終焉の時
「これが、最後のページか」
「はい」
『おかしいのぉ。絶対に、あるはずなのじゃが』
忠兵衛様の困った顔に、私も困ってしまう。
起死回生の一手を打つ為の『呪文』が無ければ、逆転勝利はありえない。
なのに、ここまで読み進める中に、それらしきものは無かった。
『嫌いな奴に、○○シリーズ』は、食べ物を苦くするだけでなく、臭くしたり、甘くしたり、ヘドロと化したり、もう充分ですと言いたいくらい羅列されていた。
その次が、『忠兵衛に、○○シリーズ』。
そこには、忠兵衛様を思うチューニー・チャツボット様の優しい想いが詰まっていた。
忠兵衛に、ちょうど良い温かさの風呂を入れてやる方法。
忠兵衛に、もっと美味しいチーズを食べさせてやる方法。
忠兵衛に、最高の寝心地を提供する方法。
もう、これは、愛ではないだろうか?
我が子を思う母の如く、不必要なほどの手取り足取り、痒い所に手が届くお世話ぶり。
私なら、『こんなに甘やかされたら、立派な大人になれません!』と怒ってしまいそう。
ガツッ
ガツッ
黒い霧の攻撃は激しさを増し、ウォルフ様が必死に張る結界にも、ヒビが入り始めた。
冷や汗を流しながらも、ウォルフ様は、心配いらないよと微笑む。
けど、多分、あと数分で破られるだろう。
私は、最後のページに目を通し始めた。
そこには、何故か、今までと全く違う内容が書かれていた。
氏名:茶壷 忠二
十六歳の俺、召喚した奴、ヘッドバット。
いきなり勇者とか言われて、マジ、ドン引き。
魔法使えるとか、超、アメージング。
帰る方法が無いとか、驚き桃の木山椒の木。
今までにも召喚したとか、万死に値。
全部、ぶっ壊してやったぜ、召喚法。
魔王も、俺にかかれば、ジ・エンド。
復活目指して足掻く姿も、抱腹絶倒。
プチッと一発やっつけて、手に入れたのは、俺の家族。
忠兵衛、ありがとう。
お前がいてくれて、本当に良かった。
俺の全部、お前にやるぜ!
大事に使えよ、埋蔵金!
『お前の本当の名は、チャツボ・チュージというのじゃな。もっと早く教えてくれれば良いものを』
ちゃんと名前を呼んでやることすら出来なかった忠兵衛の目には、薄らと涙が溜まっていた。
『それにしても、悪ふざけが過ぎよるわ』
苦しかったはずの人生を茶化したような文章は、最後の最後で、忠兵衛への感謝で締め括られていた。
いつか、忠兵衛が、これを読む日が来ると分かっていたのだろうか?
詳細に描かれた地図は、きっとチューニー・チャツボットが、忠兵衛に残した遺産が埋められた場所を示しているんだろう。
それにしても、あまりにも酷い遺言だ。
そして、あまりにも愛に溢れた、最後の言葉。
パリン
パリン
結界が、崩れ始めた。
そろそろ、終焉が近づいている。
「忠兵衛、あと少しで、結界が破られる。俺が、時間稼ぎしている間に、オトミーと逃げろ」
「ウォルフ様!そんな事、出来ません!」
「オトミー、これは、俺達だけの話じゃ無い。お前と忠兵衛が奴の手に落ちれば、チューニー・チャツボットの生まれ故郷も滅ぼされる事になる」
オトミーは、目を見張り、そして唇を噛んで頷いた。
『コレ!オトミー、離せ!離すのじゃ!』
「忠兵衛様、お願いです。一緒に逃げてください」
『嫌じゃ!嫌じゃ!チューニーは、絶対、『呪文』を残しておるはずじゃ!アヤツを一番知っておるワシが言うておるのじゃ!』
忠兵衛は、ジタバタ暴れてオトミーの手から擦り抜けると、本にしがみ付き叫んだ。
『チューニー!其方、ワシを裏切るのか!』
すると、その声に呼応するように、一文が光った。
「もしかして、コレが?」
ページの隅に、小さな文字で書かれたソレは、呪文とも言い難い文章。
しかし、思い返せば、最後の別れの瞬間、忠兵衛は、確かに、この言葉を言われた。
