一章1-8 古き騎士(3)
何も言うことはなかったが、フェザーもここに来てから一度もアンジェリカから離れることなく後ろを護っていた。ルナも同じく言わなかったが両腕が晒されていたということは何かしてきた後ということだ。
「私はルナにご飯を持っていきますね」
両手で料理の乗った盆を持ったフェザーは、にこりと笑ってドアから出て行った。どれだけウルを信頼しているかが分かる。
それに手を上げるだけで返したウルは再びアンジェリカへ目を向けた。
「アンジェリカ様を護るために遠巻きに護衛しておりました。もしもアンジェリカ様が本当に危険となれば、彼らは命をかけてお護りしたでしょう」
本当のことだ。誰も彼女を見捨るという選択を取らない。
「私のためにみんなを危険に晒したくありません」
これも本当のことだ。彼女には自分が護られるだけの価値があると思えなかったのだ。
王族としても終わり、何の権力も持たない。役に立たないただの小娘を護ってどうなる。
「ならここで過ごすことにしましょうか。皆にアンジェリカ様と共に生きるように伝えます」
「ウルさんはどうするのですか?」
「私はラムール王の近衛騎士です。王の最後の願いを叶えにいかねばなりません」
「願い、ですか?」
勅命と言わなかった。命令ではないということだ。
ウルは立ち上がり壁にかけてある剣の前に立つ。
「はい。アンジェリカ様の無事を伝えるように頼まれました。王ではなく父として」
「ですが父は!」
殺されたとは言えなかった。アンジェリカにとってそれは口にするのも嫌なことだ。思いだすのも本当は嫌なのだ。
ウルも亡くなっていることを知っている。だがそれでも行かねばならない、騎士として。
「存じています。ならば墓を建てなければいけません。それも近衛騎士の役目です」
「しかし王宮はオーベルング軍に占拠されています。ウルさんが」
殺される。
アンジェリカも立ち上がり、ウルを背中から抱きしめる。一度も鍛錬を怠ったことはないのだろう背中は引き締まり頼もしかった。それに身寄りを失ってから初めて頼りになる人だ、失いたくないという気持ちがあった。
「死にませんよ」
嘘だ。
「私からのお願いです!」
「先王のお願いを果たした後、この剣をアンジェリカ様に捧げます」
「それでは遅いのです! もう誰にも殺されてほしくありません!」
「死にませんよ」
何を言っても無駄だ、言外に漂う止めないでくれという言葉が伝わってくる。アンジェリカにはどうすることもできないことだった。
でもと言うが、次に続ける言葉を見つけられないでいた。
ウルはアンジェリカの手を取り、そのまま膝をついて正対する。同じ高さに目があった。
「大丈夫です。ここにはウルもフェザーもいます。私もすぐに戻ってまいります。皆揃ったらここでずっと暮らしていきましょう」
「生きて戻ってきてくださいますか?」
「はい。私は嘘をつきません」
ウルは近衛騎士はとは言わなかった。言えなかった。その気持ちをアンジェリカはなんとなく知ったのだろう。目尻から涙が溢れて零れ落ちる。
「みんなで、行きましょう。それならきっと」
「私の我侭に彼らを巻き込めません」
アンジェリカと同じ気持ちだ。それを言われたら何も言えない。彼女もまた巻き込みたくないと思っているからだ。だからといって自分だけついていくと言っても彼は止めるだろう。
涙に前が見えない間にウルは立ち上がり剣を取っていた。行かないでと言えなかった。
「無事に、帰ってきてください」
「必ず」
彼はその姿勢と同じ真っ直ぐに生きてきた。だからそれ以外の生き方を知らない。生き方の先に死が待っていても貫き通すしかできない。歩く後ろ姿は年をとっても立派な騎士だった。
もう止められない。彼は歩き出してしまった。
家から出た彼を後姿を幻視し続ける。