1-1 冬のセイバート家
わたしの名はシャロン・セイバート。既婚、十八歳。
アゲート伯爵家からセイバート辺境伯に輿入れをして若き奥様をやっている、水を操る魔法が得意な貴族女性だ。
ちなみに、夫のダリル・セイバート辺境伯は二十六歳で、男盛りというよりもまだ青年と言った方が良いくらいにぴちぴちのイケメンである。わたしよりもちょっとだけ歳上ね。落ち着きのある大人の顔と可愛いわんこ系男子の顔を持つ、無茶苦茶かっこいい夫なのよ。ギャップ萌えの魅力というのかしら?
国防の重要地点である辺境の地を任され、領地の経営の他にも魔物を狩って数の調整をするお仕事をこなすダリル様は、顔もいいけど身体もいい……ではなくて、賢い上に腕っぷしも強い殿方で、なぜかわたしに惚れ込んでいる夫なのである。
そして。
そして! ここからが大事!
ダリル様には、まだ三歳の息子がいるの。
その名もジェレミー・セイバート、またの名を地上に降りた天使!
控えめに言って、ウルトラスーパーエクセレントでとにかく盛り盛りキュートな、めっちゃかわゆい男の子なのです、異論は許さなくてよ!
さてさて、わたしには秘密があります。ギルセータ国の貴族令嬢になる前の前世が、保育士免許保有の日本の女性だったのよ。
そんなわたしがシャロンに転生し、アルテラという性格の悪い帝国出身の王妃が絡む、すったもんだに巻き込まれて、セイバート領に輿入れして来たのだけれど、この世界は日本で読んだ『フルール・ド・グラス〜失われた王国〜』という小説にそっくりな世界だったの。
わたしの夢に現れた、亡くなったジェレミーの母であるジャクリーヌさんによると、この世界のすべては本という形で記録されているらしいのだけれど、このストーリー通りに運命が進むと、ジェレミーは継母のシャロンに虐待と洗脳を受けて性格が歪み、やがて世界を滅ぼす悪の化身になってしまう。
わたしが読んだネット小説版には美麗なイラストもついていたんだけれど、ダリル様にそっくりな、陰のある美青年に育ったジェレミーは、魔王と呼ばれるほどの恐ろしい存在になったところを、主人公のラブラブカップルに倒されてしまうのよね……。
ええ、もちろん、可愛いジェレミーを不幸にするわけにはいかないので、シャロンに転生したこのわたしが幸せへ向かう人生を整えさせていただきましたわ! お母様の愛で魔王になんてさせなくてよ、おほほほほ!
わたしはジェレミーと、メイドから側仕えに昇進したドナと共に、屋敷の裏手にあるちょっとした広場にやって来ていた。体力作りも兼ねた外遊びをするスペースが必要だと考えて、家令のエルトンに手配を頼み、作ってもらった場所だ。今は冬なので、一面の雪で真っ白である。
本日はここで、ジェレミーに魔法について教えるのだ。
「それではジェレミー、今日もお母様と一緒に魔法のお勉強をしましょうね」
「はい! はい、おかしゃま!」
ほっぺを赤くした三歳児は、炒り豆のようにぴょんぴょん飛び跳ねている。雪に覆われた寒い庭でも風邪をひかないように、温かな上着をしっかりと着込んでシルエットが丸くなっているので、より一層豆っぽい。お豆の王子様かな?
でも、赤いほっぺが可愛いから、りんごの国の王子様かもしれないわ。
「シャロン様、がんばー」
こちらもしっかりと上着を着込んだ上にさらに手袋もした、赤い髪をおさげにした女の子は、アゲート家からついて来てくれた側仕えのドナだ。
王都で暮らしていた時に、アゲート家の屋敷の池に落ちたシャロンの身体からシャロンの魂が抜けて、わたしが入った。それまでのシャロンは『フルール・ド・グラス』の原作通りに高飛車で傲慢で気の強い、天敵のアルテラ王妃とばっちばちに火花を散らした喧嘩をしまくる恐ろしい悪女だった。だから当然ながら使用人たちにも妹弟たちにも恐れられ、嫌われていた。
そんな中で、この失礼で怖いもの知らずなドナだけは、ずっとわたしの側にいてくれたのだ。
うん、すごく失礼だけどね、許しちゃう。
本人には絶対に内緒だけど、大好きよ。
「へいへい、がんばー、へいがんばー」
妙な節を付けながら、ドナは寒さを紛らわすためにステップを踏んでいる。わたしは手を腰に当てて、注意した。
「ドナ、わたしのことを馬鹿にしているの? なんなのよ、その気の抜けた応援は」
「魔法を使う時には、身体の力を抜いて自然体でって言ったのはシャロン様でしょー」
「むむむ、まあ、そうだけど」
なんであなたが力を抜くのよ。
「へいがんばー、ふぉー、へいがんばー」
こぶしを胸の前でふりふりして、さらに怪しさが増した謎の踊りと共にドナの応援が続く。いや、これは絶対に馬鹿にしてるわよね。
「へいがんばー、へいがんばー」
ドナに懐いているジェレミーが、首を傾げて彼女の動きをよく観察してから笑顔で続いた。
「へいがんばー」
やだ、ジェレミーが真似をしちゃったじゃないのよ。
ちっちゃなステップとこぶしのふりふりが可愛いから許すけど。振り付きの『へいがんばー』をセイバート領オリジナル応援ダンスに認定してもいいくらいだけど!
