最終話 4月 絆の時間 akari
あかり akari
「おはよう」
朝の食堂で、私は遥香の後ろ姿に声をかけた。
遥香は、わあっと声をあげながら振り返ると、私にがばっと抱きついてきた。
「会いたかったあ」
春休みの間、遥香はずっと帰省していた。
「昨日の夜、帰ってきたなら、部屋まで会いに来てくれてもよかったのに」
「今日のための準備があるっていうから、邪魔しないようにしたいと思って」
「部屋の片付けくらいだし、気にしないでくれてよかったのに。遥香は準備、終わった?」
「ん。これから」
そんなんで間に合うのか。
「ちゃんと、エロ本は隠しておきなよ」
私が言うと、遥香がうはっと笑う。
「エロ本言うな。えっちな要素もありつつ、なんだから」
「ありつつ、ねえ」
話しながら、ふたりで朝食のバイキングを見て回る。
「あかりのおばあちゃんは元気だった? 帰省してきたんでしょ」
「ん。まあね」
私のために、この学園を選んでくれたことへの感謝を、ほんの少しだけ口にしてみたら、それから自慢話のように、私の考えたとおりだとかなんだとかはじまったから、さすがにこっちもむかついてきて、あのやり方はないって言い合いになったくらいには、元気だったかな。
「おはよう」
思い出して、むかむかしていると、元気のない声で、佳奈が現れた。
明らかに寝不足の顔をしていた。
「なんか、久しぶりに会うと、また髪が伸びて女の子らしくなってきた感じするねえ、佳奈ちゃん」
「え、あ、どうもです」
なんか恐縮してる。
おかっぱが伸びただけの髪型だったのが、ようやく肩まで伸びてきて、確かにかわいく育ってきてるな、佳奈のやつ。
「二年生のうちに、あかりみたいになれるかなあ」
「伸びてきたら、うちらが行ってる本土の美容室、いっしょに行こうよ」
うふふって笑いながら、佳奈はいつものように茶色い料理ばかりを取っていく。
人には健康に気を遣えとうるさく言ってくるくせに、自分は偏食しやがってと思っていると、
「これ食べなよ」
と言って、勝手に人のプレートに茶色い物体を載せてくる。
「じゃあ、あんたも」
お返しに緑色を載せてやると、佳奈はうわあって顔をしてこっちを睨んできた。
◇
食べながら、みんなでおしゃべりする。
そこら中から、同じ話題について話す声が聴こえてくる。
私たちも例外ではなく、その話題に夢中だった。
「ドアを開けた瞬間、遥香みたいなお姉さんが現れたら、性癖歪んじゃうよねえ」
にやにやしながら、佳奈が言いはじめる。
「佳奈ちゃんじゃあるまいし、そんなことないでしょ」
まんざらでもない顔で、遥香は笑っている。
「今日からお姉さんって思うと、緊張するねえ」
「遥香は、去年からお姉さん役みたいなことしてたんじゃないの?」
「妹の立場でお姉さんを励ますのとは、わけが違うでしょ。責任とか、あるし」
遥香は、ふふんっと胸を張ってみせる。
「ただれた関係にならないでよね」
「んふう」
なんだその反応。
私という女がいながら。
「私も美代子みたいになれるかなあ」
佳奈が不安そうに言う。
「あんたはその前に、案内役をしっかり務められるか心配したほうがいいんじゃない」
私が言うと、佳奈はうわあって言いながら、頭を抱えた。
「入寮式、遅刻してくるやついるかな」
佳奈がにやにやしながら言う。
「いるわけないでしょ、そんなやつ」
一年前を思い出して、ふたりで笑いあう。
「絆の時間、楽しみだなあ」
「どんな子が来るんだろう」
誰ともなく、そんな言葉を口にしていた。
◇
新入生の案内をしていた佳奈が、自分の部屋に戻ってきたのがわかった。
ということは、そろそろ絆の時間がはじまるということだ。
私は、ベッドから起き上がり、部屋を見回してみる。
初対面の新入生を部屋に呼んでも、だらしないと思われない程度には、しっかり片付いている。
準備は万端だ。
この私に限って、学校行事ごときで緊張するなんて、あり得ないと思っていた。
『緊張するねえ』
そんな言葉を、今日一日で何回聞いたかわからないほどだけれど、そんなのまったくの他人事だと思っていた。
それなのに。
絆の時間のはじまりを告げるチャイムが鳴った瞬間、いまだかつて経験したことのない感情が私を襲ってきた。
緊張感?
