第1話 4月 絆の時間(佳奈) kana
「母乳ってどうやったら出ますかね」
絆の時間。
みよちゃん先輩の部屋を訪れた私は、開口一番にそう訊ねた。
「最低でも産む必要はあるんじゃないかなあ。母っていう字が入っているし」
みよちゃん先輩は、いつものようにお茶を用意しながら応じる。
「ごめんね、ふわっとした知識しかなくて。私も正確な条件とかわからないんだあ」
大きなペットボトルのお茶を、透明なグラスに注ぐ先輩を見ながら、私は浮かんできた疑問をぶつけてみる。
「みよちゃん先輩は、いつから出るようになったんですか?」
「あの、出る前提でお話してくれてるところ悪いんだけど、私って母乳出ないんだあ」
こんなに母性があふれているのに、出ないなんておかしい。
「先輩なら出ると思います」
出ないなんて理屈が通らないよ、そんなの。
「えっと、私って、そういう行為に及んだことさえないのね。それで出るんだったら、たぶん、こんなとこいないで病院行かなくちゃいけないと思うんだあ」
「え、大変ですね」
「まだ患者ではないんだあ、私って」
たぶん、吸われたことないから出ないと思ってるだけじゃないのかな。
病院行かなきゃいけないことなら、きちんと確かめてあげるほうが親切だよね。
「いったん、吸わせていただくことってできますか」
「コーヒーブレイクみたいに言うのやめてほしいんだあ」
その言葉で、お茶をいれている最中だったと気がついたのか、みよちゃん先輩は、はっとした顔をして、私にお茶の入ったグラスを差し出してきた。
お茶をいただく私に、みよちゃん先輩が真顔になって言う。
「私と佳奈ちゃんの絆って、まだそういう段階まで発展してないと思うんだあ」
確かにそれはそうなんだけど、先輩は誤解している。
「私は、先輩のからだが心配なんです」
私が言うと、みよちゃん先輩は、うふっと笑ってみせる。
「ありがとう。佳奈ちゃんって、やさしいんだあ。でも、心配いらないから。母乳は出ないって、胸を張って言えるから。隠し子とかいないからね」
外でこの話、誰にもしちゃだめよって先輩は念を押してきたけど、そう言われると、いそうな気がしてくる。
隠し子のひとりやふたり。
私は疑いの目を向けてみる。
「でも、みよちゃん先輩、おっぱいおっきいですよね?」
みよちゃん先輩は、そのわがままな肉体に視線を落とし、胸に手を当てながら応じる。
「えっと、これはただおっきいだけなんだあ。母乳でぱんぱんに膨らんでるとか、そういうのじゃないのね。ただの脂肪。その証拠に、お風呂入ったら浮かんでくるから」
「ほんとうかなあ」
私がじろじろ見ていると、みよちゃん先輩がえへへって笑った。
すぐ顔に出る先輩が、頬を赤く染めているから、おっぱいじろじろ見られて恥ずかしかったみたいだ。
服の上からじゃ、見えないけどね。
制服の白いブラウスが透けて、今日は水色だねってそれはわかったけど。
みよちゃん先輩が、ふわふわの長い髪を胸の前に持ってきて、水色を隠してみせた。
視線をあげると目が合った。
なにを見ていたのか、バレたなって思った。
私は恐縮して、ぺこりと頭を下げる。
みよちゃん先輩は、しょうがない子ねって顔で、私に笑いかけてきた。
「佳奈ちゃんがそんなに言うなら、今度、出るかどうか自分で試してみるね。それなら、安心してくれるかなあ」
「はい」
私はひとまず、ほっとした。
「違ってたらごめんなんだけど、佳奈ちゃんが母乳を出したいって話なんだよね?」
困惑した表情で先輩が訊ねてくる。
「母乳が出れば、母性がわいてくるのかなって思って」
「うん。それはそうなんだと思う」
「え、じゃあ、やっぱり」
「私の乳首からは、なんの汁も出たことないんだあ」
みよちゃん先輩は首を横に振って、強く否定してくる。
「おかしいですねえ」
「うん」
うん、なのかな、この場合の返事って。
「ところで」
私はお茶を飲み干してから、先輩に相談をする。
「友だちに、ほかの子と口を利くなって言われた場合、どうしたらいいですかね」
