第5話 リディア
リディアが嫁いでから2ヶ月ほど経った頃ー‥
今朝は吹雪も無く穏やかな朝だった。
ルナと共に身支度を整えて食堂に降りると、神妙な顔をしたリヒャルトが待っていた。
「おはよう、レーナ。実はバレル伯爵から手紙が届いてな」
「‥‥ち、父上からですか?」
レーナもといリディアが嫁いでから今の一度も手紙など寄越した事のない伯爵が一体何故。
リディアは思わず固まる。
「この手紙の到着自体が吹雪でだいぶ遅れていたようでな。何やら緊急で話がある為、此方に向かうという内容だった。手紙の消印からして、恐らく今日の昼前には到着するだろう」
緊急‥それも此処にバレル伯爵が訪れる。
酷く胸騒ぎがする。
何も言わないリディアをリヒャルトは静かに見つめる。
「緊急とあって心配ではあるが、久しぶりに父親に会えるのは喜ばしい事だな。さあ、朝食にしようか!」
リヒャルトの明るい声が響き、席に着く。
リディアは朝食の味も分からなくなってしまう位、不安で胸がいっぱいだった。
ぐるぐると巡る悪い予感に、気付けば時計の針は正午を指していた。
屋敷の外が騒がしくなり、窓の外を見ると一台の馬車が見える。
ああ、来てしまった
「全く!とんでもない雪道だった!人の住める所は思えん!」
第一声から失礼極まりない言葉を吐きながら、バレル伯爵が使用人に連れられ屋敷に入って来る。リディアはリヒャルトの隣に立ちながらその姿を見つめる。
相変わらずの人だ‥。そしてバレル伯爵の後ろに立つ、目深にフードを被った人物がいる事に気付く。
まさか‥‥
「遠いところよくいらしてくださった、バレル卿。緊急との事らしいが、一体どうされましたか?」
「どうしたもこうしたもない。貴殿の隣にいるレーナの事だ」
バレル伯爵は怒りを込めた瞳でリディアを見る。
「彼女が何か?久しぶりの親子の再会というのに穏やかじゃないですね」
「穏やかも何もあるものか!そもそも親子などではないわ!!貴様に嫁いだその女は、我が娘などでは無い!!偽物だ!!」
バレル伯爵の言葉に広間は静まり返る。
「どういうことだろうか‥?」
リヒャルトの言葉に答える様に、彼の目の前にフードを被った者が近付くとその素顔を露わにした。
「レーナ‥?」
そこにいたのは、庭師のウォレスと駆け落ちした筈のレーナだった。
「はい!私こそレーナ・バレルにございます、リヒャルト様!そこのいる偽物は、元々は私の使用人のリディアという娘です。偶然にも私と顔が似ていた為、世話をやいていたのですが‥此度の結婚の話を知るや否、屋敷の庭師の男と結託し私を脅し追い出したのです」
レーナは同情を誘う様に嘘を並べる。
ウォレスと結託したのはそちらではないか。
「甘い蜜を吸おうと私に成り変わり、リヒャルト様を騙し妻の座に‥。一刻も早くリヒャルト様に真実を伝えてなくてはと庭師の男の元から命からがら逃げて参りました」
レーナは悲劇のヒロインを演じるが、大方駆け落ちの際に持ち出した金品が尽きてウォレスに捨てられてしまったのだろう。行く宛の無くなった彼女は家に戻り、リディアを悪者にでっち上げここまでやって来たというわけだ。
バレル伯爵は汚いものを見る様な目でリディアを一瞥する。
「まさか、使用人が娘と似ているなど私も知らなかったが…こんなにも浅ましく卑しい娘だったとは。拾ってやった恩を仇で返すとは戦災孤児など碌でも無いわ」
ああ、全てが終わった。
いや、そもそも私は偽物。バレル伯爵に拾われた時からきっと、こうなる運命だったのだ。
でも、辛いな‥悲しいな。リヒャルト様にも私は卑しい娘だと思われてしまった。
俯くリディアにバレル伯爵は続ける。
「レオンハート卿よ。此方の不手際で誠に申し訳ないことをした。今すぐにその偽物を断罪し、本当の我が娘を妻として迎えていただきたい!」
「リヒャルト様‥!」
レーナが潤んだ瞳で彼を見つめる。一瞬、嘲笑う様な瞳でリディアを見たのは気のせいではないだろう。
親子の主張を静かに聞いていたリヒャルトは、隣で俯き震えるリディアに視線を向ける。
「‥‥リディア。そうか、それが君の本当の名だったんだな」
その言葉に驚き顔を上げると、リヒャルトはとても優しい瞳でリディアを見つめていた。
「リヒャルト様‥」
「バレル卿、そちらの言い分は理解した。だが俺には関係のない事だ。俺の妻は、初めからリディア1人だ」
リヒャルトの発言に、バレル伯爵とレーナは信じられないという顔をする。