いや、これは焦燥感と呼ぶものだ。
「え、こんな私で大丈夫?」
大丈夫じゃない気がする。
そう思うと、途端に落ち着かなくなる。
まずい。
私は、葵先輩のように、なれるのだろうか。
いや、あの人みたいには、なっちゃいけない気もする。
ひとりの女の子の人生が、私にかかっているんだ。
私は、どんなお姉さんになればいい。
そわそわと、部屋の中を意味もなく歩きながら、私は必死に頭を回す。
葵先輩は、私にどうしてくれたっけ。
音楽が好きだって言ったら、音楽を聴くための道具を持ってきてくれたりしたっけなあ。
思いっきり、校則違反だったけれど。
あの人もたいがい、悪いお姉さんだったよなあ。
でも、大好きなお姉さんでもあった。
どんなところが、好きだったっけ。
これから、どんな女の子が現れるのか、それはわからないけれど、自分の中で、なにか大事なルールだけでも決めておこう。
そうだな。
彼女にだけは、嘘をつかないこと、かな。
決めごとを作ったら、少しだけ楽になれた。
もしかしたら、一年前の葵先輩も、いまの私みたいな気持ちでいたのかな。
そうだったら、うれしいな。
今度会ったら、本人に訊いてみようかな。
廊下から足音が聴こえてきた。
隣の部屋のドアが閉まる音がする。
新入生たちが、続々と先輩の部屋に到着しはじめたみたいだ。
嘘をつかないだけじゃ、葵先輩のパクリだし、進歩がないよなあ。
私ならどうするって、きちんと考えてあげなくちゃ。
責任とか、あるし。
私は一年前の自分を思い浮かべて、まだ見ぬ妹にとって、なにが必要なのかを考えてみる。
そのとき、ふと、七海先輩の答辞の言葉を思い出した。
おとなになっていく途中の私たちは、時として、他人のことも、自分のことさえもわからず、根拠のない自信にあふれ、それゆえ、信じられないような間違いを犯す。
その自信が打ち砕かれ、挫折を味わったとき、取り返しのつかない過ちを犯してしまわないように、そっと手を差し伸べてあげるのが、私の役目なのかもしれないな。
それができたら、上出来だよね。
「はあい」
ドアを叩く音がして、私は声をあげた。
お姉さんになる心構えは、なんとかぎりぎりで、間に合ったみたいだ。
ほっとした気持ちで、ドアを開く。
こちらの思いも知らず、現れた女の子の顔を見て、私は自然と笑みを浮かべていた。
この世のすべてを憎んでいそうな、そんな顔をしていたからだ。
かわいいなって、素直にそう思った。
「ここに行けって、言われたから来ました」
佳奈のやつ、きちんと説明できたのかなあ。
「先輩から、絆の時間の説明、受けなかった?」
新入生の女の子は、ああってだるそうに声をあげて、
「興味ないし、聞いてなかったんで」
そう言い放った。
先輩の話すら聞かないなんて、私より重症じゃない、この子。
「立ち話もなんだから、そこ座ってよ」
身の置きどころに困る様子もなく、彼女は私のベッドに堂々と腰かけてみせる。
私は、葵先輩がそうしていたように、椅子に座って彼女の姿を見つめた。
「私、なんかおかしいですか」
どうやら、私は笑っていたようだ。
私は、首を横に振って、改めて絆の時間の説明をしてやる。
「うわあ」
これから一年、週に何度かこの時間を過ごすと聞いて、彼女は早速、嫌そうな顔をした。
「話したいことなければ、無理してしゃべらなくてもいいよ。一時間だけ、ここにいればいいだけだから」
そう言ってやったら、スマホでも取りだすのかなって、私は思っていた。
私たちのときと違って、ネットだって自由に閲覧できるし、退屈しのぎの方法なら、いくらでもある。
黙って様子を見ていると、彼女は黙って私の顔を見つめ返してきた。
そっちがその気なら、私から声をかけてやろう。
「学校行事なんてつまんないし、なんていうか、茶番、だよねえ」
彼女の顔が、ぱあっと明るくなる。
「私、学校嫌いなんですよねえ。高校くらい出とけって、親がうるさいから受験しただけなのに、全寮制なんて聞いてなかったです。しかも、島って」
聞いてて、恥ずかしくなってくる。
一年前の自分を、見せられているみたい。
「寝てていいっすか?」
お姉さん役をやるって、難しいんだなあ。
文句も言わずに、私と向き合ってくれた葵先輩って、えらかったんだなあ。
後輩から脅迫される気分って、どんなだったんだろう。
今度会ったら、謝っておこう。
「寝てもいいんだけどさ、はじめてだし、今日はせめて、自己紹介くらいはしておこうか」
横になろうとしていた女の子が、だるそうに身体を起こしてみせる。
「まあ、それくらいなら」
この子もきっと、これから苦労するんだろうなあ。
「じゃあ、はじめようか」
私たちの、絆の時間を。