俺達は、顔を見合わせ、深く頷くと最後の戦いに打って出る事にした。
パラパラパラパラパラパラ
結界を作り上げていた光の壁が、砂のように崩れ落ち始めた。
リズリーも、俺も、固唾を飲んで、ウォルフ達の潜む樹洞を見つめる。
中から、ウォルフが一人で出てきた。
あぁ、なんて酷い顔色だ。
血に濡れた服は、出血量の多さを表している。
人間は、一気に二割以上出血するとショック状態に陥る。
三割を超えれば、死線を跨ぐ事になるだろう。
ウォルフが、どれほどの血を流したのかは分からないが、立っていることすら奇跡なのかも知れない。
手を焼かせおって
「ヒーローは、最後に出てくるもんなんだよ。お前こそ、吠え面かくなよ」
得体の知れない敵に対して、ウォルフは、不敵に笑って挑発をする。
それが腹にすえかねたのか、敵は、グルグルと渦を巻き残り少なくなった霧を集め始めた。
「随分、ショボい形になったなぁ」
軽口を叩けるのも今のうちだけだ。
ズサッ
ズサッ
ウォルフは、黒い霧の攻撃を紙一重で避けた。
そして、逆に、魔力で作り上げた剣で相手を削る。
敵の動揺がヒシヒシと伝わってきた。
傷だらけのはずのウォルフが、まさか、あんなに軽やかに動けるとは、俺でも思っていない。
右へ、左へ。
逃げ惑い出した敵を、先手、先手を取り、見事に追い詰めていく。
だが、敵が小さくなればなる程、剣は届かなくなり、攻撃が効かなくなってくる。
ウォルフ、このままでは、逃げられるぞ。
黒い霧は、既に拳ほどの大きさになっていた。
小さくなれば小さくなるほど、ちょこまかと逃げ足だけは、早くなる。
そろそろ、次の手に打って出る頃か?
予定通り、頃合いを見計らったオトミーが、本を持って飛び出してきた。
黒い霧も、それに気付き、オトミー目掛けて一直線に飛んでいく。
オトミーは、裸足のまま、小石が転がる地面を必死に駆けた。
本気で逃げなければ、相手に策がバレてしまう。
しかし、その痛々しさに、俺は、思わず声を上げそうになる。
とうとう追いつかれたオトミーは、足を挫いて地面に転がった。
投げ出される本。
オトミーの肩から飛び降りた忠兵衛は、光りながらペラペラとページが捲れる本の前で叫んだ。
『こんなことなら、出てこなければよかったわ!悪く思うな!ワシは、もう、付き合い切れん!死ぬなら、お前らだけで、死ね!』
下衆な捨て台詞と共に、忠兵衛が本に飛び込んだ。
すると、本が虹色に光り出す。
目の前に現れた魔力の塊に、黒い霧は、飛び付いた。
自分の力を復活させる為、本の中へと、吸い込まれていく。
俺は、オトミーに駆け寄り、抱き起こした。
そして、二人で本の中を覗き込む。
『二十数えてワシが出てこんかった場合は、本を閉じよ!』
作戦開始前に、何度も何度も忠兵衛が、俺達に約束させた。
無限に広がる本の世界。
その中で、奴を撒いたら、出てくる約束だ。
しかし、それが叶わない時は、忠兵衛ごと封印するしか無い。
十五
十六
「忠兵衛様!早く!」
オトミーの悲鳴のような声が響いた。
十七
十八
「馬鹿野郎、さっさと出てこい!」
俺も、握り拳を地面に打ちつけた。
十九
もう、駄目だ。
表紙を掴んだと同時に、
二十
『今じゃ!』
忠兵衛が、本の隙間から転がり出た。
バタバタバタバタバタバタバタバタバタバタ
本が、荒々しく暴れ回る。
「オトミー!呪文を!」
「はい!」
オトミーは、本に手を当て、呪文を唱えた。
我が友、また、いつか会おう
あ・ば・よ
シュルルルルルルルル
突然現れた鎖が、本を雁字搦めにしていく。
未だに、バタバタと本は暴れるが、出てくる気配はない。
これからも、この本が、鎮まる事は無いだろう。
また、国立歴史図書館で、保管される運命。
オウムの図書館長、パロット・ミヤマの怒り狂う姿が、目に浮かんだ。