「ふぉー!」
「ふぉー!」
変な雄叫びまでついた。
ふたりの応援を受けて、確かにわたしの身体から力みが消えた。
「ええと、それでは行きますわよ」
わたしは輿入れの時にお母様から頂いた、携帯用の魔法の杖を手にして集中した。
これはハナミズキの枝で作られた杖で、ユニークな魔法や人物にぴったりなのだそうだ。確かにわたしの魔法はユニークだからなのか、この杖はとても使いやすいのよ。
日常使いにはこの二十センチくらいの杖で充分なんだけど、ゆくゆくは領地の森林や山に出没する魔物を退治できるくらいになりたいから、もっとパワフルな魔法に耐えられる杖が欲しいんだけど、心配症のダリル様が首を縦に振ってくれないのよね。
「シャロンは今のままでもかなり凶悪な魔法を使えるではないか! 本格的な杖を握らせたら、うちの山が吹っ飛ぶのではないかと心配なんだが」
彼にそう言われたので、思わず「そっちの心配か!」って突っ込んじゃったわよ。
まあ、土の中に含まれる水分を瞬間的に蒸気に変えたら、大爆発を起こして山が丸っと吹っ飛ぶ可能性は……ごにょごにょ……。
いや、しないからね?
いくらわたしが王都で『悪の氷結花』と恐れられる水と氷の魔法使いでも、地形を変えるなんて非常識なことはしないわ。
たとえそれが、ジェレミーを助けるためであっても……ああ、その場合は、例外ですけど。うん。
ということで、魔法を放とうと詠唱を始める。
実際に魔法を使っているところを何度も見ることで、身体が魔力に馴染み、心も魔法という不思議な力を受け入れられるようになる。特に、幼い頃より質の良い魔法や大魔法と触れ合うといいらしい。
わたしは日本で学んだ物理学や、アニメで学んだ破天荒な魔法のイメージなどがあるため、それを生かしてとても自由に魔法を展開できるという強みがある。
幼い頃から魔法の楽しさや美しさ、有用な面などのポジティブなイメージをジェレミーが持てば、『破壊と殺戮に特化した闇魔法による世界の征服』なんてことにならないと思うのだ。
「『南の海に射す日の光』」
「あ、ちょっと『たんま』です」
詠唱をドナに止められたので、わたしは集めていた魔力を杖の先でくるんと丸めてから頭上に放り、霧散させた。小さな花火のような光がポンと破裂したので、ジェレミーが「うわあ、きれい」と笑顔になった。
むふふ、受けを狙って赤、青、ピンクの色を付けたのよね。
ちなみにこんなことができる魔法使いは、他にはいないようです。日本にいた時に、子ども向けの魔女っ子変身アニメを見ていたわたしならではの応用魔法よ。
「シャロンさまー、誰か来ますよ」
ジェレミーの勉強中は、用事がなければ誰も近寄らないことになっている。小さな子どもは集中力がないので、気持ちがそれない環境を整えてあげることが大切なのだ。
ドナの言った通りに、メイドがやって来て言った。
「奥様、王都からのお客様のご到着でございます」
「あら、魔法の先生かしら? 予定よりも早かったわね」
先日、我らが国王陛下の誕生日記念の夜会に出るために王都に行ったのだけれど、末の王弟であるダリル様が『れおなるどおいしゃま』ことレオナルド国王陛下に「そろそろジェレミーに魔法を教えようと考えているのだが、辺境にはあまり教師がいなくて」なんていうことを漏らしたら、おいしゃまが張り切ってしまったの。
ギルセータ国魔法研究院のエリートさんを、ジェレミーの教師として派遣してくれることになってしまったのだ。
こんな辺境に、トップレベルの魔法使いが……。
国王陛下、いくらジェレミーが可愛いからって暴走しすぎではありませんか?




