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第2試合 プロレスリング・オルトへようこそ

第2試合 プロレスリング・オルトへようこそ


 翌朝。政宗の運転する車を降り、凌は葛飾区の路地に立った。

 春の日差しに目が眩み、手をかざす。長いこと夜型生活をしていたせいか、太陽はやけに刺々しい。


「ここが道場兼事務所だ。昔、何回か来たことあるだろ」


 あくびを噛み殺し、目の前の建物を眺める。


 波板トタンにトタン屋根。古い油の匂いと、あちこち剥がれた塗装。元整備工場だという建物には大きなシャッターが下りていて、そこには星をモチーフにしたトレードマークと、看板が描かれている。

 

 『プロレスリング・オルト』


 その名に、凌の目が冷ややかになる。


「面白くねぇ顔してんな」

「誰のせいだよ」


 ぼやきを流し、政宗は歩き出す。凌は仕方なく、その背を追う。

 右足を少し引き摺る仕草は、昔から変わらない。現役時代に何度か怪我をしたせいだというが、詳しくは知らない。知りたいとも思わなかった。


「こっちが道場だ」


 シャッター横のドアを開け、中に入る。するとすぐに、こもった空気が鼻を刺激した。

 染みついた汗と、サンドバッグの湿った革の匂い。そこに鉄やゴム、芳香剤の匂いまで混ざっていて、思わず凌の眉が寄る。

 内装は、外観に負けず劣らず古い。しかしリングやトレーニング器具は揃い、しっかりと手入れがされていた。


「おはよう、ムネさん」


 低く穏やかな声が聞こえ、凌が目を向ける。

 リングから離れた隅。日影に追いやられた一角の、狭い事務スペース。その場所には、たったふたつの古びた事務机と、一人の大男が待ち構えていた。


「ロヴィ。凌を連れてきたぞ」

「あらぁ!凌ちゃん、こんなに大きくなって!アタシのこと覚えてるかしら?」

「……はい」


 覚えている。その昔、政宗のライバルとして君臨していた女王系ヒールレスラー・ロヴィーナだ。

 しかし、記憶にある奇抜なメイクもコスチュームも今はない。山のような巨体と、波打つ金のロングヘアだけが昔と重なる。


「ちゃんと挨拶するのは初めてね。アタシは鷲塚武志(わしづかたけし)。リングネームはロヴィーナよ。ロヴィって呼んでね」


 女性的な口調で、ニコニコと挨拶してくるロヴィーナ。友好的な振る舞いにどうすべきか悩んでいると、政宗が話を進めだした。


「凌。お前には、今日からブッカーをやってもらう」

「ブッカー?なんだよそれ」

「試合のマッチングや勝敗、流れを決める役だ」

「……それって」


 ——控え室で話す、政宗とロヴィーナの姿。 

 焼きついた記憶が脳裏を過ぎり、同時に、奥底から激しい嫌悪が湧く。


「……っ!俺に八百長のシナリオ書けって言うのかよ!!」

「八百長じゃない。プロレスには必要なものだ」


 取り合わない政宗に、ぐっと拳を握る。見かねたロヴィーナが、二人の間に割って入る。


「あとはアタシから話すわ。ムネさんは行くとこあるんでしょ?早く行ったら?」

「……そうする。あとは頼んだ」


 政宗が去っていく。あとにはロヴィーナと凌が残り、二人きりになる。

 空気はまだどこか重い。そんな中、ロヴィーナは凌に微笑みかけ、声を軽くする。


「お茶でも飲みながら話しましょうか」


 奥へと手招かれ、渋々ついていく。するとそこには、パーテーションで区切られた休憩所があった。   

 十畳ほどの空間は、畳を敷いた居間のような場所だ。テレビと大きなちゃぶ台があり、その奥には流し台とコンロが見える。事務所というより、誰かの家のような雰囲気だ。

 勧められ、凌は席に着く。ロヴィーナは奥の台所へ立つと、慣れた手つきでお茶を淹れ、「どうぞ」と差し出す。


「ごめんなさいね。ムネさんったら強引でしょ」


 理解を示すロヴィーナに、凌が顔を上げる。


「アタシも急に言われたの。凌をうちのブッカーにするって。アタシは業界を知らない子に任せるべきじゃないって反対したんだけど……ああいう人でしょ?こうと決めたら、言うことなんて聞いてくれなくて」


 文句混じりの言葉に、不思議と棘はない。呆れながらも、どこかで政宗を信じている。そんな響きを凌は感じ取る。


「……鷲塚さんは」

「鷲塚じゃなくてロヴィ。ゴツいおっさんみたいで好きじゃないのよ、その名前」


 訂正され、いや、ゴツいおっさんそのものだろと凌は思う。


「ロヴィさんは、反対だったんですね」

「そりゃそうよぉ。試合ってのは、プロレスの根っこだもの」


 湯呑みを手に取り、ロヴィーナはふぅ、と息を吹きかける。


「試合はオルトの象徴だし、ファンを楽しませる要でもあるし、アタシたちレスラーが体を張るものでもある。そんな大切なものを、何にも知らない素人に任せるなんて無謀じゃない」


 凌が言葉に詰まる。ロヴィーナが湯呑みをコトリと置く。


「凌ちゃんは八百長って言ったけどね。プロレスって、ただ勝ち負けを決めるスポーツとは違うの。勝った負けたはあるけど、勝つことが全てじゃないのよ」

「それじゃあただの見せ物じゃないですか」

「否定はしないわ。レスリングを興行にしてるのは本当だもの。でもね、ショーにはショーの価値があるのよ」


 認めながらも、ロヴィーナは卓越しに、少しだけ身を乗り出す。


「凌ちゃんは、筋書きがあるものは、全部偽物だと思う?」


 問いかけは柔らかい。


「作られた物は、無意味で価値がないって思う?」


 けれど、ひたむきな眼差しに容赦はない。


 凌は黙った。自分が楽しんできたアニメやゲーム、マンガに小説は全てが作り物だ。それどころか、引きこもっていた間、ずっと悔しさや怒りを紛らわせてくれたものでもあった。

 答えられず、視線を揺らす。ロヴィーナはそんな凌を、静かに見つめる。


「まぁ、そうは言っても、嫌なものは嫌かもしれないけどね。でも、ムネさんは本気よ。それにアナタも仕方なくとはいえ、やると決めてきたんでしょう?」

「俺は……ただ、雑用するとか、そういうつもりで」

「じゃあやめる?」


 鋭い目が、凌を射抜く。


「お父さんから、逃げ出す?」


 全身が、一瞬すくむ。

 ズルい言い方だと思った。しかし同時に、逃げたくない、見返してやりたいとも思った。

 静かな意地に火がつく。顔を上げ、凌は目の前のロヴィーナを見据える。


「……やります」


 そう言うと、ロヴィーナの表情がふっと緩む。


「なら、アタシが協力するわ。わからないことがあったら何でも聞いて」


 ロヴィーナは大きな手を差し出す。そして、歓迎の笑みを咲かせる。


「プロレスリングオルトへようこそ。これからよろしくね、凌ちゃん」


 凌はおずおずと手を伸ばし、その手を握った。

 やると言ってしまった。そんな後悔を引き摺りながらも、握り返された手からは、ロヴィーナの温かさと力強さが伝わる。


 もう、後戻りはできないのかもしれない。


 確信めいた予感に、視線が落ちる。その先には、繋がれた手と手だけが映っていた。


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