「話題めっちゃ飛ぶね、佳奈ちゃんって」
「そうですか?」
「うん。隣り合ってすらいないもの。お姉さんついていくの大変だから、いったんお茶飲んでもいい?」
「私もいただきたいです」
空のグラスを差し出すと、先輩がお茶を注いでくれた。
「佳奈ちゃんとは、真摯に向き合いたいから。いい加減なこと言えないからね、お姉さんとして」
みよちゃん先輩は、母性たっぷりで包容力があるだけでは飽き足らず、とてもまじめで頼りになるお姉さんだ。
ふたりでお茶を飲み合ってから、続きをお話する。
「そういう、わがままを言う友だちと向き合うには、母性が必要なのかなって思って」
「あ、そう繋がるんだ。しっかり隣り合ってたわ。ごめんね、早とちりしちゃって」
「だいじょぶです」
みよちゃん先輩は、ほっぺたに指を当て、首を傾げながら考えている。
私は、先輩が考えるための情報をお出ししていくことにする。
「私は、友だちたくさん欲しいし、いろんな子とおしゃべりしたいんです」
「私もそれがいいと思う」
みよちゃん先輩は、学校や寮の中で偶然顔を合わせると、いつも同級生といっしょに楽しそうにおしゃべりしながら歩いていて、ひとりでいるところを見たことがない。
だから、きっと共感してくれると思っていた。
「そいつ、あかりって言うんですけど、あかりって、私以外の子には挨拶もしないんですよ」
「おとなしい子なのかなあ」
「教室とか、いっぱい人がいるところだとおとなしいですけど、ふたりっきりだとよくしゃべります」
「ああ、そういう子いるねえ。私の周りにもいるう」
みよちゃん先輩は、ばったり顔を合わせると、いつもにこっと笑って無言の挨拶をしてくれる。
「私、おばあちゃんから挨拶は人付き合いの基本の『き』って教わってきたんです」
「いつもながら、いいおばあちゃんねえ」
「あ、どうも」
おばあちゃんのことは、まだ許していないけれど、褒められると悪い気はしない。
「だから、あかりにも挨拶はしたほうがいいよって言うんですけど、媚びてるみたいで嫌だって言うんですよ」
「重症じゃない」
先輩がそんなことを言うもんだから、私は思わず、んふっとふきだしてしまった。
患者がもうひとり、見つかったみたいだ。
「それは母性がいるかもねえ」
「わかってくれましたか、みよちゃん先輩」
「やっとわかったあ。時間かかっちゃってごめんね。佳奈ちゃんとのコミュニケーションって、私には荷が重いっていうか、ちょっと難しいとこあるから」
私は、ふふっと笑った。
先輩がわかってくれて、なんか満足した。
絆の時間って、いいなあ。
考えた人、天才だなあ。
寮長が発案者だって、みよちゃん先輩は言っていたけど。
「私、そんなに知識多いほうじゃないから、来週までの宿題にさせてもらえるかなあ。きちんと調べて報告するからね」
「お願いします」
「忘れるといけないから、メモしていい?」
「どうぞ」
みよちゃん先輩は立ちあがると、机の引き出しから小さなメモ帳とボールペンを取りだして、また私の前に座ってみせる。
メモを取りながら、先輩が口を開く。
「母乳出る条件、母乳頑張って出してみる、これだけだったかなあ?」
「あ、頑張りすぎなくても、だいじょぶです」
「ありがとう。佳奈ちゃんって、いい子なんだあ」
「先輩もいい子だと思います」
ふたりで、うふふって笑っていたら、絆の時間の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
「ちょうどいい時間だねえ」
「お邪魔しました」
私はいい気分で、みよちゃん先輩の部屋をあとにした。
部屋のドアが閉まったとき、冷静に考えると、相談したかったこと、なにも解決していないなって、ふと気がついた。
これじゃ、みよちゃん先輩が、病院に行かないといけない体なのかどうかを確かめる話にしかなっていない。
それでも、気分がいいのは事実だから、まあいいやって私は笑った。