「何を仰るのですか!?その娘はただの孤児、それもレーナに害をなした者ですぞ!?」
「そうです!いつも私に成り変わり、私を脅して来たのです!!」
「‥レーナ嬢は、よく知りもしない相手の傷の手当てが出来るか?血で汚れることも厭わず、触れる事がその手で出来るか?」
「そ、そんなこと私が出来るわけ‥」
一体何の事だ、とレーナは困惑する。
「我が妻、リディアならば出来る。そうして俺の命を救ってくれた。俺が求めていたのは君じゃない、リディアだ」
「気でも触れたかレオンハート卿よ!いや、リディア‥貴様、一体何を吹き込んだ‥!この悪女めっ!!卿が断罪せぬと言うならば、私自ら‥!」
手を伸ばそうとしたバレル伯爵から庇う様に、リヒャルトはリディアを背に隠す。
「バレル卿よ‥私の職務はご存知でしょう。ここ暫く貴殿を監視していたが漸く尻尾を掴めた。人身売買に麻薬の密輸、挙句他国への情報の横流し。全くどこまで金に汚いのか。国王は大層お怒りで、正式にバレル卿の爵位剥奪、家の取り潰しが決定したぞ」
「な、何だと‥」
バレル伯爵の顔が一気に青ざめる。
「父がこの有様ではレーナ嬢も、これからどうなるか分からないな」
「は‥!?い、嫌よ‥!!ちょっとお父様、どういうこと!?」
レーナに縋り付かれるが、バレル伯爵は「終わった‥」と項垂れる。
「‥!リディア!!私と、私と変わりなさい!!貴女は私の身代わりでしょ!!裁かれるなら、貴女が代わりに裁かれるべきだわ!!」
暴れるレーナを、それまで近くで控え静観していたルナが取り押さえる。
「離しなさい!無礼者!!」
「無礼者はそちらだ。我が妻を傷付け辱め、あろう事が命まで狙おうとは」
リヒャルトの瞳が氷の様に鋭く冷たいものになる
ああ、これが氷の伯爵の姿
「ここが我が領地だと分かった上での行動であるなら構わない。親子共々、生きてこの地から出られぬと思え」
その言葉と圧にバレル伯爵とレーナは震え上がり動けなくなった。
「ルナ、馬車に乗せて送り返せ。正式な処遇は国王が決めるだろう」
「かしこまりました」
ルナに引き摺られ2人が屋敷を出ていく。
広間にはリヒャルトとリディアの2人になった。
「さて、リディア‥」
振り向くと、リディアは俯いたまま首を横に振る。
リヒャルトは苦笑いを浮かべると片膝を着き、リディアの顔を覗き込んだ。
その顔は涙に濡れていた。
「ごめんなさい‥!ごめんなさい‥リヒャルト様‥騙してごめんなさい‥」
「君は何も悪くない。あの娘に脅されていたのだろう?」
「でも‥そうだとしても、私は貴方を騙しました‥。私は何も後ろ盾も無い、ただの戦災孤児です。妻にする価値など無い‥貴方には相応しくないのです」
「そんな事はない。君が隣にいてくれることに価値がある。リディア、俺にもっと君のことを教えてくれないか。俺にして欲しいことはないか?」
「‥‥名を‥名を呼んで欲しいです。レーナじゃない、私の名をたくさん‥」
「勿論だ。リディア、リディア。何度でも呼ぼう。他には?」
「ミルクティーより‥レモンティーが好きです‥苺のケーキよりもチーズケーキが好き‥亡くなった母がよく作ってくれました」
「そうか。ルナにも伝えよう。今日のティータイムはレモンティーにチーズケーキを用意させる。他には?」
「傷に‥顔の傷に触れても良いですか‥?」
「ああ。君が助けてくれたものだ。君の処置が無かったら、俺はここにいなかったかもしれない。ありがとうリディア、君が君でいてくれて俺は嬉しい。愛してるよリディア」
「私もです。リヒャルト様」
それから暫くの事。
王の怒りに触れたバレル家は取り潰され、親子は国を追放となった。
ルナが調べたところ、今は遠い僻地で何とか暮らしているらしい。
◆
「お綺麗です。リディア様」
ウェディングドレスを纏ったリディアをルナが嬉しそうに褒める。
漸く長い冬が終わり雪が溶け始めた頃、リヒャルトとリディアの挙式が行われた。
「本当に美しいな、リディア。まるで春の女神だな!」
「もう、リヒャルト様ったら。‥‥でも、本当に良いのでしょうか。私なんかが花嫁で、親族の方々や王宮の方も‥」
「大丈夫さ。散々早く身を固めろと言われていた俺がやっと結婚するのだから、それだけで彼らは大喜びだ。それも、こんな愛らしい花嫁が相手なら尚更」
リディアの不安を掻き消す様にリヒャルトは笑う。
「さあ、行こうか。リディア」
私はもう、身代わりじゃない。この人の本当の妻になる。
リヒャルトの側に寄り添うよう、リディアは一歩を踏み出した。




