怒ったりしてへんかな」
「つまり、気分は害されていないのですね」
「うん。それこそ全く」
そう言ってニッと笑えば、蛍の眉間に刻まれたしわが消える。安心したらしい。
彼女の微かな変化に鼓舞され、樹は今まで気にしていたものの、どうしても口に出来なかったことを問う。
「蛍ちゃん、いつもその指輪してるね。か、彼氏から貰った……とか?」
彼女の右中指にはまる、銀色の指輪へ視線を落とす。銀の指輪の中央には、紫色の石がはまっていた。アメジスト──にしては、色が柔らかだ。
もしもこの指輪が、恋人からの贈り物なのだと知らされれば、恐らく立ち直れないだろう。
樹は無意識に、息を止めて答えを待った。
「いえ、母の形見です」
彼の決意に反し、右手を持ち上げた彼女はあっさりと答える。
拍子抜けと安堵で脱力し、へたり込みそうになりつつも、樹は堪えた。
「そうやったんや。お母さん思いやね」
「恐縮です。あの、穂坂さん、膝が笑っておりますが」
力の入らない膝を叩いて叱咤し、樹は空元気で笑う。
「うん、年やからね。気にせんといて」
「はあ」
「ところで変わった石やね。よう見たら紫ん中に、うっすら緑も混じっとる」
そう言って顔を寄せ、改めて指輪を眺める。
淡い紫と淡い緑の靄が、石の中に閉じ込められているようだ。風変わりでそして、幻想的でもある。
樹の疑問に、蛍は淡々と答える。
「蛍石や、フローライトと呼ぶそうです。中の不純物で色が変わり、他にも多種多様な色があるそうです。私の名前も、この石から取ったと聞いています」
「雅なご両親やね」
思いがけず蛍の個人情報を知れたことと、いつになく多弁な彼女が嬉しくて、樹は顔をほころばせる。
しかし彼女の両親ということは……キング一味の、ロボット兵開発者と目されている、キング・モンクスフードが父親のはずだ。
「どんな科学力持ってはんの。本業何なん?」
と、歴戦の猛者である樹ですらうんざりする、高性能かつ派手なロボットの開発者が、そのような風情ある名前を付けるだろうか。いや、ない。
きっと母親が名付け親に違いない、と樹は勝手に考えて納得した。
思わず立ち止まって納得する彼を、蛍は怪訝そうに見上げた。
「あの、穂坂さん。お目当てのお店はどちらになりますか?」
「ああ、ごめん。そこのエスカレーター上がったとこにあるお店やねん、けど──」
前方から、一組の家族がやって来た。おもちゃの剣──炎司の剣を模したものだった──を振り回す男の子が、前を見ずに蛍目がけて走り込んで来る。
樹は無意識に蛍の肩を抱いて、自分の方へと引き寄せた。
「こら、走らないの」
それと同時に子供の母親も、小走りになって男の子を捕まえた。次いで、
「すみません」
申し訳なさそうに樹たちへ会釈をする。
「いえいえ」
樹も笑って会釈を返し、その家族を見送ってから気付く。
蛍の肩を抱いたままだったのだ。
慌てて、両手を大きく上げて後ずさった。
「ごめん!」
「い、いえ」
ふるふると、蛍は首を振る。俯いてしまったため、表情は窺い知ることができない。
エスカレーターへ乗り込みながら、樹は謝罪を繰り返す。
「乱暴やったよな、びっくりしたよな。ごめんね?」
「気にしていません。お子さんとぶつかっては、怪我をさせてしまいますし」
その謝罪は、読経のような一本調子で拒まれた。
距離感を見誤った、と樹は気落ちする。
しかし。
万が一、蛍が転倒した時のことを考え、エスカレーターでは上から蛍・樹の順に立っていた。
一段低い場所にいる樹は、俯く彼女の顔を覗き込むことが出来た。
今までに見たことがないくらい、真っ赤であった。
樹は目を丸くして、何とも珍しいその顔を眺める。
「……蛍ちゃん、ひょっとして照れてはるの?」
ぴくり、と彼女の肩が震えた。
数秒の間を置き、小さく頷きが返される。
再び、樹はやに下がった。
「蛍ちゃん、可愛いなぁ」
「いいえ。私は可愛げのない人間です」
「嘘やん。可愛げの塊やん」
陽気にそう言うと、睨まれてしまったが。
そのフローライトの瞳も、平素のように、冷え冷えとしたものではなかった。やっぱり可愛い、と樹は胸中で呟く。




