13:女幹部は知ってしまう
事件が起こったのは、樹の冬物コートを求めて、二軒目の店に入った時だった。
黒いロングコートを選んだ樹は、そのブランドの会員であるらしい。
しかし、どこか抜けているのが彼らしいと言うべきか、会員カードを忘れて来たという。
「すんません。家に置いてきたみたいです……」
ポイントを貯められないことがよほど悔しいのか、初めて聞く陰鬱な声だ。傍観していた蛍も、密かに驚く。
そして小洒落た男性店員も、気落ちする彼に同情したのか、はたまたこういったハプニングには慣れているのか、爽やか笑顔で彼を慰めた。
「ご安心ください。ご登録時の電話番号を教えていただければ、こちらで会員情報を検索し、ポイントを付与することが出来ますよ」
「ほんまですか! 携帯の番号です!」
途端に、樹の顔に光が差す。
この現金さは、なにわの商人的口調にぴったりである。
おたおたと、鞄から携帯を探そうとする彼より早く、蛍が自身の携帯を操作する。
そして男性店員を見つめた。
「つきましては、こちらの粗忽な方の電話番号を、読み上げます」
「はい、お願いいたします」
粗忽、という表現にひくりと店員の口元が震えたが、樹に気付く様子はない。
禿げてもいないのに、キラキラ眩しい笑顔で蛍にお辞儀を繰り返している。
「ありがとう、蛍ちゃん!」
樹の感激は無言で受け流し、彼の電話番号を淡々と読み上げた。男性店員がそれを復唱し、番号検索を行う。
手持無沙汰になった樹は、蛍の手元を覗き込み、
「……なんで、登録名が『毛ジェイソン』なん……?」
泣き出す一歩手前の顔になった。
「しまった」
本人に見られることはない、と登録した名前を見返し、蛍は思わず呻く。
そして男性店員まで、ホッケーマスクの写真と共に登録された「毛ジェイソン」の名を覗き込み、口角と肩を震わせた。
「違うんです。殺人鬼のジェイソンではありません。毛量の多いジェイソン・ステイサムだな、という印象を持っていたので、こうなった次第です」
「それやったらせめて、ホッケーマスクは止めて! どう見ても殺人鬼の方ですやん!」
ショックの余り、樹の方言が胡散臭いものになった。
これには忍耐の甲斐なく、とうとう男性店員が大笑いした。
無礼な店員め、とは思わなかった。自分が彼の立場であったと仮定すれば、笑うに決まっている。
登録名が「毛ジェイソン」など。ふざけているにも程があるだろう。
そこまで思案して、かなり不躾な名前だったな、と思い至って猛省する。
生真面目さが取り柄でもある蛍は、深々と頭を下げた。
「すみませんでした。ホッケーマスクの代わりに、ジェイソン・ステイサムの画像に差し替えたいと思います」
「うん。あと出来れば『ジェイソン』より『ステイサム』を残して欲しいな。職場でも、ステイサムって呼ばれてんねん」
再度、男性店員が笑った。これはさすがに失礼ではないか。
「すみませっ……言われれば、確かにそっくりだ!と思ったもので……あ、僕もジェイソン・ステイサム好きなんですよ」
「いえいえ。ファンの方に似てるって言うてもらえて、光栄です」
震え声の店員にも、樹はあっけらかんとした笑顔で応じている。
顔は妙に濃くて渋くて、意外に可愛いものが好きで、ブラックコーヒーよりカフェオレ派の甘党かつ、泣き虫であるが。
度量の大きな人なのだろう、と推察する。でなければ、「毛ジェイソン」に激怒しているはずだ。
自分も随分とジュエルグリーンに詳しくなったものだ、と蛍は呆れ半分感心半分で、電話帳の編集を行った。
ジェイソン・ステイサムの画像は追々探すとして、登録名を「樹ステイサム」に変更する。
「それやったら許す」
「恐縮です」
彼女の手元に注視していた樹も、それを見とめて納得顔だ。
その後、無事会員情報の検索が行えた樹は、ポイントを付与してもらい、意気揚々と店を出た。
「蛍ちゃんにコートも選んでもらえたし、良かったわ」
「横で見ていただけですが」
「似合ってないヤツん時、めちゃめちゃ嫌そうな目つきになんねんもん。おかげで助かりました」
「そう、でしたか」
自分はそんなに分かりやすいだろうか、と能面の如き無表情をそっと撫でる。
そんな彼女を横目に見ながら、樹は自分の携帯を握ってため息。
「僕はちゃんと、『蛍ちゃん』って登録してんのになぁ」
「毛を付けていたことは謝ります。ですが、もう変更しました」
「そうやけど……」
ぶちぶち拗ねる彼の指が、携帯裏面の指紋読み取りセンサーに触れた。
その途端、ホーム画面がパッと映し出される。
「えっ」
「あ、やべっ」
彼の手元に視線を落としていた蛍は、そのまま釘付けになった。
ホーム画面には、蛍がいた。
いや、ベルフラワーの隠し撮りと思しき写真が使われていた。
いつ撮られた写真だろうか。
撮ったのは樹だろうか。
いつから、ホーム画面はこの写真なのだろう。
ぐるぐると、そんな疑問が渦巻いた。
蛍は混乱したまま、錆び付いた動きで樹を見上げる。
いつも彼女をじっと見つめる彼が、大慌てでそっぽを向いた。
「これは、どういうことですか」
「それは、その……」
「どうして私の写真なんですか」
かすかに震える自分の声に、蛍は驚いた。
それでも詰問を止められず、
「私のことを、どう思っているのですか? ただのカモフラージュではなかったのですか?」
なじるように、そう問うた。




